美丈夫の嫁11 5





電話を終えた志摩を恨みがましい目で見てしまうのは、致し方ないことだったはずだ。
 志摩も後ろめたさがあるのか、目を合わせようとしない。
「俺を巻き込んだな」
「お兄ちゃんとも話がしたかったって言ってたじゃん……」
「わざわざを時間を作るほどでもなかった様子じゃろうが!二人揃って説教でもされるのか」
 身の程知らずと罵られる予想図が頭を過る。
 俺は国朋さんからすでに言われた経験があり、言い返せはしない。美丈夫の嫁など実際に身の程知らずだ。けれど志摩がそう言われた時に頭を下げられるのか。
(……反対なぞ、俺はしたくはない)
 二人が結婚を視野に入れているというのならば、好きにすれば良いと思う。それぞれの人生だ。伴侶を誰にするのか、自由に選ぶ権利がある。
 栄さんとは少ししか接していないけれど、誠実そうな人だ。志摩もそう語っている。ならば伴侶にするな、などと言う道理もない。
 そこに姑というものが付いて来て、世間では評価が引っくり返る場合も多々あるようだが。結婚は本人がするものだ。
「……付き合うのに、反対はしていないと言っていたな」
 恋人として志摩を認めない。別れろと迫るならば話し合いの場を求めるのは分かる。けれど別れて欲しいわけではないと、はっきり言っていた。
 栄さんと付き合うために、知っておいて欲しいこと。
 何かしらの深刻な事情があるのか。
「栄さんは恋人に条件や、求めなければいけない何かがあるなんて話はしておったか?」
「聞いたことない。もしそんなものがあれば、少しはぴんとくるはずだし、覚悟もしてる。でも何も聞いてないし、知らないから。余計にびっくりしてる」
 それでは栄さんは知らず、母親だけが知っているような何かなのか。不穏な予感を感じる。
「……栄さんのお母さんと俺まで対面するなんて、それこそ両家の顔合わせみたいじゃな」
「絶対そんなウェルカムな雰囲気じゃないって!別れろって言われなくても、とんでもない条件付けられたり、制限されたりするって!そんな感じの雰囲気だった!」
 確かに歓迎しているような印象ではなかった。
 優しそうではあったけれど、明らかに高い壁がそびえ立っていた。俺たちを寄せ付けまいとするそれは、会った際にどんな形として俺たちに向けられるのだろう。
「両家の顔合わせというなら、俺も同席させて頂きます」
「おまえさん……」
 いつの間にか美丈夫が戻って来ていた。俺と志摩の会話を聞いていたらしい美丈夫はそう宣言しては笑んだ。
 それは柔らかさのない、挑発的なものだった。
 俺たちではない、別の誰か、そうおそらく栄さんの母親に対してのものだろう。それだけ美丈夫は栄さんの母親に、何かしらの含みがあるようだ。
「志摩さんの大切なお話に、お兄さんである上総さんが同席されるなら。上総さんの夫である俺がいてもおかしくはないでしょう。身内なのですから」
「いや、まだ」
「なら俺も同席させて貰う!」
 おまえさんとは籍が入っておらんが。という俺のいつも通りの一言を述べる前に、思わぬ声が部屋に響いた。
 はっと玄関に続く廊下を見ると、美丈夫の背後からゆったりと姿が現れる。
「誉が夫として同席するなら、俺は義理の親として同席する!なあに、いずれ志摩さんは義理の娘になるようなものだ。俺が出ていってもおかしくない!」
 美丈夫の父が、斜め上にカッ飛んだ持論を繰り広げながら輪に加わる。
 海外を飛び回っているはずの人物が唐突に出てきたことに、俺はぽかんと口を開けて固まった。連絡を取るのも難しい状況がざらである彼が、何故ここにいるのか。
「父さんまでしゃしゃり出てくることないだろ!」
「それを言うならおまえがしゃしゃり出てくることはないだろう。義理の兄なぞ、他人みたいなもんだ」
「父さんはもっと他人だろうが!」
「あの、いつお帰りに?」
 親子の言い合いの隙間を見付けては、そう問いかける。
 すると美丈夫の父は思い出したように「おお、ただいま」と溌剌とした笑顔を見せてくる。
 アロハシャツを着ているので南国にいたのか。国内とすれば沖縄か。
 それにしてもいつもラフな、言い換えれば個性的な服装をされている。
「帰ってきたのは十五分ほど前だ。帰ってきた途端に環と誉が何やら真剣に話し込んでいるから何事かと思ったら、栄が志摩さんと結婚したがってるそうじゃないか」
 なあ、と話を振られた志摩は硬直したまま「はいっ」と返事をする。声が裏返った上に、結婚という単語に恥ずかしそうに胸の前で両手を握った。
「おめでたい話だと思ったんだが、まだ若いしなぁ。結婚はちょっと早いだろうと思ったんだ。そうしたら栄のお母さんに知られたからだって?」
「はい……」
「あの人が動いたんだろう?顔合わせなんて、何を言うつもりなんだか」
 肩をすくめた美丈夫の父は息子を見ては「どう思う?」と話を振る。
 それに美丈夫は僅かに目を細めた。狙撃者が狙いを定めるような険しさに、彼らの中で栄さんの母親がどんな人物と思われているのか察しが付く。
「栄の妻には相応しくない。身を引いてくれということでしょう」
「ですが、交際には反対しない。別れてくれと言うつもりはないそうですが」
 俺が電話の内容に言及すると、美丈夫の父は「そりゃそうさ」と軽く肯定した。そして口角を上げる。
「交際なんて、遊びみたいなもんだ。妻になるわけじゃない。どんな女、男と付き合っても結婚なんてさせるつもりはないんだ」
「いえ、ですが恋人と結婚するというのは、何らおかしくない進展だと思いますが」
 恋人になって、関係を深めていけば結婚という選択肢を意識する人は珍しくないだろう。栄さんもそうだったからこそ、今回結婚なんて単語を口に出したのだ。
(まあ、展開が早すぎるとは思ったけど)
「あの人にとっては、交際と結婚は別物なんだよ。誰と付き合ってても、結婚するなら別の人間をあてがわれる。それが当たり前みたいな環境だったんだ」
「あてがわれるって」
「政略結婚みたいだと思うだろう。そうなんだよ。ここはそういう家なんだ。例外は当主くらいのもんだな。環も国朋君とは恋愛結婚に近い」
(近い……断定はしないのか)
 二人の馴れ初めは聞いたことがない。けれど環さんに対する国朋さんの態度は、完全に惚れきっている人のものであり。夫婦仲は端から見ていても実に円満だ。だから恋愛結婚だと思い込んでいた。
(この家は、やはり変わっておる)
 庶民の感覚は通用しないと思っていたが、結婚に関しては時代すらも遡っているのではないだろうか。
「君だってそうだろう。直系の息子が家に残るためには男の嫁を貰わなければいけない。その掟に従いこの家に来た」
「それは……そうです」
 美丈夫の計画のためにこの家に招き入れられた。
 張りぼての嫁だ、蔭杜の傍系で立場上抗えないだろうと踏んだ上でたまたま選ばれた。そんな風に俺自身が後ろ向きに判断していた。
 いや、おそらく俺を選んだことに恋愛的な意味合いがあると知っていたのは美丈夫だけだ。他の誰も、そんな思惑には気が付かなかった。
「彼女もそうだ。周囲が決めた相手と結婚した」
「……他に結婚したい相手がいたとか、結婚相手が嫌いだったとか。そういう理由があるのでしょうか。だから恋愛結婚自体に抵抗感があるとか?」
「彼女はあてがわれた相手と唯々諾々と結婚したが、夫婦仲が悪いとは聞いてないな」
「栄からも両親の不仲は聞いていません。むしろ夫婦喧嘩もほとんどしないほど、関係は良好のようです」
 幼馴染みで親しい友人でもある美丈夫がそう言うならば、家庭環境は穏やかなものなのだろう。
「でも人の心の内は分からないものだと思います。密かに付き合っている人がいたとか。好きな人がいたけど、諦めて結婚したとか。周囲の重圧に負けたとか」
「志摩さんが言うような可能性もあるだろう。だが俺は彼女は蔭杜という家がこれまでそうして結婚を使って繁栄してきたからだと思っている。しきたり、掟に近いそれを盲目的に守ろうとしているんじゃないかとね」
「栄さんのお母さんが?失礼ですが、嫁がれた方、ですよね。外に出れば直系に口を出せなくなる。だから誉さんは男の嫁を貰ったのでは?」
 蔭杜に拘泥するには中心から少しばかりずれているのではないか。それとも蔭杜の直系に近しい者が結婚するには相手をあてがわれる形になるのか。
 そこまで影響力を持つとして、一体誰が栄さんに結婚相手をあてがおうとするのか。当主なのか。しかし当主の弟は志摩と栄さんを歓迎しているようだった。
 その父親も同様だ。
 では栄さんの母親が息子に誰かをあてがうのか。当主も望んでいないのに、蔭杜の掟と言って。
「外に嫁いでも、彼女は蔭杜の掟を守ろうとするのさ。そういう人なんだ。だが栄と志摩さんの結婚を阻止されるのは、ちっとばかり、まあ困る」
 そうだろう、と美丈夫の父は息子を横目で見やる。息子は大きく頷いた。
「そういうことなら、俺だって彼女に言いたいことがある。だから同席させて欲しい。君たち二人ではおそらく一方的に責められてばかりだ。誉がいてもちゃんと力になれるかどうか不安だしなぁ」
「俺はちゃんとやれる」
「いやいや、彼女はなかなかのもんだよ。なにせ、先代の妹なんだから」
(先代、環さん、美丈夫のお母さんか)
 姉弟が子どもの頃に亡くなったという母親に対して、美丈夫は苦虫を噛み潰したような顔をする。それは触れてくれるなとすら言っているようだった。
 現に美丈夫も環さんも、自分の母親についてはあまり語らない上に、良い印象を持っているとは思いがたい。
「さて、顔合わせをするならいつにする?俺は来週には日本を発つ予定だから、早めがいいんだが」
「私も顔合わせに出る!」
 新しい声が玄関から飛んでくる。ドアが開いた音も聞こえなかったので、驚いてそちらを見ると今度は環さんとその一歩後ろに國朋さんが来る。
「ドアが開けっぱなしだったわ!だから話も聞こえていてよ!」
「すまんすまん。まあ、いいじゃないか。敷地内なんだし」
 美丈夫の父が開けっぱなしにしていたらしい。そういえば美丈夫の父がここに来た時もドアの開閉音なんて聞こえなかった。
 次々人が訪れて、六人にもなるとリビングが窮屈になってくる。まして國朋さんはかなり憂鬱そうな様子だ。環さんが来たから渋々付いて来た、関わりたくなかったのに、という気持ちが全身から溢れ出している。
「お父さんが出るなら私も出る!上総さんの義理の父親が出るなら、義理の姉が出てもいいじゃない!」
 ね!と環さんは隣にいる國朋さんに同意を求めている。環さんの言うことならば素直に聞き入れる國朋さんは「はい」と頷いてから、何かに気が付いたように溜息をついた。
「國朋君、手を上げなくていい。環が行くなら自分も出るか、なんて血迷わなくていい。君は環に甘すぎる。遠足じゃないんだぞ」
「でもお父さん。大人数で押しかけたら叔母様はきっとびっくりするわ。さすがに動じるでしょうね」
 悪戯っ子のようにそう目を輝かせる娘に、父は顎をさすっては「そりゃあな」なんてまんざらでもない返事をする。
 それでいいのか、という突っ込みが喉元まで迫り上がる。良くないだろう、と誰か言ってくれないか。俺の言うことなど流されそうで、他に助けを求めるが美丈夫は父と姉の作戦を真面目に聞いている。志摩は似たような顔で俺を見ている、確実に誰かに助けを求めている。
 最後に残った國朋さんは、環さんしか見ていなかった。
(甘すぎる)
 夫婦仲の良さを思い知らされただけだった。




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