美丈夫の嫁4 4





 少しの間昔話に花を咲かせていた二人だが、輝大さんはふとこちらを見た。
「誉君が蔭杜の掟通りに男の嫁を貰うと聞かされた時には、どうなるかと思いましたが。お二人で指輪を選びに来るってことは上手くいっているようで良かった」
 上手くいっているかどうかは激しく謎である。
 だが否定するほどでもないので俺は曖昧に笑んで見せた。そうすれば相手は好きなように解釈してくれるだろう。
「まだ籍は入れられないから、その代わりと言っては何ですが指輪が欲しいんです」
「それは随分重大な仕事だ」
 籍を入れる代わりと言われれば誰だって、そう思うだろう。俺だって指輪がそうだと言われれば、重すぎて溜息も出てくる。
「俺としてはあまり飾り気がなくて、ずっと外すことなくつけてられるシンプルな物にしたいと思ってるんですが」
 美丈夫は前のめりになって輝大さんに熱心に話し始めている。隣からものすごく熱意が伝わって来て俺はやはり目を逸らしてしまう。
「材質はどうする?」
「プラチナがいいかなと思っているんですが。上総さんは何か希望はありますか?こんなデザインがいいとか、宝石を入れたいとか、金がいいプラチナがいいとか」
 突然話を振られて、俺は慌てて顔を向けた。
 しかし指輪を作ると言われても、自分に意見を求められるとは思っていなかったせいで、頭の中は真っ白だ。
「いえ……特に何も」
 俺の発言に二人の表情が明らかに曇った。
 それまで朗らかに会話をしていたというのに、一転口を閉ざして深刻そうな目をしている。
 俺が指輪を望んでいないことを、二人は察してしまったのだろう。気まずさが漂ってはいたたまれなさを感じてしまう。
「派手なのは苦手なので………ごちゃごちゃしてないのがいいですね」
 必死に思考回路を回して、当たり障りのないことを言うけれど後の祭りだろう。
 凍り付いた空気は元には戻らない。輝大さんがちらりと美丈夫を見たのは、きっと俺たちの関係はどうなっているのだという疑問を持ったからだ。
「そうですね、上総さんにはシンプルな物が似合いそうですね」
 輝大さんは目に宿った疑問はすぐに消し、俺に向かって営業満点の笑みでそう告げてくれる。だが美丈夫は表情を緩めることはなく、むしろ挑むように輝大さんを見た。
「いっそ結婚指輪のデザインにして下さい」
「は?」
「結婚する際にはまた新調しますのでご心配なく」
(そんなことは心配しておらん!!)
「ということはいずれは二本付けるということですか?それならデザインもそれを考慮して作りますが、男性では珍しいですよ」
「では結婚した際には新しい結婚指輪一本に絞って付けます」
「いえ、わざわざ変えるような物ですか?似ている物なら、別に一つで」
「変えます」
 婚約指輪も結婚指輪も似ているような物なら一つでいいだろう。幾つもあって楽しいような物ではないだろう。
 俺はそう思って止めるのだが、美丈夫は頑なに作ると言って聞かない。彼の中では絶対に引くことが出来ない決定事項であるらしい。
 輝大さんの笑みが何とも言えない曖昧なものになっていた。どうしてこんなにこだわるのか分からないのだろう。
(安心しろ俺もさっぱり分からん)
「シンプルな物で、ということなら。このタイプはどうでしょう」
 輝大さんはテーブルの下にあった引き出しの中からタブレットを出して来て操作している。黒く薄いタイプのそれを指先でなぞり、画面を俺たちに見せてくれる。
「このストレートタイプが、最もシンプルです」
 画面には白いプレートに置かれた指輪があらゆる角度で撮影されている画像が並んでいた。指輪は輝大さんの言う通りごくシンプルな装飾のない、輪っかと言える指輪だ。結婚指輪と言われて俺が真っ先に想像した、何の飾りもないそれは素っ気ない分決して外すことがない契約を結ばれているようにも見える。
「シンプル過ぎると思われるのでしたら、こちらのウェーブなら少し変化があります」
 俺の顔に難色が出ていたのか、輝大さんはその次の指輪を表示する。
 その指輪はゆるりと波打っている。先ほどの物に比べると若干変化があるけれど、やはりごくシンプルだ。
(でもデザインが少し入っている分、いかにもな雰囲気は薄れた気がする)
 あくまでも俺のささやかな感想であり、端から見ていると大差ないかも知れないが。
「俺はこっちの方が好みですが、上総さんはどうですか?」
「そうですね。俺も、こちらの方が」
 美丈夫に同意すると、双眸には喜色が滲んでは細められる。目の毒としか言いようがないほど麗しい表情だ。見詰めていると意識がぐらつくと知りながら、それでもなかなか目が逸らせなかった。
(これが、この人のたちの悪いところじゃな)
 易々と人の視線を奪わないで欲しい。
「裏に誕生石を入れることも出来ますよ。誕生石はその人のお守りになると言われていまして、表はシンプルで装飾がない物でも、裏にそっと入れる人も結構います」
「それはいいですね」
「上総さんは何月生まれですか?」
「え」
「四月です。丁度いい」
 輝大さんの問いかけに、俺よりも先に美丈夫が答えては非常に乗る気を見せている。
(何がいいんだ。四月の誕生石はダイヤモンドだろ。よりによってじゃないのか!)
 指輪にダイヤモンドを入れるなんて、いくら裏でもそれは完全に結婚指輪そのものになっていないか。しかも女性のはめる結婚指輪のタイプに思われる。
「誉君は確かルビーでしょう。双方硬度が高いから、もし直しが必要になっても割れる心配がない」
「是非入れましょう」
 ダイヤモンドの入った指輪の価値や金額を想像して危機感を覚える俺を放置して、二人は嬉々と話を進めている。
 あっさりと指輪が決まってしまいそうだが、どうストップをかけて良いのか分からない。というかストップをかけたところでこの二人は止まるのだろうか。もっと高い金がかかるような物を作ろうと言い出さないだろうか。
 そんな不安にかられていると、ドアがノックされた。
 輝大さんが許可を出すと、入って来たのは二十歳くらいの女性だった。茶色の髪を結い上げて、はっきりとした化粧をしている。白いブラウスにタイトなスカートはこの店の雰囲気を意識しているのか少し堅い印象のある服装である。
 だがもっと堅いのは女性の表情だ。お盆を持っているのでお茶出しに来たのだろうが、慣れていないのか。
(志摩と同い年くらいじゃろうか)
 まだこういった商談の場にお茶を出す作業には不慣れなのかも、と思っていると美丈夫と輝大さんの顔が硬直しているのに気が付いた。
 険しい彼らの顔つきは、この女性と何かあることは間違いがない。けれど誰も口を開かなかった。
(なんだこれ……)
 唐突に妙な緊張が張り詰めていく。女性は三人の前にお茶を出すと急にすいっとタブレットを指さした。
「私ならこのデザインの指輪を選びます」
 突然の意見に、お茶を取ろうと思っていた俺の手が止まる。
 アドバイスをするにしてもいきなり過ぎる。
「おい」
「誉さんにもお似合いだと思います」
 輝大さんが止めるのも聞かずに、女性は更に言葉を紡いでは俺を睨み付けて来る。その眼差しには憎悪が混ざっており、それだけでなんとなくこの女性がどんな気持ちを持っているのかが分かる。
(なるほど……俺は恋敵か)
 美丈夫ほどの男ならば、恋い焦がれる女性はいくらでもいることだろう。事実これまでも美丈夫のことが好きだという女性を見ている。
 だがここまで強い憎悪を、この距離でぶつけてくる人はいなかったものだ。
 驚きはしたが悲しみも恐ろしさもない。いずれ出会すだろうと思っていた相手が来ただけのことだ。美丈夫といるならばこれからも遭遇するだろう。
「指輪だって女が付けたほうが華やかです。誉さんには私が隣に並んだ方が似合っていると思います」
「出て行きなさい」
 直球で俺を否定し、自分を売り込んでくる女性に輝大さんが厳しい声音で注意をする。だが女性の耳にはそれは届かないらしい。俺を睨み付けたまま、美丈夫へと身を寄せる。
「私の方がずっと貴方に相応しいはずです。誉さんのためにどんなことだって出来ます。男と結婚するなんて第一馬鹿げていると思いませんか?」
「美輝!」
 女性の名前を呼びながら輝大さんが腕を掴もうとした。けれど美輝さんはそれを振り払う。身内なのかも知れない。
「蔭杜の掟に口出しをされるのですか?」
 冷ややかな美丈夫の問いかけに、俺は聞いているだけでも背筋が寒くなる。けれど美輝さんはそうではないらしく、怯むどころか堂々と頷いた。
「このままでは誉さんはまともな人生を歩めません。お姉様のために我慢されるのは分かります。でも、あんまりじゃありませんか」
「たとえ女性と結婚出来たとしても、貴方を選ぶことはありません。何度も申し上げていることでしょう」
「何故ですか?家柄はさして低くないはずです。花嫁修業も一通り終わってます。躾けもされ、容姿も悪くないと周りから言われて、評価もされています。私の何が気に入りませんか?仰って頂ければどんなことだって直してみせます」
 すがるように告げる美輝さんの言葉は、あまりにも熱の籠もった告白ではないだろうか。しかも本人も言う通りに美人であり、自ら隷属したいというその態度はきっと男心をくすぐるものだ。
(俺は恐ろしくて嫌だけど)
 人を支配するなんて責任だの何だのを感じて気が重い。しかし美丈夫ならば人を操ることくらい些事であるはずだ。
「この状況でそんなことを言い出す冷静さに欠けた言動。自分を通すことだけしか頭にない我の強さ。どれも蔭杜直系の嫁には全く相応しくない」
 おまえの全てが駄目だと言ったようなその答えに、さすがの美輝さんも凍り付いたようだった。
 辛辣な返答に輝大さんまで絶句している。
「………っ、ですが誉さん!大人しく控えていても私を見ては下さらないでしょう!?」
 こうしなければ視界にすら入れないだろうと訴える美輝さんに、美丈夫はすでに視線すら向けなかった。それが彼女に対する答えだ。
 泣き出しそうになる美輝さんに、見ているこちらが居たたまれなくなっていく。だが美丈夫にしてみれば、こんなことはままあることで、同情するだけ後で面倒になるのかも知れない。
「おまえはもう出て行け!自分が何をしてるのか分かってるのか!?」
「お兄ちゃんは黙っててよ!私がどうなってもいいの!?」
「それはこっちの台詞だ!これがどれだけ大切な話か分かってないだろ!」
 輝大さんは立ち上がっては美輝さんの手を無理矢理取っては美丈夫から離そうとしている。けれど美輝さんはその手を振り払おうと藻掻きながら輝大さんに食い付いていた。
 先ほどまでの澄ました美人の印象は掻き消えて、だだをこねる幼い妹の姿がそこにはあり、見ているとなんだか自分もかつてはよく見た光景のように思えてくる。
「お兄ちゃんが独立出来るかどうかなんてどうでもいいでしょう!?うちで働いていることの何が駄目なわけ!?出て行ってもいいことなんて何もないでしょう!?お父さんのやり方が気に入らないからって、当てつけみたいにこんなことして!大体子どもの頃からお兄ちゃんは」
「そんな家の話なんて言うなみっともない!」
「みっともないみっともないばっかり!私はそのみっともなさで何もかも諦めなきゃいけないわけ!?」
 怒鳴り合う兄妹を前に、美丈夫は非常に冷めた目をしていた。おそらくこの中で最も「みっともない」と感じているのはこの人だろう。
(俺も昔は志摩とあんな風に喧嘩をしたもんじゃが……)
 あの子もあまり人目を憚らないところがある。さすがに高校生になった頃から人前というものを意識するようにはなったけれど、未だに感情が高ぶると自分のことだけで精一杯になってしまうものだ。
 美丈夫とのことも、あの子はまだ納得していないことだろう。もしかすると今だってこうして俺に怒鳴りたいのかも知れない。
 そう思い憂いを飲み込んでいると、ふと美丈夫が座っている距離を詰めてきた。
 間近とも言える場所に美丈夫の顔があり、横を見て驚いた。目を丸くしただろう俺に美丈夫はにっこりと微笑む。
「ご安心下さい。彼女とは何の関係も持っていません」
「……はあ」
 特に何の心配もしていない上に、関係があったところで俺が口出しをすることではないのだが。
 美丈夫にとってはその主張は大切なものだったのだろう。言い終えると兄妹を放置してはテーブルの上にあるタブレットを手に取る。
「このデザインも素敵ですね。つや消しも柔らかなイメージでいいと思います」
 勝手に操作しては次々と指輪のデザインを俺に見せてくる。俺の耳には兄妹喧嘩が次々届いてくるのだが、美丈夫には全く聞こえないようで、機嫌良さそうな人の隣で神経をごりごり削られる羽目になった。


next 


TOP