六




 
「今日からお世話になります」
「こちらこそ」
 実際のところ世話になるのはこちらの方だ。春奈に頭を下げられて焦ってしまう。
 そもそも以前那智の実家に行った時には、至れり尽くせりで歓迎して貰ったのだ。逆の立場になって不便を掛けるわけにはいかない。
 しかし思ってはいるけれど、現実はそう上手くいかなかった。
「申し訳ありませんが客間がなく、空いているのが仏間になってしまうのですが、それでもよろしいですか?」
 来客があることを前提にしていない家だ。二人の部屋以外は仏間しか寝起き出来るような部屋がない。だからといって人の家の仏間で寝るというのは、居心地が良いとは言えないだろう。
「構いません。なんだったら廊下に転がってるだけでも平気ですから」
「そんなこと出来ません!」
「春奈さんは俺の部屋で寝れば?ベッドなんてほとんど使ってないし」
「待て」
「俺は皓弥と寝てるから」
「おまえ、なんで、そういうことを……」
 平然と春奈に告げる那智の足を踏む。小声で怒ったところで目の前にいる春奈にはきっと聞こえるだろうが、それでも心情的に声量を落としていた。
(なんで毎晩一緒に寝てますなんて、そんなことを暴露しなきゃいけないんだ!)
「とっくに言ってることだから」
「何を、どこまで……?」
 主と刀という繋がりを、どこまで深めていると伝えているのか。
 仲が良い、執着心がある、程度の情報ならは見たままだから全く構わないけれど。一緒に寝ていると喋っているならば、まさか肉体関係があることも教えているのか。
 そんな生々しい話なんて、まさか自分の母親にはしていないだろう。そう希望を持ちたいのだが、春奈はにこにこと二人を眺めているだけで、那智共々答えを口にしない。
「私のことはお気になさらず」
「いえ、あの」
 気になるに決まっている。
 どこまでご存じなんですか?の一言がどうしても言えず、親子は綺麗に皓弥の苦悩を無視してキッチンへと入っていく。
 どうやら那智が春奈に料理の教えを請うているらしい。すでに料理上手だと思うのだが、春奈はそれを上回るようだ。
(那智も春奈さんにはさすがに優しい)
 赤の他人には冷酷なほど排他的だが、自分の母親には親愛を向けているのが感じられる。言動が穏やかで、棘がどこにもついていない。
 仲の良い親子の光景は微笑ましいほどだ。
 刀の血が那智に親しみを覚えさせるのだろう。
 那智にとってこの世で自分と近しいと思えるのは祖父と母親だけ。他の生き物は、人間を含めて全て異形でしかないらしい。
 それはどれほどの孤独なのか。
(こうして親子で過ごせる時間は、大切なのかも知れない)
 もっと頻繁に実家に帰ったり、逆に身内を呼んだりした方が那智にとっては良いのかも知れない。
 身内というものが一つも残っていない皓弥にとって、遠慮のない会話を交わす二人の背中は多少の憧憬を抱かせた。



 那智は春奈を伴い外出をするようになった。二人が歩いている姿を人目にさらして恋人同士だと思わせるつもりだった。
 実は親子のお出掛けだと知っているだけに、皓弥は快く送り出していた。春奈は息子と出掛けるのは嬉しいらしく、弾むような足取りだ。
 帰って来る時は大抵食材や日用品を買い込んでくる。お互いに洗剤や掃除道具などのオススメをし合っているらしい。
 今日もたっぷりの食材を買い込んできては、並んでキッチンで料理を作っている。客をもてなす側であるはずなのに、那智はともかく皓弥は大人しく自室で丸くなっていた。
 料理どころか掃除も手を出すと逆に那智に面倒をかける有様だ。何もせずにいるのが最も効率的であり、邪魔をしないのがおもてなしという有様だ。
 しかし春奈は「那智と一緒にいて下さってありがとうございます」と皓弥の存在を褒めてくれる。
 そして食卓にたくさんの料理を並べてくれるのだ。
(……食べきれるのか)
 今日はイタリアンの気分だったのか。お手製のピザにパスタ、パエリア。この時点でメインばかりでお腹がいっぱいになりそうだが、彼らは止まらなかった。
 鯛のカルパッチョ、トマトと生ハムのサラダ、エビのフリッター、牛肉のワイン煮。どれも美味しいのだが、何故こんなに種類があるのか。
「作りたかったから」
 品数がありすぎだろう、せめてピザとパスタとパエリアはどれか一つに絞った方が良かったのでは。なんて皓弥の顔に書かれていたのかも知れない。
 那智はけろりと答えてくれる。
 春奈がここにいる間に、数をこなして練習するつもりかも知れない。
 せっかく作ってくれたのに残すわけにはいかない。だが食べきれるのか。
 これは自分との戦いのようなものだ。気合いを入れて挑んだのだが゛驚いたことに那智と春奈は涼しい顔で次々に料理を平らげていく。二人とも細身、春奈にいたっては皓弥より一回り以上小柄だというに、一体どこに食べた物が納められているのか。
「……那智は、そんなに食べられたか?」
 普段の倍は食べているのではないだろうか。
 大食漢だとは思ったことがなかったのだが、明らかに食べ過ぎているはずなのに一切苦しげなところがない。むしろまだ入るという余裕のようなものまで漂わせている。
「今日は特別。春奈さんのご飯が美味しいから味を確認しておきたくて」
「おまえの飯も美味いんだって」
 春奈の作ってくれた料理は美味しい。パエリアのご飯は丁度良い固さで、魚介類の味がしっかりと染み込んでいた。噛む度に口の中にエキスが広がっては胃袋が喜んでいたものだ。牛肉のワイン煮なんて肉がほろほろ崩れて、歯を立てただけで美味しさが幸福感と共に広がる。
 格別に美味しいが、だからといって那智の作ってくれたご飯が劣るわけではない。
「そう?それは良かった。デザートもあるよ」
「もう入らない」
 パンナコッタを冷蔵庫から出されるが胃袋は膨らみきっている。これ以上食べれば弾けそうなので、誠に残念だがと断った。
 食べられるなら、と二人には勧めたのだがやんわりと誤魔化されてパンナコッタは冷蔵庫に戻っていった。やはり二人も満腹なのだろう。
 食後は緑茶になった。春奈が好きなお茶であるらしい。渋みがほとんどなく、甘くまろやかな風味だった。緑茶が甘いと感じたのは初めてかも知れない。
 美味しいとしみじみ告げると春奈が小さく手を叩いて喜んでくれた。とても和やかな空間を、引き裂くように那智のスマートフォンが着信を響かせる。
 那智の表情が厳しくなったのに、それが良い知らせではないことはすぐに理解出来た。
「春奈さん」
 着信音はそのまま放置して、那智は席を立つ。電話に出ないのかと不可解に思う皓弥とは異なり、春奈は心得ているとばかりに那智に倣う。
 皓弥だけが分からない。
 意味も分からず、つい腰を浮かせると那智が傍らに立った。
「ストーカー女から着信があった」
「番号を教えたのか!?」
「同期の研究生のスマホを盗み見たらしい。春奈さんを彼女に仕立て上げて会ってくる」
「大丈夫なのか。相手は、何をするか分からないような人かも知れない」
 刃物などを持っているかも、隠れた場所からいきなり現れて刺されるなんて可能性もある。
 誘き出したということは、向こうは何かしらの準備をしているかも知れない。
「相手は人間だ。皓弥だって言ってたじゃないか」
「そうだけど」
 これまで自分が散々相手はただの人間だ、鬼ではないと那智の心配を退けてきた。けれどこれから那智はそれと対峙するのだと思うと、気にはなる。
「俺は勿論、春奈さんだって強いよ」
「任せて下さい。若作りして頑張ってきます!」
 意気込んだ春奈は那智の部屋へと入って行く。春奈の荷物は全てそこに置かれていた。
「若作りなんてしなくてもいけそうだけど」
「全力を尽くすそうだよ。それより皓弥はここから、この家から出ないで。万が一にも、来ちゃいけない。俺たちならどうとでも出来る」
 皓弥の肩に手を置き、那智は真剣に言い聞かせてくる。
 自分の力は求められていない。きっと役に立たない。刀の血を受け継いでいる春奈の方がずっと、那智にとっては助けになる。
 それは重々承知しているけれど、改めて強く語られると胸の奥がずしりと重くなる。
「皓弥がいると、俺は何をするか分からないんだ。一番危険なのは、相手が引き出そうとしているのはきっとそこだ」
「そこ?」
「俺が暴力に訴えて、警察に逮捕されれば良いと思っている。社会的な瑕疵を付けてやろうと企んでいる様子が窺える。そう分かっていても、皓弥が関わると俺は自分が制御出来るか分からない。そのための春奈さんだ」
 大切だからこそ、皓弥は理性の外にいとも簡単に辿り着く存在になってしまう。
 自制心を壊す原因だと切実に教えられては、自分の憂いなど訴えられるはずもない。
「だからここにいて欲しい。出来るだけすぐに帰って来るよ」
「……ああ、分かった」
 那智の邪魔をしないのが、今の自分に出来る手助けなのだろう。
 情けないけれど、だだをこねるほど幼稚でも利己的にもなりたくなかった。










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