美丈夫の嫁10 10





 叶さんは元の位置に戻り、再び赤い箱を探し始めた。物理的に離れられてほっとしたけれど、意識が向けられていることは感じていた。
 奇妙な気配だ。
(この人は何を探っている)
 俺のことなどどうでも良いではないか。
(美丈夫がそうであるように、叶さんも美丈夫を意識している?)
 面白くないと思っているかも知れない。
 けれど俺が美丈夫をどう思っているかなど知って何になる。美丈夫の嫁として、添い遂げるかどうかなど俺だって分からない。
(交際を互いに認めて、関係が始まったばかりじゃ)
 恋人としてはスタートを切ったばかりという意識である俺に、夫婦としての未来を想像しろというのは多少酷ではないか。叶さんはきっとそこまで深く追求するための台詞ではなかっただろうが、俺には何とも答えづらいものだった。
 複雑な心境ではあるけれど、黙々と赤い箱を見付けては叶さんに確認を取る。そのために手伝いに来たのだから。早く見付けて、この蔵から出たいという気持ちもあった。
 空気が悪く、物を動かすと埃と古臭い匂いが纏わり付いてくる。そもそも長居がしたい場所ではない。
 しかし一向に捜し物は見付からない。
 そもそも箱を探してはいるけれど、その中身を知らない。箱そのものに価値があるわけではなく、その中身に用があるのではないかと思うのだが、叶さんは語らない。
 蔵は広く、ランタンで照らせる分だけでもうんざりするほど品数がある。一時間半が過ぎ、さすがに疲労感と、ゴールの見えない作業に憂鬱になった頃。
 黒い布に包まれた四角い物を手に取ると、ガチャと何かがぶつかり合う音がした。
 堅い物が幾つも詰め込まれているような音だ。黒い布を解いてみると、鮮やかな赤がぱっと目に飛び込んで来た。
 そして蓋の真ん中ではまさに鳳凰が翼を広げようとしている。金色で描かれたそれに俺は思わず「叶さん!」と蔵の中に響き渡る声量で呼んでいた。
「それです」
 叶さんは俺が持っている箱を見て、力強く頷いた。
 鳳凰が描かれた蓋を叶さんが持ち上げると、中にはプラスチックや金属の部品がごちゃっと入っていた。
「車の、おもちゃ?」
 塗装されたプラスチックの破片たちは、どうやら車の形をしているようだった。金属の部品は車の内部パーツか。
 幾つか取り出してみて、それが小型モーターを搭載した四輪駆動の自動車のプラモデルであることは察しが付いた。
「俺が子どもの頃に買って貰ったおもちゃです。乱暴に扱っていたから壊してしまった。父に見付かって捨てられるのが怖かったので、この箱に隠したんです」
「探していた中身がこれですか?」
 この壊れたプラモデルが金になるとは思えない。しかし叶さんは絶望するどころか、宝の地図を手に入れた探求者のように目を輝かせている。
 不可解に思っていると叶さんは箱の中に指を突っ込んでは、壊れたパーツの下から何かを引っ張り出した。
「あった」
 喜色を滲ませた声が掴んだのは、白い紙切れだった。四つ折りにされたそれに叶さんは笑みを浮かべる。
「すみません上総さん。俺はずっと黙っていました。本当に探していたのは父の遺品ではありません。これなんです」
 叶さんは紙を開いた。
 そこには地名と十桁の数字が並んでいる。
 首を傾げて叶さんを見上げると、得意げに笑みを深める。
「銀行口座の番号です」
「え」
「地名は銀行名です」
 言われてみれば、ぴんと来る。
「母が父に渡した俺の養育費です。母は離婚する際、俺を引き取った父に養育費を一括で支払ったそうです。正確には母の父、俺にとっては祖父ですね。娘の不始末を金で片付けたわけです」
 言っている内容はあまり明るい話題ではない。けれど叶さんの声は弾んでいた。
 母親が自分をどう思っていたかなど、今はどうでも良いのかも知れない。
 自分が必要としていたものが、これからの自分を生かしてくれるものが手に入った。それに浮き足立っているようだった。
「名義は俺です。養育費は俺のものだと、離婚した直後に親戚の、誰だったかな……もしかするとおじさんだったかも知れないけど、すみません忘れてしまいました。その人が俺にこの番号を渡してくれたんです。父は養育費も使い込むだろうから取り上げて、俺の名義の銀行口座に保管してくれました」
 叶さんの父親のことがよく分かっている大人だったのだろう。
 まるで叶さんの未来が見えていたかのような対処だ。そしてそれが今の叶さんを確かに生き延びさせたのだから、先賢の目がある。
(もしかして美丈夫のお父さんじゃろうか。あのお人ならそういうことをされそうじゃが)
 陽気で軽い冗談が好きな、二人の姉弟の父親だと思うと随分とお調子者に見える人なのだが。人の感情の機微、物事の流れを敏感に読んでいるようだった。美丈夫の父ならそういうことも出来そうだ。
「お金がどうしても必要になったら引き出すといい。それまでは隠しておきなさいと言われました。それから通帳やカードは紛失してしまったのですが、銀行名と口座番号を書いた紙だけは貰ったまま、隠してました。これだけは絶対に捨てるなときつく言われていたので」
「暗証番号はご存じですか?」
「はい。俺にまつわる数字なので、忘れようもないものです」
 それならば金を引き落とすことも出来るだろう。
 叶さんはしみじみと紙を見詰めている。
 ようやく、といったところだろう。
「これがあればなんとかなります。中には成人するまでの養育費が一括で入っていて、あの時聞いた金額は少なくとも三百万を超えていました」
 養育費というものの金額はいくらが相場であるのか。無縁だった俺には予測も出来ない。
 しかし子どもを成人まで育てたとして、三百万では到底足りはしない。それ以上の金額が振り込まれているのは当然ではある。
「これがあれば生活出来ますね」
 三百万以上ということは世話になっていた父親の友人にお金を返して、その上で一人暮らしでもしながら大学に通うことが出来るだろう。
 自立出来るという面では、これまでよりも充実した暮らしが出来るかも知れない。
 胸を撫で下ろしていると、叶さんは神妙な面持ちになった。
「黙っていて申し訳ありませんでした。これを探しに来たと言えば、養育費で父の借金を返せと言われそうで、とても真実を話せませんでした。父の借金は、きっとこの養育費全部を潰してしまう」
「なるほど」
「お願いします。このことは秘密にしてください。誉にも、誰にも言わないと約束してください。でなければ俺は、きっと生きていけない」
 蔭杜がこの金を奪い取るとは考えたくなかったけれど。冷淡な彼らの態度を見ていると完全に否定することは出来ない。
 何よりそれで叶さんが安心して暮らしていけるならばと頷いた。
「分かりました。約束します」
「ありがとうございます」
 叶さんは深々と頭を下げた。
 この金があることで、こうして叶さんが誰かにすがるようにして頭を下げることがなくなれば良い。
(やれやれ、ようやっと解決するわい)
 叶さんは自身の今後が良い形で定まったのだから、関西へと帰るだろう。
 美丈夫も環さんも叶さんにぴりぴりすることなく、俺も気楽にまただらだらとした日々が過ごせるというものだ。
 一仕事終えた充実感と共に窮屈で薄暗い蔵から出ようとすると、叶さんに手を取られた。
 憂いは払拭されたはずだ。先ほどまで歓喜を露わにして紙切れを見詰めていた。
 なのに俺を見てくる叶さんは何やら思い詰めたような瞳をしていた。
 俺は何故かその様に、後頭部にひんやりとしたものを感じては微かな警告音が耳の奥で鳴るのを聞いた。




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