美丈夫の嫁10 2 「私たちにはどうすることも出来ません。貴方の父は絶縁をされている」 救いを求めてきた叶さんに対して、環さんが下した答えは残酷だった。思わず俺は耳を疑った。 「当然貴方を助ける義理はない」 「……分かっています」 動揺する周囲とは反対に、叶さんは驚きはしなかった。環さんがそう言うだろうと予想していたのかも知れない。 それだけ二人の間には、俺たちには分からない何かがあるのだろう。 しかし寄る辺も無く、借金だけを背負わされて放り出されようとしている叶さんに、俺の唇は無意識に動いていた。 「あの、環さん」 「分かっています。このまま追い返すのは可哀想、でしょう。風邪を引いてこの辺りで倒れられても困りますから。泊まっていけばいい」 けれど私が出来ることはそこまで。 環さんはそう線引きをしたようだった。言うべきことは言ったとばかりにきびすを返そうとする環さんを叶さんが絞り出すような声で引き留める。 「環さん。ここに、父が遺した物があると聞きました」 「ありません」 「父が祖母から贈られた、小さな赤い箱なんです。ガラクタのようなものだと思って蔵に押し込めて、そのまま忘れていたと。中身に価値がある物が入っていたと、後から気付いて悔しがっていました」 「そんなものは知りません」 「それを探すことは許されませんか。少しでも学費の足しにしたいんです。それとも俺にはそんな権利もありませんか」 (つまりそれが目的でここに来たのか) 父親の遺産がここにあるはずだから、この状況を少しでも打開出来ればと一縷の望みを掛けたのだろう。 環さんは口を開かない。平坦な瞳は思案しているのか、それとも返事をする情もないのか。 「これくらいのサイズのおもちゃ箱にも見える箱です。その中に無造作に入れたと言っていました」 「なら捨てたのかも知れませんね」 環さんはすがってくる叶さんを払いのけるように言い放った。 敵の如きに扱いに、俺まで胃が縮みになる。 「蔵のどこかにあるのでは?色んなものが詰め込まれている蔵があったと思います」 つい俺は口を挟んでいた。 本家の内側で起こっている問題であり、彼らの中には明らかに軋轢がある。傍系で無関係に近い俺がしゃしゃり出るのは良くない。それでも美丈夫に似ている叶さんが、こうも冷たい仕打ちを受けているのに平然とはしていられなかった。 「お願いします!」 叶さんは俺の廃案に、再び土下座をした。 玄関先で、環さん以外の人間が微かにざわついていく。 全員で環さんの答えを待っていた。視線を集めた環さんはぐっと顎を引く。 そして叶さんから視線を外した。 「そんなに箱が気になるのなら、誰かに探して貰います。貴方はこの家をうろつかないで」 「ありがとうございます」 叶さんが肩の力を抜いたのが分かる。それに環さんは苦悩するように唇を噛んだ。 「……客間を用意します。後で詳しい話を聞きますから、それまでに身支度を調えて」 環さんはそう言い残して、廊下を戻っていく。国朋さんがその後ろに従い、お手伝いさんもそれぞれ叶さんさんの世話をするために動き始めた。 ほっと息をつくと、叶さんは顔を上げては俺に「ありがとうございます」と礼を述べる。 そして改めて俺を見ては「あの失礼ですが、貴方は……」と控えめに疑問を口にした。 「私は……誉さんにお世話になっているものです」 名前を名乗りながら、自分は一体何者であると説明するべきか迷った。 蔭杜の人間ならば、美丈夫の嫁だと言えば理解して貰えるものなのか。しかし絶縁されていたという叶さんは、本家長男の嫁は男であるという決まりは知らない可能性もある。 これ以上叶さんを混乱させるのも気の毒で、つい言葉を濁した。 「そうですか、誉に。……俺は誉に似ていますか?」 「はい、とても」 国朋さんも言っていたが、双子だと言われてもおかしくないほど似ている。生き別れ、だなんてことはおそらくないだろうが。それでも気になってしまう。 「子どもの頃から俺たちは似てましたが、大人になってもそこまで似ているとは思いませんでした」 「ご兄弟では、ないんですよね?」 美丈夫は姉弟は姉しかいないと言っていた。それに叶さんの父は亡くなったそうだが、二人の父親は健在だ。今も海外を精力的に飛び回っている。 「俺たちは従兄弟です。誉の母の弟が俺の父親です。もっとも、父は最低な人間で、誉の母とは比べものにならない存在でした」 蔭杜の先代当主は環さんの母親だと聞いている。 つまり当主の弟ということになるが。絶縁されているという情報と、環さんの態度からして、彼の父親は謙遜ではなく本当に問題があった人物かも知れない。 (しかし息子にまでその責任が問われるのか) 「叶さん。お風呂の支度が出来ました。お着替えはこちらでご用意致します」 お手伝いさんの一人が叶さんに声をかけては、お風呂場へと案内しようとしている。叶さんは頭を下げてはお手伝いさんの後ろについて行く。 (後ろ姿までよう似ておるな) 蔭杜には親戚が多い。美丈夫の従兄弟も栄さん以外にもいるとは聞いていたけれど、詳しい数や人物などまでは知らなかった。 (絶縁されている叔父か) 叶さんは一度も母親について話さなかった。口に出さないということは、すでに亡くなられているのか。それとも頼ることは出来ない間柄になってしまっているのか。 思うことはたくさんあったけれど、俺は何か追求出来る立場でもない。 静かに本家の玄関を後にするしかなかった。 美丈夫が家に帰って来たのは、いつもよりも二時間遅かった。おそらく本家で環さんや叶さんと話をしていたのだろう。 出迎えると疲労感が滲んでおり、母屋で行われただろう話し合いの中身が決して気分の良いものではなかったことは、聞く前から分かってしまった。 「おかえり。お疲れ様」 「ただいま帰りました。遅くなってしまって申し訳ありません」 「お気になさるな。叶さんのことで、お話があったのじゃろう?」 「はい……晩ご飯が美味しくなくなるので、あれの話は食後でもよろしいですか?」 「おまえさんのお気に召すままに」 二人分の晩ご飯を温め直していると美丈夫に驚かれた。 「上総さんもまだ食べてないんですか?晩ご飯の時間は過ぎているのに」 「おまえさんがいつ帰ってくるのか気になってな。ちょっとつまみ食いはしておったから、背中と腹がくっ付くほどではない」 晩ご飯は出来るだけ二人で食べるようにしている。今日はまして気になることがあったので、美丈夫とちゃんと顔を向き合わせたかった。 食事の気がそがれると、叶さんの話を避けたのは予想外だったけれど、一人で食べるより二人の方が食は進むだろう。 恐縮する美丈夫に、気にするなと言ってお手伝いさんが作ってくれた晩ご飯を配膳する。 いつもより遅い食卓は、和やかな話題だけが上った。決して叶さんの名前も、その存在を匂わせることもしない美丈夫に、頑なさのようなものが伝わってくる。 それは環さんも纏っていた雰囲気だ。 食後の洗い物を終えると美丈夫がコーヒーを入れてくれた。マグカップを手渡してきた美丈夫は、すでに憂鬱そうな双眸をしている。始まる前から疲れているということは、相当に気の重い話になるのだろう。 俺は心構えをしながら、チョコレートクッキーを出してきた。志摩が勧めてくれた物だ。 俺は疲れると無性に甘い物が食べたくなる。美丈夫も欲しがる時があるのでは、と勝手に思って買い求めた物だ。その想像が正しいかどうか確かめる時が来てしまったらしい。 「志摩に勧められたクッキーじゃ。甘い物がお嫌いでなければ」 「ありがとうございます。たまに食べたくなります」 一つ囓ると美丈夫は多少表情を緩めた。それに胸を撫で下ろす。意外と正解だったのかも知れない。 さくさくとした歯触りは軽く、ココアの少しほろ苦い優しい甘さが俺には丁度良い。余計なものが入っていない、穏やかな味がした。 「……叶を見付けたのは上総さんだったそうですね」 「ああ。正門の前に傘も差さずに立ち尽くしていた」 雨は今も降り続けている。今夜は止まないと先ほど確認した天気予報にそう表示されていた。 「俺に、似ていましたか?」 「よく似ていた」 「そうですか……」 美丈夫の目元に影が落ちる。 微かな苛立ちのようなものを滲ませている様に、叶さんの存在が本家の姉弟にとってどれほどの重荷なのか、垣間見えたような気がした。 next |