美丈夫の嫁 余談 1





「一緒に風呂に入ってくれませんか?」
「謹んで辞退申し上げます」
 大真面目な顔で共に入浴しようと提案してきた美丈夫を、俺はあっさりと切り捨てる。それに美丈夫は怯むことなく「何故ですか?」と質問を重ねた。
「何故?という問いかけはこちらがしたいくらいじゃが。先に質問に答えると、成人男性が二人で風呂に入ると風呂場が狭いからじゃな」
 この家の風呂場は一般的な規格を考えればやや広いように思う。しかしだからといって大人の男が二人で入って十二分にゆったりとしているかどうかは疑問だ。まして美丈夫は体格が良い、動き回れば窮屈だと感じる時も出てくるだろう。
(そもそも何故一緒に風呂に入りたがる)
 美丈夫が一緒に風呂に入ろうと言うのは、今日が初めてではなかった。以前にもその誘いはあり、その時俺は「正気か?」と真剣に美丈夫の様子を観察したものだ。
 どれほど疑っても、美丈夫は正気だった。いや、俺と一緒に入浴したいという気持ちがある時点でおそらく正気ではないのだが、少なくともその提案以外に異常な言動はなかった。
「多少狭くはなりますが、入れないことはありません。バスタブも二人が収まるくらいのサイズはあると思います」
「俺は一人でゆったりと自由に入りたい」
「そこをなんとか」
 食い下がる美丈夫に頭痛がする。ちょっと休憩とばかりに緑茶を入れて、リビングのソファに座るのではなかった。晩ご飯は食べ終わったのだから、さっさと自室に戻って持ち帰ってきてしまった仕事をやるなり、現実逃避で本を読むなりすれば良かった。
「風呂場は綺麗に掃除をしています」
「知っておる。おまえさんが綺麗好きなのは有り難い限りじゃ」
 夫婦というのものは家事を分担するもの。そう美丈夫は思い込んでいるようで、お手伝いさんが毎日来ては部屋の掃除と食事を作ってくれているのに、ゴミ出しと風呂掃除を自分の役目と決めて律儀に勤めている。
 美丈夫はお手伝いさんが身の回りの世話をしてくれているのが当たり前の生活を、物心ついた時から続けている。そんな男がいきなり家事など出来るのか、すぐに音を上げるのではないかと思っていたのだが。予想を裏切り美丈夫のゴミ出しと風呂掃除は続いている。
 ルーティーンになると、何の苦もなくなるタイプなのだろう。
「何故そう二人で入りたがる。風呂など極めてプライベートな時間じゃろう。全裸なんて最も無防備な状態を晒している上に、身体を洗うという清めの時間でもある。人と共有する必要がない」
「必要性というならばそうですが。コミュニケーションを取るには全裸というのは効果的だと思います。無防備だからこそ、お互いの心を打ち明けるのには絶好のシチュエーションです。信頼と信愛を深める場として効果的だと俺は思います」
「無防備であることに抵抗感しか覚えない人間もおる。俺がそうじゃ。そもそも信頼と信愛を深める必要性が今あるか?俺が信じられないと?」
 そんなわけがないと分かりながらも、あえて意地悪く尋ねてやる。
 私が信じられないのかと、信用に関わる台詞を無遠慮に吐く人間は面倒臭いを感じられるものらしい。美丈夫から多少なりとも鬱陶しいと思われれば、一緒の入浴も今後誘われなくなるだろう。
 もっとも俺自身が面倒な人間だと思われて、これから距離を取られる可能性もあるので博打ではある。
「オブラートに包んだ言い方をして誤解を招いてしまいました。申し訳ありません。信頼と信愛がどういうというより、明るい場で全裸を晒し合った結果、風呂場でセックスが出来ないかという下心です」
「突然ぶっちゃけてくるのは止めよ!おまえさん、それまで理性的に喋っていたくせに色事になると急に恥も外聞もなく下心を剥き出しにしてくるのは良くないところじゃぞ!しかも真顔で言うな!」
「大事なことなんです。普段は薄暗いベッドの上と決められているようなものなので」
「……別に、それで構わぬじゃろうが…………」
 ベッドの上で行うのに何の問題があるのか。むしろ定位置だろう。安心安定の場所ではないか。疲れてそのまま寝ることも出来る。動き回っても支障がない。利点ばかりてはないか。
「風呂という、明るい照明の下で全裸の貴方と向き合えるタイミングがあるのだと思うと、どうしても気になるんです。毎晩、今どうしているんだろうかと考えてます」
「普通に風呂に入っておるが!?おまえさん何を思ってる!?今日から風呂に入りづらくなるからこれ以上何も言うな!」
「普通に入っているとは思うのですが、俺にとってその普通も、何と言いますか……興奮するものがあるんだろうなと思って」
「………………これは罵りではなく、あくまでも冷静な評価だと思って聞いて欲しいのだが。おまえさんは変態か?」
「上総さんに対しては否定出来るところがありません」
「そうじゃろう……自覚がおありなんじゃな……」
 自分が変態だと自覚しているのにこのままということは、直すつもりがないのだろう。たちが悪い。
「しかし考え方を切り替えてみてください。男同士で裸を晒していたところで、さほど恥ずかしいものでもないのではありませんか?」
「おまえさんが俺を性的な目で見ていると暴露する前ならば、多少は悩んだかも知れないが。今となっては到底通用せん。同性だろうが異性だろうが。下心がある時点で裸を晒す相手ではない」
 性別の問題ではない。性的な対象であるかどうかの話だ。そしてその点において美丈夫はこの世で最も危険な相手だ。
「なるほど、ごもっともです。ですが性的な関係であっても一緒に風呂に入る関係はあります。毎晩共に入浴している夫婦もいます」
「いるかも知れないが、俺には出来ん。仲睦まじいのは良いことだと思う、それこそコミュニケーションの一つなのだろうが。恥ずかしくないか?恥ずかしさもなくなった関係なんじゃろうか……」
「全裸を晒すのも恥ずかしくないほど見慣れている、もしくは隠すべきものではないという意識が最初から根付いているのか。悪くない関係だと思いますが」
「まあ、悪くないとは思う。無防備でいることに何の抵抗もない相手というのは、やはり信頼関係が成り立っておるのじゃろうし。しかしな……俺はやはり恥ずかしい」
 いくら性行為をしている相手だといっても、明るい照明の下でまざまざと裸体を眺められるのは勘弁して欲しい。
(男同士なのだから気まずさはあっても、羞恥を覚えるのは本来ならばおかしいのじゃが。美丈夫の目つきが変わると分かるだけにな)
 休日の前にしかセックスはしないと決めている。疲れるからだ。おかげで休みの前日は、仕事から帰宅して玄関を開けて「おかえりなさい」を聞いた時からなんとなく美丈夫の雰囲気が違う。
 意気込んでいる美丈夫は、その後寝室に足を踏み入れた時には目つきが完全に飢えを宿している。
 そんなにか!?と俺は何度も思った、口にも出した。
 だが二十一歳にとって性行為は大変に魅力のあるものらしい。俺が二十一歳の時はどうだったのかいまいち思い出せないので、個人差があるのだろう。
「俺がおまえさんの前で全裸になっても恥ずかしくないと思う時が来れば、一緒に風呂くらい入るが」
「それもいいんですが、恥ずかしいと思いながらも一緒に入ってくれるのが何と言いますか、すごく」
「おまえさん、自分の尊厳を守るためにはこれ以上喋らない方が良いと思うぞ」
「貴方に関しては崩壊していると、自他ともに認めています」
「俺はあんまり認めたくない」
 たかが風呂で何故ここまであけすけに自分の性欲を出してくるのか。
 しかも表情筋がだらしなく緩むわけでもなく、端から見ていればずっと真面目なままなのだ。
「俺と風呂に入るのが駄目ということは、温泉旅行に行った場合でも、温泉には入らないということですか?」
「いや、二人きりにならないなら入る。温泉だろうが何だろうが、おまえさんと二人だけという状況が良くない。本当に良くない」
(美丈夫と温泉旅行に行くのもいいなと思っておったが。たった今候補から外れたな)
 この男、温泉旅行を提案した途端に温泉がついている個室を選びそうだ。そしてここなら二人で入れる、むしろ旅の記念として入りましょう、くらいは言い出しかねない。
 現実のものになる前に気が付いて良かった。
「……ただ風呂に入るだけですよ?」
「下心がある目で見られている。しかも全裸。いつ手を出されるのか分からない。その状況がよろしくない。絶対に手を出さない、俺を見ない、照明は極力落とす、そもそも全裸にならない、着衣での入浴なら多少は考えても良い」
「気配だけの入浴ですか……」
 それでは意味がない、もしくはそれならば結構です、と言い出すかと思った。けれど美丈夫は真剣に悩み始めたので、この人は俺が思うよりもずっと重症なのかも知れない。




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