三人共が取っている講義があり、皓弥は教室の端でぼんやりと時間を待っていた。 まだ生徒の数はまばらだ。前のコマの講義が終わったばかりなので無理もないだろう。 昨日のことを尋ねることはしない。だが気にせずにもいられないだろう。 自分の内面をそう処理していると近くに人の気配がした。 二人だ。 連れだって歩いてきている。 (そういえば最近は二人で来ることが増えてたな) あまり気にしていなかった。 皓弥より、三村と見笠の方がかぶっている講義が多いのだ。 そのせいだと思っていた。 「同行出勤か」 皓弥の隣には三村が座った。その奥が見笠だ。大体この順番で並んでいる。 さして気にもしていないような声でそう尋ねると三村が頷いた。 「昨日泊まったから」 ああ、そう。と気のない返事が口から出た。 (昨日までは平気で聞けたのにな) 三村の家は遠いから、帰るの面倒なんだろう。来るのも時間かかるから、近くにある見笠の家に泊まるのもよく分かる。 そうさらりと理解していたのに。どうしてその奥を探ってしまうような場面を見てしまったのか。 仕事が終わった安堵と、ちょっとした好奇心が気まずい展開を生み出したのだ。 自業自得である。 「大学から遠くなったのに、見笠の遅刻がちょっとだけ減った理由はそこか」 午前の講義は見笠の欠席率が上がる。 現在も午前なのだが、最近この講義には毎回出席していた。 三村が連れてきているのだろう。というか持ってきているとも言える。 半分寝かかった状態でやってくることが多いのだ。今日はまともに目が開いているだけ上等だ。 「だって叩き起こされる」 ふああと大きなあくびをして見笠は恨めしそうに三村を見た。 むしろ感謝するべきじゃないのかと思うのだが、それは皓弥だけではなかったらしい。 三村もまた溜息をついた。 「こいつ俺と同じ講義取ってんのに朝、全然起きないんだ。有り得ないだろ」 学生の本分は勉学です。と別に建前でもなく思っている三村にとって、見笠の在り方は謎だろう。 正直なところ皓弥も同じ気持ちだった。 嫌な必須講義なら、遅刻したくなる気持ちも分かるのだが。自分で取った講義まで遅刻して欠席なんて。何のための大学在籍なのだろうと思う。 思うだけで大して責めることはないが。 (まぁ俺が学費払ってるわけでもないしな) 好きにすればいいが。理解は出来ない。 「だから学寮の時から遅刻だったんだろ」 今更の疑問に皓弥が投げやりに答える。 自室から走って五分以内に大学の門をくぐれるというのに遅刻していたのだから。笑える話だ。 「たまに見笠の家に泊まるとすげぇ寝た気分になる俺の立場は?」 三村は自宅が遠い分朝は早く起きなければいけない。だが遅刻したことは滅多にないのだ。 やはり遅刻するかどうかは家の距離ではなく人格の問題だろう。 「お前電車で一時間の世界だもんな」 皓弥はそう言うけれど、引っ越しする前は同じ立場にいたのだ。 あの時期は辛かった。眠るのが好きな皓弥にとって朝早いというだけで害であるように感じていたものだ。 「電車の中で二度寝するのが基本だな」 げんなりと三村は語っている。電車通学が長いと電車の中で意識を失い、目的地に到着すると自然に目を開けるという作業が出来るようになるらしい。人間の順応力の素晴らしさだろう。 「不便なら俺の家に住めばいいのに」 見笠は眠たげなままそう言った。何気ないように聞こえるが、どきりとした。 自分を棚に上げて何かと思う話だが、同居はどうなんだろう。 「毎日お前を起こすとか面倒で嫌」 三村は皓弥のように動揺をしなかったのだろう。したとしても顔に出ていない。 二人の間ではすでに交わされたことのある話だったのかも知れない。 「その内放置して大学来るようになるだろうな」 二人の話に複雑を抱いたなんて欠片も匂わせることのないように、勤めて冷静にそう言った。 「普通にそうなるだろ」 向上心のない奴の世話なんて誰がするか。というお言葉付きで三村は言い放ってくれる。実にいい感じの冷たさだ。だから付き合っているなんて想像もしてなかった。 「見笠って単独で取ってる講義とか、出席足りてんのか?」 単位を意識して出席をするべき大学生だ。その辺りの管理はしっかりやっているのだろうか。遅刻のようにだらだらとしていて、自分がどれだけ単位取れるかも分からないというオチではないだろうか。 気になっていると見笠は「あー、大丈夫」と手を振った。 「午後のやつでなんとかまかなえるようにしてるから」 そういえば見笠は明らかに午後に講義が集中している。 「駄目大学生だな」 「おまえっとに駄目だよな」 皓弥と三村が口々に駄目だと繰り返す。だが本人は気にしている素振りはなかった。 自覚しているからいいんだという様な顔で聞き流している。 それもまたいつもの光景ではあった。 しかし皓弥の心の中では、いつもと違う気持ちが生まれてくる。 (付き合ってるとか、思えないもんな) これが普通だと思っていた。今も思っている。あれが見間違いではないかと思うほど。 このまま何も知らないふりをしていて良いものか。それは卒業まで続けられるのか。 わだかまりのようにそれは皓弥の中に沈んでいった。 平穏な中に多少の誤魔化しを感じながらも、二人に対して何の問いかけもすることなく日々を過ごしていた。それが正しいことだと思っていた。 そんな中、数日前に仕事で出向いた場所にまた鬼が出たと言われた。元から複数の可能性があると言われていたので、そのことに関して驚きはしなかった。 しかし仕事を受けるように打診された時、まず初めに思ったのが「見笠の家の近くは危険だ」という思いだった。 鬼が出没するから危険なのではない。またあの二人の仲睦まじい光景を見るのではないかと。そして今度は顔を合わせてしまうかも知れないという危険性だ。 顔を合わせてしまえばさすがに言葉に詰まることだろう。 それは避けたいと思ったのだが、仕事は仕事だ。よほどの事情がない限り断ることはない。 皓弥の心境を読んだらしい那智に「俺が行こうか」と言われたのだが、仕事に行かない理由が恋人同士になったらしい友達二人に会いたくないからだなんて、人生舐めているとしか思えない。 そんな理由は自分自身が許せなかった。 情報にあった場所の近くに車を止めて、二人で歩き出す。 いつどこから鬼が出てくるかは分からない。もしかすると今夜は見付けられないかも知れない。 なので周囲に気を配りながらも、また別のことを警戒していた。 見笠に会わないように、というささやかながらも大切な願いだ。 まして住宅以外にはさして何もない土地をふらふらと歩いているなんて、発見されると不思議に思われることだろう。 しかし嫌なこと、というのは頻発してくれるもので。遠くの方から声がした。 「皓弥」 自分のものに間違いないその音は、耳慣れた声で発せられている。しかも会いたくないと思ったものだ。 「…見笠…」 呆然と呟きながら振り返ると、見笠が遠くから歩いてきている。その距離で人の姿が判別出来たのかよと言いたくなるような遠さだ。 (こいつ目は良かったんだな) 眼鏡やコンタクトに頼ってないということは知っていたが。夜目も効くらしい。 片手にはコンビニの袋をぶら下げている。こんな時間に出歩くなよと思ったが、現在は午後十一時。朝が弱いところからして夜行性が察せられる見笠にとってはまだ遅い時間ではないのだろう。 「蓮城さんの車がそこに止まってたから。もしかしてって思ったけど。マジ皓弥か」 「おまえは確信もなく人の名前を呼んだのか」 那智の車はここから少し離れた場所。邪魔にならない路上に停車させている。コンビニから見笠の家に行くまでの道のりにそれがあったのだろう。 (まずいところに止めたな。でもあいつの家知らないし) そもそも見笠に会いたくないと思いつつも、見笠の家がどこか正確には知らないのだ。避けようがない。 (てかこいつもよく人の車なんて覚えてるな) 那智が皓弥を車で迎えに来た時に見たのだろうが。その場に見笠がいたのは一、二度ほどだと思うのだが。記憶力は良いらしい。 「何してんの?」 こんな時刻に、こんな場所で会ったのなら間違いなく言われるであろう台詞をやはりぶつけられる。 さて、と皓弥が適当な言い訳を口にしようとした時、先に那智が動いた。 「知り合いにちょっと用事でね。皓弥はついで」 ついでって何だ。 那智の知り合いに会うのに、俺がついでに付いていく必要性はどこに?という疑問が当然のごとく皓弥には浮かんでくるのだが、見笠は「そうですか」とそれ以上尋ねてこなかった。 あまり深く突っ込むものではないと思ったのか、興味があまりないのか。 「ラブホならもうちょっと車で走りますよ」 「は」 「場所変えじゃないのか?野外はどうかと思うけど」 見笠は真顔でそんなことを言う。何を言われているのか分からなくて、思わず眉を寄せた。 時々見笠は突拍子もないが、今回は本当に理解出来ない方向に飛んだ。 (ラブホって…) 「お前、何言ってんだよ」 勘違いするなよ!と怒鳴る勢いもなく、呆然とそう告げた。 唐突過ぎて怒りも付いてこない。 「皓弥は野外とか無理そうだけど」 見笠は呆然とした声も気にせずにまだ続けている。 どういう頭の中身をしているのか。隣で那智は生ぬるい笑みを浮かべていた。 皓弥の友達ってさぁ、と後で呟かされたら痛い。 「お前、普通に下ネタ言うの止めろよ!てか何言ってんだよ!」 那智の反応にようやく見笠の暴走を止めなければならないという冷静さが戻ってくる。 人間あまりに意外過ぎる言葉を聞くと思考が停止するというのは本当だ。 「皓弥が隠してんのは知ってるけど」 見笠はやれやれと言いたげな顔をして見せる。それがしたいのはこちらだと殴ってやりたい。 「二人が付き合ってんのは見たら明らかだろ」 当然のごとく口にした見笠に、皓弥は時間が凍り付くのを感じた。 ラブホの単語を出された時より衝撃が強い。 あれはまだたちの悪い冗談だと思えた。だがそれは冗談ではないだろう。 友達である皓弥に絡んでからかってくるのはよくあることだが、自分の友達ではない那智まで絡ませてネタにするなんて、そんな荒技はしない。 そして見笠の言い方には確信が詰まっている。 鬼に遭遇したわけでもないのに、冷や汗が背中にじわりと滲むのを感じた。 次 |