壱




 
 鬼を斬った感触はすでに慣れたものだった。
 血しぶきを上げて人であったはずのものが倒れていく。その血は皓弥に触れたはずだが、服を汚すことはなく灰になって消える。
 夜の街灯に微かに照らされ、それが鬼であったものが消えていくのが見える。
 人を止めてしまえば、その身体は大地に還るどころか何一つ残らない。
 ちらりと見た瞬間から、大した力も持ってない鬼だということは分かった。
 鬼に狙われ、喰われる側に立っている皓弥は相手がどの程度のものなのか察知出来る能力もいつの間にか身につけていた。
 力を計らなければ、斬るか逃げるか判断に迷ってしまう。その迷いは死に繋がる。だから相手の力に関しては敏感だった。
 そして今回は楽な方だと思った。
 けれど、それでも刀を握って鬼を斬る時は緊張する。
 もしかすると襲いかかられ、血を流すかも知れない。流れた血は更に鬼を凶暴にさせる。この血は蠱惑的な香りをしているらしいのだ。
 だからなるべく無傷で、瞬時に片を付けたい。
 その意識が皓弥に強い緊張感と危機感を与える。その分、斬った後の脱力感は大きかった。
 吐息を吐くと心臓の音が聞こえてくる。とくりとくりといつもより大きいな音。
 どんな鬼であっても、心のどこかにはいつも怯えを抱いてしまう。
 強くなりたいと願っている。那智の刀を手にしてからは前より確実に強くなっている。それでも精神的に安穏とはしていられないらしい。
「お疲れさま」
 ごく近くで控えていた那智が近付いてくる。
 鬼に関する仕事は主に皓弥が請け負っている。本来なら鬼を食う生き物である那智がやる方が堅実で安全なのだろう。けれどこの道を選んだのだ。
 己の目的のためにこの職業を選んだ以上、那智におんぶにだっこなんて冗談ではない。だから出来るだけ自分でやりたかった。
 だが心配性の那智は刀を持って、常に皓弥の近くに控えている。何かあれば即座に自分が動けるようにしているのだ。
 そして実際、皓弥が傷付くようなことがあれば、その前に動いて鬼を斬り捨てたことが何度かある。
 命が危険に晒されるどころか、微かな傷一つ付けられる前に那智が片付けるのだから。もっと安心して刀を握っても良いようなものだが。恐怖心は本能に刷り込まれているので仕方がない。
 小さな笑みを浮かべている那智の顔が目の前に来ても、皓弥は何も言わなかった。
 手にしている刀を納めるためには那智と唇を重ねる必要があるらしい。だから出会った時から口付けだけは受け入れてきた。
 今はもう慣れて、動揺も小さくなってきた。それより人気がないとは言え、町中で帯刀している方が気になる。人目についたら警察を呼ばれても文句は言えない。
 当然のように触れ合う唇。
 一瞬触れれば良いだけのように思うのだが、実際のところは那智が離れていかない。数秒、互いを確かめるように重ねている。
 頭の中で数秒数える。それが二桁になる前に、いつも那智を引き剥がしていた。
 今日は六で唇が離れた。いつもより少しだけ早いなと思い瞳を開けると、再び口が塞がれる。
 反射的に間近にあった那智の額を掌で押した。
「なんで二回もする」
 どういう了見だと睨み付けると軽い笑みが返される。
 一度唇が触れた時点で皓弥が持っていた刀はもう消えている。それは那智の中に納められるようだ。どういう仕組みかは本人にも謎らしい。
 人体から刀が出てくるという、最初の段階で理解不能なのだから納める仕組みが分からなくても当然と言えば当然なのかも知れない。
「つい習慣で」
「そんな習慣はない」
 まるで毎日そんなことをしているかのように言わないで貰いたい。
 誰が刀を納める際に何度も唇を重ねるような生活をしているものか。
「先に言うが、作らなくていい」
 皓弥は嫌な予感がして、先手を打った。
 ないなら作ればいいじゃないか、なんてどこぞの姫かと思うような台詞が聞こえてきそうだったのだ。現に那智は開いた口を渋々というように閉じている。
「対処が早いな」
 不満げな声に皓弥は呆れる。馬鹿げた先手だったのだが本気で思われていたらしいところが恐ろしい。
 帰るぞ、と帰宅を促そうとした時、聞いたことのある声がした。
 立っている場所は市の公用施設のようで、小柄な美術館のような建物の下だった。当然夜になると人は通らない。
 だが一本違うとコンビニのある筋になっている。なので人目には付かない場所だったが、誰かの声が聞こえてくることはおかしくない。
 覚えのないものなら、何も気にせずに歩き出したことだろう。だが皓弥はそれが無視出来なかった。
(もしかして)
 なんとなく確かめたくて、その声がした方向へ向かった。那智も黙って付いてくる。
 皓弥が通っているのは細めの道なので、どうやら真横を通り過ぎるだろう人からは見えないと思った。だが別段見付かっても問題のない相手ではあったのだ。だから特別警戒はしていなかった。
(……え?)
 案の定目の前を横切った人物に足を留める。
 それは二人だった。靴音が多いとは思ったし、誰かと話している風だったので驚愕というわけではなかった。だが人数より、その姿より、彼らの状態に驚かされた。
(三村と見笠……だよな)
 今日も大学で会っていた友達だ。
 三村の方とは付き合いが長く、気の置けない間柄である。そして見笠もいつの間にか馴染んで、三村と一緒によく過ごしているのだが。
 数時間前に目にしている二人が、仲良く歩いている。それも手を繋いで。
(…なんで、手?)
 笑い合っているのは問題ない。三村と見笠は何かとうまが合うようで冗談を言い合いながら機嫌良さそうにしている。だから珍しくないけれど、その手は一体何なのか。
「あれって」
 那智は声を潜めてそう尋ねてくる。
 あの二人は那智も何度か目にしたことがあるだろう。皓弥のお迎えをした際に見ているはずだ。
「三村と見笠」
 見間違えはないはずだ。
 通り過ぎて視界からは消えてしまっただが、本当に手を繋いでいるのかまた確認したくなって曲がり角からひょいと顔を出した。
「学生寮じゃなかった?」
「出たらしい。兄がこの辺りにいたらしいけど、転勤になってその後の部屋に入ったって」
 見笠がそう言っていたのは半月ほど前だ。
「また二年くらいしたら戻ってくるらしい。あの部屋が立地条件が戻ってきたらまた住みたいって。だからその間代わりに見笠が入ったらしい」
 一回契約を解消してしまえば他の人間がその部屋に入ることだろう。マンションらしいから、別に空き部屋があれば問題はないのだが。そう二年経って都合良く空きがあるかどうかは確立が低い。
 家主は部屋を埋めて日々の収入を得ているのだから。
 なので部屋を埋めたままにしようとしたらしい。だが住んでいないのに家賃を払い続けるなんて馬鹿らしい。
 代わりに誰か家賃を払いながら住んでくれないか。そして二年くらいしたら出てくれないか。と思ったらしい。
 本来ならそんな人間はいないのだが、大学生の見笠には丁度良い条件だったらしい。
 大学卒業まで残り約二年、大学からもそれなりに近い。そして他人の干渉を受けない一人暮らし。
 学生寮にいた時から親の仕送りがあり、その分で家賃などはまかなえるようだった。
 他はバイト代でなんとか出来ていると語っていた。
「三村がたまに見笠の家に行ってるのも知ってたけど」
 いつの間にかとても仲が良くなったんだな、というか仲が良くなりすぎて良くない方向に行きかけてないだろうか。
(おまえら道踏み外しかけてないか?自覚しろよ)  自然にあの仕草をしているとすれば、どうかと思う。
 後ろ姿の二人はやはり手を繋いでいて、首を傾げそうになる。
 友達と手を繋いで歩くような人格ではなかったと思うのだが。女性同士ならどうかは分からないけれど。
「二人ってあんな感じなの?」
「いや、俺はあんなの見たことない」
 那智と共に曲がり角に隠れるようにして二人を見る。これではストーカーのようではないか。しかしストーカーに二人組なんてものはあるのだろうか。
 見たことのない光景だと思っていると三村が見笠に対して「こらっ」とちょっと叱るようなことを言ったようだった。
 動揺しているようで、手を離そうとしているが見笠はそれを強引に手前に引いた。
 立ち止まった三村に、見笠は思い立ったように顔を寄せた。
(う、えぇ!?)
 それはさっき那智にされた体勢ではないかと思ったら、案の定二人の唇は重なった。
「…皓弥、最近の若者は友達同士でもキスするの?」
 那智に尋ねられ、ぶんぶんと首を大きく振る。
 そんなはずがない。ここは日本だ。キスが挨拶の国ではない。
 少なくとも皓弥の知っている世間では友達同士で普通にキスなんてしない。
 絶句しながら呆然とその光景を見ていると、三村がぽかりと見笠の頭を叩いた。けれど手が離されていないところからして、怒りの度合いが知れる。
(どういう、ことだ?)
「あの二人って付き合ってるの?」
 もしかして、と思ったことを那智が問いかけてくる。
 遠のいてゆく背中から目を外し、那智を振り返る。
 そこにはさして衝撃も受けていないらしい顔がある。それもそうだろう。那智にとって二人はただ顔と名前を知っているだけの存在だ。
 皓弥とは違う。
「わ…わからん」
 端的に答えつつ、どもってしまった声が動揺を現していた。
 二人が付き合っているかどうかなんて、考えたことがなかった。当たり前だ。男友達同士が付き合っているのではなんて、相当怪しい素振りがなければ勘ぐったりしない。
 そしてあの二人は、どちらも皓弥に対する態度と互いに対する態度に差なんてなかった。
(でも、冗談って感じじゃなかった……)
 酒が入っていても三村は酷く酔うことがない。素面とあまり変わらないらしい。
 その人がたとえ酒が入ったからと友達からキスされて、あんな態度でいられるだろうか。そもそも何故手を離さない。
 混乱したまま突っ立っていると、那智が「とりあえず帰ろうか」と声を掛けてきた。
 ついでのように手を取られそうになって、思わず身体ごと距離を取る。
 すると苦笑が返された。
 別に繋いでも問題はないのだが、今自分が友達二人を見たように誰に見られているか分からないという気持ちと、二人が重なった図が頭に残っているせいだろう。
 手を繋ぐのも、キスも嫌じゃない。気が付けば馴染んでしまっていたことだ。
 しかし他人の光景を見ると、改めて羞恥の沸き上がることをしていたのだなと確認させられる。
 せめて自宅なら良いのだが。
 そんな葛藤が見て取れるのか、那智は拒絶されたにも関わらず機嫌を損ねることもなく隣で歩いていた。



 


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