美丈夫の嫁6 1





 美丈夫と暮らし始めて、まずお互いのプライベートを大切にする、ということを意識した。
 同じ家で暮らしている赤の他人。まして同居するまでは交流していた時間がほぼ無いと言っても過言ではない相手だ。どんな人かも分からないまま始まった同居は緊張感が漂っていた。
 なので相手の不快にならないように距離感を保ちながら、手探りでの暮らしだった。
 二人とも面倒事は嫌いであり、美丈夫に至っては生活の細かな部分まで俺に相談、譲歩することに長けていた。俺も特にこだわりが強い方ではないので、衝突することはあまりなかった。
 しかし喧嘩はせずとも、同居しているのならば細かな情報交換と意思疎通は必要なのだなと思わされることが何度かあった。
 暮らし始めてすぐの頃。二人でたまたまテレビを見ていた時に流れてきた芳香剤の新商品のCMについて、美丈夫が興味を示したことがあった。俺も見た目が面白そうな形だったので、一度買ってみても良いかも知れないとは思ったのだ。
 翌日、俺はその芳香剤を二つ買った。玄関と自室用だ。美丈夫は三つ買っていた。客間にも置くつもりだったらしい。
 一つの家に五つの芳香剤、しかもご丁寧に全部同じ匂いだ。
 どれだけ香らせたいのか。
 さすがに五つ全部一気に使う気にはなれず、とりあえず玄関に置いている。それからしばらくの間、この家の玄関はずっとその匂いが漂っていた。
 ちなみに柔軟剤でも同じことが起こり、ドーナツに至っては二人揃って十個を超えたので、さすがに細かいところでも連絡を取ろうということになった。
 他人なのだから相手の行動を予測していても限界がある。
 これが実家であったのならば、あれが面白そうだの、美味しそうだのと言っても大抵買ってくるのは俺だった。母親と志摩は「あれが欲しい」と言うだけの側であり、もし自ら購入したとすれば「買った」とメールを送ってくる人だった。
 しかしそのやり方はここでは通用しないわけである。
 それを学習した俺は、小さなことでも美丈夫に声をかけるように習慣づけた。
 いちいち細かいことを訊かれるのが鬱陶しいと思うタイプの人間ならば、きっと嫌な顔をして拒否するようになるのだろうが。美丈夫はその辺りは平気であるらしく、快く答えてくれる。
 そして俺にも声をかけてくれるようになったので、最近は同じ物が幾つも家にある、という状況は回避出来ていた。
 今日もそういえば、と二時間前の出来事を思い出しては美丈夫の部屋のドアをノックした。
「どうぞ」という返事があり、俺がドアを開けると美丈夫は通学に使っている鞄の中身を整理しているようだった。大学から帰ってきたばかりなのだ。
「環さんから焼き菓子のお裾分けを頂いたんじゃが、召し上がるか?」
「はい。頂きます」
 三時のおやつなんて時刻はすでに過ぎている。どちらかというと晩飯を食べる時間のほうが近いのだが、さすがに五時に晩飯は早い気がした。
 美丈夫は笑みを浮かべながら俺を見た。
 相も変わらず整った顔立ちだ。その顔を向ければ女性達が次々心奪われていくだろうに。こんなところで発揮せずとも良いものだと思う。
 勿体ないと思った俺の視線の先で、美丈夫は鞄の中から目を疑うようなものを取り出した。
 美丈夫の眼差しは俺を見ていたため、自分が何を取り出したのか分かっていないらしい。俺が「え」と声を上げて驚いたことに怪訝そうな表情を浮かべた。
 そして自分が持っているものを見下ろして、美丈夫も目を丸くして硬直する。
 長い指が掴んでるのはどう見ても裸体の女性が卑猥なポーズを取っているパッケージだった。どぎついタイトルからして間違いなくわいせつ物だろう。
「待って下さい。誤解です」
 美丈夫はアダルトDVDを机に投げては俺の元に早足で寄ってきて、真剣な顔でそう告げる。
 何が誤解なのかはよく分からないのだが、本人があまりにも切羽詰まった雰囲気なので気圧されてしまう。
「大学の友人とAVの話になって、お勧めの物を貸してやると言われたんです。俺はいらないと断ったんですが、勝手に入れられたみたいで」
「いや、別に言い訳することではない。男の子なんじゃから鑑賞することも所持することも、別におかしくはなかろう」
 俺に見られてはいけない物を見られたと思ったらしい美丈夫が慌てているのが少しおかしかった。
 もし俺が彼女だった場合は、彼氏がAVを持っていたり見ていたら怒るものかも知れないが、俺にはぴんとこない。むしろ美丈夫も女性に対して性欲を覚える普通の男なのだということが、少し新鮮ですらあった。
(俺に欲情するなんぞと言うからじゃ)
「……では、上総さんはお持ちなんですか?」
「俺?」
「AVは持ってるんですか?」
 自分が責められない、俺がすんなり受け入れているという現実を前に、どうやら美丈夫は俺もそういうものを持っている側の人間だと思い出したらしい。
 別に同性であり、エロビデオだのエロ本だの持っていても責められる筋合いのない立場だ。美丈夫が興味を示したことが意外ではあったのだが「まあ……」と曖昧に肯定した。
「DVDの形では持っておらんが」
「他の物ならあると?本ですか?写真集とか?」
「官能小説」
「……官能小説」
「一見そうとは分からないような表紙の物を主に買う。漫画もあるが、カバーは純文学のものに偽装しておる。実家暮らしだったからな、志摩や母親が俺の部屋に入って来る。志摩にいたっては勝手に本を借りて行くからの」
 間違ってエロ本を手に取られた時の気まずさはきっと計り知れないものがあるだろう。母親も志摩も俺が男なのだと分かってはいるだろうが、だからといって実際にエロ本を所持しているのを発見して平然としていられるか。
 少なくとも俺は自分の性癖を母親や妹に暴露するつもりはない。
「DVDなぞはパッケージを別のものに変えていても興味本位で持って行かれる可能性が高い。純文学であってもDVDになっておると暇潰しに見ようとするやも知れんからな」
「随分、気を遣われてますね」
「仕方あるまい」
 実は映像物はネットデータでパソコンの中に入っている。パソコンはそれぞれ個人で持っているので、中身をそう探られるということもない。あったとしてもさすがにアダルト物はすぐには見付からない場所に堅苦しいフォルダ名が付いている。
 しかしそこまで素直に美丈夫に言う必要もないだろう。
「おまえさんは?普通に持っておるのか?」
 自分の話もある程度したのだから、美丈夫のものも聞いて良いだろう。
(この男前がアダルトDVDやエロ本を読んでいる光景はシュールじゃろうな)
 そんなものに頼らずとも、女が次々に寄って来るだろうに。
 いや寄ってこられたとしても相手がめんどくさそうなタイプならば手は出さないのだろう。
(蔭杜の直系として、付き合いする相手は選ばねばならぬのは当然として。一夜限りの遊びも軽くは出来んか)
 言い寄って来られたとしても、生きている女に手を出すよりは一人で処理した方が安全と言える身の上かも知れない。
「持っていないとはいませんが、さほどでもありません。たしなむ程度です」
「なんじゃその表現は」
 誤魔化したいのかも知れないが、一切はっきりしない表現は往生際が悪いとも言える。俺は持っているとあっさり言ったのだから、美丈夫も普通に持っていると答えれば良いだろうに。どうしてそんな目を逸らして言い訳のようなことを並べるのか。
「上総さんと暮らし始めてからはそういう物の世話にはなっていません」
「そこは気にせずとも良いと思うが。俺とそういうことがしたいという気持ちと、日々溜まっていくものを処理するために使う道具は別じゃろう」
 俺と性的なことがしたいと思うよりも、エロ本に欲情しているほうが数千倍納得出来る上に、周りからの共感も得られるはずだ。その辺りは考慮しなくても良い事柄だろう。
「俺の中では別ではないので」
(頑なじゃ……)
 俺に対して気を遣っているのか操を立てているようなものなのか。
 これがもし彼女の立場であったのならば喜ばしいものなのだろうか。
 彼氏が自分以外の何かに欲情することはなく、常に自分を意識してくれているというものは、大切にされていると実感されるものか。
(俺はちょっと重いと思うんじゃが)
 暗に肉体関係をさっさと持ちたいと迫られているような気分になるのは、後ろめたさがあるせいか。
「あ、でも参考にしているものはあります」
「参考?」
「ゲイポルノです」
「………………あ、はい」
 リアクションに困る。
(ゲイポルノ……それはあれか。男同士のアダルト動画か)
 自分たちがいざ性交渉をする場合はどうしたら良いのか。参考資料としてゲイポルノを見ているのか。
 確かに男女のアダルトDVDでは参考にはならないだろう。入れる場所も違う。
 しかしだからといって、参考にするために見るような物なのだろうか。これまで見たことがないので俺には何とも言えないが。
「………おまえさん。それは、参考になるのか?」
「見た時は俺の知らなかった世界だなと思いました。全てを真に受けるのは良くないと思いますが、まあ多少は勉強になったかと思います」
 ゲイポルノから学べるものって何だろう。
 俺の中にはそんな哲学的な気持ちにもなりかねない疑問が浮かんだ。
「上総さんもご覧になりますか?」
「え?」
「男同士の性行為がどういうものなのか。上総さんもお調べになっているかも知れませんが、動画はまだご覧になってないご様子。何事も参考は多い方がよろしいかと思います」
 にっこりと微笑みながら丁寧な口調で美丈夫が俺にゲイポルノの鑑賞を勧めてくる。
(おかしい。焼き菓子を勧めに来ただけなのに、何故俺がゲイポルノを勧められておるんじゃ)
 結構ですという言葉が喉元まで迫り上がってきている。しかし目の前にいる男は「何故そんなことを仰るんですか?貴方にも関係があることですよ?」くらいの台詞はぶつけてくるだろう。
 尋ねてきているのに、逃げ場を奪う空気が全面に押し出されている。
(俺は見るならせめてさっき美丈夫が鞄の中から取り出した、普通のやつがいい!!)
 それならばまだ見られる。
 しかし俺と暮らし始めてから、ゲイポルノくらいしか見ていない、しかもそれを参考と口にしている美丈夫がそんな生やさしいことを俺に許すかどうか。
 尋ねる前になんとなく結果が見えていた。
 



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