美丈夫の嫁 4 これからのことについても話し合うための時間と、顔合わせの機会を頂きたい。身内に紹介させて欲しい。 そう言われて本家に呼ばれた。 美丈夫がうちに来てから、結婚するということだけは決まったらしいが詳しい中身は何一つ知らされていなかった。 本家がどう思っているのか。俺はどうすれば良いのか。 一切分からないまま日数だけが過ぎていき、美丈夫が来たのは夢だったのではないか。嫁になれなんて、そんな馬鹿げたことはただの幻の出来事だったのではないか。 そんな思いが膨らみ始めたのを見透かしたかのようなタイミングで、呼び出しがかかった。 両家の顔合わせ、という形になるので母と妹を連れて本家を訪れたのだが。そこで俺は互いの認識の違いというものを思い知らされた。 客間と思われる部屋は二十畳近くあり、その中に堅苦しい恰好をした年配の人々十数人が待機していたのだ。 確実に俺たちが来るのを待っていたに違いないだろうその雰囲気に、頭の中が真っ白になった。 母は妹を連れて挨拶回りを始めるし、俺は注目の的であるせいかど真ん中、大変申し訳ないことだが上座に通されるとそこに次から次に人が来る。 母は挨拶のために動く役目。俺は挨拶をされる側になってしまっているらしい。 たぶんそれが、本家に近付いた人間に対する周りの接し方の違いなのだろう。 だが俺はまだ本家の人間でもなければその覚悟もない。今日もせいぜい美丈夫の家族、両親と姉弟に会う程度の人数だと思っていたのだ。 (そりゃ本家の身内、親戚なんぞいっぱいおるだろうがな!) いくらなんでもいきなり十数人の前に引きずり出して紹介するなんて強引ではないか。まるで俺の覚悟より先に、周囲に知らしめようとしているみたいだ。 (外堀から埋める?まさか……) 俺が逃げられないように周りから囲い込むつもりだろうかと思った。だがそこまで手間をかけて俺を嫁にしたいとは思わないだろう。俺の代わりなんていくらでもいるはずだ。 本家に取り入るためなら男の嫁になっても構わない。そんな野心を抱く者だっているはずだ。 「いやぁ、貴方が誉君の嫁になるとはねぇ」 親戚の一人がそう笑いながら挨拶をしてくれる。 血が繋がっているだけあってみんな似たような顔をしている上に、名字だって大半は同じだ。もはや区別など付けられるわけがない。 この場限りならば服装で判別出来るだろうが、着替えられたらもう駄目だ。きっと次会った時には誰一人分からなくなっているだろう。 それでも微笑みを浮かべてそれなりの会話をしなければいけない。 (大人じゃからな) どんな場であっても、社交辞令としてある程度の接し方はしなければいけない。しかし本家の人間ならばここにいる人間全員を覚えなければいけないのだろう。 どんな職業であり、本家との繋がりはどの程度のものか、までは最低限記憶させられるはずだ。 そう思うだけで今すぐダッシュで逃げたくなる。 久しぶりに着たスーツがずっしりと重く感じる。大体このスーツだって美丈夫との顔合わせだからと纏ったものだが、これほどの親戚に囲まれる、まして自分より目上の人間ばかりの中ではお粗末な出来のスーツだ。 吊しの数万円のスーツ。きっとここで一番安いスーツだろう。 「これからどうぞ宜しくお願いしますね」 にこにこと上機嫌そうに告げる親戚に、曖昧に濁した返事をしながら不安だけが込み上げた。 (男の嫁なんぞおかしいと思っとるんじゃろうな) 本家との身分に差がある上に男の嫁。一体当主様は何を思っているのか。 きっとそんなことを思いながら俺の前に来るのだろう。 (それは俺が一番思っとることじゃから、文句は言えんが) 誰もかれもが俺の中身を探ろうとしている。視線が突き刺さっては品定めをされているのが丸分かりだった。値札を付けられる豚のような気持ちというのだろうか。 (俺は、なんでこんなところにおるんじゃろうか……) 場違いにもほどがある。黙って逃げ去ってしまっていいだろうか。だがそれをするには母に連れ回されている妹が可哀想だ。 綺麗なワンピースを新調して、行きたくないとだだを捏ねる子をなだめすかしてここまで連れてきたのだ。今は背中しか見えないけれど、きっと泣きたいような気分でいることだろう。 自分たちはどうしてこんなことになったのだろうか。 そう悲観に暮れていると、ごく近くでさらりと衣擦れの音がした。 「お顔の色が良くないわ。大丈夫?」 顔を寄せてそう気遣ってくれたのは、豊かな黒髪を一つに結い上げた女性だった。桜色の着物と珊瑚と思われる帯留め。小柄な身体にぱっちりとした大きな瞳。あどけない少女のような雰囲気を持ったその人の顔はすでに知っていたが、こんな距離で見ることはなかった。 可愛らしい様に絶句していると、双眸が細められる。 「こんなにいっぱいの人に囲まれて困っていらっしゃるのね」 ふふ、と笑う人の瞳に自分が映っているというだけで心臓が高鳴った。 「あ……の、」 「もしかして私、ご挨拶はまだしてなかったかしら。蔭杜の当主の環です」 俺の横に座って頭を下げようとするので、俺はそれより先に「止めて下さい」と願い出ていた。 「存じております。ご挨拶なら私が先にするべきことです。どうか頭を下げるのは」 当主に頭を下げさせるなんて、蔭杜ではやってはならないことたろう。こんな傍系の俺に一族の頂点が下げるべきものなど何もないのだ。 先に俺がなんとか頭を深々と下げて挨拶をした。そうしなければ周りにいる人々がどう思うことか、考えただけでも胃が痛い。 「そんなに堅苦しくしないで下さい。だって私たち姉弟になるんですから」 (……穏やかに笑っておられるが、この人は本気でそんなこと言ってるのか) ある意味失礼なのだが、どうしてもそんなことを思ってしまう。だって男の嫁が自分の家族になるだなんて、うちの妹のように反対するのが当然だろう。 (いや、でも男の嫁を取れと言い出したのは当主じゃったか?) ということはこの人が元凶なのか。 可愛いという印象だった人に黒い影が重なりそうなことを思ってしまう。だがそんな俺の思考など知るわけもない人は、ぽんと小さく手を叩いた。 「そうね、私上総さんのお義姉さんになるのね!上総さんの方が年上なのにお義姉さんだなんて、不思議な気持ちです」 楽しそうな顔でそう言う人は無邪気とも言えるような様子で、黒い影など瞬時に拭い去ってしまう。大体顔の輪郭と良い、パーツの位置の絶妙さと良い、さすが美丈夫の姉。計算され尽くしたような造形をしている。 その人が俺を見て微笑みながらそんな可愛らしいことを言ってくれるのだ。心溶かさぬ男など感情が欠落した朴念仁に決まっている。 「あの……それでよろしいのですか?」 喜々としているらしい人にそう尋ねるときょとんとされた。 「私は嬉しいです。上総さんはお嫌ですか?やはり私のような年下が姉では心許ないですか」 「いえ、そのようなことはありませんが」 むしろ俺に嫌だの何だのを訊いてきたことにびっくりした。こちらの都合などお構いなしだろうと思っていたのに。 「なら良かった」 (何が良かったと思えるんじゃ。どこにそんな感想を生み出す部分がある) 俺が姉弟になることで何か利益があるのだろうか。あるわけがないだろう。 なのにどうしてこの人はこんなにも穏やかに、嬉しそうにしていられるのだろうか。全く理解出来ない。 この人が大きな家柄の当主という事実が心配になってきた。なんだかふわふわとしていて優しそうであり、人の裏を探るなんてしそうもない人だ。 長く続いてるお家柄の確執だの、束縛だのに対応出来ているのだろうか。 「浮かないお顔をされてますね。大丈夫ですか?もしかして何か嫌なことでも言われました?」 「え、いえ……」 心配そうに俺を窺ってきては、環さんはふと小声でそんなことを口にした。 嫌なこと、確かにこの親戚たちを見た瞬間に厭味、やっかみはくらうだろうと覚悟した。けどまだそれらは貰っていない。 けれど環さんがそれを尋ねるということは、親戚たちがその手の毒を吐くことはあるということだろう。 「ならいいんですが。もし何か嫌なこと言われたら、本家の肩書きを目一杯使って下さいね」 使えと言われてはいと言えるようなものではないだろう。 (蔭杜の名前じゃぞ……) 俺がどうやったら本家の名前を使えるというのか。ぱっと出てきた、男の嫁という訳の分からない立場にいる者が、本家の人間みたいな顔をすれば親戚たちはどんな目で見ることか。 そもそもまだ結婚していない。籍を入れるのかどうかという話し合いすらしていないのだ。 「蔭杜の名は、背負うと重いと感じるかも知れません。ですが重いと感じた分、盾にするととても頑丈で色んなものから守ってくれます。それに振り回すと結構強いんですよ」 そう話す人に、ようやくこの人が当主なのだと感じた。 ふわふわしていて優しげで、とても本家という大きな家柄の当主には思えなかったのに。その名前の使い方を当然のように語る様はまさに名を背負って生まれてきた者の言葉だった。 きっとこの人はこれまで蔭杜の名前の重さに潰されそうになり、時にはそれに守られ、そして武器にして戦ってきたのだろう。 名前を使う。 そのやり方をすでに知っているのだ。 (見た目は柔らかそうなだけに見える) だがその内側には、金と人脈と思惑が渦を巻いているだろうこの家の中心で生きていく力があるようだ。流され、飲まれるだけではない。そんな意識が一言の中にうっすらと見えた。 「上総さんも遠慮なく使って下さい。誉のお嫁さんになって下さるんですもの」 「私は……」 「あの子、成人の儀の夜にいきなり上総さんをお嫁さんにするって言い出して。上総さんを何も知らない上に、親戚ですがこれまで私たちとそうお付き合いもなかったでしょう?なのに交際期間もなしに結婚なんて無茶だって言ったんです。でも強引に推し進めてしまって」 何が美丈夫をそうさせた。 あの日、階段から下りてきた美丈夫と目を合わせた時、何が起こったというのか。どんな衝動が俺を嫁にするという奇行に走らせたのだ。そして何故周りは最終的にはそれを受け入れたのだ。 「ご迷惑じゃありませんでした?」 環さんの問いかけに、俺はとっさに返事が出来なかった。 全然大丈夫ですよ、何を仰るんですか大歓迎です。と言えるような精神状態ではなかった。むしろ正気かおまえたちは、というような状況だったのだ。 だがここに来てそんなことを言い出せば、俺はその時点で簀巻きにされて海に投げ込まれそうなのだ。何と言うか、すでに挨拶に来てくれた親戚たちや、主に自分の母親の手によって。 「大丈夫、です」 我ながらどこが大丈夫なんだ、という声でそう返事をしていた。 結局のところ美丈夫の顔に負けたのだという過去が再び俺に襲いかかってきては、己の愚かさを呪いたくなった。 next |