弐




 
 那智の手が肌をまさぐる。
 舌が首筋を舐め、鎖骨に歯を立てる。
 軽い刺激に息を飲んだ。
 触れても柔らかくない骨ばった堅い身体だというのに、飽きることになく動く手に翻弄される。
 優しいのに、劣情を煽られてはどうしていいか分からなくなる。
 逃れたい気持ちと、このまま快楽を追いたい気持ちと、両方に挟まれて身動きがとれない。
 その困惑すら、那智は面白がっているかのように下肢に触れる。
 直接茎に触ることはなく、内太股を撫で上げる。
 痺れのようなものが這い上がって来ては、腰が引ける。
 何度もそうさせると、自然とそこが高ぶるのが分かった。
 もどかしい。
 そう口走ってしまいそうで、唇を噛んだ。
 胸を舌で舐めては、尖ったそれに甘く噛む。
 ぴりとした痛みに喉がしなった。
 そんなものは何も役にも立たないのに、感覚だけが鋭い。
 女でもあるまいし。
 声なんて出せない。
 肩に爪を立てると、那智が笑う気配がした。
「嫌?」
「ったりまえ」
 すでにみっともないくらい熱を帯びている声で、そう言い返した。
 睨んでも、潤んだ瞳では笑われるだけだと知っている。
「男なのに」
「んー、男でも感じることは感じる」
 そう言って、那智は皓弥に口付けをする。
 今日はそうされることが、いつもより心地よい。
 那智という存在を、自分の中に感じたいのかも知れない。
 唇を開くと、軽く舌を絡められた。
 その間に那智の手がようやく茎に伸ばされた。
 持ち上がっているそれを掴まれるだけで、びくりと身体が震えた。
 やわやわと握られるだけで、塞がれた口から吐息が零れていく。
 声を殺したいが、口付けているとそれが出来ない。
 けれどくぐもった音では、ろくに耳に届いてこない。
 皓弥としてはそれで良かったのだが、那智は不満らしい。
 唇を離して見下ろしてくる。
 ぺろりと濡れた唇を舐めてくるのは、獣そのものだ。
「っ…ぃ…っん」
 鼻に掛かった吐息、目を背けて那智を視界から外す。
 見られているという視線は感じるが、目を合わせて喘ぐよりましだ。
 必死に唇を閉じていると、那智が動いた。
 下肢へと下りる頭に、皓弥はぐっと髪を掴んだ。
 しなやかな黒髪を指に絡め、やや強引に引き寄せる。
 きっとやられると痛いことだろう。
 止めるだけなら髪を軽く引くだけだ。
 けれど今は、止めるだけでなく、那智の唇が欲しかった。
 茎を口内で弄ばれるより、より強い快楽を与えられるよりも。
 口付けが欲しい。
「痛いって」
 那智はやや不満そうに顔を上げて、皓弥をまた見下ろした。
 その後頭部を掌で包んで、口付けをねだる。
 こうして自分から要求することは珍しいせいか、那智は目を見開いた後ゆっくりと唇を重ねてきた。
 茎は舌の代わりに手が器用に包んでは上下にしごく。
 硬度を増しては濡れていくそれを確かめるように、先端を指の腹で撫でられる。
「っん!!ふ、ぁ」
 口付けの合間に声が溢れる。
 那智の手を濡らして、肌を滴っていくそれが、欲情を訴える。
 達してしまいたい。
 皓弥の頭の中が、白く溶けていく。
 ここまで煽られると、羞恥も否応なく薄められる。腰が動いてしまうのも、止められない。
 手は那智をすがり、舌が欲しがるように那智に絡む。
 吸い上げられると口付けだけで下肢がまた濡れる。
「ひ、あ…んっ…」
 高ぶるそれがとろとろと雫を溢れさせて、那智の指が動くたびに卑猥な音を立てる。
 限界が近いと悟られたのだろう、茎を弄んでいた指に容赦がなくなる。
「んん、ぁ、あ!」
 それに耐えることが出来るはずもなく、むしろ欲しがっていたように精を吐き出す。
 声は口内で響くが、震える身体が快楽を如実に教えたことだろう。
 那智が触れるだけの口付けを二、三度して、微笑んだ。
 密着した肌が精で濡らされている。
 乱れた呼吸で、忙しなく胸を上下させながら、皓弥は目を閉じた。
 酸欠で少しくらくらする。
 脱力した身体を休めていると、那智の手に足を開かされた。
 汚れているだろうそこが、晒される。
 反射的に閉じようとしても許されるはずがなく、片足が那智の肩にかけられる。
 身体を折り曲げられ、呼吸がし辛い。
 目を開けるまでもなく、那智が何をしようとしているのかは分かる。
「那智…」
 まぶたを上げて男を見ると、雄の顔をして視線をよこしてくる。
 食いつこうとしている。
 返事はなく、目尻に唇を落とされる。
 茎に絡んでいた指は後孔へと伸ばされ、ぬめりを伴い中へと入ってくる。
 いつの間にローションを出したのか、目をつぶっていたのはほんの少しの間だけなのに。
 こういう時は非常に素早く、また手つきに無駄がない。
 潤滑のせいでくちゅと音を立てて中をまさぐられるが、不快感は込み上げてこない。
 異物を入れられているという感覚はあるのだが、この後味わう感覚に比べれば軽いものだ。
 指を増やされ、一番過敏な部分の周囲を押される。
 違う、そこじゃない、と身体が焦らされる。
 わざとそうしているのだ。
 喉元に噛み付いてくる男は、皓弥が欲しがってくるのを待っているのだろう。
「…ん……はぁ…ぁ」
 内側を掻き混ぜられ、違和感と小さな快楽が綯い交ぜになってくる。
 精を吐き出して一度冷めたはずの劣情が、頭をもたげる。
 中に何本入っているのか、把握できない。けれど指がばらばらに中をほぐしては出し入れ差をする。
 すでにそれは指というより雄を彷彿とさせる動きで、皓弥は那智の背中に爪を立てる。
 耳に届いていく、水音。
 暮れていく日が部屋を茜色に染めては、劣情を宿す那智の瞳をはっきりと突き付けてくる。
 肌まで火のように見せてくれる。
 この色で、皓弥の身体の奥まで灼熱で燃やしてくれればいい。
「那智」
 耳障りなほど乱れた呼吸で呼ぶ。
「ん?」
「なち」
 拙い呼び方で、ねだる。
 貫いて、その熱を中で感じさせて欲しい。
 薄暗い中で秘やかに行われていたはずの行為。明るさに眩暈がする。
 くらむ意識ごと根こそぎ奪われたい。
 言葉には出来ず、ただ懇願するように見つめると、那智が息を飲んだ。
 そして指を引き抜き、高ぶったそれを押しつけてくる。
 引き裂かれる覚悟をしていると、予想を裏切らない熱が入れられる。
 ひくっと声をならない声を飲んでは、繋がった感覚に神経が焼き切れてしまいそうだった。
 ようやく、心臓が恐怖ではないもので震えた。



 いつもより遅い晩飯。
 向かい合ってもそもそと食べていた。
 皓弥の髪はまだ濡れていて、風呂上がりであることは明らかだった。
 夕方、ベッドの上で情事を行うなんていつもなら有り得ないことだ。
 しかも抵抗をしないどころか、時々自分で促していた。
 思い出しては逃げ出したくなる。
 周囲が薄暗くなってようやく離れると、我に返って自己嫌悪で絶句したほどだ。
 夜にひっそりとヤらなければいけないことだ、と決めているわけではない。だが明るい内からやりたいようなことでもなく、がっつくなんて常にはないことだ。
 性欲は薄い方だと思っていたのだが、勘違いだったのだろうか。
 それとも、恐怖を快楽にすり替えたかったのか。
(たぶん、それだろうけど)
 異様な気配にあてられて、それを消したかった。だから那智を欲しがったのだろう。
 欲しがられた男は、この珍事に上機嫌だ。
 非常に浮かれているのが見て取れる。こちらは居心地が悪いというのに。
「気になったから、聞くけど」
 にっこりと微笑みながら那智が口を開いた。
 艶々している顔に溜息をつきたくなった。こちらはぐったりだ。
「答えたくなかったら黙秘してもいい」
「なんだよ」
 随分前置きをしてくる。
 機嫌の良い男から目を離して、食事を見下ろす。
 腰の辺りに妙な感覚が残されていた。
 いつもはそのまま寝るのであまり気にならないのに。
 椅子に座ったら強く感じる。
「なんで誘ったの?」
 持っていた箸を投げ付けようかと思った。
 ぎりぎりのところで止めたのは、行儀が悪いことをしてはいけないという母の躾のおかげだ。
 しかし手は投げる形をしていたので、那智が素早く避けている。
「誘ってない…」
 思いっきり睨み付け、地を這うような声でそう言った。
 決して誘っていたわけではない。
 その点は何度でも主張する。
「じゃあ言い方を変えて、今日はいつもと違うみたいだけどなんかあった?」
(初めからそう言えばいいのに)
 誘った、誘ってない、という話をするから箸を投げてしまいそうなことになったのだ。
 だがそう聞かれても、皓弥は喋るのを躊躇った。
 強い鬼の気配を感じて怖くなったから、那智にしがみついたなんて。非常に情けない。
 幼児でもあるまいし。
 けれど強い鬼がこの辺りにいるということは、那智も知っておく必要のある情報なのかも知れない。
 今後、それがどんな状況を引き起こすかは分からないのだ。
「…マンションの近くで、妙な気配があった」
 ぼそぼそと皓弥は口にした。
「妙な?」
「すごく強い鬼の気配」
 那智が持っていた茶碗を置いた。
 上機嫌だった顔が、冷えていく。
 真剣になったことが、一変した空気から伝わってくる。
 それは皓弥を威圧することはないが、目の前で見せられて楽しいものではない。
「天然?」
 そう言われ、ようやくあの鬼の気配にぴったりくるものを見つけた。
 京都で出逢ったあの鬼と、気配が似ているのだ。
 絶対的強者が滲ませる、大きすぎる重圧。
「たぶん……それに似てる」
 真剣だった那智が、さらに険しさを増す。
 鬼がうろついているというだけで警戒心を露わになる男だ、天然になるとそれも生半可ではないのだろう。
「明日から車で送り迎えするから」
「は?」
「それとも引きこもる?」
 那智は険しい顔を和らげ、苦笑した。
 無茶なことを言いだしているという自覚はあるらしい。
 以前、鬼に近い鴉が大量に発生した時も同じ事を言われたが、あの時は大学が長期の休みに入っていた。けれど今は大学に通っている。
 引きこもれるはずがなかった。
 かと言って大学にわざわざ車で送り迎えされるなんて。
 過保護過ぎる。
(ここまでするか…?)
 頭を抱えたくなった。
 だが天然の鬼に捕まれば、皓弥などまず喰い殺されるだろう。それを思うと那智の提案も理解出来る。けれど同意はしたくない。
 きっと車なら数分の距離だ。それを毎日のように送り迎え。
「……嫌だ…でも単位が…」
「単位落とすわけにいかないだろ?」
 だから車で、と那智はあくまでも車での送迎を勧めるらしい。
 機嫌を直して茶碗を再び手にして食事を続けている。
 知り合いに見られたら、一体どう説明すればいいのだろうか。
 不審者に狙われているから同居人が送り迎えしてくれてる、とでも言えばいいのか?だが不審者ってどんな人、なんでそんなことに、と聞かれても言い訳が上手く出来るかどうか。
 そもそも男が不審者に狙われているからと言って車で送り迎えをしてくれるものだろうか。
 ただでさえ友人には、世話焼きな同居人だな、と言われているのに。
「明日何時に出る?」
 すでに送り迎えをする気満々の那智に、皓弥は深く溜息をついた。
 あんな鬼さえいなければ、こんなことにはならなかったのに。
「もし天然だったらどうする?斬れるのか?」
 京都に行った時、那智は厳しいと言っていた。鬼でも、天然が相手だと優勢とはいかないらしい。
「何しに来たのか予想はついてる。たぶん皐月が来てるんだろう」
「皐月?」
「姐さんに近い鬼だよ。きっと姐さんから話を聞いて見に来てるんだろう」
 そういえば京都でそんな名前を聞いたような気がする。
 迷惑な話だ。
「また子どもの躾か」
 那智が小さくぼやいた。また、ということは以前にもあったのだろう。
「とりあえず今日はもう一回」
 何を?と言いかけたが、那智がにやりと笑った顔で理解出来た。
「匂いつけとかないと」
「無理だ!一日に何度もあるよあなことじゃないだろ!?」
「でもさっきは中に出してない」
 あんなものは普通生で出さないものだ。
 皓弥の口元がひくりと歪んだ。
 ついさっきまでの行為を、もう一度やるというのか。
 こっちはもう十分満たされ、後はまったりと時間を過ごして眠るだけだというのに。
「マグロでいいから、ね」
 ね、と言われても皓弥は常にマグロだ。
 上に乗せられれば動くが、そうでない場合はどうやればいいのか分からないので那智に任せている。
 それで今のところ不満を言われたことはない。むしろ動こうとした時に止められたくらいだ。
「出来るだけあっさりやるから」
(あっさりって何だ、味付けかよ)
 どうあっさりしているのか、ならいつもは何だというのか。
 そんなことを思いながら、腰の怠さにうんざりした。
 


 


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