美丈夫の嫁9 6





 結局福岡でホテルを取った。
 平日であるため、探すのはさして苦労ではなかったけれど。予約する際に、部屋がツインであることにやや意識をさせられた。
 自宅ではダブルで寝ているくせに、と言われそうなのだが。外泊の際も一つの部屋であることに、受付の人は勘繰るのではないかなどと、くだらないことを心配してしまう。
 そんなことが頭にあるなんて、これからの行為が頭の中を支配してしまっているからだろう。
 ホテルの部屋に直行するのはさすがに気が引けて、福岡の観光地に少しだけ足を運んで早めの晩飯を食べた。
 明太子だのちゃんぽんだのとんこつだの、有名な食べ物を次々候補に挙げる俺に、美丈夫は何でも良いですよと非常に柔らかな声音で答えていた。
 福岡空港の駅から出てから、ずっとそうだ。
 見ているとこちらが恥ずかしくなってくるような、甘い顔をしているのだ。
 バニラか蜂蜜かと言いたくなるような空気が漂ってくる。それが大変いたたまれなくて、俺は喋りながらも美丈夫の方は極力見ないようにしていた。
 おかげで食べたはずのとんこつラーメンの味がいまいち分からない。隣で美丈夫は美味しいと繰り返していたので、きっと美味しかったのだろう。
 晩飯を食べた後は夜景を眺めるという定番のデートコースを選ばれて、俺は気が遠くなるような思いだった。
 夜景が綺麗という陳腐な台詞は口にしたくないのだが、目に映るものは事実として綺麗ではある。しかしここで素直にそう言うと安っぽいドラマみたいな展開だと、抵抗感を覚えていると美丈夫が「美しいですね」と静かな声で告げていた。
 穏やかな表情と、小さな、けれど明瞭な発音で告げられた台詞は、妙に俺に染み込んでくる。美しいという単語の本来の働きを美丈夫は上手に表現していた。
「そうじゃな。美しい」
 人工の光が夜の闇で星屑のように瞬いている。その全てが人の文明であり、人間がここまで文化を発達させてきた証のようなものだろう。
 それを素直に美しいと言える男の隣にいるのだ。
 なんとなく悪くないなと、純粋に感じられた。
 ホテルの部屋に入って、美丈夫にとってみれば狭苦しいと感じるだろう空間で、俺は荷物をテーブルに置いて息をついた。
 さすがに心臓が忙しくなる。
「……しかし、俺を抱くと言っても、普通とは違うじゃろう。簡単に入らないと言ったように、ローションだの何だのがいると思うが」
 自然と濡れることがないそこは、潤滑になるものが必要だ。一昨日の夜もローションを使って美丈夫はそこに指を入れて来た。
 俺は勿論その手の物は持っていない。晩飯を食べた後にでもドラッグストアに寄るべきだっただろうか。
 だがそこまで気が回らなかった。
「あります」
「……持って来たのか」
「はい」
(この状態で……)
 家出のように旅行に出た俺を追いかけに来たのに、性行為のための道具も持って来ていた美丈夫に絶句した。
 美丈夫もネガティブな思考になっていたはずだ、実際帰ってくるかどうかを確認されたのだから。
 しかし鞄の中にはローションなどが準備されているらしい。
 どれほど強靱的な精神力をしているのか。俺ならば思い付くことすら無理だろう。
 目を丸くした俺の前で美丈夫は銀色の四角い袋を出して来る。
「おまえさん、本当に何を考えておるんじゃ」
「いつ何があるか分かりませんので」
 どんなきっかけも逃すまいとする貪欲さが美丈夫にはあるのだろう。そして今回はそれが功を奏した形になる。
 準備万端ということは、あらゆる場面で役立つものであるらしい。
 だが俺を追いかけるという段階で、これを鞄に入れる男を想像すると何ともシュールだった。
「……たしなみ、のようなものか?」
 モテる男性はいつそういう行為に縁があるのか分からない。なので避妊具を持つのはマナーであり、たしなみのようなもの。そんな眉唾物の噂をふと思い出した。
 俺には関係がない話なので、ぴんと来なかったのだが。美丈夫ならばそういう環境で生きているだろう。
 俺の方が無粋な思考なのだろうと思っていると、美丈夫はとあるものを取り出した。
「たしなみではありません。それに俺は上総さんとのためだけに準備をして来ました。でなければこんな物まで持ち込まない」
「ローションでは?」
 ハンドクリームみたいな小さなボトルの形をしたそれは潤滑のためのローションではないのか。何か違うのかとパッケージに顔を近付けると妙な文章があった。
(バックドア?)
「アナル専用のローションです」
「……そんなものがあるのか」
 身体の部位専用のローションがあるのは寡聞ながらに知らなかった。普通の物とは何か違いがあるのだろう。
「それで、おまえさんはこれを持って俺を迎えに来たのか」
「はい」
「相当な助平じゃな」
「仰る通りです」
「真顔か」
「今更否定したところで、何の意味もありません」
 美丈夫は追い打ちとばかりに、まだ開封していない新しいコンドームの箱をもう一つ出した。



 後孔に指が入っている感覚は、二度目であっても気分の良いものとは言えなかった。異物感は強く、内臓に触られているという恐怖もある。
 俺はホテルのベッドの少し固く感じるマットレスに仰向けになり、足を開いているという間抜けな格好をしていた。ましてその足の間に美丈夫の顔がある。
 冷静に見ると卒倒したくなるような光景なのだが、残念ながら欲情に炙られた脳味噌では羞恥もすでにどこかに転がり落ちている。
「ん……っ」
 ローションのぬめりを帯びて、指は俺の体内を弄っている。ぐちぐちと酷い音が聞こえてくることに耳を塞ぎたくなるけれど、実際そうした時に鼓膜に響くのは自分の浅い呼吸だけだ。その方が耐え難い。
「あっ、ぅん」
 後孔に入っている指が抜き差しを始める。内臓が混ぜられる感覚に戸惑いがあるのだが、美丈夫の舌が性器を舐めているために、快楽に上書きされていく。
 後孔を拡げる際、愛撫を共に施すのを決めたのは美丈夫だ。
 体内を拡げられるのが決して快感にはなっていないことを、前回察知したのだろう。なので前からの快楽で異物感を曖昧にしてくれている。
 中に入ってくる指が二本になった時から、それは体内で自由に動いてあちこちを押したり、擦ったりしている。異物感の中に時折ぞわりと疼くものがあり、前立腺の位置を自分でもなんとなく感じられるようになってきた。
 美丈夫も前立腺と性器への愛撫を一緒に与えてくる。しかし今夜は身体を繋げることを目的としているためか、体内を掻き混ぜては柔らかくすることを重視しているらしい。
 内側から這い上がる圧迫感と異物感に、口淫をされていてもまだ絶頂はやってこない。
「一度、前でイきますか?」
 美丈夫は性器を口から離すと、上目遣いでそう問いかけてくる。俺が両方からの刺激に戸惑ったまま、快楽に浸れないから気遣ってくれているのだろう。
「一度イくと、ヤる気がなくなるぞ」
「それは困ります」
「あっ……ん」
 悩ましいですねと呟いて、美丈夫が性器の先端に唇を付ける。舌先で転がして、そこを重点的に責められて、思わず声が跳ねた。
 反射的に後孔に入れている指を締め付ける。
 そのまましばらく、先端ばかり弄られては体内はその快楽に合わせるように収縮した。
 それが人間の反射なのだろうか。俺には快楽を得ると、中にあるものを締め付けて更に刺激を得ようとしている淫らな動きにしか思えなかった。
(これが、俺を揺るがせた)
 男なのに抱かれることを望んでいるみたいだと、思った。
 美丈夫の髪に触れて、緩く梳いてやる。すると美丈夫が顔を上げた。
「……少し、顔をこっちに持って来てくれ」
「はい」
 美丈夫が仰向けの俺に顔を寄せてくる。口付けをしようとして、だが俺のものを咥えていたのだと思い出しては、代わりに美丈夫の頬に唇を触れさせた。
 美丈夫は口付けられたことが気に入ったのか、お返しとばかりに俺の頬だけでなく額に目尻にまでしてくれる。唇を塞いでこないのは同じことを思ったからだろうか。
 欲情を隠しもしない美丈夫が俺を見下ろして来る。けれどあの夜のように食い付きそうというほどでもない。まだ冷静さが感じられる眼差しだ。
「ああ……なるほど」
「なるほど、というのは?」
「抱く側と抱かれる側では、心構えが違うな」
「どう違いますか?」
「抱かれるのは心許ない気がする。他人に内臓を触られているのだから、そう思うのも自然やも知れぬ」
 最も無防備である体内を他人の指が掻き混ぜるなんて、実のところ大変危険な行為なのだろう。信頼している相手でなければ、そんなところをゆだねることは出来ない。
 まして本来ならば入れるべきところでもない器官だ。無理矢理入れられれば怪我をすることが分かりきっているだけに、俺にとっては警戒するべき行為だった。
 正直相手が美丈夫でなければ到底受け入れられない。
「内臓と言うなら、確かにそうですね。怖いですか?」
「……多少」
 全く怖くないと言えば嘘になる上に、きっと美丈夫も勘付くことだろう。
「優しくします」
 表情を引き締めた美丈夫にふふと笑ってしまう。
「定番な台詞じゃな」
 ありきたりのいかにもな台詞は冗談のようにも聞こえるものだろうが、美丈夫が言うと真摯に届いてくる。
 きっとその通りにしてくれるのだろうと、すでに実感している。
 それでもやっぱり少し怖いと感じてしまうのは、俺が男だからか。
 深呼吸をするとビジネスホテル独特の無機質な匂いがする。これが自室だったのならばもっと肌に馴染んだ落ち着いた匂いに包まれていたはずだ。
「奇妙な、感じじゃな。俺たちは同居していて、同じ寝室どころか一つのベッドで寝ている。なのに、初めてセックスをするのが、こんなビジネスホテルの固い布団の上だなんて」
「ビジネスホテルで良いと仰ったのは上総さんですよ」
「泊まれればそれで構わんと思ったんじゃ。ラブホよりましかとな」
 男同士でラブホテルに泊まる勇気がなかった。というより男二人で利用出来るかどうかも分からなかったので自然と避けた。
「俺はそちらもそちらで楽しかったかも知れないと思います」
「ラブホテルが楽しいところがどうかは知らん。余計なものを見るつもりもない。ところで、いつまでこの状態を続けるおつもりか?」
 指を後孔に入れたまま、ゆるゆるとした抜き差しが続いている。体内も指の感触にはなれ始めていた。
「もう少し、あと一本くらいは入れさせて下さい」
「そうなるじゃろうな。おまえさんのあれを見れば、サイズがな」
「するりと入るくらい小さなほうが良かったですかね」
「俺には何も言えんよ。そこに関しては個々のプライドが関わって来るからな」
 そんなじゃれるような会話をしながらも美丈夫は三本目の指を俺の中に入れた。
「っ……は、あ」
 後孔がぎりぎりまで拡げられる。切れるかと思ったけれど、痛みはまだない。けれど内臓を動かされているような違和感がはっきりがあった。
 息を整えながら、美丈夫の指を受け入れていた。美丈夫は姿勢を変えて頭をまた俺の下半身に寄せようとしたので、肩を掴んでそれを止める。
「上総さん」
「指をもう少し奥まで入れて、そこで、中が拡がったような気がしたら、もう入れて貰って良い」
「まだそれほど柔らかくなってません。もっと時間をかけた方がいい」
「そう気遣うな。どうせ、それを入れれば拡がる」
 乱暴なやり方に美丈夫が眉を寄せた。
 優しくすると言ったばかりだ、頷きづらいのかも知れない。
「あまり焦らされると、気持ちがだれるやも知れん。今日が、良いのじゃろう?」
「それを強いたりしません」
 美丈夫が俺と繋がるのは今日が良いと思っていることは正解なのだ。けれど俺が嫌だ、また今度にしてくれと言えば美丈夫はきっと快諾する。我慢をする。
 それが分かっているだけに、俺は今日にしようと思った。
「俺は今日がいいよ」
 ずっと待たせていたのだから。これ以上待たせるというのも可哀相だ。
 それに求められるまま自分を差し出すことは一体どんな気持ちになるのだろう、俺たちはどうなるのだろうという、好奇心のようなものもあった。
 美丈夫はこくんと喉を鳴らした。




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