美丈夫の嫁 余談 3





 お湯は乳白色に濁っている。これも美丈夫と一緒に風呂に入る際の条件に入れた。バスタブの中に二人でいるのに、透明なお湯では目のやり場がない。
 美丈夫と対面になるように腰を下ろしては、膝を立てる。一人ならば足を伸ばしてゆったり出来るほどのサイズだが、現状ではさすがに美丈夫の身体に接触してしまう。美丈夫も俺より一回りは大きな体躯を縮めており、二人して体育座りをしているような体勢だ。
 滑稽な光景だろうが、お互いの身体に触れないようにするためにはこうするしかない。
「足を伸ばして構わぬよ。その辺りまでなら認める」
 長い足を持て余している美丈夫に、俺を挟むように足を広げて伸ばしても構わないと許可を出す。すると美丈夫は立て膝を伸ばしたらしいが、俺には触れないように探り探りなのが分かる。
「上総さんも足を伸ばされては?」
「俺はいい。おまえさんと違って丸まっておっても苦ではない」
 日本人男性の平均身長はあるが、美丈夫に比べれば小さいのが事実だ。持て余すだけの足の長さもない。
 ぱしゃりとお湯を顔にかける。とろみがあって何とも肌が潤いそうだ。
「念願が叶ったわけだが、これでもご満足頂けたか?」
 美丈夫が望む内容とはほど遠いものになっている気がするが、それでも一緒の入浴に違いはない。
「満足です、ありがとうございます」
「これでも納得出来るのか、おまえさんは」
「隠されるのも良いものですし、薄暗いのもムードがある。何よりこれまで上総さんと出来なかったことが出来たんです。嬉しいです」
 お手軽だと言いたいところだが、隠されるのも良いもの、という発言が引っかかっては複雑な心境になってくる。この男、秘められる、隠されるというのが好きなのだろうか。
(人は隠されたものに魅力を感じるというが、俺じゃぞ?)
 好みの程度が低すぎる。
「……何故その外見を持って、俺に手を出そうとするのじゃろうな」
 バスタブの端に置かれたランタンがぼんやりと照らしている美丈夫の容姿は、時代劇がよく似合いそうな俳優を思わせる。精悍と誠実を磨いて最上の美しさで整えて作ったらこういう顔立ちになるだろう。
 真っ直ぐな性根も容貌によく現れている。
 恋人になって欲しいと思う者は男女問わず数多に存在するだろう。自分に見合った相手を選べるはずのスペックを持っているというのに、何故釣り合わない俺を見初めたのか。
「貴方が好きだからです」
 迷わないどころか照れもしない。ただの事実を笑みと共に述べているに過ぎないという態度に、いい加減俺も慣れてしまった。
「おまえさんは男が好きというわけでもないのじゃろう?女性と付き合っていたという話も聞いておる」
 美丈夫は昔から当然のごとくモテていたらしい。そして過去に何人も彼女がいたのだと、蔭杜で働いている庭師さんから聞いた。
「あんなに格好良いんだから、女の方が放っておかない」とからりと笑っていた年配の庭師さんに、そりゃそうだろうと思ったものだ。
 男にしか恋愛感情を抱かない、性的趣向が同性のみであるならば彼女はいないだろうが。おそらくその場合は彼氏が出来ていたことだろう。
 恋人が全くいない人生を歩んできた、と言われる方が驚愕だ。
「付き合っていた人はいますが、本気になれた相手はいません」
「俺に気を遣うこともないが?」
「いえ、本心です。俺は女性と結婚することは出来ないと決められていましたから」
 そういえばそうだ、と今更思い出す。
 そもそもなぜ俺がここにいるのかといえば、美丈夫が同性を嫁にしなければならない立場だったからだ。そして白羽の矢が立ったのが俺だった。
 もし蔭杜の妙な掟がなければ、俺はおそらく美丈夫の前にはいなかっただろう。美丈夫が俺を好きだといっても俺はお断りをしていたはずだ。
 蔭杜本家の人間と付き合えるわけがない。まして同性だなんて不毛だ。本家からどんな扱いをされるか分からない。おそらく猛反対をされるはずだ。
 そんな関係を結べるほど俺に度胸はなく、障害のある恋愛に盛り上がるほどロマンチストでもなかった。
(そう思えば……出逢いとしてはベストだったのかも知れん)
 そしてこの世の女性にとって、蔭杜の掟は美丈夫と付き合う上で困難な壁になったらしい。
「彼女が出来たとしても、十代の頃から結婚を意識して付き合っている人はおそらくほとんどいないでしょう。でも俺はどうしても結婚出来ないと思ってしまいました。どれほど好きでも、彼女からどれほど思われていても、関係が深くなっても、きっとこの人とは生きていけない。そう思うと自然と気持ちは冷めてしまった」
「将来を見据え過ぎじゃな」
「俺もそう思います。若くて視野が狭かったというのもあると思います」
「二十一歳も充分に若いじゃろうが」
 老成しているような台詞を吐かないで欲しい。年上の俺の立場がない。
「十代なぞ、気楽に付き合うだの別れるだのしているもんじゃと思うがな」
 付き合った翌日どころか、数時間で別れるのも有り触れた話だ。結婚だの家庭だのを考えなくても良い状況だからこその自由だ。
(……そうか、つまりそういう自由が最初からなかったわけか)
  美丈夫は常に、蔭杜について考えて行動しなければいけなかったのだろう。自分の生き方は制限されているのが当たり前だった。
 だというのによく歪まずに男前に育ったものだ。
「…………はぁ」
 美丈夫は眉を寄せては髪を掻き上げる。何か言いたげだが、じっと待っていても口は開かず。天井を見上げては考え込んでいるらしい。
 ぽちゃんと水滴がバスタブに落ちる音が反響しては、やけに大きく響いた。
 お湯の温度はややぬるめだが、ずっと浸かっていればさすがにのぼせるだろう。
 常ならば美丈夫が自分で言い出すまで黙って待っているのだが、お湯に茹でられ体温は上がっていくばかりだ。仕方がないと、腰の近くまで伸びていた美丈夫の足にそっと触れる。
「で、何が言いたい?」
 触れられたのに驚いたらしい美丈夫が息を呑んだ。そして瞬きをしては視線を逸らす。
「上総さんにも彼女がいたことは知っています。ですがそれを尋ねて良いものか、仮に答えて貰って、その内容に冷静でいられるかどうか自信がなくて、迷っていました」
「なるほど……」
 蔭杜に引っ越してくる前に、俺の身辺はある程度調査されているだろうと思った。その中にこれまでの交流関係、恋人の有無なども含まれていたのだろう。
 彼女がいたことを把握されたところで、二股でも何でもない、数年前に別れているのでなんら後ろ暗いことはない。美丈夫が知りたいというならばどんな人だったのかも答えるつもりだが、非常に悩ましげだ。
 知れば嫉妬でもするのだろうか。
(とうに終わった関係に?性別も違うのに?)
 それでも恋人だった、という点だけでも気になるものか。美丈夫を見ていると、俺は恋愛の機微に疎いのかも知れない。
「どう思っておるのかは分からんが、俺を抱くのはおまえさん一人だけじゃ」
 そう言ってくすぐるように美丈夫の脛から膝小僧までを撫で上げた。とろみを帯びたお湯のおかげで、官能的な感触になったかも知れない。
 男が好きなわけではない、美丈夫だからこそ受け入れているだけだ。今後他の誰かに恋人になってくれと言われてもことごとく断る。肉体関係なんてましてだ。
 それくらい腹をくくって付き合っているのだ。過去の恋人に振りまわされるのは止めて貰いたい。
「……上総さん」
 俺の台詞が突き刺さったのか、それとも手つきに感じるものがあったのか。美丈夫の目つきが途端に剣呑なものになる。スイッチが入ってしまった美丈夫にぱしゃりとお湯をかけた。
「約束を覚えておるか?」
「……入浴中に手を出したら、二度と一つのベッドでは寝ない」
「よく覚えておられるな」
 今にも食い付いてきそうな顔をしているが、美丈夫はきちんと動かずに止まっている。唸り声が聞こえて来そうな男の視線に晒されて、うなじがぞわりとした。
 浴室に入った時からずっと眼差しで愛撫をされているような気分だったが、これはもう身体を拓かせようとしている時の目つきだ。
「のぼせそうじゃから、先に失礼する」
 危うい空気の中にずっと浸っていると、俺まで熱が回る。腰に巻いたタオルを保ったまま立ち上がった。べったりとタオルが足に張り付いて非常に動きづらいがここで外すわけにはいかない。
「俺はもう少しゆっくりしようと思います」
 そうだろうな、と内心頷きながら「ごゆっくり」と言い残して浴室を出た。



 風呂上がりに冷たいミネラルウォーターを飲む。どうやら少しのぼせてしまったらしい。肌が火照っては少し頭がぼーっとする。
 リビングのソファに腰を下ろしては休憩を取る。美丈夫は果たしていつ出てくることか。
(揶揄うつもりはなかったんじゃが……)
 風呂に入っている間、ずっと撫でられるような視線に晒されて疲弊したので、少しばかりやり返してやろうと思ったのだ。俺がどれほど凝視したところで目力などないので、美丈夫は何も感じないだろう。なのでついっと足を撫で上げた。
 ベッドの上を思い起こさせる手つきではなかったはずだ。俺はセックスの際に誘うような手で美丈夫を撫でることはほぼない。
 なのでさして反応しないかも知れない、なんて思ったのだが。結果はてきめんだった。
(勃ったかも知れんな)
 白く濁ったお湯の中では美丈夫のそれの形状は見えない。確認したくもなかったので、濁り湯になる入浴剤を溶かしたのは大正解だった。
 今頃、静めているのかも知れない。
「……上がりました」
 それから十数分後、美丈夫は風呂場から帰ってきた。落ち着いているだろうかと思ったのだが、どうやら収まりきらなかったらしい。ぎらぎらとした瞳はそのまま、俺を見る目つきがややましになった程度だ。
 若者の性欲はこれほどまでに旺盛なのか。それとも煽りすぎたのか。
「上総さんはもう寝ますか?俺は用事を済ませてから寝ようと思うので、まだ少し後になります」
 それは生活の中で度々耳にする話だった。
 お互い似たような時間に就寝するとは言っても、ぴったりと時間を合わせてベッドに入るわけではない。それぞれ学業だの仕事だの雑事だのと、あれこれ抱えている。
 むしろ就寝時間が重なるのは、上総が休みの前日くらいだ。つまり性行為をする場合のみ、主に美丈夫が俺に合わせてくれる。
 だがシフトの上では明日、出勤になっている。なので美丈夫は性欲をきっちり制御出来るようになってから一つのベッドに上がるつもりなのだろう。
 理性的で思いやりのある男に、俺は「そうか」と短く答えて立ち上がった。
 飲み終わったグラスを流しに持って行ってから、同じように水分を補給している美丈夫を見やる。
「そういえばおまえさんに言い忘れたことがある」
「何ですか?」
「明日、振休になった」
「ふりきゅう」
「振替休日、つまり休みじゃ」
 美丈夫は一瞬ぽかんとしたが、すぐに理解したらしい。目つきに剣呑さが戻っていく。急激な変化に、噴き出しそうになった。
「しかし用事がおありなのじゃろう?俺は先に寝ておる。お気になさるな」
「たった今用事などなくなりました!ありません!ですから、速やかに移動して頂けますか?」
 誘い文句としてはムードも甘さも何もない。だが必死になっている美丈夫が面白く、また可愛らしくて、これまでで一番素直に頷くことが出来た。






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