美丈夫の嫁3 2





  蔭杜の親戚に対して抱く感情は、面倒で鬱陶しくて厄介だという気持ちが大半だ。
 それは血の繋がりが薄くなっていけばなるほど、強まっていく。何故だろう。中心からずれればずれるほど、人間は何かしらの行事があると口を突っ込んで関わって来ようとする。まるでそうすることによって自分という存在が高みに登っていくと錯覚しているかのように、我が物顔で意見を述べるのだ。
 正しいことだと言わんばかりの様子で自分の利益を貪ろうとする。
 蔭杜というものをまるで砂糖で出来た山のように考えているのだろうか。それに噛み付き、少しでも甘さを味わって満足したいのか。
 その砂糖の山は蔭杜直系の人間たちで作られている。生きている人間の日々の苦労だの努力だの苦悩だの、そんな地味で苦い暮らしが生み出している。だが彼らにはそんな部分は見えないのだ。
 志摩さんに関わった男の処理をしている間ずっと、蔭杜を解体したいと思っていた。
 上総さんを嫁にすると宣言してほんの少しの間しか経っていない。それなのに上総さんの妹に干渉をしてくるのだ。どこに関われば上総さんが大きく動くのか計算したような事件だった。
 志摩さんに言い寄った男の性格や、周囲の人間たちから察するに、上総さんに強請をかけるための行動ではなかっただろうが。それにしても上総さんの激情を引き出すには充分だった。
 そして蔭杜がどれほど大きく、愚かで、内側に汚泥が詰まっている集団なのかを晒す羽目になった。蔭杜の中心にいるならば上総さんもいつかは知ってしまう事実だろうが、それにしても早すぎる。
 まだあの人は蔭杜の人間にはなっていないのだ。
 なんてことをしてくれたのだと、あの男の存在を抹消したかった。蔭杜諸共滅んでしまえば良かったのだ。
 だが一方で上総さんを手に入れることが出来たのは、あの人が蔭杜の傍系であり、蔭杜の力があったからだ。
 蔭杜というものがなければきっと嫁にするなんてどう足掻いても無理だっただろう。一般人、何の権力も繋がりもない間柄なのに嫁に来てくれと言ったところで、上総さんは男同士なのだから無理だと断ったはずだ。
 考えるという行為すらなかっただろう。
 だがいざ捕まえてしまえばその蔭杜という繋がりが束縛と重石になってしまうのだ。皮肉なものだと思う。
(利己的な考え方だ)
 自分にとって都合の良いところだけを得ようとする。それこそ蔭杜の親戚たちのような思考回路だ。唾棄すべき彼らと同じところまで墜ちたくはない。
 だが上総さんが逃げることだけは認められなかった。そのためにどんな手段を使っても構わない、どんなみっともないことでも出来る。そう歯を食いしばった。



 上総さんと志摩さんを説得し、なんとか自宅に二人で戻ることが出来た。翌日には上総さんは他のどこでもなく蔭杜の俺と暮らしている家から仕事に行き、この家に帰って来た。それは元の暮らしに戻るという上総さんの決意であると俺は受け取っている。
 志摩さんも元のアパートに帰り、あの男がいなくなった大学にも通っているようだ。不安要素を取り除いたので、日常を変える必要性もなくなっただろう。
 何もかも元通りになった、かのように見える。だが実のところ俺たちの間には大きな変化があった。
 主に上総さんの心境の面に。
 朝目覚めて隣に上総さんが寝ていないことを確認してから、ベッドを降りる。上総さんはいつも俺より早く起きて朝飯を作ってくれる。それが彼なりの朝の流れであるらしい。
 朝飯を作ることで眠気覚ましになり頭が冴えるというのだから、なんて家庭的で働き者なのか。それを聞いた時に俺は心の中で感動していたくらいだ。まさに嫁の見本のような人である。
 それだけではない。休日の食事を作り、自分の部屋などの掃除も自分でしている。
 家のことは何もしなくても良い恵まれた環境に来たというのに、上総さんは自分で仕事を作りたがる。
 家のことは自分でやるという暮らしをしてきたからだとは言うのだが。楽が出来るのならばついそれに乗っかかってしまうのが人間の弱さだろうに、それを良しとはしないのだ。
 その自制心には感服した。
 夫婦で生きていくのならば妻にだけ負担を掛けるというのは良くない。苦労は分け合ってこその夫婦だ。なので俺も風呂掃除という家事を最近担うことにした。
 家事などこれまでしたことはなかったのだが、作業自体は簡単なものだ。それで上総さんと、夫婦としての形が強固になっていくのかも知れないと思えば苦ではない。
 今朝も寝室を出るとキッチンから物音がしていた。何かがジューと焼ける香ばしい匂いと音に胃が動き出す。
 俺がキッチンへのドアを開けるとエプロンをつけた上総さんの姿が見えた。丁度テーブルに皿を置いた後だと思われる背中は、ドアの音にびくりと肩を震わせた。
「おはようございます」
 声を掛けると上総さんはゆっくり振り返った。その顔は常と同じく静かなものだ。驚きを一瞬で収めたらしい。よく出来た人だ。
 上総さんを嫁に出来た幸いは幾つもあるけれど、動揺をすぐに制しては冷静さを取り戻してくれるところも優れている部分だ。
(俺がこの人に惹かれた理由もこの辺りにあるだろうな)
 澄ました態度、冷たいとすら言えるだろう眼差し。俺に対して初対面で素っ気ない態度を取る蔭杜の親戚はこれまでいなかった。
 我ながらそんなところに惹かれるなんて、俺はマゾだろうかと思ったものだ。だが実のところ上総さんは冷淡な人ではなく、優しい静かな気性の人だった。それにより一層好きになったので、被虐趣味ではなかったようだ。
 そして最近ではその中でも俺に対して親しさを滲ませてくれるのが喜びだった。少しずつ二人の間の距離が縮まっているのだと体感出来る。
「……あまり寝てないんですか?」
 上総さんは朝から溌剌としているような人ではない、むしろ大人しく活発さはそう見られない人なのだが、今朝は妙に気怠そうだ。
 目の下にもうっすらと隈がある。
「ええ、まあ……」
 上総さんは曖昧に返事をしながらキッチンに戻る。味噌汁の香りが漂ってくるので今日は和食なのだろう。テーブルの上にはホッケがすでに並べられている。
 重そうな身体に睡眠不足が上総さんの身体に良くない影響を及ぼしているのは明白だ。これが続くようならば体調も崩してしまうだろう。
 いや、今夜ゆっくり眠れないだけでも駄目かも知れない。この人は志摩さんを守るためにここ数日必死になって戦っていたのだ。心身共に疲弊していることだろう。
「……寝室を分けるのは俺としては出来るだけ避けたいのですが。上総さんがどうしても仰るなら」
 昨日は決して分けるものかと意地になっていたのだが。上総さんが眠れないというのならば致し方ない。上総さんの身体が優先されるのは当然のことだ。
 肉体関係を求めているなんて言い出した男との同衾は、やはり上総さんには受け入れられないものか。
(真っ当な人間ならば確かに回避したいものだろう)
 認めろと強制するほうが非道ではある。
 ここは自分が引き下がり、上総さんの中で何かしらの答えが出るまではじっとしておくべきか。
 そう苦渋の決断を下そうかと思っていると、上総さんは「それを言おうなどとは思っておらんよ」と穏やかな口調で言った。
「少し考え事をして、寝付けなかっただけじゃ」
 これまで聞き流していた、見ているようで見ていなかった現実にようやく向き合ってくれるということだろうか。
 それは有り難いのだが、だからと言って警戒されるのは本意ではない。
「いきなり襲いかかったりはしません」
「おまえさんのこれまでの態度でそれは分かっておる。こちらの気持ちの問題じゃ」
 身の危険はないとは知りながらも悩む。きっと自分の態度をどうするかについてだろう。ちらりと俺を見てくる視線にも戸惑いが見える。
 そして意識していることが分かる。
(前進したと自己評価してもいいんだろうか)
 何せこの人にとって俺は嫁と旦那という名称は使っているけれどただの同居人でしかなかったのだ。同じ部屋の中で暮らしているただの他人。
 せいぜい利害が一致した、という程度の認識があったかどうかくらいだ。
 そんなか細く脆い繋がりに、上総さんは感情など込めなかったことだろう。どうせすぐに切れるだけ、そんな風に軽く思っていたはずだ。
(この人の中で俺の存在がどれだけ小さいものかを思い知らされた)
 志摩さんに勝てるなんて思っていない。出会ったばかりの状態で大切な妹に敵うわけがないのだ。けれど上総さんが離縁を申し出た時の強さと、あまりの決断の早さに愕然とさせられたのも事実だ。
 俺は思い上がっていた。
 一抹でも俺の好意は伝わっているだろうと。あれだけの態度を取ったのだから、多少は気にしてくれているだろうと勘違いしていたのだ。
(いや、夢を見ていたんだな)
 上総さんと良い関係になっていける。このままでも夫婦になれるはずだ。自然と熟していく果実のように、変わっていけるなんて夢を見ていた。
 滑稽なものだ。
「上総さんのどんな気持ちでも、俺は受け入れます」
 そう微笑みながら食卓について、我ながらよく言えたものだと思う。
 拒絶なんて最初から認めるつもりはないくせに。
 

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