美丈夫の嫁2 5





 ビジネスホテルでツインの部屋を一つ取り、ひとまずそこで二泊することにした。一泊では翌朝すぐに出て行かなければいけない。それでは気が休まる間もないだろうということで、一日余分に取ったのだ。
 久しぶりに志摩と二人でテレビを見て、くだらないバラエティに指を差して笑っていた。俺はホテルの近くにあった、有名な庶民派アパレルブランドで着替えを購入し、そのままコンビニでお菓子類を大量に買い込んで来た。それを食べながら時間も気にせずにだらだらと過ごす。
 お互いジュース片手にポテチを囓っているなんて、完全に実家の空気だった。母が不在なのもありがちだったので、たまに二人でこうして夜中までぐだぐだしていたものだ。
 自堕落で決して人に言えたような時間ではないのだが。無意味で、だからこそ気が抜けたその時間が俺は好きだった。何の気兼ねもなく本当にリラックス出来たものだ。
 蔭杜の家ではとてもではないがこんなことは出来ない。美丈夫と一緒に見るのはせいぜい朝のニュースくらい。バラエティなんて見るような人じゃないだろう。そもそも美丈夫は忙しい人であり、時間を取るのも申し訳なかった。
 それ以前に、親しくもない相手とさして目的もなくテレビを眺める。という行為自体俺には出来なかったのだ。息が詰まりそうだ。
(やっぱり釣り合っておらんな)
 いつも綺麗に整理整頓されて清潔な部屋。住人ではなくお手伝いさんが管理してくれる家。俺が何もせずともあの部屋は毎日当たり前の顔をしてそこにある。食事だって一言口にすれば明日からテーブルの上に三食用意されるはずだ。
 美丈夫にとってみればそれは日常で、彼は人に生活の雑事をさせることの出来る人間なのだ。
 俺は違う。自分のことは自分でしなければならなかった。誰も俺のことなんて世話してくれなかった。働かない、役に立たない俺に意味はないと、現実は容赦なく突き付けてきた。
 美丈夫とは育ちが違う。
(離縁は、した方がいい)
 志摩のことがなくともいずれは離縁という単語が向こうからやって来たことだろう。
 むしろ結婚しようとしていた、そのことからして抹消した方が良い。何もかも無かったことにするべきではないか。
 テレビを見ながら、頭の端ではそんなことを思っていた。
「志摩よ、寝んのか?」
 午前一時を迎えようかという時間になり、俺はふとポッキーを齧歯類のように前歯でぽりぽり砕いている妹に問うた。この時間にまだチョコ菓子を食べているこの子は、ダイエットなどには興味がないのだろう。
「まだ〜」
「女子大生が夜更かしで肌を荒らすなよ」
「荒れないわよ!たまのバイト休みなんだからいいの!それよりほら、お兄ちゃんの好きな人出てる」
 そう言って二本目のポッキーの先端をテレビ画面に向ける。そこには百キロを優に超えるだろう巨体の女のようなタレントが映っている。長い黒髪、カーテンを巻いているようなデザインの洋服。向かいに座っている若い男のアイドルがか細く見えるほどの体格差だ。そして喋ると分かるのだが、この女のように見えるタレント実は男である。
「好きな人と言われたらえらく語弊があるわい」
 こういう外見の人間が好みなのか。付き合いたいと思える相手なのか。と第三者が聞けば思ってしまいそうな発言は止めて貰いたい。
「デラックスじゃな〜」
 体型が。
 俺の倍以上あるだろう。本日も独特の毒舌を遺憾なく発揮しては結局は自分の感性故の発言だというニュアンスの言葉で纏めている。
 ずばずば物を言い過ぎだとは思うのだが、言っていることには割と共感出来るので見ていてると面白い。なのでこの人の出ている番組はつい見てしまうのだが、好きと言われると言葉に詰まる。
「この人ニューハーフかと思っていたけど、女装趣味で気持ちは男のままらしくて」
「へー」
「でも男として男が好きなんだって」
「……難しいな」
 精神が女になっているわけではないらしい。男のまま、だが女の恰好をしたがるのか。
(オカマで男好き?いや精神が男のままならオカマではないのじゃろうか?)
「女装癖のゲイ。という表現になるんじゃろうか」
「そうみたい。誉さんもゲイなんでしょう?」
「……いや、あの人は違うじゃろ」
 真顔でこの子はとんでもないことを言い出した。あの人がゲイだなんてどこからその発言が出てきたというのか。
 びっくりしていると、志摩の方がきょとんとした。
「そう?」
「俺は形式だけの嫁じゃからな」
 男が好きだから俺を嫁にしたわけではない。家の決まりで仕方なく男しか娶れなかった、その時にたまたま手近にいた適当な相手が俺だったというだけであり、男が好きなわけではない。
 本人に確認なぞ取っていないが元から男が好きなら、こういう時は喜々として自分の好きな人を嫁にするだろう。
 初対面の俺など選ばずとも。
「私はそうじゃないんじゃないかと思うよ」
「まさか」
 ゲイだと言いたげな志摩を俺は笑い飛ばした。そんなわけなかろう、と言いながら心の中で「ないよな?」と自分に問いかけていた。当然返答などなく、デラックスがテレビの中で「わかんないわよ〜?」と挑発するように喋っていた。



 翌日ビジネスホテルから志摩は怯えつつ大学に行った。今日の俺は仕事が休みだったので正門まで送ってあげたのだが、青ざめた子にいっそおまえも休めと言いたかった。
 だが本人は今日休めば明日はもっと行きたくなくなっている。怖い気持ちが膨らんでる。だから今日行かなきゃ駄目だと、勇気を振り絞っていた。
 もし男を見て駄目だ、視界に入れたくもない無理だと思ったら逃げるとも言っていた。
 その時はちゃんと迎えに行きたくて、俺は大学の近くにあるファーストフード店で待機していた。
 近くの本屋で品揃えを見ながら賃貸住宅の雑誌を購入してずっとそれを眺めていた。志摩と二人暮らしをする、その生活を頭の中で想像してはまずは引っ越し先の確保だと思ったのだ。
 値段と立地に唸り、どこに行っても実家暮らしよりずっと辛いものになるのは明白だった。ましてその上蔭杜に借りている志摩の学費も返さなければいけない。
 金銭面では問題だらけである。
 薄いコーヒーを飲みながら時間を潰していると、一限目を終えた志摩から電話があった。メールではなく電話であったことに、俺は腰を上げて通話を開始した。
 志摩が限界になり、大学から出てくると思った。昨日の泣き顔が思い出されては俺まで泣きたくなる。
 けれどいざ電話の向こうから聞こえて来た声は泣いてなどいなかった。
『あの男がいないの。退学した上に夜逃げしたって』
「は?」
『家も引っ越しして、海外に行くらしいの』
 耳を疑った。
 大学に男がいないのは良いことだ。退学したなんてまして吉報でありきっと美丈夫が手を回してくれたのだと喜ぶべきところだろう。
 だがそれに続けられた、夜逃げ、海外に行く、という話は突飛過ぎて理解するには少し時間がかかった。
(二十四時間以内に結果を出すと言っておった。じゃがまだ一晩しか経っておらんぞ)
 時間にして約十七時間。しかも夜中の時間を含めてなので人間が主に活動しているだろう時間帯のみで計算されるとそこから八時間ほどは引かれるだろう。
 美丈夫は九時間ほどであの男を大学どころか日本から撤退させることに成功したというのか。
『昨日の夜あいつの友達のところに電話がかかってきて、日本にいられなくなったって泣いてたらしいよ。まさかこんなことになるなんて思わなかった。やっちまったって。大学では犯罪でも犯したんじゃないかってもっぱらの噂』
「そりゃ、そうじゃろ」
 そんな電話を受けたら誰だって犯罪を犯した。もしくはそれに等しいことをやってしまったと思うに決まっている。
 美丈夫にとって志摩に接触した男は、犯罪者同然なのだろうか。
『これって誉さんのおかげだよね……』
「そうじゃろうな。良かったな、大学にそのまま通えるじゃろ」
『うん、良かった……かな?』
 疑問系になっているのは、きっとここまで早く、また完全に近い形で解決すると思っていなかったせいだろう。現実味が薄いというか、仕事の精度の高さに凡人は付いていけないのだ。
(ここまで来ると恐ろしいな)
 二十歳の男を怒らせただけで、こうなってしまうのだ。蔭杜にはそれだけの力がある。それを俺は突っぱねなければいけないのか。
『……これから、どうする?』
 志摩の質問に俺は言葉に迷った。どうするか。これからどうしたいのか。
 はっきりとした形がまだ出来ていない。
「一応ホテルは二泊で取っておる。海外に出ると言っても相手はまだ日本にいてこっちを恨んどるかも知れん。もう一日様子を見よう」
『そうだね。その後、お兄ちゃんはあそこに戻るの?』
「戻れるか、ぶちキレて当たり散らしたんじゃ」
 俺はとっさにそう苦笑いで答えた。蔭杜の当主の弟にあんな口を利いて、それでも平然と戻るような面の皮の厚さはない。
「それに、また似たようなことがあるかも知れん。おまえも二度とあんな思いはしとうないじゃろ」
 美丈夫がいくら迅速に対処してくれても、志摩が嫌な思い、怖い思いをしたことに変わりはない。傷は簡単に癒えたりはしないだろう。まして同じことがもう一度起こるかも知れないのに、のほほんと構えていろだなんて。俺だって無理だ。
『うん……』
 泣きじゃくった子は小さく答えている。
 そこには後ろめたさが滲んでいるようで、そんな気遣いをさせるために俺は蔭杜の嫁になると諦めたわけではなかったはずだ、と自問したくなった。
「俺もじゃ。振り回されとうない」
 おまえのせいじゃないと志摩に言い聞かせながら、俺は再び同じ席に腰を下ろした。
(穏便に終わらせられると良いのじゃが)
 嫁に来てくれと言われた時の、美丈夫の視線を今更思い出す。真剣で痛いくらいに突き刺さってくるあの強さと真っ向から戦えるだろうか。
 むしろあの顔面を前にして俺はどれだけ頑張れるのだろう。
 志摩のほっとしたような声を聞いてようやく、かなり遅れて俺はあの美丈夫と対決するのだという現実が見えて血の気が引いた。

   

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