四




 
 式神であるらしい少年、いや鬼はじっとそこに立っていた。黒土の言う通り、何も聞こえない、何も感じられないと言うようにただそこに存在している。
「鬼の割に凶暴なところが見られない。どう作った」
 那智は式神を見下ろしては淡々と言った。冷ややかな視線は式神の全てを見透かそうとしているようだ。
 黒土は那智の質問に笑みを深めた。よく聞いてくれたと言うような表情だ。
「鬼の雌を孕ませて子を産ませます」
「は……?」
「鬼子を作るのです」
 自分が耳にしたことが信じられず、唖然とする皓弥に黒土はそう付け足した。
 鬼の子どもを産ませる。
 鬼は人を喰らうものであり、獰猛で危険な人間の敵だ。殺すべき対象であるそれを、孕ませるという行為が皓弥には結びつけられない。
「鬼子は幼少期より鬼を喰わせて育てます。人間ではなく鬼を喰って育てられた鬼子は、鬼を食い物として見るようになります。成長すれば、食料として喰うために鬼を狩るようになる」
 鬼は人間を喰うものだ。
 そう思っている皓弥によって、鬼が同類を喰って生きていくことが可能であること自体が驚きだった。それを思い付く者に対しても。
「私どもはそうして式神を創り出します」
 にっこりと微笑んだ黒土は自分たちが行っていることに対して、異常であるという意識が欠如しているようだった。
 だが皓弥は背筋が凍り付くようなおぞましさに言葉を失ったままだった。目の前にいる者が鬼と同じようなものにしか思えず、柄を握る手に力がこもる。
 人間だ。殺してはいけない相手だとは分かるのに。どうしても自分と同じ生き物だと思いたくない。
「よく、そんなことが出来るな」
「自分たちが安全に生きていくためです。それに鬼など、道具に使ったところで心痛みはしないでしょう?」
「痛みはしないが、褒められた手ではない。それにあの鬼はおまえに似ているな」
 絶句する皓弥の横で那智は抑揚のない声で口にしている。
「はい。あれは私の祖父が産ませた鬼子です。半分鬼なので、なかなか年を取らず、見た目は私が先を越してしまいました」
「あれは、叔父、ということになるのか………?」
 黒土が述べた血のつながりを皓弥は問うていた。自身の祖父が産ませた子であるならば、彼の母か父にとっては兄弟だ。血のつながりは近しいはずではないか。
 だからこそ顔立ちが似通っているのだと言われれば、その点だけは分かるけれど。
(鬼が、血縁だと)
「はい」
「叔父がおまえの式神であり、鬼子だって?」
「その通りです」
 自分の叔父が鬼子であり産まれ落ちた時から同胞を喰って育った、鬼であっても人間であっても歪な生き物である。この身体に流れている血をそんなものと分けたことをすんなり認められる神経が信じられない。
 もし自分が黒土の立場になったとすれば、とっくに気が狂っている。
 身体が冷えていく感覚はおそらく恐怖だ。到底理解出来ない上に、嫌悪ばかりが沸いて来るようなものに対峙した時に、どうしようもなく込み上げるものだ。押さえ込みはするけれど、忙しなくなる心臓の音がうるさい。
「嫌がられるのも分かります。私どももこのようなものは式神にはしたくなかった。本当ならば元々鬼を喰らう者と協力して生きてゆきたかったのです。そう、蓮城さんのように、鬼を喰うことを自然なことだとして生きている種族と」
 式神のように時間と手間をかけて鬼を喰うことを教え込むのではなく。本能で鬼を喰らう者と手を組みたかった。それはこの生業をしている者にとっては切実な願いなのかも知れない。
 仕事の成功と安全が約束されている。
「戯れ言を吐くな」
「そう仰るとは思いました」
 吐き捨てた那智に、黒土は軽く笑った。侮蔑の声すらも待ち望んでいたものであるかのように嬉しそうに聞いている。
「貴方たちには真咲しかいない。主従を誓っては己が主以外目に入れることすらもしない。振るわれることに喜びを感じ、絶対的唯一の絆を捧げるそうですね。喉から手が出るほど求めた存在です。洗脳せずとも付き従ってくれる式神など、どれほど重宝することか」
 黒土は那智から皓弥へと視線を移した。そこにはすでに笑みはなく、よどんだ渇望と嫉妬が詰め込まれていた。
 奪えるものならば奪ってやりたい。
 そう雄弁に語る視線にこくんと喉が鳴った。恐ろしさはある。だがここで気圧されたならば、那智の主として恥ずべき事だ。
「式神扱いなど、しません」
 黒土の嫉妬を叩き落とすようにきっぱりと言い放っては、睨み付けるようにして見詰め返す。
 どれほど手を伸ばそうと思っても那智はおまえになびきはしない。誰のものであるのかなど、わざわざ教えてやるまでもない。
 そう強い態度で黒土を突っぱねる。
「そうでしょう。愛情で繋がっているそうですね。たかがそんなもので、けれどだからこそ堅く結び付くと聞いています。愛することを本能で決められているなんて羨ましい限りだ」
 もっとも、と黒土は皓弥を値踏みするように見下ろした。
「蓮城の方々にとってみれば、側に置いておけば食い物が向こうからやってくるから、というのが事の発端でしょうが」
「黙れ」
 那智が黒土を止めるのに反して、皓弥はその通りだと思っていた。
 蓮城が真咲の側にいるのは、贄の血に惹かれて群がる鬼を簡単に食べられるからだ。狩りが容易になるため、傍らに置くことを認めたのだろう。
 けれど力のない人間を傍らに置くことを自分たちなりに納得するために、愛情を後から付け足したのではないか。愛情があると勘違いしていれば側に置いておくことに抵抗も薄くなる。
 そうして植え付けた勘違いが、蓮城たちの間で受け継がれていく内に深く根付いて取り返しが付かない状況になったのだろう。その末裔が那智だ。
 黒土ではないが、洗脳も強くなると引き返せないものかも知れない。
(式神と違って蓮城は自分たちで繰り返した洗脳だが)
「ご気分を害してしまって申し訳ありません。あまりにも真咲さんが羨ましくて、ひがんでいるのです」
 黒土は頭を下げるけれど、そこに誠意が感じられないのは、一切込められていないからだろう。
「蓮城の刀は天然の鬼にも匹敵するほどの力だと聞いています。これにも力が欲しいのです。鬼を喰うことによって力は得ているようですが、雑魚ばかり食べていてもただの食料にしかならない」
「まさか……天然を探してるっていうのは」
「天然をこれに喰わせたいのです」
 愚かだ。それは那智も同じことを思っているはずだ。
 馬鹿じゃないのかと言うことすらも憚られるほど、それは愚行以外の何物でもなかった。
(天然だぞ、こいつは天然を見たことがないのか)
 皓弥が対峙した天然は姿を見るどころか、その気配が淡く感じられただけでも命を取られる覚悟をしなければならない存在だった。目の前に立たれた時には、死が目前に迫っていたものだ。
 相手が自分を殺すつもりがなかったというのに、だ。
 その天然を喰わせようだなんて、身の程知らずというレベルではない。知性が無いのではないか。
「無論天然を殺せる、喰えるなんて思っていません。これにそれほどの力はありません。天然に比べればゴミのようなものです」
「それなのに……?」
「一囓りくらいは出来ないかと思ってしまいます。これの逃げ足はとても速いのです。それはもう、一瞬で消えてしまいます。随分苦労してそれを学ばせましたから」
(どれだけ逃げ足が速くとも、天然の鬼は軽く凌駕するはずだ)
 生き物としての格が違う。
 この少年のような鬼子がいかに優れていても、所詮は人間の血が混ざっているではないか。その人間の血が、天然の鬼に太刀打ち出来るとは思えない。
「天然の血を吸うだけでも、きっと今よりも大きく成長すると思うのです」
「おまえは狂っている」
「そうでしょうか。強くなりたいと思うのは自然なことです」
 皓弥は堪えきれずにとうとう率直な気持ちをぶつけた。
 この男の語っていることは狂気ばかりが満ちている。
 それが自然であると言ってしまえることすらも。
「天然を喰うなんて到底無理だ」
「無理だと知っていても夢に見ます。それに例え天然の鬼に殺されたとしても私じゃない。あれの代わりはいます」
(こいつは……自分が安全な場所にいられるから)
 式神を天然の鬼と戦わせ、死んだところで痛くも痒くもないのだ。おそらく自分は離れたところで安全なまま、蚊帳の外のような顔をしていられる。
 自分の身を守るために式神を創り出したという。その見下げた根性をここでも露わにしてくる。
 どんな汚い手を使っても力と安全が欲しい。狂気の沙汰であったとしても構わない。
 なんて卑怯な人間なのだろう。
(胸くそが悪いっていうのはこういう奴のことだ)
「天然を知りませんか?」
 軽蔑の眼差しを向けられていることは感じ取っているはずなのに、黒土はそれでも天然の行方を尋ねてくる。この辺りで仕事をしているのは那智と皓弥だからというのもあるだろうが、刀である那智に少しでも接触していたいのではないかと穿ってしまう。
「失せろ下劣。辺りをうろつかれのは目障りだ」
「うろつくなと言われても鬼がいる以上、私がここにいる意味もあると思いますよ。お二人だけでは手が足りないこともあるでしょうし。私もこれに食事をさせなければいけません。協力関係は作れます」
「作らない。おまえは所詮鬼だ」
「いえ、私は人間です。ご覧の通りですよ」
 おかしなことを言うものだと、黒土は愉快そうに目を細める。けれど那智が言っていたのは生物としての名称を意図しているものではない。
「帰ろう」
 きびすを返した那智は皓弥にそう促すけれど、黒土に背を向けるのに酷く抵抗感があった。正しくは式神に、鬼子に背後を取られたくない。
 それは皓弥がこれまで培ってきた警戒心と危険に対する精神のせいだ。
「俺がいる」
 皓弥が躊躇っていると、那智が柔くそう告げた。そして肩に手を置いては大丈夫だと囁いてくれる。
 式神から視線を外すのは嫌だけれど、那智が動き出してしまえば棒立ちをしているわけにもいかない。意を決して背を向けると、那智の手が背中を支えてくれた。
「斬るのはあまりにも簡単だ」
 この距離であっても、式神が動けば那智はすぐに斬り殺せるのだろう。それだけの自信があるからこそ背を向けている。
 これまで那智が鬼を斬ってきた姿を思い出しては、全身が固まるような緊張感が少しばかり和らいだ。けれど代わりに黒土が喋っていた内容がずっしりと体内に沈んでいく。
 気味の悪さは暫く皓弥に纏わり付いては、吐き気にも似たものに苛まれた。










TOP