六




 
 天然の鬼がその周囲に出没している。
 その情報を春日から改めて聞かされ、那智は荻野目は勿論、蓮城の関係者たちにも天然の鬼についての情報を掻き集めて貰った。以前から皓弥のために「面喰い」に関しては些末なものでも情報を求めていたのだが、その範囲を拡大させた。
 けれどどこからも、この辺りに出てきた天然の鬼についての詳細が伝わってこない。
 なのに天然の鬼が出たらしいという曖昧な情報だけは、多数持ち込まれた。
 どこから誰が言い出したのかまでは特定出来ていない。噂だけが一人歩きをしている。
 一体どういうことなのか。
 信憑性の薄い情報を鵜呑みにすることは出来ない。けれど万が一という可能性も捨てられない。
 相手が天然の鬼であった場合、油断したその時に大怪我をするかも知れない。
 皓弥が一緒にいる際はまして、一抹の不安も残してはいけない。なので最近頻繁に現れるようになった鬼を始末する仕事をしている際、那智はこれまで以上に神経を尖らせていた。
 もしも依頼された鬼が天然であったのならば、という危惧をしてしまうのだ。
 そんなことはありない。事前にどんなものであるのか、隠密行動が得意な調査員が調べているはずだ。
 微かでも天然の可能性があれば、それこそ荻野目が悲壮な覚悟を持って皓弥の元に説明に来るはずだ。覚悟をしてくれと頭も下げるだろう。
 けれど今のところそんな様子はない。
 だから違うはずだ。天然など来ていないはずだ。
 けれど警戒心は強まり続ける。
 皓弥も仕事をしているとかなり辺りを警戒しているのが感じられた。天然の鬼の噂も気になるのだろうが、黒土という男のことも避けたいからだろう。
 念のため俺を持って行動してくれ、と皓弥に頼んだとおり。皓弥は大学に行く場合を除いて那智を連れて行ってくれるようになった。
 那智の時間を縛っているみたいで嫌だ。たまには俺だって一人になりたい。なんて以前は言っていたのに、緊急事態だと思って那智を傍らに置いてくれる。
 それは刀にとっては非常に嬉しいことだ。充実感もあるのだが、主が気を張り続けているというのは心配だった。心身共に疲弊してしまう。
 さっさと決着を付けたい。
(あの男は目障りだ)
 天然の鬼を探しているというあの男。天然が出たという噂を聞いた、と那智が初めて耳にしたのはあの男からだった。日付を振り返ってもあの頃から出始めたと思っても良いだろう。
 非常に胡散臭い匂いがする。ましてあの男が連れている鬼は人間のような面をして、牙を抜かれ、爪を丸められて無害のような様で立ち尽くしていた。無力さだけを叩き込まれた脆弱な生き物だ。
 だからこそ嫌悪がある。
(あんなものを見せた上で俺が欲しいと言うのか)
 あれは道具ですらない。黒土の虚勢を満たすための無様な慰め物だ。
 那智をそこに当てはめようとする傲慢さと愚かさをあの男は分かっていない。
 刀は主にのみ従う。それは刀の本能だが、主に相応しくない者に対してまで忠義心が生まれるかどうかは那智には分からなかった。
 那智が出逢った主は、主としてとても相応しい人間だったからだ。皓弥が従うべき器ではない主だったのならば、という仮定を想像することすらも困難な矜持の高さと高潔さを持っている。
 刀としての誇りを守ってくれる存在に、那智は命を捧げられることを幸福だと噛み締めていた。その気持ちを物欲しげに見られたところで、不愉快でしかない。
(排除したい)
 出来ることならば今すぐにでも、あの男を皓弥の周囲から消したい。
 しかし人殺しは刀のするべきことではない。
 さて、どうするべきか。
 そう思案しつつ大学から帰ろうとしていたところだった。正門を出て駐車場へと向かう道の途中、人間ではない気配が混ざった。しかもそれは姿が見えないというのにはっきりと感じられるほど強いものだ。
 その上、那智はそれを知っていた。
「馬鹿が」
 呟きながらも知らぬ顔で歩き続ける。目の前に出てこない限りは放置しようかと思った。
 だというのにそれは那智が歩く先にふらりと姿を現した。
 通り過ぎるただの大学生よりも少し幼い顔立ちをしている。以前見た時は中学生くらいの外見で派手な金髪だったものだが。今は黒髪に変わっており、顔つきが多少落ち着いたのもあって高校生くらいには育っている。
 数ヶ月で成長したことに人間相手ならば違和感があるものだが、人間ではないのだからそれでもおかしくはない。
 幾人もの大学生たちはそれを全く気にしていないようだった。日常の中にある当たり前のように目を向けようともしない。
 那智にしてみればそれはあまりにも異質であり、あれの周りは空気の密度と色が異なっている。ただの鬼ならばまだよどみだけが漂ってくるが、生まれながらにして鬼である場合はその空間だけ別物として切り取られてしまったかのようだ。
 天然の鬼、皐月は那智を見ると気軽に片手を上げた。友達に会ったかのような態度に「さて」と独りごちた。
 脳裏には京都にいる天然の鬼が思い出される。桔梗には今度皐月に会った際に危害を加えることは伝えてある。ならばこのまま殺しても文句は言われないはずだ。
 角は立つが道理は通してある。
 しかし人通りの多い昼過ぎの公道。大学のすぐ近くで、講義が終わってそう時間も経っていない頃なので視界に入るだけで十数人の人間がいる。背後にも同数以上が歩いていることだろう。
 斬り殺すにはあまりにも向いていない状況だ。そして皐月は那智に片手を上げたまま、近付いて来ない。あくまでも那智が寄って来るのを待っている。
 賢明なことだ。那智に判断をゆだねている。
 前に会った時よりかは多少は頭が回るのか。それとも桔梗にきつく説教でもされ、那智への接し方でも学んだのか。
(天然の鬼か)
 無視をしても良いが、皐月が何であるのかを思えば目の前で足を止めていた。
「この辺りで天然が出るんだってな。俺は勘違いされると困るから言い訳に来た」
 皐月は那智を見上げては笑いながらそう口にする。その笑いは顔立ちの幼さを完全に裏切る、薄っぺらい欺瞞が混ざったものだ。言い訳どころか面白がって様子を見に来たのだと言っているようなものだ。
「おまえじゃないと?」
「そうそう」
「今ここにいるというのに?」
「説明をしに来ただけだって」
「姿を見せるなと言ったはずだ」
 皐月は那智の後ろを見ては肩をすくめた。
「主はいないだろう。主がいなきゃ俺のことなんてどうでもいいはずだ」
 守るべきものが側にいない那智にとって、目の前に天然の鬼が立ったところで脅威ではないくせに。目くじらを立てるなとばかりに戯けている。
「説明のためにわざわざ来たのか。天然の鬼がこの辺りにいるという噂を間に受けて?」
「そうそう。どの天然の鬼だ?」
 天然の鬼なんてものはそう転がっていない。皐月は同類の噂を嗅ぎ付けて興味本位で姿を現したのだろう。分かりやすい行動に、本当にこれは子どもなのだと知らされる。
「特定の天然じゃない。目撃もされていない。噂だけが流れている」
「噂だけ?天然が出たって噂だけが一人歩きしてるってことか?なんで?」
「おまえのような馬鹿をおびき寄せるためだ」
 天然の鬼が出たという情報だけが交錯している内に、誰もそんなものは見ていないのだろうと察してはいた。
 では何のためにそんな情報が流すのか。脅しか誰かを操りたいのか。操りたいとすれば誰なのか。そんなことを考えた時に、何でも良いから天然の鬼に会いたいと言っていた黒土の言葉を思い出した。
 口にすることで実現を引き寄せる。
 確率としては決して高くない、むしろ吐息で吹き飛ばされるほどの希望しかないようなやり方だ。けれど人間が天然の鬼を誘い出すなんて芸当は出来ない。彼らは知性があり、気まぐれで、何よりただの鬼よりも人を喰う頻度は少ないらしい。
 希少で出現率が極めて低いそれを見付け出すのは困難だ。だったらどんなやり方でも良いから試して見よう。
 おそらくそんな思惑が生みだしたことだろう。
「へー、那智は誰がそんなことをしてるのか知ってるのか」
 馬鹿と言われたことに皐月は怒りを見せない。少し前ならば明らかに機嫌を損ねただろう。子どもではあるが外見だけでなく中身も育ちつつあるのかも知れない。
 うるさい怒声を聞かずに済むのでそれはそれで良いことだ。そして皐月が無駄に騒がないのならば、一つ思い付いたことがあった。
「暇つぶしを探しているのか」
「俺は大抵いつもそんな感じだ」
「鬼としてはあまりにも未熟で半端だからな。やることがないんだろう」
 皐月は生まれてまだ間もない。鬼としての本能も未熟で、自分がどんなものであるのかもまだ理解出来ていない。桔梗に比べれば皐月など鬼としては赤子のようなものだ。
 だから人間の間に混ざっては知識や経験を増やして、本能を刺激している最中なのだろうが。見た目とプライドばかり育つ鬼は、未熟と言われることが癇に障るらしく鼻白んだ。
 けれど感情にまかせて暴れ出す様子はない。
(多少はましになった)
 これは使えるかも知れない。
 そう思う那智の前で皐月は眦を釣り上げた。激しく掻き乱されていることだけは分かるけれど、それがどんな感情なのか分からない眼差しを突き刺してくる。
「おまえには分からない」
「当然だ、分かるわけがない」
 鬼の気持ちなど分からない。分かる必要もないことだ。
 まして那智は皐月が宿している激しい感情など遠いものになった。自身に拘泥しているからこその感情などすでにどこかに投げ捨てた。
 皓弥に出逢ってから、全ての感情の源は皓弥に連結している。皓弥が関わらなければ、那智はそれほど激しい感情を持つことはない。
 そう、皓弥に関わらなければ。
「……暇なら、面白そうなものを見せてやるよ」
 本当に面白いかどうかは分からないけれど、少なくとも那智にとっては現状よりはましだろうと思えるようなことだ。
 皐月は簡単に興味を引かれたようだった。好奇心が強すぎるのが子どもの特徴だ。
 それで痛い目を見るのではという想像が出来ない。
 









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