四




 
 見笠はコンビニの袋から煙草を取り出してビニールの包装を剥がす。
 そして一本取り出して口にくわえた。
 その動作を見つめながら、皓弥はどうするべきかと全力で思案していた。
 那智と付き合っていることを知られていたなんて事実、考えていなかった。
 あれだけの過保護を見られているのだ。そう勘ぐられてもおかしくないのだが、自分の中で他人の恋愛事情を探るという意識がなかったので、他人がどう見るかも忘れがちだったのだ。
「皓弥の態度が他の人間と違うし」
 見笠は煙草に火を付け、煙を一度吐いてからのんびりそう言った。
 こちらの態度を窺うこともないところからして、確信している。
「蓮城さんだって隠す気ないみたいだし」
 それは仕方がない。現に那智は隠すつもりはないと皓弥に言っているのだから。
 隠すつもりがあるのならあの過保護っぷりは出てこないだろう。
「三村だって、二人のことには気付いてる」
 瞬時に三村の顔が思い浮かんで、皓弥は今までのことを思い出した。三村は色々気が付いていたとしてもそれを黙ってそっとしておいてくれるタイプだ。
 皓弥と長年友達をしているだけあって、他人と皓弥がどことなく違うものを持っているということも察知しているだろう。
 だが面と向かって「おかしい」と言われたことはない。
 夜を恐れることも、他人と距離を置くことも、町中で妙に周囲に警戒していることも。鬼を恐れている皓弥を奇異な目で見ない。
(那智とのことも、そうして黙ってるんだろうな)
「俺よりずっと早く確信してたみたい。おまえら長年一緒にいるからその辺分かるんだろ」
 だが皓弥は、三村と見笠が付き合っていたことに全く気が付かなかった。
(他人に対する興味の薄さって言ったらそれまでだけど)
 友達甲斐のない人間だと、自分でも思う。
(だがいつか突っ込みは食らうとは思っていたけど。同居なんて)
 いつまでも保つかと思われていたはずだ。自分でもそう思っていたのだから。
 それがずっと続いているなんて、仲が良すぎると感じたことだろう。
「でも言う必要ないから黙ってんだろって二人で思ってた。俺が皓弥の立場でも言わないだろうし。世間の目とか考えると面倒だろ」
 見笠のくわえている煙草の火が、ふわりと明るくなる。
 吸い込んでいるのだろう。
「拒否られるとそれなりに辛いしな」
 正直なところ、世間の目なんてどうでもいい。
 ただ友達に拒絶されると怖い。
 そのだけの理由で口を閉ざしている。
 何の関係もない人間に嫌われようがどう思われようが興味ない。だが三村や見笠に気味が悪いと言われると、やはり辛い。
 そのリスクを覚悟してまで告白する利点なんて皓弥には思い付かなかった。
「でもバラして欲しいなーって」
 見笠は煙草を指に挟んでそう言った。
「なんで」
 黙っている理由は分かると言ったのに、どうしてそんなことを言い出すのか。
「俺もバラしたいことがあるから」
 すぅと空気が緊張を帯びたような気がした。
「……誰かと付き合っていること?」
「うん」
「相手は男」
 見笠は皓弥の言葉に頷く。そして皓弥は改めて呼吸を整えた。
「……三村、だろ?」
 その名前に見笠は意外そうな顔をした。まさかそれが出てくるとは思わなかったのだろう。
「知ってたんだ。てか三村から聞いた?わけないか」
 尋ねながら、見笠は自分で結論を先に付けた。
「そうなら連絡あるしな」
 何の疑いもない言葉。二人は付き合ってるのだと、信頼し合っているのだと確かに感じられる態度だった。
「なんで知ってんの?他人のことに興味なさそうになのに」
 見笠にとって、皓弥はどこまでも他人に目を向けない人間のように思われているようだった。そんなに無関心に見えるだろうか。
 自分のことで手一杯になっているせいかも知れない。
「この前ここで見たから。二人が手を繋いでんの」
 口付けていたところまで見たとは言わなかった。もし自分が他人にそんな場面を見られていたら衝撃が大きすぎるからだ。
「友達って感じじゃなかった」
 手を繋いでいるだけなら冗談でじゃれているとも思えるのだが。あの時はそんな様子に見えなかった。そう継ぎ足す。
「なるほど。男同士で手なんか普通繋がないよな」
 見笠は携帯電話をポケットから取り出す。そこに携帯灰皿がついているのだ。
 吸い殻を道端に捨てるな。携帯灰皿を忘れがちなら、忘れないものに取り付けておけ。そう命じていたのは三村だ。
 それに見笠は従っている。
 我が道を自分の良いように突き進む。そんな姿勢に見えていたのに、珍しく素直に応じたものだと思ったが。
 やはり好きな人が言った言葉は特別に思えるのだろう。
「鈍い皓弥でもさすがに分かるか」
 そりゃ目の前でキスされればな。と内心呟く。
 あれで分からなかったら問題だろう。
「言おうとは思ってたんだよ。でも三村が渋ってな」
 携帯灰皿を開いて、短くなった煙草を押し付けながら、見笠は語る。
「皓弥に受け入れて貰えるか。俺と三村が付き合ってることで、一人だけハブられてる感じがして気にするんじゃないかって」
 三村の不安は皓弥が想像していたものと同じだ。
 皓弥は二人が黙っていた気持ちを考え、二人は知らされた時の皓弥のことを考えていた。
 どちらも互いのことを心配しているし、もし話したとしても問題はなかった。
 だが小さな不安が、もし拒絶されたらという微かな可能性が、口を重くしていた。
「でも隠してるってなんか嫌じゃん。毎日顔合わせてる友達に付き合ってんの黙ってるとか」
 見笠はもう一本、新しい煙草を口にくわえた。
「なんか悪いことしてるみたい」
 火を付けられた煙草が小さく焦げる。
 あまり公には出来ない関係だと思っている。同性はまだまだマイナだから。
 けれど悪いことだなんて、皓弥は思ったことがない。見笠も同じ考えでいるのだろう。
 全体で見ると自分たちは数の少ない側に入るけれど、そのことに後ろめたくなんて感じたくないのかも知れない。
「だから俺はずっとぶっちゃけたくてさ。でも三村が言いたくないなら言えないし。先に皓弥がバラしてくんないかなーって思ってた」
 那智と付き合っているのは確信しているけれど、口に出してしまえば。実は俺たちも、と言うきっかけになると思ったのだろう。
(他人任せだ)
 しかし三村のことを思うとそういう方法が取りたかったのだろう。出来るだけ、三村の負担にならないようにと思うと。
「男同士でも別にいいじゃん、みたいなノリでさ」
 見笠は親指を立てて片目をつぶり、ナイス俺、と言いながらポーズを取ってくれる。
「はい無理」
「うん。皓弥にこのノリは無理だけど」
 誰がそんなポーズと勢いで喋るものか。そんな軽い扱いは苦手というか、苛々するからしたくない。
「まぁ、俺の勝手な思いだったわけだけど」
 しみじみと見笠は煙草を吸っている。
 そして言葉が途切れた。
(……今、言って欲しいのか?)
 先に皓弥に言って欲しかったと見笠はさっき言った。だが皓弥は相手に確信を持たれた今でも、何一つ自分たちの関係を肯定する言葉を口に出していない。
 まだ「おまえの勘違い」と突き放すことの出来るレベルで止まっている。
 もしかすると、見笠は待っているのだろうか。
(那智と付き合ってるって、俺が言うのを聞きたいんだろうか)
 立ち去ることも、まだ何かを言うわけでもなく見笠はそこにいる。
 それじゃあと言って、皓弥の方がここを動くことは出来るけれど。
 ちらりと那智を見ると微笑んでいた。
 皓弥が何を言っても、この男は平然としているだろう。那智と付き合ってるんだ。と言ったところで止めるはずもない。
 それに、向こうが同性で付き合ってると知った以上。世間体なんてものは一度どこかに放置することも出来る。
 異常な視線で見られることも、気味が悪いと言われることもない。
 ただ、この口を重くしていることはただ一つ。
(だって、誰かと付き合ってますとか。そんなこというキャラじゃないだろう)
 自分の性格の問題だ。
 他人に関してあまり口を挟まない代わりに自分のことも放置して欲しいと思っている。自分がどんな関係を持っているかなんて、他人に話すことじゃない。
 まして誰が好きなんて、付き合ってるなんて、そんな自分の感情をあからさまにさらけ出すようなこと。
(なんか、気恥ずかしいだろ)
 我ながら変なところで羞恥が強いという自覚はあるけれど。本音なのだからどうしようもない。
 この抵抗感はきっと今後も修正するのが困難だろう。そう思えるほど自分に深く根付いているものだ。
(人によっては全然平気なんだろうけどな!)
 しかし、それでも二人が自分の言葉を待っているのなら。そして今の自分は、他人に語っても構わないほど満たされている。
 那智との関係は、誰かに誇ってもいいくらい。幸せであると言える。
 なら、少しの羞恥を押し殺して、望まれていることを告げても良いのではないだろうか。
「……言う必要は、ないと思ったんだ」
「だろうな」
 見笠はさらりと返事をする。
 やはり待っていたのだろう。皓弥の言うことを。
「バレてないとすら思ってたし」
「や、それは厳しいだろ」
「思ってんだよ!俺は!」
 大体那智が悪い。この男が自分をでろでろに甘やかすからこんなことになっているのだ。
 自分一人なら何も思われることはなかったはずだ。
「……付き、合ってる」
 ぼそりと拗ねた子どものような言い方になってしまったが。初めて、他人に向かって自分の状態を教えた。
「おまえにとっては今更だろうけど」
 だが見笠はその今更を聞きたかったはずだ。
「うん。でも三村にとっては全然今更じゃない。だからあいつに教えてくれると嬉しい」
 見笠が語っているのを聞いた分では、きっと二人の関係を皓弥に言えなかったのは、不安だったのは三村だ。だからきっと、この事実を教えて最も心動かされるのは三村なのだろう。
「どうしてもとは言わないし。皓弥の好きにすればいいけど」
 そう付け加えながらも、見笠はそれを望んでいる。
 見笠に言えたのに、三村には言えないなんて。皓弥には思えない。
 あいつとの付き合いのほうがずっと長くて、信頼しているから。
 それまでずっと大人しく会話を聞いていた那智が、ちらりと腕時計を見た。
 時間を気にしなければならないことがあっただろうかと思ったが、すぐに理由に気が付いた。
 首筋の後ろがざわりとする。悪寒としか言いようのないこの感覚は、鬼の気配だ。
 もうすぐ、皓弥の血を欲しがる貪欲な眼差しを感じる羽目になるだろう。
「悪いけど」
 那智が見笠にそう告げる。
 これで会話を切り上げてくれと言う合図に、見笠は頷いた。
「引き留めてすみません」
 夜中に近い時間に、道端で随分な話をしたものだ。
「また明日。ノートよろしくな」
「遅刻前提かよ。もうちょっと真面目に講義出ろ」
 欠席が前提になっている会話に呆れてしまう。
 見笠らしい台詞ではあるが。いい加減出席日数がまずいはずだ。
「分かってるよ」
 そう言って、見笠は皓弥が歩いてきた方向へと足を向けた。
「分かってるやつがあんだけ遅刻するかよ」
 ぼそりと言った皓弥の声は届いてるのか届いていないのか分からない。
 溜息をつくがその中には仕方ないやつ、という苦笑が混じった。



 


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