鬼が近くにいると分かっているくせに、鬼以外のものに注意を向けた皓弥を那智が叱る。 言っていることは至極まともであり、悪いのは皓弥だ。 なので謝り、今後気を付けるという胸を心に誓うのだが。 それでも気になるのは那岐だった。 だが那智は皓弥と向かい合う形を崩すことがなく、皓弥にだけ話しかけている。 呆然としている弟がそこにいるというのに気が付いてないとでも言うつもりなのだろうか。 那智は平気なのかも知れないがじっと見られているのが分かり、皓弥の方が先に音を上げた。 「弟さん、か?」 確認するまでもなく、この前話していた弟だとは分かっていたけれど。そう喋る以外切り出し方が分からなかった。 しかし那智は皓弥が言って初めて気が付いたかのように「え?」と不思議そうな声を上げた。 (こいつ……酷いな) この世界の中心が皓弥である事を憚らない男だが。それにしたって限度があるだろうがと怒鳴りたくなる。 「ああ……」 弟を見てようやく那智は皓弥の言ったことを理解したかのような顔をする。 もっと早い段階で視界に入っていたはずだが、認識していなかったというのだろうか。。 那岐はそんな兄を見て強張っているようだった。傷付いているような様子はないけれど、萎縮しているようには感じられる。 那智のことが苦手なのかも知れない。 ちらりと見たはずなのに那智は喋りかけることはなく、再び皓弥に向き合う。 弟は視線も外せないというくらいに、こちらに意識を向けてきていることが感じられるだけに、この温度差が可哀想だ。 「主、ですか?」 兄に話しかけたいけれど、それは出来ないから皓弥に声を掛けた。そんな雰囲気で那岐が言う。 それに肯定すると腑に落ちたというような顔をされた。 那智はきっと弟だけでなく多くの人に無関心なのだろう。だが皓弥に対してだけは様子が違うようなので、もしかしてと考えていたはずだ。 そしてまだ聞きたいことはあるだろうと思い待っていると、先に口を開いたのが那智だった。 「帰ろうか。仕事も終わったし」 耳を疑った。 久しぶりに会う弟だ。しかも鬼を追っていたようなので、何かしら事情があるのだろう。組織は一つの仕事を二人の人間に分けることはない。きっと那岐は個人的事情で鬼を追っていたはずなのだ。 それも聞かずに、そして直接声をかけることもなく終わりにするつもりなのか。 これでいいのか、話すことはないのかと食い下がる皓弥に那智は興味ないと素っ気なく返事をする。 よくそんな残酷なことを弟の前で言うものだ。気になって弟をちらちらと窺うが慣れているのか無表情だった。 まるで自分には関係のない、他人事を鏡越しに聞いているかのような態度に見える。 なんて寒々しい関係なのだろう。 (家族って、こんなものなのか?) 母親しか知らない皓弥にとって、興味もない相手、話すことのない相手が家族だということは信じられない。 理解出来ずに戸惑っていると、那智は刀と人は違うのだと言った。 生き物として違う。だから家族であっても何もかも違う。 「世界が違うんですよ」 那岐は兄の言うことを後押しするように、そう言った。 だが苦笑したその表情には寂しさが確かに込められていて、皓弥は胸を締め付けられる。 (この人は平気じゃない。那智は平気でもきっとこの人は平気じゃない) 平気であったのならばこちらをそんな風に遠い目で見ない。那智をそんな風に凝視して物言いだけな眼差しを向けてこない。 なのに言葉は一線を引いて、互いに近寄らないようにしている。 兄弟は、こんな形の繋がりなのだろうか。 皓弥には分からないまま、那岐は背を向けて去っていった。当然その背に向けられる言葉などあるはずもなく、躊躇いなく家路に就く那智に従うしかなかった。 「おまえにそっくりだ」 「そう?」 自宅に戻り一息つき、風呂に入ってベッドに収まった頃。皓弥はベッドヘッドに背を預けてそう言った。 那智はノートパソコンを膝において、同じくベッドに座っている。 一つのベッドで眠ることに抵抗などとうになく、この近さに安心感すらある。 だが那智がこれほど近くに他人を置くことは唯一なのかも知れない。 「おまえよりちょっと幼い感じだが」 那智は会ったときから全てにおいて達観している感があった。 年齢を感じさせなかったのだ。見た目は自分とそう変わらないはずなのに、何故かずっと年上の人のように感じていた。 だが那岐はちゃんと年が近いのだと見ただけで分かる。 磨き込まれた鋭さがない。地に足を付けて毎日人並みに生きているような雰囲気がある。 (那智は人間味が薄いんだよ) 毎日この家の家事を一手に引き受けているというのに、皓弥よりずっと浮世離れしている印象だ。 「年が違ったと思うから」 それは勿論、いくらなんでも弟が那智とと同い年ということはないだろう。双子ではないはすなのだから。 弟に関する情報の曖昧さがここまで来ると心配になってくる。 (こいつ大丈夫か) 弟だけでなく他の人にもこんな失礼な態度だと、日常に支障が出そうだが。そのあたりは調整しているのだろうか。 「遺伝子は同じって感じる。鬼も倒せるみたいだな」 鬼の肩をえぐったところを見ると那智と似た力があることだろう。だが持っているものが刀ではなかったところを見ると、掌から刃が出ることはないのかも知れない。 「たぶん出来るんじゃないかな」 「じゃあ仕事もしてるのか?」 鬼が倒せるのならば、組織から仕事を貰っていてもおかしくない。時間もかからず金になる。皓弥もその点でこの仕事を有り難いと思っていた。 「さあそれは知らないな」 弟の名前も忘れかけていたような男だ。今何をしているかなんて詳しく知っているはずがない。 自然な答えと言えるそれに皓弥は「そうだろうな」と返した。 「皓弥は興味があるの?」 パソコンの画面から視線を外し、那智は思ったより強い声でこちらを見た。探るようなそれは皓弥の内側にある感情を見透かそうとしているようだ。 どくりとしたけれど、後ろめたいことなど何もない。 ただ少し驚いただけだ。 「そりゃあ」 那智に弟がいると聞いた時からどんな人だろうとは思っていた。そしてこんなにも那智に 似ているとは思っていなかったのだ。 性格はどんなものだろうと考えてしまうのは仕方ないことではないか。 「顔が同じだから?弟だから?」 声音が低くなった。那智の周囲に漂っている空気が温度を下げたような気がして、皓弥は身構えてしまう。何も悪いことはしていないのに、どうして責められているような気持ちにさせられるのか。 「苛立ってんのか?」 「少し」 「訊いただけだろうが」 独占欲、というものを剥き出しにしている男に時々馬鹿だと思う。 第一そんなものを出したところで、自分を欲しいと思う人間などいないのだから無駄だ。 「他人に興味を持たれるのは愉快じゃない。まして顔が似てる奴にだなんて」 「顔が似てるからだろうが」 「どっちが良い?、趣味に合う?」 至極くだらない質問をしてくる男に、皓弥の目が座る。 趣味とは何だ。趣味とは。 まるで男に対して性的好みがある事を前提にしているみたいではないか。 (俺は別に男が好きなわけじゃない) こういう関係ではあるけれど、男色ではないのだ。好みだの何だの言われても答えようがない。 「先に言うが、俺はおまえの顔が好きで現状に至るわけじゃないからな」 何故こうなったのかと訊かれると強引に流されたという結論になるのだが。それでも嫌ならば逃げている。 「鬼を斬るだけならきっとあれにも出来る」 弟をあれ呼ばわりである。そして猜疑心まで出てきた。 意外とこういうことに関しては自信がないのか。 「それでも俺が安心出来る相手はおまえだろうよ。俺を守ってくれるのはおまえだし。今更ここで他の人間が割り込んでくるなんて冗談じゃない」 せっかく安定した、平穏だと思える日常が定着したのに。変化を与えられるなんて勘弁して欲しい。まして那智が拒絶しそうなこと、揉め事をわざわざ引き起こす必要性がない。 (俺は安心出来る日常が一番好きなんだよ) 波瀾万丈ならこれまでの人生で充分味わった。 「そうだね。きっと皓弥はそうだろうし、俺だってそれが分からないわけじゃないよ」 那智は探るような視線を止めて淡く微笑んだ。 いつも通りの那智の表情だ。 機嫌は直ったらしい。 「でも少しだけ、気にくわないなって思っただけ」 気にくわないというのは皓弥に対してではないだろう。 ここにはいない、自分の弟であるはずの人に対してだ。 ただちょっとだけ話をしただけ、それだけなのに兄から気にくわないと言われるなんて。まして直接会話をしたことのないような兄弟だ。 可哀想だと思わないではいられない。 (どうか幸多き人生を送ってくれ) これが兄という時点でなかなかに困難なのかも知れないが。皓弥は他人事のように、実際他人事でしかないのだが、願いながらパソコンの電源を落とす男を横目で眺めた。 |