美丈夫の嫁6 2





 リビングの大画面に映し出されるゲイポルノ。
 肌色だらけの映像を前に、俺はどうして頂き物の焼き菓子とコーヒーを出してしまったのだろうか。こんなものを見ながらどうやってお菓子を食うのか。
(元々は環さんから頂いた焼き菓子を食べんかと誘ったのが始まりじゃから。つい出してしまったが)
 考えるまでもなく、ポルノ動画を見ながらお菓子など食べるものではないだろう。
 しかし自分で出してしまったのだから、と思って口には入れるのだが。どうにも美味しいはずのお菓子の味がよく分からない。隣にいる美丈夫は平然と食べているのだが、この人は平気なのだろうか。
(すでに一度見ておるから気にもならんのか)
 美丈夫が持って来たゲイポルノはBlu-rayだった。高画質の円盤に、DVDでは駄目だったのか、と少し思ってしまったのだが問いかけはしていない。
 パッケージには某人気俳優に似ていると説明文があったのだが、俺にはその某俳優が分からなかった。
 そもそも人気の若手俳優自体知らない。志摩も若手俳優にはハマっていなかったので、目にする機会もなかった。
 ただ大学生くらいの年頃で細身、茶髪で髪の毛のスタイルをいじっている男が出演しているので、それが某人気俳優に似ている雰囲気なのだろうとは予測が付く。
(……当たり前じゃが男しか出て来んな)
 ゲイポルノなのだから女は出てこないのが当然なのだろうが。それにしても男ばっかりで画面がむさ苦しい。
 昔肥満体型でひげ面の中年男性が性器を入れられている側のポルノのパッケージをネットで見たことがあった。
 あれは話題性とある意味ギャグだったのだろうが。俺の目の前で繰り広げられている光景は、たぶん本気モードのポルノだ。
(ポルノにストーリーを求める方が間違っておることは百も承知じゃが。なかなかに酷いな)
 何故そうなる。なんだこの展開と尋ねたくなるのだが、映像の中の世界では問題がないらしい。
 仕事中のミスを隠蔽する代わりに、上司からセックスを強要される部下の図がどんどん造り上げられていく。  しかしミスを隠蔽しては良くないだろう、隠蔽など後ほどバレて更に面倒な事態になるのがこの世の鉄則だ。それにセックスが代償になるというのも不可解だ。激しい運動している間にミスの挽回をした方が良くないか。時間と体力が勿体なくないか。
 何より部下から「ミスを隠蔽してやる代わりに肉体関係を強要されました」と告発されることの方が上司にとってはまずいのではないか。この上司はそんなリスクを背負うのか。
(社会的には同性の部下に性行為を強要した方が、かなりダメージがデカイと思うんじゃが)
 そんなことを考えている間に場面が会社からホテルに移動になり、部下役の某若手俳優似らしい男は全裸に剥かれてローションをぶっかけられている。ベッドが汚れることに関しては無頓着であるらしい。
 部下役の男は顔に似合わず意外と野太い声で喘ぐ、上司に後ろへ指を入れられたかと思うとさっさと挿入されてしまった。
 ぬるりと後ろに入っていく上司役の性器に「おや、そんなにすんなり入るのか」と感心はした。初めて男に抱かれるという設定の部下役だが、まあ経験は積んできていることだろう。
 それでも俺が想像していたより抵抗感なく入っているのが驚きだった。
「……それにしても雄々しいな」
 声を出せと演出家から言われているのかも知れないが、部下役はとにかくそれが出入りする度に大きな声を上げている。それは喘ぎ声なのだろうが、どうにも俺の感覚はそれを喘ぎ声と認識することに戸惑っていた。
 エロさが全くないせいだろう。
「何とも申し訳がない感想なんじゃが」
「はい」
「動物の階級制度で、マウンティングの一種として雄同士で交尾をすることがあるというのを思い出した。肉体言語的なものというか」
「そうですね……」
「おまえさん、これを見て興奮するのか?」
 濃厚な交わりが繰り広げられる画面の前、俺はソファに座っては腕を組み複雑な心境を抱えていた。同時に、隣でじっと黙ったままこれを鑑賞している美丈夫はどんな心中なのか。
 しかし俺に問われてこちらを向いた人の双眸は、ものすごく冷めていた。
「興奮すると思いますか?」
「その顔で興奮すると言われても誰一人信じぬだろうな」
「上総さんは如何です?」
「……ストーリー性が皆無じゃから気分が乗らんな。これを参考にするのか」
「男同士でもちゃんと繋がることは出来る。という立証にはなります」
「ああ、まあ……」
 入ってますね。
 そう思いながら再び画面を見ると、いつの間にか後ろから入れられていた人が向かい合わせの体勢に変わっていて、ひときは大きな声を出した。
(男の喘ぎ声はやっぱり、何かが違う)
 俺の性癖がノーマルだからか。それともこの人の声自体が大きすぎるのか。
 元々俺は大袈裟な演出や声量の大きな人が好きではないので。これが男女のポルノであってもちょっと萎えたかも知れない。
(しかし同性ならばこんな感じになるのか?こういうものが、同性間では求められるのか?そもそも美丈夫はこれがしたいのか?)
 参考資料にしているということは、この人は俺をこうしたいのか。俺にこうなって欲しいのか。
 別世界のような映像が自分の身に降りかかるかも知れないという事実を思い出し、隣の人をちらりと見ると目が合った。
「画面を見よ」
「上総さんこそ」
 二人してポルノを見ているというのに気分が高揚する様子が全くない。それどころかすでに「隣にいる人がどんな表情でこれを見ているのか」という点に興味が動いているのが明らかだった。
 その証拠に、美丈夫は前を向く気配がない。
「……おまえさんは、これがしたいのか」
「こうなるかどうかは分かりませんが」
「なるやも知れん。俺が雄叫びを上げるかもな」
 そう言う俺の気持ちを汲み取ったかのように、画面から喉が引っ繰り返ったような声が響いてきて、思わず苦笑いがこみ上げた。
「上総さんの声なら聞いてみたいものですね」
「正気か」
「俺は悪趣味なんです」
「……そうじゃったな」
 この人、こう見えて悪趣味だった。
 本人が印籠のごとくこれを使うので、最近俺も「この人は悪趣味なんだ」と思うことで色々納得するようにしている。実際男の趣味は良くない。
「しかし、おまえさんがこれを一人で見たのかと思うと……すごいな」
 自室でこれを一人で真面目に見るかと思うと、俺ならば途中で棄権しているかも知れない。何だかとてつもなく疲れそうだからだ。
 大体今もすでに見ていない。聞こえてくる音声だけで十分過ぎた。
「脳内で貴方だと変換すれば抜けます」
「……………おまえさん、今何と言った?」
 聞き流したい。だが聞き流してはいけないことを言われたような気がした。
 重要な発言なのだが、その口から真実を知るのに勇気が必要だった。だから数秒躊躇ったのだが、なんとか絞り出すように問いかけた俺に、美丈夫は平然とした態度を崩さなかった。
「貴方だと思えば自慰が出来ます」
「俺でか?」
 自慰という具体的な単語まで出して来た人に「なんでじゃ!」と混乱と共に叫ぶことも出来た。
 だがこの人は俺のことが好きなのだということは認めている。
 だからこそ、その気持ちを否定するような発言はしないように心掛けようと思った。ずっとその気持ちから逃げていた俺の、せめてもの真摯な思いだったのだが、疑問を投げかけることは許して欲しい。
「何もおかしいことじゃないでしょう」
「……改めて言われると、さすがに驚く」
「惚れた相手で抜いて何がおかしいと言うんですか」
 何がおかしいって。自分が何をオカズに抜いているかを、そのオカズの素になっている人間相手に堂々と発言してしまうところではないだろうか。
(いや、でも肉欲を抱くとはとっくに言われている。肉欲がオカズの素になっているのならば、自慰をされるのも自然なことなのかも知れん)
 それでも何故俺に宣言したのだ、という思いはあるのだが。
「……知らなかった。あんまり考えてもおらなんだ。おまえさんはそれでも同じベッドであっさり寝ておるから」
 俺をネタにして自慰が出来る割に、この人は一つのベッドで俺と眠っていても欲情はしないようだった。それどころかすぐさま眠ってしまえるのだから興奮もしないのだろう。
 だから俺はてっきり俺のことを好きだと肉欲を抱くと言っても、俺を抱きたいだのセックスがしたいだのという欲は薄い人なのだと思っていた。
「就寝前に抜いておけば眠れるものです。睡眠欲は強いので」
「………あ、そうなんですか…………」
 興奮しないように鎮めてから眠っているらしい。初めて知る事実に、何と返すのが無難なのか分からない。
「上総さんはいつ抜いてるんですか?」
「へ?」
 自慰をしている回数を尋ねられて、俺はしばらく黙り込んだ。
 沈黙の長さによって、答えたくないのだという気持ちを汲み取ってくれないだろうかと淡い期待を抱いたのだが、美丈夫はにっこり微笑んで首を傾げただけだった。
「………たまに、その時に、気が向いた時に……実家暮らしだったので、そう頻繁にはせんよ」
 回数が増えればバレる確率も上がるのは自明の理だ。無理に我慢しているわけではないのだが、なんとなく控えめにしている節はある。
 体調や気分にもよるので、正直頻度など気にされても自分でもよく分からない。
「あの、おまえさんは、いつ?」
「ほぼ毎日のように抜いてます。そうじゃないと襲いかかりそうなので」
 真面目に答えてくれた人に、俺はその配慮に頭が下がると同時に、成人男性の性欲の強さは俺が思っていた以上のものではないだろうかと思った。
「……元気ですね」
「ヤりたい盛りですよ。対象は目の前にいますしね」
 目が合っているにも関わらず、自分の背後を振り返って自分以外に誰かいるのではないかと思いたかった。




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