美丈夫の嫁4 3





 今度の休みに何かご予定はありますか?と尋ねられた時に覚悟はしていた。案の定婚約指輪の件についてであり、宝石店に行くつもりだと言われてしまう。
 いつか来るとは思っていたことであり、それまでに腹をくくっていたというか諦めていた。
 当日は仕事で着ているスーツを惰性で纏う。休日までこの格好をする羽目になるとは、と憂鬱に思っていると美丈夫が部屋に顔を出してきた。
「スーツですか?」
「ネクタイも締めた方が良かろうか」
「いや、そこまでしなくてもいいと思いますが」
 宝石店など縁のない場所だ。蔭杜の縁者ということは、おそらくえらく豪華なところであるのだろう。取り扱っている品も、目玉が飛び出るような物だと予想される。下手な格好で行けば恥をかくだろう。
 俺だけならともかく美丈夫も一緒だというのに、みっともない格好をしていれば美丈夫の迷惑になってしまう。
(スーツの質まで見抜かれることじゃろうが、それは致し方ない)
 上等なスーツなど持っていない。いつ駄目になっても良い、潰してもさして構わないようなスーツしか持っていないのだ。
(良い物など後は礼服しかないからな)
 幾ら何でも礼服で行くのはどうかと思われた。
「スーツが安全だと思ったまでのこと」
「では俺もそうします」
「おまえさんは別に今のままで良いじゃろう」
 美丈夫はポロシャツを着ている。襟も付いているのだから別に構わないだろう。何より本家の人間なのだから立場としては上、多少ラフな格好をしたところで向こうは不愉快には思わないはずだが。
「貴方だけに格好を付けさせて自分はこんな服装では釣り合いが取れません」
(いや、同じような格好をされた場合の方が、釣り合いが取れんのじゃが)
 顔面の出来を考えると、スーツ姿で並ばれると明らかに俺の方が見劣りする。月とすっぽんほどの違いがあるだろう。まして美丈夫のスーツは上等な物であるはずだ。
 こんな安物で吊るしのスーツなどぼろ切れのような物に変わってしまう。
 そのままでいいと止めた俺を振り切り、美丈夫はあっという間にスーツ姿に変わっていた。ライトグレーのスーツに更に爽やかさを足している男はどう見ても涼しげだ。
 安易な濃紺で重苦しいスーツ、実際はサマースーツだが十分暑く嫌気が差している俺とは大きく違う。
(人間の違いだ。美丈夫は人種からして一般人とは違うはずじゃ)
 そう自分に言い聞かせながら家から出て門へと向かう。蔭杜の敷地には正門だけでなく裏門もあり、俺は普段そちらを利用していた。
 正門から出入り出来るような身分ではない。まして暮らしている家からは正門より裏門の方が近く、都合が良かったということもある。
 だが今日は美丈夫と出掛けるということで正門に向かっていた。そしてその正門に止まっている黒い車に「まさか」という言葉が喉元まで出そうになった。
「あの……」
「お待ちしておりました」
 車の横にはスーツ姿の初老の男性がおり、恭しく頭を下げてくる。そしてご丁寧にも名乗ってくれるのだが、その時点で俺は気が遠くなりそうだった。
「どうぞ」
「いやいやいや………」
 美丈夫が後部座席のドアを開けて俺を促してくる。それを制しては深く息を吸い込んだ。
「運転手さんが、運転をなさる?」
「はい。俺も免許は取っているのですが、まだ未熟です。上総さんを乗せて万が一事故でも起こったらと思うと、とてもではありませんが運転は出来ないと判断しました」
 俺も車の免許は持っている。
 運転も多少は出来ると自負しているのだが、美丈夫を乗せていると思うと確かに決して事故は起こせない。自分で運転するよりその道のプロに任せた方が安全だろう。
 けれど自分が乗る車を運転手が運転する。ましてその車も豪華な作りに見えるのだが、かなりの高級車ではないのか。車に興味がないのでランクなどは分からないけれど、街中で頻繁にお目にかかるような種類ではない。
「電車とかでは……なく」
「駅から遠い場所に店がありますので電車だと、歩く距離が長くなってしまいます。それに今からだと約束の時間に遅れてしまう可能性が高いですね」
「約束の時間……」
 これから向かう宝石店では美丈夫を待ち構えているのだろう。運転手付きの車ぐらいでめげているようでは、宝石店では卒倒してしまうかも知れない。
「車の場合もう少し時間に余裕があります。もし忘れ物があるなら、取りに行かれても大丈夫ですよ?」
 固まった俺を心配したらしい美丈夫がそう声をかけてくれる。その優しさに俺は彼が思っているのとは別の方向ですがりたくなる。
「自分そのものをここに置いて行きたい」
「どうぞお乗り下さい」
 美丈夫は俺の戯れ言を一切無視して掌を後部座席に向ける。端的に言うと黙ってさっさと乗れということだろう。
 逃がしてはくれないらしい。



 宝石店は繁華街の中にひっそりと存在していた。入り口は狭く、見逃してしまいそうなほど落ち着いた外観だ。内装は黒を基調とした静かなもので、その分重厚感が漂っている。
 華美な印象はない。だがその分どっしりとした気品を感じるような店内だ。多少薄暗いのだが、ショーケースを照らしている明かりが印象的に映るように配慮されているのだろう。
 入ってすぐ、男二人が頭を下げてきた。一人は五十過ぎ、もう一人は二十代だろう。顔立ちは似通っており親子かと思われる。父親らしき男は微笑みを浮かべて美丈夫に向き合っているのだが、堂々としたその態度と良い、自信に溢れた表情は映画の中に出てくる何かしらの組織の幹部のようだ。
(まあ、腹黒そうな幹部に見えるがな)
 微笑んでいるというのに、その目つきは鋭く人の底を見ようとする。食えない人の顔を隠そうともしないらしい。
 若い男は父親の隣でどことなく苦そうな表情だ。父親と折り合いが悪いと聞いているせいか、美丈夫に上機嫌で話しかけている姿に思うところがありそうだ。幸が薄そうに見えるのは父親に吸い取られているからでは、などと失礼なことを思ってしまう。
(それにしてもスーツを着ていて良かったな)
 二人の姿はぴしっとした黒いスーツだ。閉鎖的な空気を感じる店内と良い、二人のプライドの高そうなところと良い、妥協してポロシャツなどで来ていたら今頃冷や汗をかいていただろう。
「本日はお世話になります」
「こちらこそ私どもを選んで下さり有り難う御座います。誉さんからご依頼を承るなんて光栄なことです」
「大袈裟ですよ」
「いえいえ。上総さんもお越し下さり有り難う御座います」
「いえ……」
 俺にまで改めて頭を下げる人に大変居心地が悪い。美丈夫のおまけ以下の存在であるだろう俺に、価値などないと知っているだろうに。
「婚約指輪は大切な物ですから。私どもが制作出来るというのは本当に嬉しいことです」
(大切大切と繰り返さないで貰いたい)
 実際世の中では大切にされているのだろうが、俺にとっては精神的な拘束具に近い物がある。
「立ち話も何です。奥へどうぞ」
(奥!この部屋の奥!!)
 もしやVIPルームと呼ばれるところに通されるのだろうか。ここから更にハードルが上がるなんて庶民にとっては胃が痛いばかりだ。
 しかし美丈夫は当たり前の顔をして男たちに後ろに付いていく。青ざめるのは俺だけであるらしい。
 連行される宇宙人のような気持ちで店の奥に通されると、そこは店内とは違って比較的明るい部屋だった。内装は黒ではなくほんのりと柔らかなベージュで、照明は明るく応接室のようだった。ソファはさすがに店の雰囲気に合うようにどっしりとした作りの物だけれど、美丈夫と暮らしている部屋にあるソファもなかなかに立派なものなので抵抗感は大きくはない。
「俺から説明するから」
 若い男はそう父親と思われる男に告げては、部屋から出て行くように促している。しかし彼にとっても大事な商談であるらしい。退出に難色を示した。
「すでにお話はさせて頂いてます。今回は最終段階、ほぼ確定されていることですので大丈夫ですよ」
「……そうですか」
「ご安心下さい」
 父親らしき男は美丈夫に説得されては渋々というように部屋を出て行く。ちらりと若い男を見た目には「粗相の無いように」という注意が色濃く滲んでいた。
「すみません」
「いえ、お父さんがこの件に関して興味津々なのは分かっていましたから」
 謝る息子に対して美丈夫は涼しい顔のままだ。押しの強い人間をするりと交わすことも、適当に流すことも美丈夫にとっては慣れたものなのだろう。
「すみません、どうぞおかけ下さい」
 息子は憂鬱そうなままそう勧めてきて、向かい合ったソファの片側に美丈夫と並んで座るのだが。ソファの座り心地は思ったよりも柔らかなものだった。
(尻の据わりが悪い……)
「本来ならこちらから出向くべきなのに、お二人にわざわざお越し下さって誠に」
「堅苦しいのはもう止めにしませんか?上総さんもそういうのはあまりお好きじゃないんです」
「出来ればご容赦下さい」
 堅苦しいのも大人しく上品ぶるのも俺には向いていない。まして相手が下から持ち上げてくるような姿勢を取っていると、息が詰まるのだ。
「そうですか。それなら、いいんですが」
 男は少しばかりほっとしたような顔を見せる。すると憂鬱そうな顔も薄くなり、陰気そうな様子が消えていく。
「輝大さんとは子どもの頃の友人で、年は少し離れているんですが昔は一緒になって悪戯をしてました。本家の庭を荒らしたり、茶室をぼろぼろにしたり」
 てるひろというのが男の名前であるらしい。蔭杜は親戚も多いと聞いているのだが、彼もその内の一人なのだろう。美丈夫と同年代の子どもが果たして何人いることか。
「あれは火事にならなくて良かったですね。親にはこっぴどく叱られました」
「子どもの頃はやんちゃなくらいがいいんですよ」
 火事になる悪戯って何だ。あの綺麗に整えられて高そうな掛け軸だの茶具だのが揃えられている茶室がぼろぼろだなんて。と考えるだけで悲鳴が迫り上がって来る。
 子どもというのは恐ろしい生き物だ。そして美丈夫はそんな昔話を楽しそうに語っている。
(仲は良いらしいが……とんでもない子どもだったということは分かる)
 先ほど出て行った父親は、さぞかし青ざめたことだろう。
 

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