皓弥と同じ講義を受けに行った男子二人に関して、那智はすぐに特定が出来た。外見の特徴と浅はかな言動を踏まえればすぐに分かる。後日余計なことをするなと警告をするつもりだった。 しかし女子に関しては心当たりがない。 ゼミに女子はいるけれど皓弥が語った特徴に当てはまる者はいない。髪型からして黒髪ロングとショートカット、もう一人はピンク色だ。黒髪ロングの女子は皓弥と同じくらいに背が高く小柄とは言えない。 三人とも目元にほくろなどなく、那智の彼女に興味はありそうだが。行動に移すほど浅慮ではないだろう。 那智にはあまり関わらないほうが平和だと理解している。 彼女たちは除外した方が正解だろうが、他に当てはまる女子と言われても那智の中には女子のデータ自体かなり乏しい。 他人に関心を持たず、そんなものに頭の許容量を使うのが勿体なくて記憶しようとすら思わなかった弊害がここに来て影響を及ぼしたらしい。 「……そういえば、最初に三人を見かけた時。男子二人は親しげに喋っていたけど、女子はスマホを弄りながら相槌を打っていただけだったな。最後の方は話しかけていたように見えたんだけど、それだって男子が返事をする前に講義が始まったし」 皓弥が記憶を掘り起こして語ってくれる。皓弥と同じ教室で講義を受けるなんて、那智もしたことがない。したいとは言ったのだが、皓弥に止められた。 他校の生徒が入ってくるのは良識として良くない上に、那智は目立つから嫌だと。 それをゼミ生があっさりやってのけたのに苛立ちが募る。 「あいつらに黙ってくっついてきただけの第三者かも知れない」 「わざわざ!?気取られずにそこまでするって、すごいな」 「あいつらが間抜けなだけだろう。それにただの人間は自分が尾行されているなんてあまり思わない。二人で行動していればまして周囲への注意も散漫になる」 「まあ……そうかも。でもあの女子はそこまでしてなんでおまえの彼女を探してるんだ?」 「さあ?俺の彼女を知りたいって輩はいるけど。わざわざ皓弥の大学まで行くなんて愚か者のすることだ。そこまで馬鹿じゃないと思いたかったが、俺の予想を超える馬鹿だったらしい」 「……まあ、あの、男子二人はほどほどに。同じゼミなんだから」 「同じゼミだからこそ、だろう」 今後このような面倒が起こらないようにきっちりとけじめをつけておいた方が良い。 それに皓弥が「うーん……」と呟くが、反対はしてこなかった。 「皓弥は身の回りに気を付けて。俺の彼女を知ろうとしている女が何を目的にしているのかは分からないけど、ろくなものじゃない」 「バレないだろ。可愛い女の子を探してるやつが、俺に辿り着くわけがない」 「だけど蓮城那智と同棲しているのは皓弥だ」 現実としてここで二人で暮らしている。どのような関係であるのかは、聡い人間ならば見ればピンとくるだろう。 少なくとも那智に隠すつもりは毛頭無い。 「……たまたま居着いているだけの従兄弟だ。彼女とは思わない」 「彼氏だったんだと分かるだけだ」 「ないない。おまえはゼミでは彼女にデレデレしてるらしいな。おまえがそんな風になる相手が俺なわけがない。俺と暮らしていると分かっても彼女は別にいると思われるだけだ」 危機感を覚えない皓弥にそれから懇々と警戒するべきだと語ったのだが。鬼と違って相手は人間の女性、しかも小柄で皓弥とは体格差もあるという点が、いまいち深刻になりきれないようだった。 翌日ゼミの人間を問い詰めた。 皓弥の大学に潜り込んだのは那智が想像していた通りの二人で、嘉林塚の名前を出しただけで大袈裟なまでにぎくりと肩を跳ねさせた。 答えを聞くまでもない反応だ。けれど口に出して問いかけながら、距離を詰めていくと「なんで知ってるんだ!」と悲鳴のような声をあげた。 「やっぱり彼女があそこにいたのか!?だとしてもなんで俺たちがいるって分かるんだ!彼女も特殊人間か!」 「いや彼女も蓮城と同じで人間じゃないのかも知れない!」 「侮辱するつもりか」 「止めて!机を蹴らないで!暴力反対!」 二人の前にあるテーブルの脚を軽く爪先で蹴ると怯えたような態度を取る。だが実のところさして恐怖を感じていないだろうというのは、二人の目が微かに笑っているところからして分かる。 なんだかんだと腹の据わった神経の図太い人間が集まった場所だ。 「あそこにいたのか……分からなかった……」 「しかも俺たちには気が付いてたってことだろ?なんで分かったんだ?」 「こそこそ喋るな。おまえたちはどうでもいい。おまえたちの隣に座った女を覚えているか」 「ああ、あの人か。蓮城にすごく興味があるって言ってたぞ。だから彼女もどんな人なのか研究したいって」 「喋ったのか」 皓弥の話ではこいつらと女が直接会話をしたところは見ていないようだが。 「講義が終わった後に。うちの大学に通ってて、蓮城の彼女が嘉林塚のしかもこの講義に出てるって聞いたから潜り込んだって。俺たちも似たような話をしていたから密かに付いて来たなんて言ってた」 「俺たちの会話に妙な相槌を打ったから、変な子だと思ったけど。まさか目的が同じだったなんてなー。講義の後学内のカフェで蓮城のこと聞かせてくれって言われて困ったよな−」 「それで?」 「さすがにおまえのことぺらぺら喋ったら後が怖いから逃げた。彼女の情報だって俺たちは何も喋ってない。それも後が怖いから」 「今まさに怖いしな」 「女の名前は?」 「そんなの聞いてない」 あっさりとした答えに舌打ちをしていた。それが分かれば話が早かっただろうに。 「俺たちみたいな陰キャの見本市に並べられるようなタイプが、女子の名前なんて聞けるわけがないだろ!」 「おまえみたいな面を持ってないんだよ!」 「顔だけ良くてもね……そこにいるだけで氷河期を作り出しそうな男だし」 二人の会話にピンク色の髪をした女子、松垣が呟く。その隣にいた背の高い長髪の女子、大山居が陰キャ二人から少し離れた位置に椅子を引きずっては腰掛けた。 「その女子ってどんな子なの?」 「可愛い子だったよ」 「もっと詳しく言えよ陰キャ」 「辛辣!冷酷なのは蓮城だけにしてくれよ!詳しくって、小柄でなんかゴテゴテ装飾したスマホ持ってたな」 「見た目の特徴を喋れって言ってんだよ。なんだその曖昧な情報」 「だってすっげえ可愛くて、直視出来なかったんだよ!」 「目元にほくろはなかったか?耳に三つピアスが着いてて、大ぶりなものを好んでいる。服装は女性アナウンサーのようらしいが」 改めてその女の話をしている際、テレビでニュースが流れた。皓弥がそれを見て、こんな印象の服装だったなと言ったのが、二十代女性アナウンサーだった。 「その女子って、蓮城が前に振った子じゃない?」 那智が述べた特徴に、松垣がテーブルに寄りかかって口を挟んできた。 「蓮城に振られた女なんて何人もいるだろ。顔だけにつられて寄ってきて玉砕する奴、春になると続出するじゃん」 「新入生が騙されるやつね。夏になる前に正体が広がって幻滅されて、静かになっていくのはもはや風物詩だけど。蓮城が言ってる女ってさ、SNSでも有名だって噂の子じゃないかな。蓮城を彼氏にするって学内では話題になったらしいよ」 「よくそんなこと公言出来るね。正気じゃないな。蓮城を彼氏にするなんて、地獄に落ちるようなもんじゃん。なんでそんな自らを罰するようなことをするんだろう。苦行に挑戦して徳を積みたい坊主なの?」 「その女の名前は?」 「そこまでは知らないなぁ。本名でSNSはやってないし、調べるほど興味ないし。でも蓮城に告白して砕け散ったんでしょ?一時期SNSで大暴れして炎上したってのは聞いた。プライドを傷付けられたんじゃない?」 「それで蓮城にストーカー?ありがち−」 「ありがちって……そんなのありがちになって貰ったら嫌なんだけど」 女の噂話をぽんぽんと調子よくラリーのように交わしていく松垣と大山居に男子が引け腰でそう言うが、二人は一切耳に入れていない。いつも通りだ。 「でも大学内で蓮城が付き纏われている感じなんてないでしょう?」 「……知らないな」 「こいつそんなの気にしてないだろ」 「周りなんて見てないって」 これだけ多数の人間が集まっている場所で、自分をつけ回している人間がいるかどうかなど気に留めたこともない。そもそも他人に目をやらないので、ゼミ室のように狭い空間に何時間も詰め込まれていなければ認識もしない。 そんな那智の性格を把握しているだけに、ストーカーがいるかどうかも判断出来ない那智に、誰も驚かなかった。 「その女は何学部だ?」 「文化部だったと思うけど、今休学中だよ。休学理由も知らない。SNSにも載せてないみたい」 「変なところだけ詳しいな」 「友達がSNS眺めてたからね。ほどよく痛くて面白いって。蓮城に告白した後くらいからちょっとおかしくなってたから、心配でもあったみたいだけど。今はSNSの更新も止めて休学してるからねー。何とも」 何をしているのやら、と松垣はスマートフォンを取り出して操作を始める。だが目新しい情報は出てこないようだった。 (何をしているのか?) それは那智が最も知りたい部分だった。 大学で女の足取りをある程度探ったが、松垣が調べた程度のものしか出てこない。 女は自身を美人だと思い、鼻に掛けていたということ。引っ越しをして今はどこにいるのか分からない。電話は繋がっており、知り合いに通話をさせたところ。蓮城が探しているのを「マジで?うれしー」と言いながらも即座に通話を切ったらしい。 那智と接触するのが目的ではない。 そう察しが付いた。ならば蓮城那智の彼女とやらに接触するのが目的だ。接触してどうするのか。 嫌な予想しか出来ない。 「怖い顔をしてるな」 帰宅して皓弥にそう指摘された。家では皓弥に気を遣わせないように機嫌の悪さなど表に出さないように意識していた。そもそも皓弥がここにいる、という現実があるだけで常に機嫌は上向きだった。 だが今はそんな意識も抜け落ちてしまったらしい。 (失敗した) 反省しながらも、ここで微笑むのもわざとらしいと思い、表情は作らなかった。 自分が標的ならばどうにでもなる。けれど別人、まして皓弥に繋がるかも知れないものを標的にされているとすれば、感情が波打ってしまう。 「皓弥はしばらく一人で行動しないで欲しい。危険だ。通学も俺が送り迎えをしたいんだけど」 「いや、おまえといる方がバレる確率が上がるから悪手だろ。一人でいる方がバレないし安全だ」 皓弥は冷静に言い返してくる。 自分といる方が危険。それは頭の中でちゃんと理解していたはずなのに、皓弥の口から聞かされると衝撃があった。 自身は皓弥を守るために存在している。皓弥を守るための力を持ち、そのための行動が出来るものだと自負していた。揺るぎない事実だったはずのそれを脅かされては、とっさに言葉が出なかった。 「それより、相手の女子が誰か分かってもヤバイことはするなよ。生きているただの人間だったら、おまえが犯罪者になるぞ。警察のお世話になるのはまずいだろ。相手がストーカーだって証明されれば法の裁きの元に対処出来るだろうし」 「ストーカーだと認められるには付き纏いの頻度が少ない。たとえストーカーだと立証出来ても軽犯だろう」 「軽犯ではあるけど、逮捕されればさすがに反省もするだろうし」 「しないよ。人間の性根はそんな簡単に変わらない」 ストーカーのような、人格と性癖に深く根付いた犯罪は。逮捕されたところで後悔と反省を求めるのは難しいだろう。どれほど表向きは悔やんでいたとしても、人間の根底はそう易々と矯正など出来ない。出来ないからこそ、常識だけではなく法律すらも逸脱してしまう。 (その女はおそらくまだそこまでは到達していない。だがやっている行為はそれに近しい) マンションの入り口にまで来て、顔も名前も知らない住人を捕まえて那智ではなく、那智の彼女という存在の把握も出来ていないものを問うているのだ。異様な執念と言える。 「だからって物騒なことは考えるな。厄介なのも、面倒なのも分かるけど、俺たちは一応法治国家で生きているわけだ。平和の国、日本だ。人間同士の諍いは話し合いなどで解決を目指すべきだろう」 「話し合い」 「そう。斬ったり消したりなんてことは、人間には出来ないんだから。穏便にいこう」 穏便に、と皓弥は繰り返す。 那智が暴走しないように言い聞かせている。 暴力で片を付けるのは普通の人間相手に執るべき手段ではない。形が残らず、後々支障にならないように会話で丸く収めるのが皓弥の理想なのだろう。 「なんとか穏便にと、考えるつもりではあるよ」 那智がそう返すと皓弥は少しほっとしたようだった。その反応に目を伏せて腕を組んだ、唸り声が喉から迫り上がってきそうだ。 (穏便に消してしまわなければいけない) 次 |