美丈夫の嫁 余談 2





「ここまでしても、共に入りたいか?」
「はい。勿論」
「そうか…………」
 俺は条件付きならば美丈夫と共に入浴しても良いと伝えた。
 その条件は風呂の照明を落とし、防水加工の間接照明を使うこと。薄暗くなれば裸もろくに目に映らないだろう。そして俺は腰にタオルを巻いて局所を隠すこと。性的な部分を隠せば美丈夫も冷静でいられるのではないか。
 そして最も大事なのが、俺に触れないということだ。
 一緒に風呂に入れば、背中を流すだの何だのという提案が出てきそうなものだが。それを全て却下すると宣言した。
 スキンシップなどもってのほかだ。
 これでは共に風呂に入る意味もないだろう。
 俺はそう踏んだのだが、美丈夫は快諾した上で一緒に入るという選択をした。
 何が彼をそこまで突き動かすのかは分からないけれど、条件を呑むのならばやらねばならない。
 何より一度入ってしまえば、ある程度納得もするはずだ。断る際も「一度入っただろうが」と言い返せる。
 なので腹をくくって、二人で風呂に入ることになった。
 美丈夫は何の躊躇いもなく脱衣所で服を脱いでは先に風呂場に入って行く。それを見送ってから、のろのろと全裸になっては腰にタオルをきつめに巻く。
 自宅の風呂に入るのにタオルを巻かなければいけない。
 違和感がすさまじい。
 浴室に入るとバスタブに端っこに防水加工の小ぶりなランタンが置かれており、ぼんやりと周囲を照らし出していた。
 普段は真っ白な照明にくまなく照らされている浴室も、そうして淡い光に照らされているだけで何やらムードがある。
 光を含んだ湯気に包まれ、美丈夫はシャワーの前で立ったままがしがしと頭を掻くように洗っている。存外に荒っぽく洗うのだなと思うが、髪が短いのでさして頓着もしていないのだろう。
「洗って差し上げよう」
 背後から声をかけては美丈夫の頭に手を伸ばす。すると美丈夫は勢い良く振り返った。真ん丸になった瞳は相当驚いているらしい。
「俺に触るのは駄目だと言うたが、俺が触るのは禁止しておらぬよ。それともお嫌か?」
「まさか!お願いします!」
 自分より背の高い男が向き合って俺に頭を差し出してくる。撫でてくれとねだられているようで少し愉快だ。
 すでに充分に泡立っているので、頭皮を軽く揉みほぐすようにマッサージをしてやる。
「おまえさんはよく頭を使っておるからな。頭皮も凝っておるじゃろう」
「気持ち良いです」
「それは何より」
 頭皮のマッサージなどろくにしたことはないが、自分がされて気持ち良いだろうと思う程度の力加減で揉んでいく。学業に家の内情に今後の進路に、美丈夫を悩ませるものは多いだろう。
 優秀な頭脳は随分と働き者だが、それにしても疲れる時はある。
「さて、この程度にしておこう。泡を流すから目を閉じて」
 子どもを洗っている気分になって、シャワーヘッドを手に取る。美丈夫はされるがままだった。
 洗われるのは勘弁して欲しいが。美丈夫を洗うのはそう悪くないかも知れない。
 髪を洗い流した後は椅子に座らせて背中を向けさせる。
「背中を流して貰うなんて、本来なら逆なのに」
「本来も何もないじゃろう。それに俺の背中など洗い甲斐もない」
 ボディタオルを泡立てながら、美丈夫の背後に回る。三助の真似をするのは初めてだ。
 小さな椅子に恵まれた身体がちょこんと座っているのは少し面白い。
 美丈夫は筋肉が付いた見栄えのする体躯だった。特に今のようにランタンのオレンジ色のほのかな光に照らされていると、筋肉の隆起が淡い影を作っては造形の美しさを伝えてくる。
 美丈夫の背中をじっくりと鑑賞する機会などこれまでなかった。人の着替えなど眺める趣味はない。ベッドの上にいても、目にするより触る機会の方が多かった。
 縋り付いた感触だけはよく知っている。
 そう思うと奇妙なものだ。男の背中の感触だけ覚えているなんて。
「おまえさん、どうしてこんなに良い身体付きをしておられるのか。ジムに通っておるとも聞いてないが」
「護身術の嗜みがあります。今でも時折通っています。いざという時に対応出来るように、必要なので」
「なるほど、護身術」
 いざという時、というのがこの男には想定されるのだろう。もしくはこれまでにそんな状況があったのか。
 蔭杜の長男という立場が、これまでどんな危険を美丈夫に及ぼしたのかは分からない。だが少なくとも俺のようにだらだらと読書にふけって安穏と過ごす日々ではなかったのだろう。
「知識も体力も、あって損は無いものは身に着けておけ。というのが父の教えです」
「なるほど。仰る通りじゃな」
 知識は決して無駄にも邪魔にもならない。俺はそう思うけれど、言われてみれば体力もそうだろう。肉体を作る、という着眼点はなかったのだが、美丈夫の父の台詞は正論だとしか思えなかった。
「さて、背中以外はご自身にお願いしよう」
 ボディタオルを美丈夫の手に握らせて、俺は自分の頭を洗うためにシャンプーに手を伸ばす。
「あの、俺にも何かさせてください。いやらしい手つきでは触らないとお約束します」
「……いや、結構。お気になさらず、俺が言い出した条件じゃ」
 手つきがどうこうではない。美丈夫のそれが万が一反応を示した際、気まずくて仕方がないのだ。
 俺なんかに欲情するわけがないだろう。性的な魅力なんて欠片もないのだから、平気なはずだ。と身体を重ねるまでは思っていた。
 だが今となっては、本当にこの人は悪趣味でどうしようもないのだと理解してしまった。
 なので危険だと思われるものは全て回避するべきだ。
(ものすごく視線を感じる……)
 美丈夫の背を向ける形で頭を洗っているのだが、ものすごく視線が刺さる。見られているということだけは感じられる。
(美丈夫は目が雄弁過ぎる)
 しかし構ってやればやぶ蛇だ。淡々と頭を洗い、美丈夫からボディタオルを渡して貰う。すでに全身を洗い終わり、泡も流した美丈夫は俺に椅子を譲りながらバスタブの端に腰を掛けている。
 ランタンの横に座る男は至って真剣な表情だ。
「……先に湯に浸かってはどうか。そこにいては寒いじゃろう」
「いえ大丈夫です」
「……見下ろされると気になるのだが?」
「お気になさらず、俺のことはただの置物だと思ってください」
「置物と思うには圧が強すぎる。背中は流さずとも良い。勝手に一人で洗う。おまえさんはバスタブの中に入れ。出なければ叩き出すぞ」
 じろりと睨み付ける。
 セクハラをされている女性のような気分で叱ると、美丈夫は悩ましげに「分かりました」と返事をしては、のろのろと湯船に浸かる。
 何故バスタブの端に座りたがったのか、理解出来ないままボディタオルを滑らせる。実家で使っていたボディソープとは全く違う、滑らかな泡と良い香りに気分が上がっていく。
 季節ごとにボディソープは変わっている。保湿力や香りを気にして変えられているらしいが、まさかボディソープで季節感を味わえるとは思っていなかった。
 蔭杜に来てから小さな驚きがたくさんある。
 腰に巻いたタオルを外さず、手をタオルの中に入れて内股や局所を洗う。
(面倒臭い!取っ払いたいが、見られるのは避けたい)
 全裸にはならないという意地が俺にタオルを死守させている。しかし椅子に座ったまま、ましてタオルがある状態では臀部が洗えない。
「はぁ…………」
 面倒臭い、怠い、何故ここまでしなければいけないのか。
 うなだれながら少しだけ腰を浮かせ、一端タオルを外しては片手で掴み腰のあたりを覆う。そしてもう片手で臀部を洗った。タオルで隠されているのは臀部の中央くらいだろうが、丸出しよりましだ。
(なんなんだこの努力は)
 こんな悪足掻きを見て、美丈夫は呆れていないか。洗い終わって座り直しつつ、つい後ろを見てしまった。
 すると美丈夫と目が合ったので、もしかしなくてもこの人は俺が思うよりずっと危ない人なんだろうなと認識を新しくする羽目になった。
「……何が、そこまで?」
(俺の尻も別に初めて見るものでもあるまい。見るどころか掴みもするくせに)
「その問いには、全てがとお答えします」
 全てがどうなのか、と質問は重ねなかった。
 俺はどこにでもいるような、これといって特徴のない凡庸な成人男性だ。そろそろ三十路もすぐそこまでやって来ている。
 その現実がこの男にはおそらく見えていないのだろう。




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