美丈夫の嫁7 3





 父が亡くなったのはもう十六年も前のことだ。
 俺が十二の時、父は仕事帰りに車に轢かれた。運転手は父を轢いても車を止めることなく、そのまま走り去ったそうだ。その後すぐに捕まった運転手は、車が何かにぶつかったことには気が付いていたが、それが人間だとは思わなかったと語ったらしい。
 そんな馬鹿げた話があるか、人間を轢いた時の車の衝撃がどれほどのものであるのか、当時子どもだった俺でもなんとなく想像が出来る。
 気が付かないわけがないのだ。けれど運転手は気が付かなかったと言い張った。意思の疎通が難しいほど、運転手は泥酔していた。
 母は父が車に轢かれたという連絡を受けて、子ども二人を連れて慌てて病院に向かった。到着した時、父は亡くなっていた。
 車に轢かれた時にはすでに手遅れだったのではないかというのが、病院から聞いた説明だ。呆然としていた母は、その説明にも返事をしなかった。現実を受け止めきれなかったのだ。
 それは父の通夜、葬式でも変わらなかった。
 親戚たちが声をかけても世話を焼いても、通夜や葬式を取り仕切っても、母はろくに反応が出来なかった。
 抜け殻のようにぼーっとしては、泣くことすらもしない。通夜の席でただ座っているだけの姿は悲壮さを深めていた。
 そんな母が反応を示したことが一つだけあった。父の遺体が焼かれる時だ。
 荼毘に付されると分かると棺にすがりついては半狂乱になって止めてくれと懇願していた。死んでない!と声を上げる母を棺から引き剥がす親戚たちの姿をよく覚えている。
 母の妹、叔母は母に対して父は死んだのだと繰り返し言い聞かせた。あのままにはしておけない。焼かなければむしろ父が可哀相なのだと説得していた。
 だが母は嫌だと叫んでは泣き崩れた。
 慟哭を止められる者は誰もいなかった。
 突然父を喪った家は、途端に真っ暗になった。電気の照明が付いていても明るさを正確に知覚出来ないようなものだ。目の前はいつも薄暗くて、何をしていても重苦しかった。
 母は毎日虚ろな有様で仏壇の前に座り込んでいた。まともに生活が営めるような精神状態でないことは誰の目にも明らかで、叔母がうちに住み込んでは俺たちの世話をしてくれた。
 俺はともかく、志摩はまだ四つ、幼稚園に通っているような年頃の子を放ってはおけない。ただでさえ父親が突然いなくなって不安定になっているだろうに、母があれでは志摩を支える大人がいない。
 叔母が母親代わりとして、家の中で動いてくれなければ俺たちはまともに暮らせなかったことだろう。
 母が俺たちと言葉を交わし、会話が成立するようになって、人並みの生活を取り戻すまで三ヶ月ほどかかった。
 食事を三食取り、風呂に入り、俺たちを見てはちゃんと声をかけ意思の疎通をし、夜になったら眠る。その当たり前だった一日の流れを蘇らせるのに叔母はとても苦労をしたことだろう。
 会話が出来るようになったといっても母の心がここにないことは変わりはなく、志摩は母に構って貰えないことに不満を募らせた。
 時に癇癪を起こしたけれど、それすら見て貰えない空しさは、四歳の子どもにとっては辛いものがあっただろう。不憫に思った叔母がなんとかフォローしようとはしてくれたけれど、やはり母ではなく叔母では志摩にとっての気持ちの向け方が違う。
 母と志摩のすれ違いはその辺りから始まっていたのかも知れない。
 だが決定的だと俺が思ったのは、父の一周忌でのことだ。母は今よりもずっとふさぎ込み、まるで父が亡くなった直後のような様子に戻ってしまった。
 そして墓参りに行った際、母は子ども二人に向けてこう言い放ったのだ。
「あんたたちさえいなければ」
 絞り出すようなその声に耳を疑った。志摩など凍り付いてしばらく動けなかったくらいだ。
 幼かった志摩にとって、それはあまりにも衝撃的な台詞だったらしい。のちにあの頃の話を俺とした際に、子供心にもとても傷付いたことをはっきり覚えていると言っていた。
 邪険にされたと、志摩はその時感じたのだろう。あの言葉を単純に飲み込んでしまい、ただ突き放された感覚だけが残ったのかも知れない。
 だが俺はあの時、怖いと思った。
 母が、父に会うために死んであの世に逝くつもりではないのかと思ったのだ。
 それほど当時の母は危うくて、後追いを叔母も心配している節があった。
 今思えば母のあの台詞は、子どもがいるからこそ生きているのだという、母の愛情の形ではあったのだろう。もし子どもがいなければとうに父の元に逝っているという、子どもが生きる枷という名前の繋がりになっているのだと口にしたのだ。
 けれど死にたいのに死ねない嘆きは、愛情としては分かりにくい。まして子ども相手では、疎まれていると感じても無理からぬことだ。
 母は元から愛情を上手く伝えられない性格の人だった。憎まれ口ならばすんなり叩けるのに、人を褒めたり、好意を伝えたりということは素直に口に出せないのだ。
 照れるのか、気恥ずかしさに負けるのか。父が健在だった頃も父の褒め言葉に素っ気ないことを言い返していた。
 父は穏やかな性格の人だったので、気が強く口があまりよろしくない母相手にもにこにこと接していた。
 それどころか照れ隠しに気が付いては母をからかうことすらあった。
 母は怒っているような振りをしては、父に背中を向けて嬉しそうに笑っていた。
 二人は仲睦まじい夫婦だった。父が生きていた頃は本当に、周りが羨むような仲の良さだった。
 けれど志摩はそれを覚えていない。志摩の記憶にあるのは父が亡くなってからの荒れ果てしまった母の姿であり、喪った父を悪しき様に語る母の言葉だ。
 母は父を喪って数年経つと、父のことを悪く言うようになった。
 あれほど仲の良かった父をどうしてそんな風に語るのか。
 俺は最初理解出来ずに随分戸惑った。だが叔母にその相談をした時に「そうしなきゃ耐えられないからじゃないかな」と物憂げに教えてくれた。
「お父さんを亡くしたことが辛くて、今でも大好きなのに、もう逢えなくなってしまったのが苦しくて。耐えられなくなったのかも知れない。好きだからこそ、亡くなってしまったことを受け入れたくない。嫌いになってしまったなら、まだ亡くなったことを受け入れられるかも知れないって思ったのかも知れない。大嫌いな人には逢いたくないでしょう?だから、嫌いになってしまう方が楽だって、そう思ったのかもね」
 恋しすぎて、憎らしくなってしまうのか。
 人間の気持ちの変化は奇妙なものだと思った。同時に母は、それほどまでに父に逢いたいのかとも思った。
「蔭杜の親戚になりたかったから結婚した」「父のことなんてそんなに好きじゃなかった」 「お金持ちだと思ったのに、実際は貧乏でがっかりした」「見た目も格好良くない、私が結婚しなきゃ他に誰とも結婚出来なかった」「優しいことしか取り柄がない男だった」
 母はいつしか父をそう語るようになった。
 しかし俺は大人になり、少ししてから思い出した。
 父が生きていた頃も、それはたまに聞こえて来たことだと。言葉はやはり昔の方が柔らかくて、じゃれるような声音だった。
 親しい間柄、愛されていることを知っているからこそ言える遠慮の無さで、それは父に向けられていた。
 あれはきっと父に対する甘えだったのだろう。
 素直に好きだと言えない母の意地っ張りな甘え方だ。だがその甘えを汲み取り、抱き締める者がいなくなってしまった。受け取る者を亡くした言葉たちは、そこに含まれていた愛情すら陰り、察せられることがなくなった。
 ただの悪口に成り下がってしまった。
 まして志摩は何事も見たまま、聞いたまま受け取ってしまうタイプだ。だから母に対しても、父をないがしろにしていた冷たい妻と思い込んでしまっている。
 蔭杜の名前と財産目当てで結婚した打算的な女。しかも結婚してみれば財産がなかったことを恨んでいる悪妻。
 そんな目で母を見ている節がある。
 俺がもっと早く母のそんな分かりにくい甘えと嘆きに気が付けば良かったのだが。俺も子どもの頃は母の気持ちをちゃんと読み解く事が出来なかった。
 今更志摩に「本当は違う」と教えても、きっと志摩はもう聞き入れないだろう。母との間に出来てしまった溝や意地がそれを許さない。
 志摩の中で、父を喪って呆然としていた母の姿はもう薄れているのだ。
 四つの子に覚えていろというのも酷なことだろう。ましてその頃の志摩は放置されて寂しかった思いばかりがあるはずだ。いっそ忘れていた方が、本人は楽かも知れない。
 命日に荒れる母を見ても、夫に死なれて今後の自分の人生計画が崩れたことを悲観している。金づると思っていた男が実は貧乏だった上に、金を稼ぐこともなく死んだことに対する恨みをぶつけている。
 志摩はそんな風に母親を罵ったことがある。あれは中学生の頃で、思春期も相まって母と随分ぶつかっていた時だ。
 そんな志摩を母は鼻で笑っていた。その態度も志摩を逆上させていた。
 今ならばもっと冷静に母を見られたはずだ。二人の間もなんとか取り持てたかも知れないが、過去は取り返せない。
「……さっちゃん?」
 もごもごとした不明瞭な声が背後から聞こえてくる。振り返ると母が億劫そうに起き上がったところだった。
「おはよう。いつまで寝ておるんじゃ」
 小言を口にすると母はぼさぼさの髪を掻き上げた。そしてどこか虚ろな視線を向けてくる。
「お父さんにそっくりな背中してるね」
 力のないその一言に、一体どんな気持ちが含まれているのか。
 母の目は、父に似ている息子をどう直視すれば良いのか迷っているようだった。
 成長期を迎えて俺の背がぐっと伸びてから、母は命日にそんな目をする。息子に夫の面影が見えることは、母としては喜ばしいことなのか、それとも辛いと感じるのか。俺には判断が出来ない。
「息子じゃからな」
「そうね……」
 俺が父に似なければ、母はこんなにも複雑そうな顔をしなかっただろうか。母に似ている志摩のように、もっと容赦なく言葉をぶつけてきたのだろうか。
 たまにそんなことを考える。
「帰って来たのね」
「ああ」
「別にいいのに」
 命日だからとわざわざ実家に帰ってくることもないだろうと、そう苦笑する母に俺はわざと溜息をついた。
「良くないわい。こんなにも家を荒らして、台所なんぞ酷いもんじゃ。どうせろくに飯も食っておらんのじゃろうが。うどんでも作るぞ」
「あんまり食べたくない」
「知っておる」
 分かっていても作るのだ。
 どうせこの時期は食欲がなくなり、酒に溺れてしまう。だがそうと分かりながら放置して、酒で身体を壊すのを眺めているつもりはない。
「うどんを食べたら大掃除をする故、きりきり働いて貰うからな」
「やだー……」
「だだをこねるでない」
 ぺたんと布団の上に倒れ込んだ母を見て、実のところ少しほっとしていた。
 俺の記憶の中には、こんな時何も言わず何も見ずにぼうっとうなだれている母の姿がまだ焼き付いている。あれを思えば、嫌だと意思表示が出来るだけ有り難い。
 しかし溜息をついた母は、酷く疲れているように思えた。年を感じさせることなく若々しいと言われている人だが、今日ばかりは実年齢よりも老けて見える。
 それだけの年月が流れたのだ。
 自分もまた大人になった。けれど年ばかり食って、結局自分たちは何が変わったのかも分からない。




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