美丈夫の嫁5 7





「おまえさんはどうして俺なんじゃ。その、理由は訊いた。猫のようじゃというのがおまえさんにとっての理由で。俺が感情が出にくいことや、腹黒いのが蔭杜では役立つから。蔭杜の財産にも興味がなさそうなのが都合が良かったんじゃろう」
 冷静な説明をつらつらと述べる俺に、美丈夫は「いえ」と口を挟んできた。
「一目惚れです」
「それじゃ。俺にはそれがよう分からん」
 分からないと言うと美丈夫は眉根を寄せる。機嫌を損ねたことは分かるのだが、今率直な意見をぶつけなければ、俺たちは平行線を続ける羽目になる。それは美丈夫が許さないと迫ってきているのだから、腹をくくって話すしかなかった。
「一目惚れと言っても、相手に何かしらの好み、自分にはないものを見付けてそこを気に入ったからじゃろう。だが俺はおまえさんの好みになれそうなものは見付からん。ましておまえさんが持っておらんだろう、魅力ある部分など何一つない」
 美丈夫が持っておらず俺が持っている、人にとって好ましくまた手に入れたいと感じるだろう何かなんて、想像も付かない。
 美丈夫に残酷だと言われた時から、ずっと自分が美丈夫に好かれる要素を探していたのだが、一つたりとも見付けることが出来なかった。
 むしろ八方塞がりになっただけだ。
「たくさんあります。上総さんは気が付いていらっしゃらないだけです」
「何が良いと?おまえさんは様々なことに秀でておられる。理屈を通して、物事に対して冷静な考え方、分析、結果が出せる。とても二十歳とは思えんほどじゃ。だが俺のことに関してだけは分からん」
 美丈夫がどれほど行動力があるか、また一度動き出すと迅速かつ容赦なく最大の結果をもぎ取る、ということは志摩が蔭杜の男に付きまとわれた時に思い知った。
 敵に回してはいけない相手だということをまざまざと見せられたようなものだ。
 しかしそんな男が、俺に対してだけは到底理性的だとは言えない。
「貴方を好きなことだけは理解出来ない。そう仰るんですね」
「そうじゃ」
 どうしてもそれだけは分からない。それが俺の素直な気持ちだ。
 美丈夫は俺の台詞に、鞄をその場においては腕を組んだ。
(あ、怒っておるな)
 溜息をついたその姿は苛立ちが見える。
「これまでずっと立ち止まっているとは思ってましたが、未だにまだそこにいるんですか」
 すみません……と反射的に謝ってしまいそうになるほど、美丈夫の声には責める色合いが強い。威圧感の重さは並大抵のものではなかった。
「上総さんの感性では理解も共感も出来ないようですが、俺にとって貴方は好みの塊なわけです。趣味が悪いと思われるならそうなんでしょう。貴方にとっては」
「好みの塊と言われても、俺は男じゃぞ。生物学的にはおかしいじゃろう。好きになって何が得られるわけでもない。理屈がそもそもおかしい」
「理屈で一目惚れはしません。そんなもので人を好きになっていたのなら、この世にこれほど離婚している人間が溢れることもないでしょう」
「それはそうかも知れんが」
 この人のこんな部分が好きだから。これから一緒に暮らしていく上でこのような利点がお互いに生じるから、こんな面でお互いにとって良い影響がある。
 そんなことをいちいちプレゼンテーションしてからでなければ結婚しない世の中であったのならば、結ばれることに対して二の足を踏む人も多くなるだろう。
 離婚率は減っても、そもそも結婚する人が少なくなりそうだ。
「貴方は理屈や道理をとても大切になさる。それはとても良いことだと思います。ですが、ここまで持ち込まれるのは困りますね」
 美丈夫は深くを息を吸い込んだかと思うと「いいですか」と教師が生徒に授業を始めるかのように、語り始めた。
「生物学的におかしいと上総さんは仰いましたが、同性でつがいになる動物は自然界にも存在します。しかも特別異常であるとは言えない数の種族と個体が観察されている」
「はあ……」
「大体人間は子孫を残すためだけに人を好きになったりはしません。もしそれを肯定するならば、子どもを持てない夫婦も無意味だという話になりかねない。それはおかしいでしょう。少なくともこの現代社会においては完全にナンセンスだ。化石のような意見だと俺は思います」
「それは、そうじゃな」
 子どもを持つことだけが夫婦でいる価値なのかと言われれば、二人で共に生きていくことこそが夫婦の価値なのではないか、と俺は思う。子どもがいなければ幸せになれない。夫婦の意味がないなどということは、もはや偏った考え方を飛び越えて差別的な意味合いを含むだろう。
「同性間の結婚を認める国も増えています。何より俺には男の嫁が必要です。同性であることは俺にとっては問題ではない。上総さんも十分にご存じなはずです。貴方が男である件についてはこれでクリアですね」
 何かの証明をしている、いや実際に美丈夫にとってみれば俺に対する自身の気持ちの証明になっているのだろう。ホワイトボードが近くにあったら図解すら始めかねない勢いを感じる。
「貴方を好きだということですが。貴方は俺を様々なことに秀でていると仰った」
「俺の目には、そう見えておる」
「実に安定した精神を持ち、理性的で客観性もある。その上判断力に富んでいる。まあ上総さんが思っているのはそんなところでしょうか」
「その通りじゃが」
 自分に対する評価に美丈夫はややげんなりしているようだった。褒めすぎだとでも思っているのかも知れない。しかしそのげんなりする気持ちは、俺が美丈夫に美人だと言われた時に似ているのだと気が付いて貰いたい。
「そんな人間、現実にいたら疲れると思いませんか?」
「……まあ、そうじゃな。疲れるじゃろう。だからこそおまえさんはすごいもんじゃと思っておる」
「それだけの人間なら、疲れ果てて生きる気力も次第に無くしていくものでしょう。でも俺は完璧じゃない。おかしいところもあります。抜けている部分だって持っている」
(それを自覚しているところがまず特別すごいのじゃが、この人はそこは理解しておらんのだろう)
 自分の欠点を把握している。そのことすらも美徳になるのだが、美丈夫はそんなものは何の美徳でもないと切り捨てそうだ。欠点は欠点でしかないと思うのではないだろうか。
 そういう雰囲気が俺にとっては完璧に近く見える。
「人間の顔は一つじゃない。貴方にとって優れていると思っている俺の顔の裏には、とんでもなく悪趣味で頑固な顔があってもおかしくないでしょう。仕事が優秀で人当たりも良い社会人が、家に帰れば家族もほったらかして一人趣味の部屋に引き籠もってプラモデルの製作に没頭したり。職場では無口で他人と関わろうとしない人が、休みの日にはアイドルのオフ会に参加して仲間とライブで騒いだり。建築業を営んでいるマッチョが女装癖を持っていたり。顔が一つでなければいけない理由なんてない」
「その通りじゃが……」
「俺にとってはそれが貴方だということです」
「……俺」
「はい。あくまでも貴方の感性に合わせると俺は嫁の趣味が悪いんです。理屈っぽくて恋愛感情が分からず、逃げ足ばかり早くて、まるで他人事みたいに自分に向けられている思慕を棚上げする人が好みなんですよ」
「おまえさん、目が据わっておるぞ……」
 そして声にも段々と熱がこもり始めて視線が鋭くなってきた。あと俺の態度を根に持っているということもしっかり伝わってくる。これは当然か。
「涼しい顔して人を振り回してくれて、挙げ句の果てにここまで来てまだ俺の気持ちが分からないなんて言っているような人がいいんです。趣味は良くないでしょう」
「最悪じゃと思うが」
「でもそれがいいんです。ああそうです、振り回されるのが好きなんですよ!」
「自棄になったな!?」
 この人絶対振り回されるのなんて好きじゃないだろう。
 だってあれほど物言いたげな視線で俺を見詰めてきたのだから。好きだと言って自分の発言を強固にするしかなかっただけであり、断腸の思いが見える。
「これで理屈が通りましたね?」
「通ったか?」
 これで?本当に?と疑問を抱く俺に美丈夫は半眼になった。
「趣味が悪いから貴方が好きなんです。俺の中で唯一変わっているところがそこです」
「あの……」
「ご理解頂けましたか?」
 問いかけているくせに、さっさと飲み込めという圧力がのしかかってくる。
「悪趣味だから」
「はい、そうです」
 趣味に関しては他人がどうこう言って変わるものでもない。しかしその対象が自分だった場合は、対策を練るべきなのだろうか。
(だがどうやって?)
 睨み付けてきていると言ってもそう間違っていないだろう目つきの人に、趣味を変えて下さいと言ったところで通用するわけがない。むしろとんでもない方向にこじれるのではないだろうか。
「それは、仕方がないな……?」
 辛うじて出て来た返事に、美丈夫は重々しい溜息をついた。
「そうでしょう。そうなんですよ。もうそれでいいです、納得して頂けたならもう何だっていい」
 何だっていいとすら言い出した。やけくそにもほどがある。
 しかし美丈夫にそこまで言わせているのは俺である。
「貴方が好きなんです」
「はい……」
「貴方はどうなんですか。率直なところ」
「え」
「悪趣味な人間に好かれるのは嫌ですか?困りますか?建前はもういいです。知ってますから」
 美丈夫にとっての都合や、蔭杜から求められれば断れないだろうという事情、蔭杜の嫁になることで本家からの家族に対する恩恵。それらを並べてこれまでずっと自分の気持ちを言葉にすることを避けてきた。
 美丈夫から逃げることで自分自身の気持ちを誤魔化してきたということも、ここまでくればさすがに分かっている。
「強気で、来るな」
「はい。もうどこにも逃がすつもりも、待つつもりもありませんので」
 そう言うと美丈夫は俺の肩を掴んでは改めて俺をソファに座らせた。正面から重圧をかけてくるの視線に、脳天から串刺しにされているかのように身体が硬直してしまう。
「好かれて……嬉しい、ですよ?うん、おまえさんは、その、なんじゃ、男前だし優しい」
 真剣に見詰められているのが辛くて、俺は顔を背けた。多少苛立ちのようなものが滲んでいる顔面は、迫力があって男前の度合いが上がっている。
 ここのところ間近で顔を見ても動悸がしなくなったので、見慣れたものだと思ったのだが。残念ながらまだ慣れたと言うには精神の修行が足りないらしい。
「同性じゃが、その、困るくらいに、なんというか、格好いいから、年下だというのに憧れるというか」
 自分の思いというのはどう言えば良いものなのか。
 よく分からないまま思い付いたことを述べていく。美丈夫は脈絡を失って迷子になっている俺の言葉を黙って聞いてくれていた。
 一つでも多くの意見が欲しい。
 待ち続けてくれていた分、そう願っているのかも知れない。
「その、立川さんに、俺は幸せそうな顔をしてここで暮らしていると言われて、俺はそうなんじゃろうかと、そんな顔をしておるのかと思って、それで」
 段々恥ずかしくなってきて、俺は片手が顔を覆った。
「幸せが滲み出るくらい、この家でおまえさんといるのは、楽しいんだということは、気が付いた。嫌いな相手と共に暮らして幸せな顔なぞ出来るわけもない。ただの友人でも、楽しくはあるかも知れんが幸せというわけではないじゃろう。だから、俺は、おまえさんに、その、好意が、あります」
 所々が敬語になってしまうのは、俺の気まずさ故のことだ。
 羞恥心を掻き立てられて死にそうな心境だった。自分から告白をしたことがなかった俺にとって、こんな台詞を吐いたのは生まれて初めてだ。
 しかも散々口説かれていたのに、返事がこんなにも拙くて中身のないものになるとは思わなかった。
 言うべきことはもっと他に、色々あったのではないだろうか。そんな下手くそな返事では美丈夫は気分を害するだろうか。
 沈黙を守っている人を恐る恐る見上げると、美丈夫はどことなく泣きたそうな顔で俺を見下ろしていた。
(この人は、本当に俺のことが好きなんじゃな)
 こんなろくでもない言葉に、そんな表情をするなんて。よほど心囚われていなければ有り得ないような反応だ。まさかこんな美丈夫が俺にそんな表情を見せるなんて。申し訳なさと、少しばかりの喜びがあった。
 たぶんその喜びが、俺がようやく自覚した思いが美丈夫が持っているものと同じである証なのだろう。




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