美丈夫の嫁11 4





 蔭杜に捕らわれている。
 不吉としか思えない一言が重みを伴いながら部屋に残される。志摩は不安でいっぱいだという様子で、クッキーを囓っていた。
 迷っているのが、訊かずとも分かる。けれど黙って見守っていられるような話でもない。
「結婚して欲しいと言われて、どうするつもりじゃ」
 ここに来た一番の相談はそれだろう。
 玄関を開けた際には、プロポーズをされた!と驚きや戸惑いと共に嬉しさを滲ませて浮き足立っていたようだが。そんな明るい雰囲気は完全に消え去っている。
 無理もないだろう。美丈夫のあの変わりようを見れば、誰だって良くない予感を抱く。
「どうしよう……結婚なんて、考えてなかった」
「そうじゃろうな。二十一で結婚は早かろう」
 大学生である内に結婚を意識する人はかなり珍しいのではないだろうか。それこそ最初から学生結婚を計画している人くらいだろう。
 降って湧いたように突然結婚しようとプロポーズされるなんて。まして彼らは肉体関係もまだないらしいのだ。
「けじめ、覚悟のつもりなのかも知れんが。そう思えば、栄さんのお母さんに知られたというのがそれほどに重大な問題だということじゃろう」
「……知られたくなかったのかな」
 隠していた可能性はあるだろう。栄さんのお母さんは驚いていたと言っていた。息子のキスシーンを見せられれば驚きもするだろうが、その後栄さんは恥ずかしがったわけでもなく、唐突のプロポーズだ。
(交際を見られた途端に結婚を決めるなぞ、並大抵の判断ではない)
 これから起こりうる何かを予感して、先手を打ったかのようだ。
「せめてお母さんにどう思われておるのか。何か問題が起こりそうなのか。それくらいは説明して欲しいものじゃな」
「そうよ。じゃないと、いいも悪いもないと思うのよね」
「嫁姑の関係は泥沼だと聞くからな」
 仲良くするのが難しい関係の一つとして有名だろう。
 志摩は憂鬱そうに溜息をついている。
「うちは、そんなのなかったもんね」
「二親とも死んでおるからな」
 父方も母方も、祖父母は亡くなっている。なのでうちは嫁姑の修羅場などいうものは最初からなかった。
 しかし近所、知人から漏れ聞くそれらは、なかなかに壮絶なものも含まれていた。理解し合えない関係がこの世にはあるものだと、そう思うには十分過ぎた。
「お兄ちゃんにはお舅さんはいるでしょう?」
「いらっしゃるが、海外を飛び回っていてあまり家にはおられん。おられても、気の良い人じゃからな。いびるようなお人でもない」
 大らかで明るく、何でも笑い飛ばしてくれるような人だ。一方で底知れない部分があって俺は少し苦手ではあるのだが、嫁をいびるようなタイプではない。
 もし要らないと思えば、その場で切り捨てられる。ねちねちいびるなどいう面倒で時間がかかるような真似はしないはずだ。
(国朋さんの方が、舅に近いような印象じゃがな)
 自分の一存で俺の処遇を決めることが出来ない、追い出せない立場にいる国朋さんの方が、鬱憤を溜めているようだった。母屋に行くことは滅多にないのだが、たまに出会すと嫌みの集中砲火に遭う。
 気持ちは分かるので黙って聞いているのだが、その態度もまた気に入らないようだった。
 俺にどうしろと?と思うのだが。出ていく以外、あの人は納得しないだろう。
「そう思うと、お兄ちゃんは恵まれてる方なのかな」
「性別と状況に疑問が多数発生しておるが。まあ、そういう見方も出来るかも知れんな」
 美丈夫とも仲良く暮らしている上に、金銭に不安はなく、本に囲まれた生活を送っているので、穏やかな日々ではあるだろう。
 同じものを志摩が得られるかどうかは、雲行きが怪しい。
「栄さんのお母さんがどんなお人なのか、それによるじゃろうな」
「……やっぱり栄さんに訊くしかないよね」
「そうじゃろうな」
 周囲の意見を聞こうにも、最も聞きやすい相手である美丈夫は質問を避けるように出ていった。他には環さんも従兄弟なので知ってはいるだろうが。気軽にほいほい訊きに行ける相手ではない。それこそ国朋さんに何を言われるのか分かったものではない。
 そもそも環さんに会うのを阻止される可能性もある。あまり得策ではないだろう。
 志摩はスマートフォンを手に取る。彼氏なのだから電話を掛けようと思えばすぐに連絡先は出るはずだ。
 けれどその指は動かない。揺れ動く気持ちが手に取るように分かった。
 急かしはしない。それどころかそのままスマートフォンをテーブルに戻しても構わなかった。
(大体、この年の子に結婚を迫ること自体無茶じゃろう)
 まして相手は同い年の男だ。将来設計がきちんと出来ているとは到底言えない。
 突発的なプロポーズに、自然と苦みが込み上げてくる。
「わっ、あ!」
 志摩が握っていたスマートフォンが突然鳴り始める。
 沈黙を破った相手の名前が画面に表示されたはずだ。しかし志摩はすぐには取らずに、固まった。
「栄さんか」
「そう……」
 鳴り続けるスマートフォンは、渡りに船だったはずだ。けれど腹をくくる準備を急かされたようなものでもある。
 志摩は大きく深呼吸をする。そして表情を引き締めて、画面をタップした。
「もしもし」
 緊張がはっきりと出ている固い声音だった。結婚に関わる話をするのだ、そりゃあ緊張もしてしまうだろう。
 志摩は一拍後、瞠目しては完全に硬直した。
(どうした?)
 あまりの驚きっぷりに、栄さんから何を言われたのか気になった。もしかして結婚は撤回されたのだろうか。
 人の心を弄びやがって!と志摩が怒り出すかと思った。
 もしくは結婚は本気だったと熱烈に口説き始めたので、面食らってしまったか。
 どちらだろうと息を呑んで志摩の反応を観察していると。志摩は何故かスマートフォンを耳から離した。
『貴方とお話がしたいと思って』
 そう語ったのは、女性の声だった。
 は?と口から出そうだった。けれどスピーカー状態になっているスマートフォンに、無意識に口を手で覆っていた。
 志摩は何故こんなにも驚いたのか、理解しては顔を見合わせる。
 栄さんのスマートフォンで電話をかけてくる女性、しかも話がしたいと志摩に告げる相手など、一人しか思い付かなかった。
(もしかして栄さんの、母親か)
 その予想を読んだのだろう。志摩が唇を大きく動かした。
 お母さん。と口パクで伝えられて気が遠くなった。
『お時間を頂けますか?ご都合の良い日を教えて欲しいのだけれど』
 声音は柔和で始終優しい口調だ。悪い印象を与えないように意識されている話し方だった。他愛のない世間話をしているならば、優しそうな人だと思っただろう。
 けれどその声が紡ぐ内容が、俺に恐怖に近い感情を抱かせる。
「……お話し合いに、栄さんは、来られますよね?」
 強張った声で志摩が尋ねる。まさか母親と彼女の二人だけで、タイマン勝負のように話をするつもりではないだろう。
 そう一縷の望みを掛けた。
『いえ、栄は来させません。あの子には冷静になって貰います。貴方と向き合っているときっとあの子は目が曇ってしまう。だから貴方からも、あの子を説得して欲しいのです。そのためにまず、貴方に私たちのこと、蔭杜のことを知って欲しい』
 冷静さを失っている。目が曇っている。
 息子のことをそう断言する母親は、確実に志摩と息子の結婚など許していない。それどころか志摩から辞退しろと迫るつもりだろう。
 そして身を引くと栄さんに告げては、栄さんを諦めさせろと求めてくるに違いない。
(なんて残酷な)
 惹かれ合っている恋人たちを、そんな易々と引き裂こうとするなんて。初々しい関係を大切にしながら、じりじりと距離を詰めていく彼らを知っているだけに、そう簡単に気持ちを切り捨てろと言っている栄さんの母親がかんに障る。
「別れろと。そう仰るんですね」
 志摩も緊張より怒りが込み上げてきたらしい。眦を釣り上げては、滑らかに喋っている。
『そんなことは申しておりません。あの子にも交際に反対するつもりはないと伝えています。これは勘違いしないで下さい』
「ですが目が曇っていると仰いましたよね。私では釣り合わないと、そう思っておられるからでしょう」
 怒気を込めながら饒舌になっていく志摩は、完全に頭に血が上っているようだった。このままヒートアップしていけば暴言を繰り出すのではないだろうか。
『違います。貴方は勘違いをなさっている。私はあの子が誰とお付き合いをしていても良いと思っています。けれど貴方は栄にとっては特別な人のように思えたので、私たちのことを知って欲しいのです。そのために、一度貴方にお会いしたい』
「誰と付き合ってもいいと、本気で思っているんですか?」
『思っています。そこまで母親が口出しをすることではありません。ですが将来を見据えるつもりがあるなら貴方とお話がしたい』
 切々と訴えるような言い方だ。
 高圧的な態度に出るわけでも、恫喝する様子もない。かといって状況を悲観しているような雰囲気も漂っておらず、本当にただ会って話がしたいかのように説得してくる。
(そんなわけがないだろう)
 この早さで、栄さんのスマートフォンで電話をかけてきたのだ。確実に志摩が捕まる方法で、速攻で対処を取らなければならなかった。それが重要な何かを含んでいないわけがない。
「……分かりました。ですが一つお願いがあります」
『何でしょう?』
「その話し合いの場に、兄も同席させていいですか?」
(俺!?どうして俺が!?)
 首だけでなく手も激しく左右に振っては辞退をアピールするのだが。志摩はそんな俺をガン見しながら「お願いします」ともう一押ししていた。
 死なば諸共とでも思っているのか。それとも俺を壁にして、栄さんの母親と対戦するつもりなのか。どちらにせよ、俺を間に挟んだところで大した役にも立たない。
『分かりました。私もお兄様には一度お話ししたいと思っておりました』
 うわぁ……と声が漏れそうだった。
 邪魔者だと排除されるどころか、俺もターゲットに入っていたのか。
 血の気が引く俺とは反対に、志摩はほっとしたようだった。
(俺が増えたところで何一つ戦力にはならない!)
 これまで蔭杜の関係者に何を言われたところで、さして反論もしてこなかった。俺が反発したのは美丈夫に対してだけだ。
 第一、俺に何を言うのか。美丈夫の嫁に相応しくないという話か。そんな話はもっと早く、顔合わせの時にでも熱烈にして欲しかった。ここまで来ると手遅れだ。
 会いたくない!と口パクで切望する俺を無視して、志摩は淡々といつどこで会うのかという話を詰めていく。
 腹をくくったらしい志摩にスケジュールを勝手に組まれて、俺は無力感で天井を仰いだ。




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