美丈夫の嫁 2





「さっちゃん、話があるからそこに座んなさい」
 母にそう言われ、こたつを間に挟んで向き合った。
 冬も終わろうかというのにまだ寒い日々、こたつは俺の心を慰めてくれる優秀な暖房器具である。脚を突っ込んではご丁寧に天板に置かれていたえび煎餅に手を伸ばした。
 齧り付いてぱりんと割ると香ばしい香りが口の中に広がる。お茶もついでに持って来れば良かった。
 しかし母は何故か真剣な顔をしており、つい身構えてしまう。また何か揉め事でも起こしたのだろうか。
「嫁に行くつもりはない?」
 母も俺も真顔で冗談を言うタイプではない。
 そのため嫁という単語に当てはまる人物がここにいないことに溜息をついた。
「志摩を呼んで来るから、本人と話をつけぇよ」
 兄である俺を巻き込んで、妹を説得しようとしたのだろう。妹はまだ二十歳になったばかりの大学生だ。身を固めるのは早いと本人は嫌がるだろう。
 俺だってまだ早いと思う。なので見合いの話など持って来るのはどうかと思うのだが、この母に良識や気遣いを求めるのは無茶だとこれまでの経験で悟っていた。
 腰を浮かせて退散しようとすると、母に「待ちなさい」と止められる。
「まーちゃんじゃないわよ。アンタよアンタ」
「……母よ。俺は嫁にはなれん。男じゃ」
「知ってるわよ。誰が生んだと思ってるの」
「ならなんで嫁なぞと言う」
 婿ならば百歩譲って理解出来なくもないのだが。嫁と言われると自分と無関係であると思うのが当然ではないか。
「本家がさっちゃんを嫁に欲しいって言ってるのよ」
「婿ではなく?」
「本家に婿入り出来る身分?」
 母は呆れたように言うけれど、それを俺に言われても困る。
 傍系も傍系。本家と血が繋がっているのかどうかあやしいくらいに薄い繋がりしかない俺が、由緒正しい本家に婿入り出来るかどうかと訊かれると、はっきり言えば無理だろう。
 だがそうとしか解釈出来ないようなことを言い出したのは母である。
「本家が女系なのは知ってるでしょう?」
「女が家督を継いでいくやつじゃろう」
 日本では男、特に長男が家督を継いでいくと思われがちだが。本家では代々女が家督を継いでいるらしい。男が継ぐと家が傾くと言われているようだ。
 かなり古い家柄なのだろうと、適当に思っていたのだが。それがここに来て何の意味を持つというのか。
「そう、本家は代々女が当主でね。今の当主様もついこの前婿を取ってご結婚されて。一安心というところなんだけどね」
 当主と言ってもまだ二十代であるらしい。前の当主である母親が事故で亡くなり、急に当主を引き継ぐことになって本家は大騒動になったようだ。
 娘が継ぐこと自体は決まっていることだろうが、引き継ぎに関する諸々やしきたりなどがあるのだろう。ほとんど関係のない我が家では母だけがその引き継ぎの式のようなものに参加していて俺と妹は家に残っていた。
 本家などとは無関係。自分たちの知らない世界。
 それが俺達の認識だった。
「当主様には弟さんが一人いるのよ。アンタもこの前見たでしょう?成人式の日に本家で紋付き袴を着てた」
「ああ、あの美丈夫か」
 大きな家柄の長男、家督は継がずとも重要な場所に産まれてきた者はぼんくらになるか、それともあのように凛然とした者になるか。両極端なのだろう。
 それにしてもあれから二ヶ月も経っているというのに、美丈夫の姿は記憶に鮮明に焼き付いている。あれほどの男前はなかなかお目にかかれないからだろう。
「その弟さんがね。嫁が欲しいって」
「ほうか。まあ、若いが本家なら早々に身を固めた方が後々楽かも知れんな」
 色々苦労もあるのだろう。年頃になれば次々に見合いだの何だのと持ち込まれるはずだ。
 それならば先手を打てさっさと身を固めた方が動きやすいのかも知れない。
「そこでさっちゃん、アンタの出番よ」
「俺の出る幕がどこにある」
「アンタがね。いいって言うのよ」
「言うとることがさっぱり分からん。なんじゃ俺がどこにどう出る。というか説明がいきなりぶっ飛び過ぎじゃろうが」
 何故俺が出なければいけないのか、と尋ねているとぴんぽーんとインターホンが鳴った。
 来客が来るとも、宅配便が届くとも聞いていない。
 自分の話を切られることを嫌がる母が眉を寄せたけれど、珍しく文句も言わずに立ち上がった。
(話の筋が分からん)
 母が何を目的としているのか。最初は確か嫁の話だったような気がするのだが、妹が嫁がない、俺も婿に行かない。では何が言いたいのか分からない。その上に本家の話だ。
 本家に関われるような間柄ではないだろうに。
(憧れがあるんじゃな……)
 本家と繋がっていたい。本家の仲間入りがしたい。その欲が母をずっと捕らえて放さない。欲張った人間は良い結果を得られないと思うのだが、母は諦めないのだろう。先ほど身の程と言ったくせに、自分には当て嵌めないのか。
 困った人だと思っていると、母が何やら上機嫌に誰かと話しながら部屋に戻ってくるのが聞こえてくる。
(誰じゃ)
 友達でも来たのだろうか。ならばこの話はここで終わりじゃな、と腰を浮かしていると襖が開かれ、そこにいた人に唖然とした。
 黒いスーツの男が三人ほど、まるで何かの護衛の人間であるかのように堂々と存在していた。
(……いやいや。本当に、誰なんじゃ)
 気が抜けるようなのほほんとした和室、こたつとせんべい。部屋の端にはテレビとバランスボールが置かれているような空間に入ってくるような雰囲気の人間ではない。
 背筋がぴんと伸び妙な緊張感を漂わせている三人に、こたつから立ち上がろうとしていた俺はすとんと座り込んでしまう。
 気圧されてしまったのだ。
 真ん中に立っていた人は俺を見るとへらりと笑った。三十代に見えるその男は、笑うと途端に親しみやすい印象に変化した。それがまた、俺の警戒心を煽る。
 表情一つでこんなにもイメージを変えてしまう人間、しかも警戒心を解こうとした動きが明らかな者なんて。胡散臭いに決まっている。絶対腹に一物あるタイプだ。
「蔭杜から参りました」
 男は本家の名前を口にしては頭を下げた。左右の二人もそれに倣ったのだが、部屋の中に入り俺の前に来たのは名乗った男だけだ。
 二人は襖の前に立っている。ということは真ん中の男が中心人物なのか。
「突然のことで驚かれていると思います。ですが是非とも私からご説明を差し上げようと思いまして」
「説明……ですか」
「はい。上総さんが蔭杜に嫁いでこられるお話に関してですよ」
 にやりと笑っている男の言った台詞に、俺の頭に今日何度目かの疑問符が浮かんだ。
「いえ……俺は男ですが」
「まだお母様からお話は聞いてらっしゃらないのですか?」
 おやおやと驚いたような顔をされるのだが、その反応をしたいのは俺の方だ。
「何のことか……」
「そうですか。では初めからご説明させて頂きます。上総さんには蔭杜の長男、誉の嫁として嫁いできて頂きたいのです」
 正座をして、そう告げた男の顔を凝視してしまった。
(これはあれか。どっきりか。それとも詐欺の類か)
 しかし男に嫁に来いという詐欺などあるのだろうか。いたとしても成功するとでも思っているのだろうか。
(正気を疑われて終わりじゃろ)
 警察を呼ぶべきなのかと思っていると、母がお盆を持って部屋に帰ってくる。姿が見えないと思ったらもてなしの準備をしていたらしい。
 男たちにお茶を出して頭を下げては「片付いてない部屋で申し訳有りません」と謝っている。むしろ謝って欲しいのはこの状況が全く分からない俺なのだが。
「突然言われても困るかも知れません。本家が女系であり、女が当主だということはご存知ですよね?」
「それは、はい」
「現在の当主には一人弟がいるのですが、先日成人致しまして」
「はい、それは、存じておりますが」
 というかちらっとだけ見たんだけどな。ただそれだけであり、互いに認識すらしなかっただろうが。
「本来蔭杜の男は結婚する際には婿として本家から出されます。蔭杜の名前を持ったまま嫁取りは許されていません」
 それは初耳だった。当主が女でも、その弟ならば余所から嫁を貰って本家の人間を増やしていくものだと思っていた。
 男が言う通りならばむしろ本家から人間を排除している形になっている。
 本家を存続していく、血を濃く繋げていくことに執着はないのだろうか。
「蔭杜に本家以外の女を入れないためです。蔭杜は当主はもちろん、とにかく女を大切にす家柄でして、余所から来た女がその待遇につけあがって当主に楯突くなどということがあってはなりませんので。蔭杜は余所の女は原則的に入れないことになっております」
 つけあがるという表現に、密かに苦笑しそうになった。
 まるで犬か何の話をしているみたいだ。蔭杜にとって当主に刃向かう者は犬のようなものかも知れないが、徹底しているものだ。
「なので当主の弟も婿として外に出されるのが筋なのですが。現在の当主は身体が弱く、幼い頃から弟が当主を支えて来ました。その弟を婿に出すのは不安であるらしく、手元に置いておきたいと」
 嫁も取れない、婿にもいけないということだろう。
 一生を本家に縛られるということか。
(美丈夫だというのに、気の毒じゃな)
 寄って来る女はいっぱいいるだろうが、そのどれも取れないというのはもどかしいことだろう。男として可哀想ではある。
「いずれは家業も所々継いで貰い、当主の片腕として働いて貰うつもりです」
(家柄が良くて、あの顔で頭もいいのか。持ち過ぎじゃろう)
 天は二物を与えずというが、世の中では二物どころか五物くらい平然と持っている人がいる。美丈夫はおそらくそういう人なのだろう。
(俺なんぞ一つも持っておらんぞ。不公平過ぎるじゃろ)
「しかし弟を家に残すのは良いが、嫁を迎え入れるのは蔭杜として出来ません」
「一生独身ということですか」
 色々と持っているらしいが、一生独り身である。というのが美丈夫の宿命であるらしい。持ちすぎているせいだ、とやっかみたくもなる。
 けれど男は何故かそこでにやりと笑った。
「いえ違います。本家のために尽力し、身を捧げるだろう弟が独身だというのは可哀想だと。それにこの先ずっと一人というのも何かあった時に不安でしょう。やはり伴侶というのはいたほうが、人生にもはりが出る」
 二十歳になったばかりの男に人生のはりを考えてやるのもどうかと思うが。ずっと独身というのが寂しいだろうという気遣いは分からなくもない。
 余所で女を囲え、というよりずっと共感出来るだろう。しかしその流れは、俺に嫌な予感を抱かせた。
「本家は弟に結婚する許可は出したのです」
「嫁は入れないのでしょう?」
「はい。ですから、男の嫁を入れることを提案しました」
 それは嫁とは言わん。
 俺の喉元までそんな台詞が出かかった。というかたぶん顔には出ただろう。
(男の嫁!?女だから嫁なんだろうが!?)
 男ならば婿だろうが。それとも、意地でも美丈夫は婿の立場に置いておきたいのか。本家の男が嫁になんぞなれるかとでも言うのか。
(それなら男の嫁を貰うっていう発想自体おかしいことに誰か気付け!)
 突っ込みどころ満載で大人しく聞いているのが辛いのだが、そんな状態であるのは俺一人だけであるらしく。目の前の男は妙な笑顔を浮かべているし、自分の母など瞳を輝かせて黙っている。
 間違いなく異常な空間であるはずなのに、誰も口に出さないことにぴりぴりとうなじに危機感が走っていた。


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