「主が我が身をいらないと言うなら、刀はいらない」 声音は冷たかった。 突き放すように。 「鬼に喰われても構わないと言うなら、俺が側にいる必要はないだろ?」 「そんなことは言ってない……」 「言ってなくても、これじゃ同じだろ?」 責めているというより諦めているようだった。 「俺は側にいるなら、皓弥を守るし。自分のことを全て投げ捨ててもいい。他に大切なことなんて一つもない。皓弥のためだけに生まれて、皓弥のためだけに生きてきた。それは今後も変わることはない」 那智は、包帯を手に取った。 「皓弥がいるから生きているんだし。皓弥がいなければ生きている意味がない。皓弥が、自分は死んでも構わないというなら俺は生きている必要がない」 「なんで、そこまで……」 「そう決めたから」 「刀だからか」 「……まぁ、それもあるんだろうけどね。でも、刀っていうより俺がそういう生き物だから」 包帯をきつくない程度に首に巻き付けていく。 呼吸のたびにやけに締められている気がして、落ち着かない。 「ジジイは、主がいなくなっても、主の命令で生きているけど。俺は生き続ける気はない。皓弥が何と言っても。皓弥が生きていることが、俺の生きている理由だから」 重すぎるからもう止めてくれ。 皓弥は那智の口から積み上げられていく言葉に縛られていった。 「だから皓弥が側にいて傷付いたら、俺はどうしても守りたい。命を奪われるようなことがあれば何としても阻止する。それが嫌なら、俺をいらないって言ってくれ」 従うから。 那智はぽつりと言った。 「邪魔なのに側にいても、お互い息苦しいだけだろ?俺自身はいらないとしても、刀として必要ならいいと思っていたんだが。自分を大切にしようとしない主の元に刀がいても迷惑なだけだろ」 「……悪ぃ」 遠回しに責められているということに気が付き、皓弥は後ろめたさに謝った。 「違うよ。皓弥は謝る必要はない。それが望みならそうすればいい。俺は道具なんだから、気を使うことなんてない。だから言ってくれ。いらないのならそうだと。ちゃんと消えるから」 「消えるって……」 「皓弥の前から消える。その後のことは皓弥が気にすることじゃない」 気にするなと言われても、今の会話から察するに那智は死ぬつもりではないか。 そんな予感に皓弥は目の奥が熱を帯びるのを感じた。 「無理に必要だ、なんて言わなくていい。遠慮しながら生活するなんて疲れるだけだろ?現に皓弥は今、疲れてる」 見透かされている。 那智は包帯を巻き終えると、目尻を細めた。 微笑んでいる。 「捨ててくれ。きっと俺の思いはこのままでも消えない」 皓弥が欲しい。 そう囁いて、甘やかに深く心をえぐる。 皓弥は息を飲んだ。 痛みような何かが疼く。 突き放していいと言うくせに、どうしてこんなに甘美な墜ち方をさせるのだ。 (どいつもこいつも) どうしてこんな時にばかり優しさを見せる。 緩やかに縛り付けようとするのだ。 苦しいのに逃げる意志を奪われる。 「俺がいつ……」 皓弥は拳を握った。 いつの間にか震えは収まった。 寒さは熱へと形を変えて身体を支配しようとしていた。 自分を押さえ付けていたタガのようなものが、外れる。 「いつおまえを必要ないって言った!」 怒りに任せて怒鳴ると、どくんどくんと耳のすぐ近くで鼓動が聞こえた。 「おまえなんかいらないっていつ言った!この傷だって好きでやられたわけじゃない!確かに油断してたってのはある!でもわざとやられたわけじゃない!今は誰かに命をやろうなんて思わない!俺にはやらなきゃいけないことがあるんだからな!」 母親を殺した鬼を始末するという願いを抱いているのだ。 そう、たった一人の肉親だった母親を奪った奴を。 「大体、俺の望みならとか言いやがって!望みなんか全然分かってねぇだろ!?おまえを邪魔だなんて思うわけないだろ!俺にはもう他に誰もいないんだから!」 那智がゆっくりと目を見開いた。 驚くことじゃないだろうが。と皓弥は舌打ちしたくなる。 こんな事実はもう前々から歴然としていた。 「家族なんてもう一人もいない。全てさらけ出せる友達だっていない。おまえには全てを知ってる家族がいるだろうけど、俺はもう一人なんだよ。おまえ以上に必要な人間なんかいるはずないだろ!?」 声を荒らげれば荒らげるほど、頭に血が上って息が上がる。 こんなに感情を直球で投げることなど、何年ぶりだろう。 自制がきかないなんて、まるで小さな子どもみたいだった。 「それを捨ててもいいだの、何だのって!捨てられるはずないだろ!?それとも何か、おまえは俺をいらないって思ってんのか!?」 「思うはず、ないだろ……」 那智は涙目で怒鳴る皓弥を呆然と見つめながら、戸惑いがちに答える。 「だったら側にいろよ!おまえの思いも捨てなくていい!そのままでいいから!…だから…」 皓弥は涙が頬を流れるのを感じ、吐息まじりに告げた。 嗚咽が喉から溢れて、声を遮る。 怖いと思った。 那智がいなくなることを。 たった一人でこの部屋にいなければいけないことを。 「嫌……なんだよ。もう……失うの」 暗い部屋に帰って、いつまで経っても誰も戻ってこない時間を過ごすのが嫌だった。 大切だと自覚しているものが、ある日指の間をすり抜けて消えていくのが怖かった。 抱き締めてくれたぬくもりが、もう何処にもないのだと知るのが恐ろしかった。 潰されそうになるくらいに。 「……俺が必要?」 「ったり前だろ、馬鹿」 「皓弥が好きな俺でもいいの?刀に徹することが出来ない、出来損ないでも」 「俺を嫌いな刀なんて嫌だ」 好かれるのと嫌われるの、どちらがいいと聞かれれば素直に前者を選ぶ。 近くに置くならなおさら。 「抱きたいって思っても?」 試すように、那智の手が伸びてくる。 髪を梳き、耳に触れる。 「そう思うなら、抱かれてもいいって俺に思わせてみろよ」 涙を残した瞳で、皓弥は那智を見上げる。 意識的ではないだろうが、それは随分挑戦的だった。 「……触れていい?」 「いつも許可なしで触れるくせに」 「そうだけど」 「おまえは何が怖いって言うんだ」 一抹の不安を見せる那智に、皓弥は尋ねる。 「俺が嫌がるって思ってんの?それともまだ、必要ないって言われるとでも?有り得ないだろ。おまえなしで、俺生きられないんだから」 もう出会った頃から依存してる。きっと。 那智は「ああ…」と息を吐いた。 降参。と両手を上げたいように。 「嬉しい、すげぇ嬉しい。良かった」 「何が」 「生まれてきて良かった。皓弥と会った時も思ったけど、でも今が一番強く思う」 那智の両掌に頬が包まれる。 「皓弥の刀で良かった。皓弥の物になれて良かった」 本当に幸せそうに、那智が笑う。 まるで子どもみたいだ。 余裕がありますと言わんばかりの大人びた笑い方ばかり見てきたからそれはやけに新鮮だった。 「おまえなしじゃ生きられない俺の物になって嬉しいのかよ」 生活能力もない駄目人間だぞ。と皓弥がぼそっと照れ隠しのように言うと那智は「もちろん」と言った。 「俺無しじゃ生きられないなんて、最高だろ?」 那智は上機嫌でキスをしてきた。 軽くちぅ、と音を立てて吸われ皓弥は目を閉じた。 その際に目尻に溜まっていた涙が流れる。 「ごめん、泣かせて」 それに気付いたのか、那智が涙を舐める。 怖かったのだと。素直に教えようかと思ったが、そこまで甘える気にはならず首を振った。 「いい。どうせおまえが拭うんだ」 那智が泣かせたとしても、そうじゃなくても。 この男が側にいて、こうして拭うのだろう。 そんな気がした。 那智はぴたりと動きを止め、それから深く息を吐いた。 「うん。拭う。だから」 ないて。 とんでもない願いだな。びーびー泣けって言うのかよと皓弥が文句を言おうとしたら、また唇を塞がれる。 (こいつキス好きだよな) 弾力のあるその感触は皓弥も嫌ではなく。大人しく受けていた。 だが舌で歯列をノックされ、開けるべきか悩んだ。 そこまでしてやる筋合いはないぞ。そう思ったが何より元のように那智が接してくれることにほっとした気持ちが大きく、まぁいいかと薄く唇を開いた。 「ん……」 滑り込んでくる舌。 強引に呼吸を奪われた数日前とは違い、撫でるように動くそれは皓弥に不安を与えない。 むしろぼんやりと欲を煽ってくる。 (流されている) このままではいつか抱かれてしまう気がした。 男相手に。 (それはどうだろうな) 那智がいなくなるよりずっとマシだろう。 (だからって言ってもな、男としてどうかと思う……) 結局那智が望むなら、大概のことは受け入れてしまうのだろうか。 那智がそうしてくれるように。 それにしたって、無理がある気がする。 「っ……?」 那智の手がジーンズから服の裾を引っぱり出して、直接腹へと触れてきた。 あたたかな掌に撫でられぞくりと背筋に電気のようなものが走る。 (手を出すのが早すぎるだろ!?) そんな悲鳴を那智が知るはずもなく、掌は上がってくる。 胸の突起を指のはらで刺激されると身体がひくんと跳ねる。 止めさせようと那智の服を掴んで引っ張っても、キスすら止めてもらえない。 「んっ!!」 塞がれたままで抗議すると胸を触っていた手が背中に回され、肩胛骨から腰までを探るように撫でられる。 くすぐったさに混じる、疼きのようなものに皓弥は驚いた。 たかがそんなものに反応することがあるなんて、思っていなかったのだ。 「は、ぁ……那智」 止めろと告げる声が鼻に掛かっているのが自分でも分かって、いたたまれない。 「ん?」 那智は長身を屈め、鎖骨へと唇を下ろした。 血の痕が残る肌を舌で舐める。 「何やってんだよ」 嬉々として舌を這わせる那智の頭を軽くはたく。 すると那智の両手がジーンズにかけられる。 「那智っ!?」 ファスナーを下ろし、フロントを開いて那智の手が下着の中へと潜り込んでくる。 人の手に包まれたことなどないそれは、すでに熱を帯びていた。 「止めろ!マジで!」 冗談じゃないとばかりに下肢を掴む手を止めようとすると、空いていた那智の片手に捕まる。 「那智!」 体温が上昇していくのが、はっきり分かった。 自由なままの片方の手で下肢をいじる那智を外そうとするが、鎖骨に歯を立てられて息を飲んだ。 「いい子にしてて。ちゃんと気持ちよくするから」 「おまえ何言ってんだよ!恥ずかしい!」 どんなAV見てんだよてめぇは!と怒鳴る皓弥の口を那智は苦笑しながら塞いだ。 ムードないなぁとでも言いたげに。 「やっ……うぅ」 上下に那智の手が動かされるたびに、腰から下の感覚が曖昧になっていった。 ただ熱さが奥から押し寄せてくる。 唇の間から零れる吐息は次第に甘やかになって、時折ねだるみたいな響きを持ち始めた。 性急すぎる。そう頭は批判するのに身体は那智の手を拒もうとしない。 「可愛い。そんな顔するんだ」 キスを止めると、那智は間近で目を細めて嬉しそうに言った。 そんな顔と言われても、皓弥の前には鏡がないので分からない。 とんでもない表情を晒している自覚はあるが。 「もぅ、外せ…」 緩い刺激ではあったが、それ以上されると自分がどんな声を上げるか予測も出来なかった。 首を振って現状から意識を反らす。 「手なら外してあげる。その代わり」 那智は手を引くと皓弥の両膝を大きく開いた。 「は!?」 驚く皓弥の前で、那智は膝を付きそこに顔を埋めた。 ぺろりとあたたかく柔らかな舌を感じた箇所に、皓弥は眩暈を覚えた。 「頼むから止めてくれ!那智、本気で!」 皓弥は緩んだ涙腺からまた涙が滲むのを感じた。 驚愕と羞恥で頭がおかしくなりそうだった。 「いゃ……ぁ」 ぴちゃと舐める音が神経を焦がす。 初めて与えられるその感触に、意識がぶるりと揺れた。 器用な手が根本をそっと弄んでは欲情を煽ろうとしていた。 那智の髪を指に絡めて、引っ張ってやろうとするのに力が入らない。 「あ、んっ…」 明らかな嬌声が無意識の内に溢れ、那智が上目で皓弥を見上げた。 様子を眺められていることに、かぁと顔が赤くなったのを感じた。 止めろと言うくせに、下肢は高ぶる一方で追い上げられることを望んでいるようだった。 那智の舌の感触だけがやけにはっきりしていて、身体はどろどろと溶けていく。 「那智……ぃ」 羞恥と混乱は制止を求めるのに、それ以外の部分は限界まで引き上げられた欲情を吐き出したいと訴える。 こんなことになるのは初めてで、皓弥は零れそうな涙を溜めて那智の名を呼んだ。 この男が自分を陥れているのに、救いを求める相手は那智以外にはいない。 「いっ、は、ぁ……あぁ」 すっぽりと口の中に収められ、舌で刺激され、下肢が震え始める。 時折歯が当たっては強すぎ刺激に、痛みに似たものが走った。 しごくような動きに皓弥は声が殺しきれなくて、親指の根元に歯を立てた。 きつく噛んでいるはずなのに、那智によって与えられている快楽に全て飲み込まれていく。 「っ、っ、ん……!」 波のように訪れる悦楽に背がしなる。 内股が痙攣して、麻痺していく。 目を閉じて皓弥は意識を投げ出した。 那智は抵抗を捨てるその瞬間を待っていたかのように、それを吸い上げた。 「――っん!!」 びくんびくんと震えながら、那智の口へと熱を放つ。 はぁ、はぁ。と荒い息をしながら手の甲を唇から離す。 力が抜けていく代わりに、冷静さが戻ってきた。 目を開けて潤んだ視界で天井を仰いだ。 次 |