美丈夫の嫁5 6





「失礼を承知でお尋ねしたいのですが。私は、その、昔から一目惚れというものがよく分からないのですが。相手のこともよく知らないのに好きになれるものでしょうか」
 一目惚れをした、だがもう別れてしまった立川さんにそんなことを訊くのは失礼だということは百も承知だ。だがどうしても、これだけは訊かずにいられなかった。
 自分が抱えている悩みに至極近いものだと思った。美丈夫を待たせ続けている理由の一つが、どうしても彼の感情の根源が理解出来ないからだ。
 どうして俺をぱっと見ただけで気に入ったのか。その始まりからして異常過ぎるだろう、という気持ちが常に引っかかっている。
 俺の問いに立川さんは意外そうな顔を見せた。
「なれますよ」
「それは相手に対して、自分が好ましいと思う部分を一瞬で感じ取っているから、ですかね。自分が持っていない魅力的なものをその人は持っているって、分かるというか」 
 一目見ただけで自分の好みであることが分かるのか。たぶん一番重要視されているのは顔だろうが、他にも顔の造形でその人の性格も少しは嗅ぎ取れるだろう。
 そういうささやかでも零れてくる「この人はどういう人間なのか」という情報を敏感に掴みって好きになるのか。
「違うと思いますよ」
「……違いますか」
「少なくとも私にとっては違いました。別れた夫の容姿は私の好みでもないし、私にないものは持っていましたが。それが魅力的かって訊かれたら別にそうじゃなかった」
 どうして好きになったんだ。
 俺はついそんな質問をしてしまいそうになった。そしてそれは隠しきれずに表情に出てしまったのだろう。立川さんがまた苦笑した。
「どうして好きになったのか未だに分かりません。それでも好きだったんです。ろくでなしのクソ野郎だったのに」
 クソ野郎と言った声には力が込められている。完全な恨み節だ。
「不思議ですね。でもそういう巡り合わせとタイミングがあるんだと思います。あの男と結婚したことは後悔してますけど、子どもを二人授かったことには感謝してるんです。私にとってあの男との出会いは無駄じゃなかったって子どもたちが証明してくれてます」
 立川さんは、どんな嫌なことがあったとしても頑張って生きていけるのは子どもたちがいるおかげだと言っていた。その通り、立川さんはお子さん二人といる時は幸せそうな顔をしている。
(巡り合わせとタイミングか)
 成人の儀に俺が蔭杜本家に呼ばれて、あのタイミングで紋付き袴の美丈夫に出逢ったことが、丁度良いタイミングだったのかも知れない。男の嫁が必要になっていた美丈夫にとって、傍系で独身、まして家庭の事情から察するに経済状況も良くなく本家に楯突くことも出来ないような男。
 嫁にするには良い相手だったことだろう。
(そう考えるのは自然だ。それだけなら俺だってすぐに納得した。だから同居もした、嫁だと言われて頷きもした)
 好きだと言われなければ。
「誉さんも上総さんに一目惚れをされたそうですね」
 俺が引っかかっていたことに、立川さんはいきなり触れてきた。
「誰が、そんなことを?」
「当主様がそう教えて下さいました。上総さんに出逢って、お迎えするまでがあまりに早いので私たちの間では最初からそうじゃないかと噂にはなっていました」
「環さんが……」
 あの人ならけろりとそんなことを言ってそうだ。
「それを隣で聞いていらっしゃった誉さんも頷いておられましたよ。なので私たちは上総さんも誉さんもお互いに一目惚れをして結ばれた運命のご夫婦だと思っています」
「…………俺が、一目惚れ」
「はい」
 美丈夫に一目惚れ。
 人の口から聞かされると何とも首を傾げそうになる。あの顔に面食らったのは本当であり、男前だと心底思っている。しかし一目惚れだと言われるとそれとはまた話が別だろう。
(格好良いものや綺麗なものに感心するのと、一目惚れはまた別の感情じゃ)
 一緒くたにしては大変な支障が出る、というかもう出ている。
「違いましたか?」
 複雑な心境が表に出ているのだろう。立川さんは心配そうに窺ってくるのだが、どうにも答えに困る。
(望まれたから嫁になっただけ、というのは美丈夫に悪いじゃろうか)
 一目惚れして結ばれた夫婦。
 男同士だがそう言われているのに、片方はそんな気持ちはなかったのだと暴露される。気分は良くないだろう。
 しかしそうです、と言うには少し怖い。
「上総さんはこちらに引っ越して来られて、とてもゆったり過ごされているのでお幸せなんだと思ってました」
「それは……そうです」
 返事に窮した俺に立川さんは何かを察したかのようにそう語られ、俺は否定する要素が見付からなかった。
 美丈夫の元に来て、俺は何不自由なく過ごしている。
 むしろ自室は理想的な環境である上に家事は大幅に軽減されて、快適な空間で落ち着いて昼寝まで出来る。それどころか客間から四季折々の顔を見せる見事な庭を眺めながら読書にいそしめるという、贅沢な時間まで味わえるのだ。
 そして美丈夫どころか蔭杜本家の人たちは俺に何かを強要することもない。
 仕事もこれまで通り、外出も蔭杜での振る舞いも制限などなく、正直実家にいる時よりリラックスしているかも知れない。
「男の人にいきなり奥さんになってくれと言われて、普通の同性なら逃げると思うんです。でも上総さんは自然に、それどころか幸せそうに暮らしていらっしゃるので、お二人は一目惚れ同士で相思相愛のご夫婦なんだとみんな納得してます。私もそう思ってます」
「いえ、その考えは今すぐ消して貰った方が……」
「どうしてですか?」
 何故そんなことを言うのかと、俺が否定することなど有り得ないとばかりの反応に当惑してしまう。
(一目惚れでスピード結婚した男同士の夫婦なんて、現実離れし過ぎておるじゃろうが!)
 女性は夢見がちだと思っていたのだが、立川さんのそれは度を超している。しかしそんなものではない、と言うのは俺の立場上難しい。
 そもそもこの家に馴染んでしまっていること自体、周囲からしてみれば「幸せそうで良かった」というものかも知れない。本来ならば男、しかも八つも年下の男から嫁扱いされる環境に苛立たないわけがないのだ。
「……俺の顔は、そんなに幸せそうですか?」
 自分がどんな表情で暮らしているのか、美丈夫に接している自分の表情はどうなっているのか。そんなことは意識したことがなかった。
 端から見ていると幸せなんてものが滲んでいるのだろうか。
 恐ろしいような、居たたまれないような思いでそう問うと立川さんは瞬きをしてからにっこりと笑った。



 プレッシャーのようなものを感じる会話はそれからすぐに切り上げ、立川さんと一緒に晩飯を作った。
 家事のプロフェッショナルに料理のコツや掃除の効率化、良く落ちる洗剤などを教えて貰いながら、キッチンに二人で立つのは新鮮だった。
 誰かに手伝って貰うどころか、自分が調理の補佐になる経験なんてこれまでなかったことだ。実家では料理をするのは俺の仕事みたいな状態で、志摩に手伝いをさせることはあってもあの子に料理の腕が身につかないまま俺が実家を出てしまった。
 立川さんと早めに晩飯を作り終えて、俺はつい気が緩んだままソファでスマートフォンを弄っていてそのままうたた寝をしてしまったらしい。玄関が開いた音が目が覚めた。
「……そんな時間か?」
 美丈夫が帰宅する予定の時間までぐっすり寝てしまったのか。熟睡した覚えがなくてスマートフォンの画面を見ると思っていたより一時間以上早い時刻が表示されている。
「ただいま帰りました」
「おかえり。早かったんじゃな」
「はい。バイトのシフトが変更になりまして。実は今まで姉のところにいました。上総さんは今日志摩さんと出掛けられる予定だったのでは?」
「彼氏とデートだそうだ」
 そう肩をすくめると美丈夫も「そうですか」と小さく笑っている。付き合ったばかりの恋人同士というのは少しでも予定が合えば逢いたくなるものなのだろう、と微笑ましさでも覚えたのかも知れない。
「その彼氏のことで姉にも相談しました。誓約書の書き換えはもう終わっているのですが、変更した名目はどうするのか。特例の目的を姉と作っていました」
「それで、何と?」
「周囲に対する牽制、志摩さんの保護。ボディガードの役割をしているという名目にしました。誰も信じないとは思いますが」
「どこからどう見ても付き合っておるからな」
 志摩と密に連絡を取り合っては腕を組んでテーマパークに行き、楽しげにはしゃいでいるボディガードなど、仕事の範囲を逸脱し過ぎている。彼氏という役割以外の何物でもないだろう。
 二人の空気がそもそもビジネスライクが一切ないものなのだから、理由のこじつけも良いところだ。
「ないよりまし、というレベルの言い訳です」
「お手間をおかけする」
「いえ」
 俺の礼を美丈夫はさらりと受け取っては、ふと眼差しを陰らせる。物言いたげなその目を、ここのところ頻繁に見ていた。もの悲しげな犬を彷彿とさせるその視線は到底直視出来るものではない。罪悪感をこれでもかというほど刺激してくれる。
「志摩さんについて悩んでいらっしゃるのを俺がとやかく言う権利はありませんが」
「分かっている。おまえさんのことを忘れているわけではない」
 志摩について悩むことで、美丈夫との問題を棚上げしているわけではない。気を逸らしている部分はあるのだが、そんな心情まで細かく察知する必要もないだろうに、この人は容赦がない。
「……おまえさんの目に、俺はどう見える?」
 立川さんは俺を幸せそうだと言っていた。それに明確な否定を返す根拠を俺は持っていなかった。まして俺はこの家で暮らしている時、美丈夫と接している時、自分がどんな有様なのかなんて確認しようがない。
 こうしている今も、目の前にいる俺を美丈夫はどう感じているのだろう。
 真っ向から美丈夫の瞳を見ると、意志の強そうなそれを少しばかり見開いたようだった。びっくりしたのかも知れないが、すぐにいつも通りの静けさを取り戻した。
「美人だと思います」
「そうじゃない」
「違いません。少なくとも俺にとって貴方はとても美人です」
「いや、そうじゃないというのは違うというよりも、俺が訊きたいのは顔の美醜ではないという意味であって」
 というかこの人にとって俺は本当に美人なのか。誰が聞いても「今すぐ眼科に行った方がいい」と心配するだろうことを堂々と言い放っている。
 そんな人に「俺は幸せそうに見えるか?」と尋ねるのは抵抗があることだった。そもそも俺に対する認識の歪みが酷すぎて客観性が皆無なのだ。どんな答えが返ってきても絶句しそうだった。




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