七




 
 大学から帰ろうと正門を通る際、那智にそっくりな男を見た。
 後ろ姿だけなら似たような者はいくらでもいる。大学なんて同じ年頃が集まっているのだ。そう年が離れていない那智に似た背格好の人は掃いて捨てるほどいた。
 だが顔になると話は違ってくる。
 那智の見た目はかなり整っており、割と人目を引く。ましてその男は目元や口元、顔の造形の雰囲気が那智に酷似していたのだ。
 驚いて息を呑んだ。
 目が合うと向こうもやや驚いたようだった。
 その反応に全身が強ばり、心臓が早鐘を打っては一刻も早く逃げなければと本能が叫んだ。
(鬼か!?でもそんな気配なかった!)
 自分の自転車を置いている駐輪場まで駆ける。足よりも自転車の方が格段に早い。
 全力で走りながら一度後ろを振り返ると男は追いかけては来なかった。
(追ってこないってことは、やっぱり鬼じゃないのか?)
 真昼に堂々とこんな大学の正門、他にも学生たちが行き交うような場所にいるというのもおかしい。
 そもそも鬼の気配なんて感じなかった上に、鬼だったのならば皓弥を見れば襲いかかってくる。そしてあの男の目は欲望に取り憑かれたような狂気がなかった。
(でも、だったらなんなんだ)
 どうして那智に似ている。
 そしてどうして皓弥を見て驚きを見せるのだ。皓弥がただの人間ではないと感じたからびっくりしたのではないのか。
(わけがわからん)
 家に逃げ帰り、玄関の鍵をしっかりと閉めてから深々と息を吐いた。
 あれは何だったというのか。
 人の容姿を真似る化け物でもいるのか。
 とっさに面喰いが頭を過ぎったけれど、あの鬼ならば間違いなく鬼の気配をさせていたはずだ。
 それに似た別の化け物だろうか。
(那智は、無事だろうか)
 もしあれが化け物の仕業であったのならば、容姿を真似られた那智はどうしているだろうか。まさか危害を加えられているのではないか。
 心配になって居ても立っても居られず携帯電話で那智に連絡を取ろうと試みる。無駄なことであるならば無駄だと確認し、安堵したかった。
 呼び出しのコール三回目で那智は通話に応じた。
『もしもし。どうしたの?』
 いつも通りの穏やかな那智の声音が聞こえてくる。
 どっと身体から力が抜けて、リビングの壁に寄りかかって息を吐いた。
「那智?」
 分かり切っているのに名前を呼ぶ。うん、と返ってくる声にそれだけで安心する自分に苦笑した。
『どうしたの電話なんかして。何かあった?』
 大抵の用事はメールで済ませているので、わざわざ電話をかけるなんて何か急用なのかと心配させてしまったらしい。
「いや俺は何もないんだが。おまえは、何かあったか?」
 何か特殊なものに接した、見たなどということはあるのだろうか。あの男に通じる出来事があるのならば腑に落ちるのだが。
 しかしそんな皓弥の抽象的な質問に那智の声がやや固くなる。
『ないよ。どうしたの』
 皓弥が何か異変を感じているのだと確信したらしく、電話の向こうで那智が警戒しているのが分かる。
「……おまえに、似た人を見たんだ。すごくよく似てて」
 似た人を見た程度なら驚いた話として今日の飯の時間にでも話せば良いだけのことなのだが。笑い話にするにはあまりにも酷似していた。皓弥の行動からもどれだけ似ていたのか察して欲しい。
『ああ……あれか』
 しかし意外なことに那智は心当たりがあるらしい。
 疑問も何もない様子が伝わってくる。
「あれって、おまえは何か知ってるのか?」
『うん。危険はないと思うし。接触した?』
「目が合っただけ」
 顔が似ているという事実だけにかなりの衝撃を受けたのだ。危ないかも知れないと感じたので、到底声を聞く余裕なんてなかった。もしかすると声は違っていたかも知れない。
 しかしこれほど那智が落ち着いているということは、本当に危険はないのだろう。
(だって見るまで全然警戒してなかったもんな)
 危険な者なら近寄れなかったはずだ。
 那智は『とりあえず帰るよ』と言って通話を切った。
 そして帰宅するなり尋ねた皓弥に、さも自然な様子で驚愕の発言をしてくれた。
「弟だよ」
「へ?」
「ジジイのところで聞いただろ?俺に弟がいるって。それ」
「その弟か!!」
 この男に弟がいるということのもびっくりだったが、あんなに似ているとは思わなかった。
「そっくりだったぞ?」
 いくら兄弟で遺伝子がほほど同じだからといって、あんなにも顔立ちが似るものだろうか。
「そうなんだ。俺はもう何年も見てないからよく知らないんだけど」
 買ってきた食料を冷蔵庫に詰めながら、那智はさして興味もないように言っている。他人事のようだ。
「もしかして嘉林塚に通ってるとか、なのか?大学の正門前で見たんだが」
「そうだったと思う。春奈さんがそれらしいことを冬に言ってた気がする」
(初耳だぞ……)
 皓弥が嘉林塚に通っていることは当然のごとく知っているのだから、自分の弟もそこに通うのだと一言くらいは喋らないものなのだろうか。
 どれだけ弟に関心がないのか。
「忘れてたな」
(……酷い)
 呆れていると更に追い打ちのような呟きが聞こえてきて、一瞬見ただけの弟が気の毒になる。
 弟も那智と同じように、兄を全く気にしないような性格だったなら良いが。
「大学なんて生徒の数が多すぎて会うことなんてないと思ったんだろうね」
 失念した理由を冷静に推測しながら、那智は冷蔵庫を閉めた。
「弟か。よくあれだけ似るものだと思うけど。名前は?」
 どうしても知りたいというわけではなかった。ただ話の流れでついそう尋ねていただけだ。
 だが那智はそれに眉を寄せた。
「名前か……」
「ちょっと待て。忘れたとか言わないだろうな!?」
 何故そこで悩むのか。皓弥の方が焦ってしまう。
 しかも那智は顎に手をやった。
「待って。思い出すから」
「本当に弟だよな!?」
 家族の名前を忘れるものだろうか。
 物心ついた時には母親しかいなかった皓弥が言う台詞でもないかも知れないが、そんなに簡単に家族の名前なんて忘れるものなのだろうか。
「小、中学生の頃に正月だけ会うくらいだったからな。春奈さんも弟の話なんてしないし」
 春奈は弟と共に暮らしていたはずだ。那智が暮らしている祖父の家とは別に父親と共に生活していると言っていた。
 もし暮らしていなかったとしても、弟の話題を兄である那智に一切しないなんてことがあるだろうか。
 那智の感じからして確執などがあるとも思えないのに。あえて黙秘していたのか。それとも喋る必要がないとでも思っていたのか。
(特殊……だよな)
 皓弥だけでなく他の人の感覚からしてもこの家は変わっていると思うはずだ。
 しかし特別な血筋の家柄とはそういうものなのだろうか。
「那岐……かな?」
「疑問系。しかも自分の名前とよく似てるのに」
 それでいいのか兄よ。
 那智という名前とよく似た音だ。記憶するのに苦ではないだろう単語なのに、どうして疑問系でしか出て来ないのか。
「呼んだことないからね」
「兄弟なのに?」
 いくら正月にしか会わないと言っても、名前を呼んだり話をしたりするだろう。まさか那智は刀だから特別で、他の家族とは隔離されてろくに話すことも出来ない立場だった、なんてことはないと思いたい。
 現代社会にあるまじき状況だ。
「会うこともない関係だから」
 ただそれだけなのだと、那智は淡々と語る。そこには寂しさも嬉しさもない。
 弟の話では那智の感情を揺らすことはないのだ。
 自分の話をしている時の違いをまざまざと見せつけられて、唖然として良いのか、弟を不憫と思って良いのか。皓弥は複雑な心境だった。



 会うこともない関係だと那智は言ったけれど、その発言がそう間を置かない内に皓弥は那智の弟を見ることになった。
 大学近くに鬼が出たのだ。近所ということでごく自然な流れで皓弥に依頼が来た。
 鬼になったばかりでそう強くないだろう、というその鬼を深夜に探している際に向こうから鬼と共に来たのだ。
 鬼が来ることは分かっていた。鬼の意識がこちらに向いていたからだ。
 なので刀を握り、すぐに応戦出来るように身構えていた。
 しかし鬼も出てきたのだが、そのすぐ後ろにいたのが那智の弟だったのだ。
 人間が出てきただけでも驚いただろう。こんな生き物の後ろを付けてくるなんてよほどの度胸だと言いたいところだが、それどころか那智と顔がそっくりなのだ。
 背後にいたはずの人がいきなり前から来れば、誰だって硬直する。
 そしていつかと同じように那智の弟も皓弥を見て固まったようだった。
 視線が絡まり、時が止まるような錯覚を覚える。
 だが那智の時は止まることがなかった。
 襲いかかってきた鬼は那智の刀によって斬り裂かれる。
 皓弥が受けた依頼であり、皓弥の実力でも十分に斬れる鬼ならば、あえて手出しせずに見守ってくれるものだが。皓弥が硬直してしまったので、つい手が出たのだろう。
 そしてよく見ると鬼の肩が酷くえぐれており、那智の弟、ようやく思い出したがきっと那岐という名前だ、がアルミ製の棒のような物を持っていた。
 それで殴りかかったのだろう。
 那智が斬り付けた胸部から腹への傷から灰が舞い上がる。それと同じように那岐が殴りえぐれた箇所からも灰が零れ落ちていた。
(蓮城の血だ)
 顔だけでなくその性質もよく似ているらしい。
 那岐は皓弥と、そして那智を見て呆然としている。何故こんなところにと言いたげな様子だ。それは皓弥も共感する部分なのだが。
 那智だけは皓弥のみを見て、那岐を意識するどころが見ようともしなかった。
 それに明らかな差を感じては、酷く後ろめたいような気持ちになった。



 


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