美丈夫の嫁11 6





 我も我もと手を上げる中「大事にするな」という美丈夫の父の一言に環さんは明らかにむっとした。
「お父さんが出たって大事になるじゃない」
「俺はいいんだよ。あの人とはいつか話をする羽目になるんだから。今でも後でも大差無い」
「だったら私だって」
「おまえの出番はまだ後だ」
 まだ早いと制されて環さんは不満顔になるが、それでも引き下がった。大事になるのを避けたのか、それとも必ず自分の出番が来ると知っているからか。
 親子の間で交わされている言外のやりとりが、俺にはさっぱり掴めない。
(俺の知らないことが山ほどある)
 蔭杜の事情には首を突っ込まないようにしてきた。なので知らなくて当たり前ではあるのだが、そろそろ知らぬ顔で蚊帳の外というわけにはいかなくなってきたかも知れない。
 まして志摩が本当に栄さんと結婚するならば、蔭杜本家とは戸籍上でも近しい親戚になる。
(俺と美丈夫のように、蔭杜の中で曖昧に通用しているような関係ではない)
 そう思えば、栄さんの母親の態度に胃が痛くなってくる。
 来客が全員帰り美丈夫と二人きりになると、嵐が過ぎ去ったように静けさが戻ってくる。志摩が来てから一時間も経っていない間の出来事なのだが、どっと疲れてはソファに座り込む。
 飲みきっていなかったアイスティーはすっかりぬるくなってしまっている。それでも喉を湿らせたくてグラスに口を付けた。
 ぬるくなっても香りは変わらない。肩から力が抜けては少しばかり心が凪いだ。
「……栄さんのお母さんは、どのようなお人じゃ?」
 美丈夫は俺の隣に腰掛けてはテーブルに視線を落とした。
「そうですね……この流れで聞けば違和感があるかも知れませんが、叔母は優しい人です。昔から俺たち姉弟のことを気に懸けてくれた。病弱な姉の世話も嫌な顔一つせずに引き受けてくれて。母親より母親らしいところがある人でした」
 美丈夫の言う通り、俺にとってはそれは意外だった。
 蔭杜に捕らわれていると聞いていたので、かつて病弱で命の危機があった環さんに対しては冷淡ではないかと勝手に思っていた。蔭杜を守るために、環さんがいなくなった後のことばかり気にしていたのではないかと。そういう親戚に悩まされていたと美丈夫から幾度か聞いていたせいか、つい良くない想像が先行してしまっていた。
「俺は栄とは同い年ですから、叔母家にお邪魔することも多々ありましたし。姉よりも更に世話になっていましたが、叔母に対して嫌な気持ちはあまり抱いたことがありません。自分の母親が酷い女だったせいで余計にそう思うのかも知れませんが、子どもを思う母親の姿をイメージした際に思い浮かぶのは叔母です」
「……栄さんにとっても、優しい母親であると?」
「そう見えました。行儀作法には厳しいようでしたが、それ以外に関してはあまり口うるさい母親でもないようでした」
「これまでにも栄さんに彼女がいたことはあったのだろう?その時もスルーしておったのか?」
「していました。彼女がいるという話をしたこともありました。ですが叔母は反対するどころか、そういう年になったのかと笑っていたそうです」
「しかし今回は口出しをしてきた」
 志摩が栄さんにとって特別な存在になっている、そう察した途端に過剰なまでに反応を示した。
(やはり結婚を意識したのがネックなのか)
 美丈夫は腕を組んでは目を閉じた。眉間には皺が寄り、苦悩がはっきりと滲み出ていた。
 俺がすれば見苦しい容姿になるだろうに、美丈夫がそうしているとアンニュイな雰囲気が醸し出されて絵になる。悩める姿すら魅力的に映るなんて、これが最上級の男前の在り方か。
 精悍な横顔を眺めていると、美丈夫は決断が出来たらしい。
「これは親戚たちならば知っていることなのですが、叔母は不義の子なのです」
「は?」
 美丈夫に見入っていると、思わぬ爆弾が落ちてきた。耳馴染みがないそれに唖然としている俺に、美丈夫は言葉を続ける。
「祖母と夫ではない相手との間に出来た子です。相手も判明しています。祖母の従兄弟です」
「いや、じゃが……父親が違うと何故分かる」
 母親が違うならば明らかだが、父親が違うというのは、明確に判明するようなものでもないだろう。当時はまだDNA鑑定もメジャーではなかったはずだが。
「祖母がそう口にしたからです。夫である祖父も認めました。おそらく夫婦はそういう状態だったのでしょう。以前から夫婦仲は破綻しているようなものだったそうです」
「あぁ……なるほど。いやしかし、不義の子とは……叔母さんはそのまま血の繋がらぬ父親と暮らしたのか?それとも実の父親に引き取られた?」
「実の父親はその後すぐに亡くなっています。それに祖母は叔母を手放すつもりは毛頭なかったようです。叔母は本家で育てられました。不義の子と誰もが知ってる環境で」
「良い環境とは言えぬな……それが叔母さんに良くない影響を?」
「影響はあったでしょう。母は性根の腐ったような人間ですから、妹に辛く当たったようです。父親はやはり実の娘と同様にというわけにはいかなかったみたいですね。それでも母よりずっと大人しく、親戚のおじさん程度の関わりはしていたそうです」
「肝心の、叔母さんの母親は?」
「叔母を可愛がっていたようです。それが姉妹の間に溝を作りました。そして祖父に、次の当主は叔母になるのではないかという疑惑を抱かせた。祖母はそんなつもりはないと言っていたそうですが、祖父は信じられなかった。だから叔母が高校を卒業した直後、嫁がせた」
「家から追い出した、ということか」
「そうです。本家から出してしまえば当主にはなれない。少なくとも、母が生きている間は」
「その境遇で本家とは関わりを断とう、蔭杜など捨ててしまおうとは思わなかったんじゃな」
 俺ならばそんな扱いをされれば、嫁いだ時点で実家など忘れてしまいそうなものだが。縁を切るとまではいかないかも知れないが、守りたいような場所ではないだろう。
「叔母は、当主に何かあった場合はおまえが当主になるように、と言われて育てられたそうです。言い方は悪いですが、スペアとしての役割を担っていたのでしょう。母は出来が悪かったので、いっそ叔母を当主にすればどうだ、その方が安泰ではないかと言う親戚もいたそうです。だからこそ祖父は急いで叔母を嫁がせたようですが」
「スペア……」
 そこまでするのか、というのが正直な感想だった。
 当主というのはそこまで準備されなければいけないほど、重大なのか。子どもの気持ちを考えて、のびのび育ててやるという気持ちはないのか。
 不義の子という周囲の視線だけでも痛ましいものがあるのに、スペア扱いというのは、人情とは隔たりのあるやり方ではないか。
「当主に何かあった時のため、そのための自分。そんな意識が叔母には根付いているようです。姉の体調が安定して、無事当主の座に着いた際には肩の荷が下りたと言ってました。母が当主だった頃は何をしでかすのか分からなかったからと」
(どんな母親だったのか……)
 美丈夫の母の人柄が気になるけれど、容易に触れられる話題ではない。それだけの棘を含んだ話を今まさにされている。
(しかし生まれ育った環境が特殊過ぎるな)
 叔母はおそらく気の毒な人なのだろう。けれどだからといって志摩の恋愛を断ち切られるのに、黙っているわけにはいかない。
「しかし肩の荷が下りたのならば、本家とは距離を置いたのでは?なのに蔭杜という言葉を出して自分の息子の交際、結婚を阻止するのは奇妙じゃが?」
「当主になるかも知れない。その教育が叔母にどのような影響を未だに残しているのかは、俺にも分かりません。自分の息子を縛り付けるような予兆は、それまでなかったと思うんですが」
「仮に志摩が結婚相手として相応しくないと思っているとすれば、結婚相手はすでに目星を付けているのでは?」
 どのような女性ならば良いのか基準を定めているならば、それに見合う相手をすでに探している可能性は高いのではないか。
「見合いならあちこちから来ているかも知れませんが。叔母が見合いを強制したこともなければ、勧めたこともないと思います。見合いの話ならば最近栄としたばかりです」
 見合いの話をする二十一歳たち。育ちが違うとこういう時にも思わせられる。
(この人たちにとって結婚はそう遠いものでもなかったのかも知れない)
 そもそも美丈夫は二十歳で俺を嫁にすると宣言したような男だ。
「叔母が何を思っているのかは、会ってみなければおそらく分かりません」
「そうじゃろうな……ところで、実際に同席するのは誰なんじゃ?まさか本気で遠足をするつもりではなかろうな」
 俺の問いかけに美丈夫は言葉を濁した。



 料亭を指定されたと志摩から聞かされた時に、俺は深く溜息をついた。料亭、おそらくその上に高級も付くと思われる店は俺たちには無縁の場所だ。
 しかし大切な話をする際、蔭杜の人々はそういう店で行うのかも知れない。現に美丈夫はその料亭を知っていた。訪れたことがあるらしい。
 暗黙の了解としてドレスコードが発生しているはずだ。ただでさえ緊張しているのにスーツという堅苦しさも伴うわけだ。
 憂鬱になる要素は山ほどある。けれど俺が欠席するわけにはいかない。志摩の心境を思えば断崖絶壁に立たされるよりも嫌だろう。
 美丈夫はすっかり乗り込む気合い十分のようで、父と相談をしている節がある。詳しい話は俺にはしないが、あの親子は何やら栄さんの母親に言いたいことを抱えているのかも知れない。
『栄さんは来られないって。近々入院する予定のおじいちゃんに会いたいって言われたみたい。病状はあんまり良くないみたいで、もしも最後になったらと思うと断れないって言われた。勿論そういう理由なら、会ってあげて欲しいって私もお願いしておいた』
 こちらも志摩と栄さんの母親とどう対決するか、電話で作戦を練っていた。息子である栄さんを同席させないと言っていたけれど、物理的な距離を作って本気で息子を遠ざけるつもりらしい。
「そうじゃな。それならばおじいちゃんを優先するのが当然じゃろう」
 そんな状態の祖父に会いたいと言われれば断れるわけがない。たとえ母親と彼女が対面する日であったとしても、最後をほのめかされると大半の物事は後回しだ。
『その日はおじいちゃんが住んでいる地元でお祭りがあるんだって。それを栄さんと見に行きたいそうだよ。子どもの頃にそうしておじいちゃんと一緒にお祭りに行ったのが、栄さんにとっても思い出だって言ってた』
「お祭りは一日だけか?」
『そうみたい。だからこそ、どうしても当日は一緒にいられない。ごめんだって。私は大丈夫だからって返事しておいた』
(祭りの日は、一日。その日だけ。栄さんの母親と会う約束の日を決めたのはこちら側だ。なのにピンポイントでその日が祭りで、祖父に会いに行くのはその日に限定されている)
 その事情では栄さんはどれほど志摩に会いたくても来られないだろう。志摩も来るべきではないと栄さんに伝えるはずだ。
 当初の予定ならば、志摩と栄さんの母親、二人きりでの対面だ。志摩に勝ち目はなかっただろう。俺が増えたところでおそらく些末な変化だ。
 戦力として役立たずなのは自他とも察せられるはずだ。
(しかしこちらも、そう簡単には主導権を渡さない布陣になった)
 美丈夫が加わり、そして。
「さあ行こうか、上総さん」
 美丈夫の父が裏門で俺たちを待っていてくれた。シャツに黒のスラックスというシンプルな服装は素材の良さが引き立つ。美丈夫の父なだけはあり、背が高く上背はがっしりとした体躯をしている。
 髪はオールバックにしておりよく似合うのだが。一歩間違えばその筋の人かも知れないと思う雰囲気は、美丈夫とは少し異なっていた。
 まして黒塗りの車が準備されている。物腰の柔らかな年配の運転手さんがいなければ、物々しい雰囲気が漂っていただろう。
「あの、環さんは?」
「留守番だよ。遠足じゃないんだ。そんな愉快な話でもない」
 生憎と、と言う美丈夫の父はすでにこれから起こる展開の予想が付いているかのようだった。




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