弐




 
 ベッドに転がる。時計は日付が変わって少し経った場所を示している。
 読んでいた本をベッドヘッドに置いて、天井を見上げた。
(やっぱり付き合ってんのかな)
 道端で目にした、仲睦まじい二人の姿。
 あんなの見たことがなかった。
 だが事実、二人が付き合っていたとしても、だからどうしたという言葉が浮かんでくる。
 付き合っているならそう言ってくれればいいのに、と見た直後は思ったのだが。自分だって何も言えずに、こうして過ごしている。
 那智とは厳密には恋人同士というより、主と刀というものらしいが。端からしてみれば恋人以外の何物にも見えないだろう。
 手も繋ぐ、キスもする。それ以上のことも行っている。同居している分、あの二人よりか深い状態だと言えなくもない。
 それでも皓弥は誰にも付き合っていることを話してない。
 男同士であるという現実が、世間の目を気にして口を重くさせていた。
 わざわざ自分からもめ事を撒き散らしたくない。避けられる面倒は避けたい。
 その姿勢が、黙秘を続けている理由だ。
 そんな自分が、あの二人にどうして黙っているのかなんて、到底訊けるはずがない。よく分かっていることだ。
(しっかし……まさかな)
 あの二人が付き合っているなんて。
 同性で付き合うのはさして珍しい現象でもなくなってきているのか。いずれ近い将来町中でもあんな姿が増えるかも知れない。
 それはそれで良いようにも思える。
 むしろ何も知らない他人が誰とどう付き合っていようと興味がないだけだが。
(……知ってる奴がそうなると。世の中の波はきついだろうなと思うな)
 まだまだ同性の恋人というのは認めづらい風潮がある。
 それを思うと苦労するだろうなと他人事のように思ってしまう。
 自分に関しては「他人の考えなんか知るか、関わってくんな」と思って斬り捨てるだけだが。
 そうした生き方が出来ない人間がいることも知っている。特に三村は他人の目をある程度気にするタイプだ。
(でもあいつも吹っ切れると俺よりばっさりいくからな)
 こうと決めたら頑として譲らない頑固さも持ち合わせている。
 それを思うと心配する必要もないだろうか。
 二人とも世間の目を気にしてびくびく怯えて、というタイプに見えない。
「困ってる?」
 電気が消えたかと思うと、隣にいた那智が抱きかかえてくる。
 この世界の中で、毎回誰かに抱えられながら眠る成人男性の数はいくらか知らないけれど。かなり少ないことは想像が出来る。その内の一人であることに、改めて軽い頭痛を覚えた。
 どうしてこの男は自分を抱えたがるのか。
 嫌だと、動きづらいと言ってもいつの間にかこの体勢を取っているのだ。
 皓弥が諦める方が早かったわけだが。
 思い直すと、自分たちはかなり馬鹿の入った付き合い方をしているのではないだろうか。
「俺が困っても仕方がないがな」
 溜息をつきつつも、口から出たのは那智への文句ではなかった。言っても無駄だからだ。
「…最近は珍しくないのか?同性って」
「さあ?でも世間が思ってるほど少なくとはないと思うけど。大抵隠してるから表に出てないだけで」
 那智にそう言われ、皓弥は内心納得してしまう。
 表に出ると人に何か言われるから出ない。だから数が把握出来ない。
 そんなことは他の事柄でもあることだろう。
 思っているよりも世間というものは数多くの面を含んでいるものだろう。
 ただ見えてないだけで。
 一般人からしてみれば皓弥が日々警戒している鬼だって、存在しないものだと思っているはずだ。
 人はそれぞれ見ている世界が異なる。
「別にいいんじゃない?」
 那智も皓弥と同じように他人事のように語る。自分たちがその一つだという認識は、お互いに薄いらしい。
「でも、三村はそんな感じなかったんだがな。昔女と付き合ってたのも知ってるし」
 高校生くらいの頃だっただろうか。
 三村は同じ部活の女子と付き合い始めたと言っていた。相手の姿はちらりとしか見たことはなかったが、それなりに可愛いのではないかと思った。
 お幸せに、と言ってからかうように言ったけれど。
「そういえば長続きはしなかったな」
 何ヶ月持っていただろう。季節を二つ過ごすこともなく、別れていたような気がする。三村も女子と別れたからと言って落胆した様子もなく、気が付くのにしばらくかかった。
 しかも「あ、別れた」「へぇ」というごく短い会話で終了していたような気がする。
 それに付き合い始めた時も変化がこれと言って見られなかった。
 三村はそういう人なのだろう。
「人間の大半は両方いけるらしいから」
 那智がごく近くの背後からそう言った。
「そんなものか」
 自分自身だって、男と付き合えるなんてかけらも思っていなかった。けれど現実ではこうして腕の中に収まっている。
 性別なんて最終的には吹っ切れられるようなものかも知れない。
「黙って放置してた方がいいんだろうな」
 明日からの自分を考えて、そんな結論が出てきた。
 二人って付き合っているのかと尋ねるのは気が引けたのだ。
 だって今日のあの状態は盗み見だ。隠れてひっそり見てしまいましたなんて気味が悪いことだろう。
 衝撃が強すぎて声を掛けることが出来なかっただけではあるけれど。
「今まで黙ってたってことはそういうことだろうし」
「かもね」
 悩む皓弥の呟きに、那智は冷静にそう返す。
 その冷静さが自分にも欲しい。
「……明日から、あいつらに会ったら動揺するかも」
 おまえら恋人同士なんだよなという台詞が喉元まで迫り上がってくるかも知れない。
 二人並んでいる光景に、何かしら複雑なものがあるかも知れない。
 それが顔に出たらどうしよう。
「しないでしょ。皓弥はたぶん平然としてるよ」
 悩む人の言葉を那智は少し笑っている気配を込めて否定した。
「いつも見てるように言うなよ」
 那智が言うと本当にそんな態度を取るのではないかと思ってしまう。
 少なくとも大学にいる時の自分を那智は見ていないはずなのだ。その他の時間は観察されているかも知れないが。
「家の中では気を抜いてるから感情出すけど。外では隠し気味じゃない」
 それは仕方のないことだ。
 外では警戒している。
 誰にどんなところでいつ襲われるか分からない。どこから鬼が見ているか分からない。そんな生活をしていれば、家から一歩出れば危険に満ちているのと変わりがない。
 感情豊かに気楽に生きられるはずがないのだ。
「俺がいない時はもっと隠してると思ってる」
 首筋に唇を寄せて、那智は囁く。その甘さに身体が僅かに緊張した。
 睦言のようにそんなこと言わないで欲しい。
 勝手な想像だと突き放してやりたいのに、それすら軽くあしらわれてしまいそうだ。
「三村の前ではそうでもない」
 強がりのようにそう返す。幼馴染みである三村に対しては那智ほどではないが、信頼している。
 子どもの頃からお互い色々やってきているだけに、痛いところも十分過ぎるほど知っているのだ。
「へぇ」
 那智は少しばかり声を低くして、皓弥の身体を探ってきた。服の隙間から入り込んでくる手を掴んで、身をよじろうとした。
 だが更に密着して身体が欲しいと訴えてくる。
「不穏なことするなよ」
「全然不穏じゃないよ」
 おまえにとってはな、と切り返すが那智の手は止まらない。
 抵抗しているはずなのにその手は器用に皓弥を辿る。その掌は身体のどこが刺激にひっかかるか知っているのだろう。
 全身の硬直を奪い取っていく。
「っ」
 下肢に滑り込む手に声を呑む。
 ふと、あの二人もこうして抱き合っているのだろうかと思ってしまった。
 付き合っているのならおかしいことじゃない。相手が欲しいと思う気持ちはこの行為をせがむだろう。けれど、想像はしたくない。
 する必要もないのだが。なんとなく居たたまれない気持ちになった。
 友達だという目でしか見てなかったから。
「皓弥」
 戸惑いがどこかに出てしまったのか、那智が手を止めて囁いてくる。
 そしてうなじに歯を立てられる。
 声を堪えていると噛まれた部分を舐められる。ぞくりぞくりと痺れのようなものが腰から這い上がってくる。
「考え事はもう終わり」
 皓弥の意識が那智から離れていたことを敏感に察知したのだろう。時々この男は人の精神に関与出来るのだろうかと思うほど、皓弥の思考を読む。
 他人にそうされると気味が悪くて仕方ないはずなのだが。那智が相手だと諦められる。
 生活を共にしているから思考も似てくる。それに那智は皓弥のために生きていると公言するような生き物だ。
 一つずつ意識を辿って、先読みする技も身につけられたのかも知れない。
(気に入らないなら、出来ないようにすればいいのに)
 どうせ那智は思考を奪ってぐちゃぐちゃにするつもりなのだろう。
 なら考え事しないで言う前に、いっそ実行に移せばいいだろうに。
 そう思ったけれど言ってしまえば啼かされる羽目になるのが目に見えていたので、口を閉ざしておく。
 沈黙は懸命な判断だと、この男との付き合いではたまに思う。
「人は人、俺たちは俺たち」
 そう言っては、那智は身体を起こして皓弥に覆い被さってくる。
「その台詞はかつて母親に言われたな」
 幼い頃にそうして諭されたものだ。もちろん、こんな場面で言われたわけではない。
 他人と違う自分に葛藤していた際に、繰り返された言葉だ。
 仕方がないと、それこそ割り切るためにはその言葉が必要不可欠だった。
「誰しもがそうして割り切っていくものだよ」
 他人のことなんて所詮自分にとっては些細なことだ。だから割り切ってしまえ。
 那智はそう言いたいのかも知れない。
 それとも、他人のことをベッドの中まで持ってこられるのが嫌なのか。
(両方か)
 独占欲の強い奴だ。自分に対してどうしてそこまで執着するのか。
 呆れを抱いていると、唇が落とされる。
 刀を納めるためにに重ねられる軽いものではない。
 情欲を誘ってくる深いものだ。
 まぶたを下ろして、その舌に応じようとした時にはもう誰の姿も思い浮かんでこなかった。



 


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