弐




 
 ――弟、信宏は人形を作る仕事をしています。人によく似た物を作ることを志しているようで、一見人間のように見える物を作っていたのですが。
 今作っている物は、まるで人そのものなんです。肌も瞳も、大きさも人と同じくらいにしてあって。あの子は子どもくらいのサイズしか作ってこなかったのに。
 しかもその人形は……信宏がずっと付き合っていた人にそっくりなんです。美和さんという女性ですが、三年ほど付き合っていて、結婚するという話まで出ていたんですけど。
 はい。二ヶ月ほど前に別れたようで。
 原因ですか?それは私にもよく…。ただ最近すれ違いがあったようなんですけど。これと言ったことは信宏も言ってくれなくて。
 別れた後すぐに、あの人形を作り始めて。初めて顔を見た時にはびっくりしました。忘れられないんだ、とも思って何も言えずにそのままにしていたんですけど。日に日に出来上がっていく人形を見てると気味が悪くなってきて。
 人形じゃなくなっていくんです。どんどん人間になってくみたいで。信宏もそれを可愛がっていて、付き合い始めた頃の二人みたいでした。
 このままじゃ、信宏は美和さんに似た人形を好きになるんじゃないか。そう思って、私は言ってみたんです。いくら美和さんが好きだったからって、そっくりの人形を作っても美和さんは戻ってこないし。その人形は美和さんにもならないんだからって。
 そしたら信宏は、にっこり笑うんです。大丈夫、戻ってくるよ。って。
 まるで人形を作ることだけが生活になったみたいに、一日中作業室に籠もって食事もろくにとらなくなりました。
 だから私が時々家事をしに行くんですけど、見る度に人形は生々しくなって…。ある日、リビングで信宏が誰かと話をしているのが聞こえたんです。
仕事関係の人が来てるのかと思ってそっとしておいたんですけど、その声に覚えがあったんです。何度も聞いたことがあるって。
 でも信宏の仕事関係の人と私は会ったことはそんなになくて、誰だろうって気になってちらっと覗いたんです。そしたら。
 そうです。人形と信宏しかいなかったんです。
 後になって気が付いたんですけど、その声は……美和さんだったんです。
 怖くなって……。なるべく人形には近寄らないようにしました。
 でも遠くから見てもあの人形が益々美和さんそっくりに、人間になっていくのが分かって…。
 それで、両足が付いた時、突然気が付いたんです。
 最近この辺りでばらばら死体が出てるじゃないですか。
 死体が出た日、あの人形のパーツが増えてるんです。
 一人目の時は胴体、二人目は右足、三人目は左足。
 肌も柔らかくなったように見えて、今にも動き出しそうなんです。
 人形が、人を殺して食べてるんじゃないかって。そう考え始めたら止まらなくて……馬鹿馬鹿しい妄想だって思ってるんですけど。怖くて……。
 このままじゃいつか信宏も殺されるんじゃないかって。思い違いだったらそれでいいんです。だから、あの人形を調べて頂けませんか。
 美和さんですか?別れた人ですから、連絡は取ってないようですけど。あの後のことは私には…。


 荻野目は停止ボタンを押した。
 それを見計らったかのように那智は立ち上がり、茹で上がったうどんを菜箸で器に入れる。
「こちらが問題の人形です」
 荻野目は鞄から写真を撮りだした。
 フローリングの上にある木製のしっかりとした椅子に座っている二十前の女。赤く鮮やかな着物、おそらく振り袖であると思われるがそこには質量がなかった。肩から先がないのだろう。袖はだらんと肘掛けにかけられている。
 真っ直ぐの黒髪は左側の一房が赤い紐のようなもので結われている。
 目尻が少し下がり、優しげな印象を受けた。
 その隣には三十手前と思われる男が立っている。白のカッターシャツとスラックス。色白で身体は細く、健康そうとは思えなかった。
「どっちが鬼だ」
「見鬼の手が空いていなかったので確認が取れていません」
「あっそ」
 見鬼とは一見人間と全く変わらない鬼を、一目見ただけで判別する能力を持った人間らしい。
 那智はうどんを皓弥の前に置いた。出汁の良い匂いがする。
 箸を手に取ると両手を合わせた。
「いただきます」
「どうぞ」
 那智は写真を見下ろし、頬杖をついた。
「ふぅん……。こっちが鬼だった場合の判断は?」
 那智は男の方を指さした。
「斬って下さい。ばらばらの件で他からも依頼が来てますから。そうでない場合は男性の安全を優先して下さい」
 荻野目は表情一つ変えない。
 皓弥はずるずるとうどんをすすりながら。口内に広がる深い味に感心していた。
 那智は料理が上手い。特に和食は唸るほどだ。
「ばらばらのことは御存知ですか?」
「この前四人目が出たんじゃなかったっけ?」
 那智はあまり興味なさそうだった。どうも仕事となると那智は怠そうだ。
「出ました。二日ほど前です。依頼人に連絡を取ったところ。今度は右手が付けられていたそうです」
「そりゃ奇遇」
 全く感情のこもっていない声で那智が言う。
「死体の具合を話してもよろしいですか?言わずとも御存知ですか?」
 荻野目は皓弥に目をやった。食事中に死体の話など歓迎されるものではない。
 特に皓弥は食事中に汚い話題などを嫌った。食欲が落ちるどころか吐き気をもよおす場合もあったからだ。荻野目はそれを知っていた。
「構いませんよ。死体くらいなら」
 だが皓弥は平然とうどんをすする。
「相変わらず変な子ですね。蟻の大群の話は駄目なのに死体はいいの?」
「グロいのは駄目なんで」
「死体はグロいと思うけど。皓弥ってどっか飛んでるよな」
「ほっとけ。うちは新聞取ってない上に、食事中以外テレビもあんまり見ないんで全然情報がないんですよ」
 普通食事の時はテレビを消すものでは。と言われるのだが食事中は耳が暇なのだ。
 そんな片手間もいいところじゃなければテレビは見ない。時間があれば読書に費やす。それが皓弥のスタイルだった。
 那智も同じようで、テレビをまじまじと眺めている姿を見かけたことがない。  ノートパソコンを睨んでいる背中なら毎日見ているが。
「死体は大体頭部、両手足が離された状態です。切り口は何か細い物に縛られ、切断されたのではないかと」
「縛られて切断?」
 皓弥はうどんをすする手前で疑問の声を上げた。
「そうです。柔らかな物に糸を巻き付け、それを素早く引けば物体は切れるでしょう?」
「それはそうですが……首が切れますか?細い物って?」
「糸のようなものがどんな材質なのかにもよります。切断した後、肉を噛みちぎられた後があります。これは野犬が何かの仕業ではないかという推測です。しかし全ての死体がそんな状態のため、おそらく故意であると」
「死体を食う犬がそんなにごろごろしてたら、とても文明社会とは思えないな」
「蓮城さんの仰るとおりですね。野犬にとって死体よりもっと食べやすい手頃な物が溢れている世の中ですから」
「ゴミ社会。大変住み易い時代というわけか。それにしてもいきなりまともな依頼なんだな」
 これまでは動物、人形相手の仕事ばかりだった。人形という点では今までは変わりがないはずなのだが、那智は苦笑していた。
「刀は希少かつ有能ですから。皓弥君には申し訳ないですが、研修期間を長く持つということは出来ません。人にはそれぞれ相応しい仕事というのがあります」
(つまり、今までは仕事を初めてやる俺のために、簡単なもんばっかり持ってきたってわけか)
 皓弥は無言で納得していた。
 仕事中の那智は完璧に遊んでいたからだ。その気になれば一瞬で片が付くのだが、あくまでも皓弥にやらせる、という姿勢で。
 それを察しながら、皓弥は那智から様々な物を学ぼうとしていた。教えられるのではなく、見て、感じて、自らの中に吸収する。
 耳から聞いただけでは身につけることが出来ないものを那智は持っていた。
「これからは少し厳しくなると思います」
「あっそ」
 重々しく告げる荻野目に那智はどうでもいいという態度を崩さない。
 絶対の自信がそこから滲み出ていた。
「皓弥君」
「俺がいるのに皓弥が命を落とすことなんて有り得ない」
 荻野目が何か言うのを那智が遮った。
 それにむっとするわけでも驚くわけでもなく、ただ静かに荻野目は那智を見た。
「おまえは俺の保護者か。気持ち悪い。荻野目さん、俺は覚悟してますから」
 皓弥は空になった器に視線を落としながら箸を置いた。
 いつ死ぬか分からない。そんなことは常に知っている。そう言うと二人は物言いたげな顔で黙った。
 その表情が少し似ている。そう言えば嫌がるだろうと思いながら皓弥は「ごちそうさま」と言った。


 午後十一時。
 辺りはぽつぽつと立っている街灯に照らされている。
 マンションなど高い建物もない、静かな住宅地だった。
 そこから更に少しばかり離れた場所に、目的の家はあった。
 人の背より幾分か高い柵に蔦が絡まり屋根くらいしか見えないが洋風らしい家に合った雰囲気を漂わせていた。
 人気のない道路の端に止めた車の中から、かろうじて見える門を眺めていた。
 歩道もないので車のすぐ隣が別の家の塀だ。
 こんな所に止めていたら目立つだろう、と危惧する皓弥に那智は「大丈夫」とエンジンを切った。
「誰も気にしないって」
「するだろ。んな目立つ車…」
「色だってありふれたスターリングシルバーだし」
「や、色の問題じゃなくて形だろ……目つきの悪いガチャピンみたいな顔して」
「は!?ガチャピン!?ぷっははは」
 那智は腹を抱えるように前屈みになって笑い始めた。
 閑静な場所なので必死に声量を抑えているようだ。
「ガチャピン。オープンタイプをよく見かけてたけど」
「あー……はは。オープンは冬が寒い。オープンなら別の車を買うね」
 笑いが次第に落ち着いたらしい。
 那智は随分単純な理由を上げた。
「んで、これからどーすんだよ」
 皓弥は足を組んで遠くに見える門を睨んだ。
「とりあえず、信宏って男が人なのかどうかを見ないと。鬼だったらそのまま家に乗り込んで斬ればいい。違うなら留守でも狙うか、意識を失ってもらうか」
「どうやって意識を奪うんだよ」
「それは、まぁ」
 と那智は拳を下からゆっくりとアッパーを繰り出すかのように動かした。
「ボディブローか……内蔵いかれるぞ」
「しばらく身動きがとれない上に激痛で意識も失うよ」
 那智は笑顔を見せる。悪魔としか言いようがない。
「ああ。出てきたな」
 馬鹿な会話をしている間に、門が外側へと開かれた。出てきたのはフリースにジーンズというラフな姿をした男だった。
 こちらに背を向け歩き出す。
 夜に揺らぎそうな細い身体をじっと眺め、那智は「人間だ」と呟いた。
「そんなにすぐ分かるのか?」
 人と鬼とを完璧に見分けることが出来るのは見鬼の才能を持った人間くらいだ。皓弥はそう聞いていた。
 贄の血を受け継ぐ真咲は鬼が側によると危機感に襲われる。そのことによって相手が鬼だと気が付くことは出来るが。
 小さな背中を見ただけでは何も感じなかった。
「分かる。鬼は人とは明らかに違う生き物だからなぁ。まるでラブラドールの群に土佐犬が混じったように見える。または三毛猫の群にいるペルシャ猫。骨格は似ているが違う、色も姿も。存在に違和感がある」
「それは、刀として鬼を喰らうから?」
 捕食者として、獲物に敏感なのだろうか。
 さぁ、という軽い返事とともに那智は車のドアを開いた。
「突入するかー」
 伸びをしながら、怠そうに那智は言った。
 皓弥も車から下りる。ひやりとした外気が指先を冷やす。
 冬が近いのだ。
「突入って?」
 のんびりと二人は門に向かって歩いた。
「家に突撃」
「は?」
 那智は門の前に立つと、何の躊躇いもなくそれを引いた。
 ぎぃ、と小さな音を立てて門は開かれた。
「不法侵入だろ!?」
「いいって。別に。どーせ向こうも警察のお世話になりたくないようなことしてんだから」
「んなこと分かるのかよ」
「こっちに仕事が回っているような奴は大概公に出来ないもん抱えてるからねぇ」
「何の確信にもなってねぇぞ」
 と言いつつ皓弥は勝手に敷地に入っていく那智の背に続く。
 薄暗い玄関。那智はドアには向かわずそのままくるりと横を向いて庭へと歩き出した。
 柵に囲まれた内側の庭は、閑散としていた。雑草がまばらに生え、僅かに残っていただろう金木犀の花が落ちている。
 木々の葉は落ち、寂しげな光景だった。もう少し寒くなれば一面の落ち葉と枝が丸見えの木だけになってしまうだろう。
 街灯ではないほんのりとした灯りを感じ、上を見ると月が昇っていた。
 満月より微かに欠けている。
「鬼がいる」
 那智は小さく笑いを滲ませた。
 その視線は庭に面した部屋の中に注がれていた。
 二メートルほどある大きな二枚の硝子の向こうで、一人の女が椅子に座っていた。
 赤い振り袖、長い黒髪。写真で見た人形だとすぐに気が付いたのだが。
「人じゃないのか……?」
 皓弥は思わず疑問の声を上げた。
 左手がなく、袖が不自然に垂れてる以外は人そのものだった。
 瞳が今にもこちらを映し出し、唇から声を発するのではないか。
 人形の近くにはロッキングチェアだけがあった。その上にはハードカバーの本。八畳ほどあるフローリングの空間には他に何もない。
「人じゃない。あれは鬼だ」
 那智は口元を歪めた。にやり、と形容出来るその笑い方は正確の悪さを如実に現している。
 獲物を見つけた。
 剣呑な光を宿した瞳は、そう笑った。



 


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