美丈夫の嫁4 5 店からは早々に出ることになった。兄妹喧嘩を眺めているというのは趣味が良くない。話し合いも出来そうになく、美丈夫は見切りを付けたようだった。 デザインは一通り見て納得したというのもあるだろう。 「落ち着きませんので、今日のところはおいとまさせて頂きます」 その一言で部屋を出て行く美丈夫の後ろに続いた。兄妹はさすがにまずいということは分かるのだろう。待って下さいと声をかけているが美丈夫は歩みを止めない。 「幾つか良いと思ったデザインを決めましたので後日ご連絡します」 「申し訳ありません。妹は追い出すので」 「お兄ちゃん!」 「いえ、今日はもう結構です。オーナーもお騒がせしました」 応接室から出て店内に戻ると父親が青ざめていた。兄妹の慌てた声に良からぬことになっていたことは察したのだろう。失礼があったことに深々と頭を下げているのだが、美丈夫は「お気になさらず」とさらりと流していた。 「依頼を取り下げるつもりはありませんので。今後も宜しくお願いします」 その一言に父親と輝大さんはほっとした顔を見せるが美輝さんは複雑そうな顔で押し黙っている。美丈夫の依頼が来るのは嬉しいが、それが自分ではない者との結婚指輪というのが嫌なのだろう。 美丈夫は会釈をすると店から出て行く。俺もそれに倣って頭を下げたけれど、誰も俺のことなど見てはいない。 駐車場に戻ると、運転手が車から出て来ては後部座席のドアを開けてくれる。丁重な扱いは美丈夫がいるからだと分かりながらも、居心地が悪い。 美丈夫の付属品らしい振る舞いが出来ていればまだしも、俺には荷が重い。 「このまま帰りますか?せっかくだからお茶でもしていきませんか?」 「そうじゃな……時間も余ったことじゃろうしな」 予定ではじっくりデザインを選ぶ予定だったのだが、おそらく考えていた三分の一の時間すら過ごさずに終わってしまったはずだ。 美丈夫は休みでも忙しい人だ。せっかく苦労して時間を作ったのにぽっかりと空いた時間を持て余しているのも気の毒で、お茶くらいならばいくらでも付き合おうと思えた。 美丈夫はにっこりと笑っては俺を先に車に乗せた。運転席の後ろは事故に遭遇した際に最も安全な場所だという知識が脳裏を過ぎった。 (行きも帰りもこの位置だが。わざとじゃなかろうな……) いや、そもそもこの位置は場所としては一番地位の高い者が座る場所だ。そう思うと憂鬱になった。 自分の待遇の良さが気まずい。 「あれで良かったのか?揉めておったじゃろう」 車が走り出してからそう切り出す。お茶をするとは言っていたのだが、美丈夫は行き先を告げていない。運転手はどこに行くのか分かっているのだろうか。 「あちら側の問題ですので」 「おや、あれはおまえさんのことが根底にあるはずじゃが」 「何度もお断りしています」 迷惑だと隠しもしなかった美丈夫は、きっとこれまでもあんな風に美輝さんの告白を退けて来たのだろうか。 それでも挫けない精神は見事なものだと思うけれど、残念ながら誰も歓迎していない。 「恋する女は強いということか」 「図々しいだけです」 (辛口じゃな) 地位有る美丈夫に擦り寄ってくる人は後を絶たないようで、美丈夫からはうんざりした雰囲気が伝わってくる。女性に対しては比較的紳士で優しい面を見て来たせいか、冷徹な様は新鮮だった。 「彼女がもし蔭杜の財産や地位が目的だったなら、そんなものは望めないような状態にすればいいんですが、生憎目的は俺自身であるらしくて」 「おまえさんを本気で好きだと」 「そうらしいですね」 肩をすくめる人からは厄介だという呟きが聞こえてくる。 本来金も権力も目当てではなく、自分自身を好きになってくれる人がいたならば有り難いと思うところだろうが、美丈夫にとっては歓迎出来ないことであるらしい。 (……蔭杜の掟のせいもあるんじゃろうな) 美丈夫は女の嫁を貰えない。だからこそどれほど好きだといわれたところで嫁がせられない、報われない相手を構うのは億劫なのかも知れない。 家に縛られている人の悲しい現実の一部だろう。 「俺に纏わり付けば家業に支障が出ると言っても、あまり納得しないようで。周りの方が必死になって彼女を止めているようですが、上手くいっていないようですね。兄とは親しくしているので、完全にあの家と手を切るのは気が進まなくて」 「あの兄は苦労しているようじゃった」 我の強そうな妹に振り回されて、大切な美丈夫からの依頼まで棒に振りそうになっていたのだ。あれでは仕事以外でも相当我が儘を言われていることだろう。 「昔からそうです。あの妹はとにかく人の言うことを聞かない」 「妹というもんは我が儘なもんじゃ」 あれこれ自分の思うことを言って、人を振り回して、思い通りにいかなければ当たり散らす。叱ると泣いて拗ねて大変なものだ。 志摩を思い出してそう苦笑すると、美丈夫は「いえ」とやや強く否定してくる。 「あれは志摩さんと比べるような相手じゃありません。他人の迷惑も一切顧みないのですから」 「志摩も相当じゃぞ」 「芯が通っていらっしゃる。それに上総さんのことをちゃんと思っていらっしゃいます。周りから見ても分かりますから」 やけに志摩の肩を持ってくれる。前に蔭杜の親類の男が迷惑をかけたことを、まだ気にしているのかも知れない。 褒められるのは悪い気はしないのだが、本人が聞けば渋い顔をしそうだ。 「上総さんがうちに来るとなって、俺にも上総さんにも必要以上に近寄らないように誓約はさせています。同時に警戒もしていたのですが、俺たちが自らあの店に行ったので誓約書には接触しないと思ったんでしょう。あの時もお茶出しをすることが目的であって、俺たちに積極的に関わるつもりはなかった、という言い訳が出来る」 美丈夫に何度も告白をしているような相手ならば、確かに嫁を取ると宣言された現在、警戒するに越したことはない相手だ。誓約書を交わしている手際の良さは相変わらず舌を巻くが、今回は相手の度胸の良さも大したものだ。 「今日も妹は実家にはいないと聞いていたのですが」 「嘘をつかれた、ということになるのか?」 「そんなことをしても輝大にもオーナーにも何の利益もない。俺が行くことすら教えないでくれと言っていたんです。おそらく情報を漏らしたのは母親でしょう。あの母親は時折妹のことに関しては理性を失います」 家の不利益になると分かりながら、それでも妹をけしかける母親。しかもそれを知っている美丈夫に、これまで様々な問題があったのだろうと感じる。 「おまえさんも色々としがらみの多いお人じゃ……」 「生まれです」 「……そうじゃろうな」 蔭杜に生まれたばっかりに、と俺などは思ってしまうのだが。美丈夫自身はそれを受け入れているのだろうか。蔭杜の人間であることを良いと思っているのか、厭っているのか。俺が感じる限りはその両方がたまに零れ落ちてくる。 大きな家である分、大きな苦悩もあるのだろう。 美丈夫はふと俺の手を取って指を凝視し始めた。手の熱にどくりと心臓が跳ねたが、まさか運転手がいる車内で妙なことはしないだろう。 「指輪のサイズを測るのを忘れていました」 「ああ……」 指輪を作るにはデザインだけでなく、そもそもの指の太さも知らなければいけない。当然俺は自分の指のサイズなど知らない。アクセサリーなど付ける習慣がないので知る機会もなかったのだ。 まして左手の薬指なんて、縁遠いものだと思っていた。 「今度輝大からリングゲージを借りてきます」 「リングゲージ?」 「リングのサイズごとに鉄の輪を連ねている物です。指のサイズを測る道具ですね」 そんなものがあるのか、と感心していると美丈夫が左手の薬指を摘んだ。 「俺より細いですね」 「……そうかも知れんな」 体格からして違うのだから、指の太さも違うだろう。そう言いたいのだが男としてなんとなく負けた気持ちになるので、言えなかった。 (そこに指輪がはまるのか……) 改めてそう思うと、ずっしりしたものが胸に積もった。 指輪の脅威をすっかり忘れていた頃、輝大さんがやってきた。 サンプルを持って来たので試して欲しい。その発言に俺は胸にずっしりと来ていた胸の重みが増したような気がした。 指のサイズはすでに測っている。しかも左手の薬指だけでなく、全ての指のサイズを美丈夫によって確認された。一体これが何の役に立つというのか、この世で一番無駄な情報ではないだろうかと思ったのだが、彼は真剣に計っていた。 輝大さんを普段使わない客間に通す。畳の上には艶やかな座卓を置いて、庭の景観がよく見えるように窓を開け放っている。 その場には何故か環さんもいて、楽しそうに混ざっていた。 「私もデザインリングが欲しくて、輝大さんに幾つかお願いしてたの」 環さんの依頼があるのならば、ここではなく本家の客間に通した方が良かったのではないだろうかと思ったのだが。今日のメインは婚約指輪の話であるらしいので、この客間で良いらしい。お茶出しは環さんが連れてきたお手伝いさんがしてくれた。 玉露で入れられたと思われるお茶が、まろい茶碗にそそがれてやってきた。 「申し訳ありません。お手数をおかけして」 「いえ、とんでもない」 この家に住まわせて貰っているのに、こういう雑用をしないというのはいけないだろう。俺が頭を下げるとお手伝いさんはさらりと笑顔で流してくれる。 (まあ、環さんに飲ませるお茶を俺に入れさせるわけにはいかない、という理由なんじゃろうが) 美味くないものを女主人の口に入れられるものか、というお手伝いさんのプライドもあることだろう。 「先日はお恥ずかしいところをお見せしてしまい、大変申し訳ありませんでした」 輝大さんはやってきて早々、座布団に腰を下ろすこともなくその場で土下座をした。 彼の立場からすれば、そうすることが当然の行為なのかも知れないが。人の土下座など滅多に見られない俺にとっては、何とも憐れみが込み上げる図だ。 「大変そうですね」 蔭杜姉弟が黙っているので、沈黙の気まずさに負けて俺がそう言うとようやく輝大さんが顔を上げた。疲労が色濃く滲んでいる様子は悲しみを誘う。 「妹は激情家で一度思い込むと手が付けられなくて、これまでも問題を起こしたことがあります。あの日も本来なら妹は旅行中で決して店にいるはずがなかったのですが、母が情報を漏らしたようで、予定を無理矢理切り上げて帰って来たそうです。私も父もそれを知らず、あの時妹が部屋に入ってきて初めて知った有様でした」 「まだ揉めてるのねぇ」 輝大さんの説明に、環さんはお茶を飲みながらのんびりとそう言った。妹のことを環さんも知っているらしい。 「あいつは、本当に……」 苦渋が滲む声音に肩を叩いて慰めの言葉でもかけたくなるけれど、蔭杜にとってそれは良くないことなのだろう。 実際美丈夫も環さんも何も言わずに輝大さんを眺めていた。この人自身は嫌いではないけれど、妹に関することに同情は沸いてこないのかも知れない。 (ドライというか何というか) 必要ではない情は持たない。そんな徹底した姿勢が二人にはある。 それがこの家で生きている者が身につけなければいけないことだったのかも知れない。 next |