美丈夫の嫁 11





「上総さんを嫁にしたいと言った時、全員がどうして上総さんなのか、俺に訊いてきました。訊かなかったのは上総さんだけです」
 指名された俺だけが、何故と問わなかったのだろう。
(そりゃ誰だってなんで俺なんだと思うわな。俺だってちゃんとそうは思ったわい)
 訊かなかっただけだ。
「どう思ってるのか、正直ずっと気になってました。自分のことなのにまるで他人事みたいに聞いておられる。今日もまずは志摩さんについて心配されていてご自身のことは二の次みたいで。いつになったら知ろうとしてくれるのか、待ってました」
 突っ込み待ちであったらしい。
 もしかすると長々待たせたかも知れないが、自ら地雷に飛び込んでいく気はなかったのだ。
「……まあ、おおよそ予測はしてましたから」
「俺が上総さんを選んだ理由を、ですか?」
「傍系さして金も野心もなく、地味でぱっとしない大人しそうな男。そんな良いように操れそうだったのが私だった。それだけのことでしょう」
 どうしてこんなことを言わなければいけないのか。だが人の口からわざわざ聞くよりも、自分から話したほうがまだ心境的にはましだった。
 年頃の近い傍系の男、というだけなら俺よりも美丈夫と年の差が少ない者を知っている。優秀な者もいるだろう。その中で俺が選ばれた理由は一つ。
 本家の決定に逆らわず、黙って従うはずだ。
 その予測の元に選出されたに過ぎない。実際俺はこの流れに逆らう力も立場もなかった。
 ただそれだけのことであり、訊くだけ無駄だと思っていた。
「全く違います。一欠片も合ってません」
 美丈夫は妙にきつい言い方でそれを否定してくる。見上げると怒っているようで、落ち着いた表情ばかりだった人の眦が釣り上がっていた。
 おや珍しい、と意外さに目を見張るけれど、優しさ故の否定だと思えば心苦しいものがあった。
 それほど気を使わなくても良いだろうに、肩の力を抜けよとアドバイスもしたくなる。出来るわけもないが。
「初めて会った時のことを覚えてますか?」
「成人式の日ですか?」
「はい。俺が階段から下りていく時に、貴方が目の前を通り過ぎようとして立ち止まった、あの時です」
 覚えているも何も、そう簡単に忘れられそうもない光景だ。
 紋付き袴という特別な着物。凛とした顔立ちの男。薄暗い階段を下りながら、背後に昼下がりの淡い光を浴びていた。
 何よりその眼差しが俺を射貫くから。記憶に焼き付いて離れなかった。
「貴方は俺を見て驚いてた。恰好が恰好なので無理もないことですし、俺もそれだけなら気にしなかったでしょう。ですが貴方はあの後」
 そこまで言って、美丈夫は少し言葉を止めた。
 気になって、記憶を探るけれど、俺は別に何かした覚えがない。あの時は目が合っただけで会話すらしていないのだ。
 母親に呼ばれてすぐにすれ違ったはずなのだが。
「まるで何もなかったみたいに、俺から目を逸らして平然と去っていくのが印象的でした。なんというか……つんと澄ましていて、まるで高級猫みたいでいいなと思ったんです」
 全然分からない。
 俺はまずそう思った。
 しかし美丈夫は目元をほころばせては、懐かしそうにそう語ってくれる。ちなみにその出逢いから半年も経っていないし、そんなに噛み締めるような記憶であるとも思えなかった。
「俺はなんとか言いますか、人から見られることが多くて。本家の人間ということもあって視線には慣れているのですが。あんなにも一瞬で興味を失う人がいるのだと、ましてあんな風に冷たく綺麗に何もなかったみたいに行ってしまうのが無欲に見えて」
 だから俺を選んだのか。その無欲が気に入ったのか。
(これだけ容姿に恵まれたら人に見られるのは慣れるじゃろ。男にじろじろ見られることもあるかも知れん。だからって無視された方が気になるものか?)
 貴方に興味ありません、と示された方が気に入るなんてどうかしていると思うのだが。
 大変に変な趣味をしていると思う。マゾっぽいとすら言えるかも知れないが、永遠に本人にはそう伝えることはないだろう。
(俺とて美丈夫のことは気になったが、あまり見るのも不躾かと思って止めただけなんじゃが)
「それに横顔が、好みだったんです」
 照れたように言われて、これが他の男だったら気持ち悪いと距離を取るところだったんだろうなと思う。生憎顔面が整っていると気持ち悪いという感想も出てこない。
 美丈夫というのは本当に得をしているものだ。
 しかし俺の顔に綺麗という表現を付けるセンスだけは本気で疑う。
「あの、ですね。俺だってあの時貴方を見て動揺したし、一瞬で興味を失ったわけではありません。失礼かと思ってまじまじ見なかっただけで、心の中では色々思ってましたよ」
 誤解や思い込みが膨張していくのを感じて、とりあえず制止をかけた。俺が無欲無心の超人みたいに思われるのは危険過ぎる。
「そうなんですか?ですがそんな風にはとても見えませんでした」
「思っていることはあまり顔には出ないタイプですので」
 俺は平素あまり思っていることが顔に出ないらしい。表情を作る筋肉が割と仕事をさぼりがちであり、淡々としているような印象を持たれる。
 そのせいでいつも冷静な人、というような見方をされがちなのだが、内心結構ビビりであり思考回路だけはよく動いていた。
「あの時だって、貴方と目が合って驚いた気持ちをしばらく引き摺ったままでした。母に貴方のことを尋ねたりもしましたよ」
「そうなんですか」
「無関心に見えたかも知れませんが、俺は貴方のことが気になりました。あれほど紋付き袴が似合う人など、そういないと思いましたから。でも顔に出なかっただけです」
 思っていることがバレなかった。ただそれだけであり、好奇心も興味もあったのだ。美丈夫が望むような無欲さなど俺にはない。
「それは尚更良いですね。ここには狸ばかりなので、思っていることが外に出ないというのはとても良いことです。心の中でどう思っていても顔は平然としているというのは、大事なことですから」
 美丈夫はそれはもう嬉しそうに言ってくれるのだが、好意的に捉えすぎでないだろうか。あとやっぱり本家ってそんなにどろどろとした闇社会みたいな面がある集合体なのか。
 その陰謀渦巻く中に今から突入しろと言われるのか俺は。
「しかし私は小心者で臆病ですよ。この前だって次々に親戚なのかそうでないのかも分からないような人たちに囲まれて、不安で逃げたかったくらいです」
「ですが貴方はちゃんと努めて下さった。そして不安の一つも見せませんでした」
 美丈夫はそれで良いのだと、俺を褒めるように告げている。けれど俺としてかなりの無理をしていたので、解放してあげると言われるほうがずっと有り難い。
 貴方には向いてませんね、という台詞の方が数千倍優しさがこめられているだろう。
「心の中は小心者、臆病。それで充分です。いやむしろその方が理想的です。俺は父に似たのかどうも無謀で、突っ走るところがありまして」
 あの人に似たら駄目だろ。
 まだ他人であるにも関わらずそんな失礼な台詞が出そうになった。しかし実の親子ならば似てしまうものかも知れない。
(男の嫁で良いと納得してしまっているところからして、すでに似た者親子なのかも知れん)
 普通そんなものには従わず、抗い続けていくものだろう。それに飲み込んで自ら動いているところが、まさに暴走型の証拠である。
「奥さんにはそうして慎重で冷静、臆病なくらいが丁度良いと思うんです。ストッパーになって頂けると嬉しいです」
(……この人はもう未来に思いをはせておるのか)
 美丈夫の中では、二人の今後がすでに計画されているのだ。
 俺なんて現実を受け止められないどころか、今だって直視出来なくて逃げることばかり頭にある。それでもただ流されて、抵抗することすら諦めていた。
 だが美丈夫は大混乱して当然の現実の前でそれに適応し、ずっと先のことまで視野に入れている。
 これが八つも年下の男だ。
(同じ男が)
 同性だからこそ、明確な出来の差に情けなさを覚える。
「私に勤まるとは、思えない」
 この美丈夫に釣り合うような人間ではない。もっと矮小なものなのだ。
 けれど美丈夫は力強く微笑んだ。
「構いません。初めから貴方に甘えようなどと愚かしいことは思ってません。俺もまだまだ未熟で無様な男です。ですが、貴方と共にどうにか少しでも立派な男になりたいんです」
 すでに立派な男だろう。
 そう言いたかった。美丈夫が未熟だというのならば俺なんてどうなるのだ。
「無茶なことを言っているのは百も承知です。ですがどうか、嫁に来て下さいませんか?」
 尋ねてはいるけれど、もはや半ば確定しているようなものではないか。嫌ですとここで俺が言ったとしても、黙殺されてしまうのではないか。
(親戚たちはもう俺が嫁になると思っておるじゃろ)
 俺の抗いなど些末なものだ。
 けれど、それでも尚美丈夫が俺に問いかけるということは。きっと納得してここに来てくれということなのだろうなと思う。
 自分からこの家に足を踏み入れてくれと。
(ハードルが高い)
 隣にいる男が必死に向けてくる懇願の眼差しが、俺を苛んでくる。
 駄目だこの空気。
 俺の家に突然訪れて嫁になってくれと言われた時もそうだったけれど、この男は俺に「はい」と言わせる術に長けている。いや、それ以前にその顔で何かの要求をすること自体犯罪ではないのか。
 美丈夫が真摯に願い事をしてくるなんて、威力があり過ぎるのだ。
「……はい」
 それ以外の返事がどこにある。
 いつかのように、やはり小さな声で頷いてしまう。もっと肯定的な反応を求められているのかも知れないがさすがにそれは無理というものだ。
 やっぱり逃げ場はないから、という諦めが先に立つ。
「では引っ越しはいつにされますか?ベッドがこのままで良いのか寝転がってみませんか?」
「え、いや、ベッドは」
「家具はいつ買いに行きましょう?それともご実家にある物をそのまま持って来られますか?食器類は新しく買わせて頂きたいと思っているのですが、それは大丈夫ですか?」
「ちょっと待って下さい」
「上総さんの次のお休みっていつですか?」
(畳みかけてきた!追い打ちをかけて完全に俺をここに運んでくるつもりじゃこの男!)
 さあもう遠慮はいらないだろう、と言わんばかりに美丈夫は次々に俺に質問と確認を取ってくる。戸惑っている姿が目に映っているはずなのに、一切止めない。
 さあ休みはいつだ、その休みの日がおまえがここに来る内容全部が決定する日だ。
 そんな脅迫が聞こえてくるようで悲鳴を上げたくなった。


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