美丈夫の嫁10 3





「叶は母の弟の息子です。年は俺の一つ上」
 一つ違いとなれば顔立ちだけでなく背格好が似通っているのも無理はない。
 よほど優秀な遺伝子が当主の血筋に含まれているのだろう。
「叔父は、身内が言うのも何ですが、最低な男でした。子どもの頃から傍若無人だったそうで、何でも自分が一番でなければ気が済まなかったと聞きました。当主である母を妬み、姉弟仲はあまり良くなかったようです。祖母は末っ子長男である叔父を可愛がって、甘やかしていたらしく、それが叔父の我が儘を増長させた」
 苦々しい、甥である美丈夫の横顔はそう語っていた。
「人を見下し、馬鹿にして、気に入らないと暴れる。お手伝いさんたちの中には大怪我をさせられた人もいたそうです。大人になると金遣いが荒くなり、ギャンブルにも手を出して、蔭杜の金を湯水のように使った。最も酷かったのは女癖だそうです。結婚詐欺のような真似も繰り返した」
 これほど悪いところを次々と羅列されることは珍しいだろう、と思うくらいに美丈夫の叔父は最悪な男だったらしい。
 本家の姉弟は資産家であるところを鼻に掛けることも、まして横柄な態度、傲慢さも無い。お手伝いさんたちに対しても気遣いをして、平穏に暮らしているように見える。そんな彼らに比べると、あまりにも人格の出来が違い過ぎる。
(しかも叶さんも、それらしいことを言っていたからな)
 息子にすら最低だと語られていたのだ。きっとその男の人柄は、美丈夫の言う通りなのだろう。
「問題が起こる度に蔭杜が処理をしてきました。ですが祖母が亡くなり、母が当主になるとそれまでのように黙って尻拭いをするのは止めました。そこまでしてやる義理がない。叔父は我が家から絶縁されて、ここから出てきました」
 母親は甘やかしてくれても、姉はそこまで面倒は見てくれなかった。まして仲が悪かったのならば、致し方のないことだろう。
「住居は元から別々で、行事でしか顔を合わせないような親子でしたから。絶縁されて敷居をまたげなくなったところで、俺たちは大して気にしませんでした。大人たちは心から安堵したことでしょう。叔父は災厄の種だったのですから」
「叶さんのお母さんは?」
「分かりません」
「え?」
「母親は叶を産んですぐに蒸発したそうです」
 父親に関しては語られても、誰も母親については口にしない。その答えを美丈夫は淡々と伝えてくる。
 蒸発するという表現は現実では人間に対してはあまり聞かない単語だったため、一瞬理解出来なかった。
「叔父が言うには普通の女だったそうですが。叔父の言うことは何もあてにならない」
「……叶さんは母親の顔も知らないということか?」
「おそらく知らないでしょう。まして叔父の家には入れ替わり立ち替わり女性がやって来ていたようなので、家庭環境は良くはなかったと思います。見かねた親戚が父親から引き剥がそうとしましたが、残念ながら叔父は叶を育てていたんです。衣食住には困らなかった。虐待している様子もない。意外と手を掛けて、育てていたと聞きました」
「親子の情はあったということか」
「それが良かったかどうかは分かりません。ですが親子というものは簡単には引き剥がせない。まして育てている様子があるのならば、尚のことです」
 まともではないと思われる父親が、それでも息子をしっかり育てていることは美談であるように思えるのだが。本家とすれば、人格が破綻している父親から離して、手元できちんとした教育がしたかったのかも知れない。
 どちらが正しいかは俺には分からない。
「本家が叔父を絶縁しても、親戚から時折情報は入ってきました。ですがある時ぷっつりと消息が掴めなくなった。そして三年前、欧州で起こった連続爆破事件に叔父たちが巻き込まれたと、当時叔父が交際していた女性の家族から連絡がありました」
 政治と正義と宗教を掲げ、欧州で次々に起こった連続爆破事件。多くの外国人が暮らしている土地、もしくは観光地が狙われて邦人も多くが巻き込まれた。
 その内の一人が叔父であるらしい。
 ニュースでしか知らない、遠くの事件が急に身近に迫ってくる。
「女性は叶を含めて家族のように付き合っていたらしく、旅行も三人で行くことがあったそうです。その旅行も三人で行くと女性はご両親に連絡していたようです。だから本家は、叔父と共に叶も亡くなった可能性があると思っていた」
「だが生きておられた」
 国朋さんが叶さんを見て、亡くなっていると思っていたと言ったのは、そういうわけがあったらしい。
「環さんは、あまり叶さんを歓迎しておられないようじゃな」
 らしくないとすら言いたくなるほど、環さんは冷淡だった。お手伝いさんたちも当惑していたのだから、あんな態度を取るのは滅多にないことなのだろう。
「あの親子には良い思い出がありません」
「叶さんにも?」
 叔父が酷い人だったということは、先ほど聞いたけれど。その息子にまで叔父の罪が渡るのか。子どもに責を負わせるには気の毒ではないかと、俺はつい問いかけを重ねてしまう。
「息子である叶も、叔父の血を引いているとよく分かる子どもでした。幼い頃は親戚が集まると子どもたちだけでよく遊んでいました。。年頃が近い子どもが多かったので、うちの庭で走り回っていました。鬼ごっこやかくれんぼ、そんな懐かしいような遊びが、俺たちの間では意外と人気だったんです。走れるスペースも、隠れる場所も多かったので」
「確かに、蔭杜の庭ならば存分に遊べるじゃろうな」
 敷地面積が広く緑が多い。まして蔵などが幾つもあるので、隠れ場所にも事足りている。
 公園のような遊具はなくとも、自然と建物が遊具の代わりになってくれただろう。
「かくれんぼをした時、最後まで残った子どもに叶はこう言ったんです。おまえは嫌われているから、最後まで見付けて貰えないんだ。みんなおまえを残して、先に帰ろうとしていたと。そんなことはありません。最後まで残っていたのもたまたまです。わざとじゃない。だけど、言われた子どもは傷付き、疑心暗鬼になる」
 人の言うことを素直に聞き入れてしまう子どもの頃ならば、その一言は棘として胸に深く刺さってしまったかも知れない。
 人を疑う、人を怖いと思う気持ちは一度刺さると根を張ってしまって容易には抜けなくなる。
「鬼ごっこで鬼が逃げる子を捕まえる際に、たまたま掴んだところが悪くて相手の子が転けてしまったら。転けた子どもに言うんです。鬼はわざとやったと。そして鬼役の子には別のことを伝える。捕まった子はわざと転けて、おまえのせいにしようとしていたと」
「性格が悪い」
「その通りです」
 思わずそう言っていた俺に、美丈夫は頷いた。
「俺が一番許せないのは、姉が亡くなった時の話をすることでした。当時姉は体調をよく崩して、度々入院していました。死んだらどうするのかなんて話は、俺は絶対に聞きたくないものでした」
 環さんは幼少期は身体が弱く、命の危機に晒されたこともあったらしい。
 死というものは決して彼らにとって遠いものではなかった。それを聞かされるなんて耳障りでしかなかったのだろう。
「それは叔父が姉の死を願っていたからかも知れませんが。叔父は跡継ぎである姉が亡くなったら、次の当主が誰になるのか探ろうとしていた。次の当主に取り入ろうと画策していたそうです」
「大変気分が良くないな」
「外道です。正直なところ、あの時叔父にはこの世からいなくなって欲しいと思っていました」
 そう思った美丈夫が何歳であったのかは分からないけれど、幼かったことは確かだろうに。それでも姉の為に心を痛め、誰かが消えることを願わなければいけなかったことを思うと、あまりに不憫だった。
「その叔父が海外で亡くなったと聞いた時、心が無いと言われるかも知れませんが俺は少しほっとしました」
 人が亡くなったことに安堵する後ろめたさと、罪悪感を美丈夫は滲ませている。
 疎んでいた人がこの世からいなくなったことに心は晴れない。その真っ直ぐな心根が時折苦しげに見える。
「ですが、叶は生きていたんですね」
「随分苦労をされて来られたようじゃ」
 びしょ濡れでこれまでどうやって生きてきたのかを語る、その姿に胸が痛まないと言えば嘘になる。美丈夫に子どもの頃の叶さんの話を聞いた今でも、痛みは消えない。
「父親があれでは苦労もするでしょう」
「絶縁したのは、叶さんが子どもの頃、しかも父親じゃろう?」
「叶が十二歳の頃でしょうか」
「十年近く経っておる。しかも十代は人間として大きく成長して価値観も変わる。人柄もおまえさんが思っておるものではないかも知れぬぞ」
 絶縁を解くことは出来ないだろうか。
 俺はお節介だとは分かりながらもつい、そんな希望を美丈夫に託したくなる。
 しかし美丈夫は押し黙った。その沈黙の長さが、そのまま苦悩の大きさに通じているのかも知れない。
「……三つ子の魂百まで。俺はそう思います」
「そうか……」
 ここに帰ってくる前に、美丈夫は直接叶さんに会っているだろう。その時何を感じたのか。
 過去と比べてどうなっているのか。俺には分からない。
 間違いなく俺より美丈夫の方が叶さんを、そして彼が置かれている立場を理解しているはずだ。それでも絶縁は撤回しないという答えを出すというのならば致し方ない。最初から俺に説得出来るだけの根拠も言葉もないのだから。
「上総さんにはあまり叶には関わって欲しくありません」
「……おまえさんがそう言うなら」
 そこまで否定的になる相手なのか。
 少し驚きはしたけれど、美丈夫がそれを願うというなら俺に否やはない。そもそも叶さんとそう関わる機会も無いだろう。
(首を突っ込んで欲しくないということなんじゃろうな)
 俺がここに美丈夫の嫁としていられるのは、きっと本家の事情や財産に口を出さない、興味を示さないことを賢明であると評価されているからだ。
 あれこれ本家に対してものを言ったり、欲を出せばきっと叩き出されていた。
 叶さんに関しても余計な口出し、手出しをすれば何かしらのお叱りが来ることだろう。蔭杜の機嫌を取るつもりはないけれど、わざわざ喧嘩を売る必要も無い。
 まして美丈夫の心労になりそうなことは避けた方が良い。これ以上の負担は美丈夫が可哀想だ。
 それでも土下座をした叶さんの姿が脳裏に蘇っては苦いものが込み上げてきた。




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