弐




 
 熱い身体が覆い被さってくる。
 呼吸は荒く、心臓は酷く忙しない。
 繋がった場所が溶けてしまうような感覚に、皓弥は甘い吐息を吐いた。
 声を出したくなくて、口を手で覆っていた。
 それでも零れそうになると、指を噛んだ。
 いつもなら那智はその手を外してしまう。だが今日は外すだけでなく、自分の手を皓弥の口に当ててきた。
 噛んで。そう耳元で囁く声すら感じてしまって、小さな嬌声を零した。
 噛みたくない。だが声を出したくない。
 その葛藤をしている間に、那智の指に歯を立ててしまっていた。
 痛んでいるだろう。そう思って那智の指を探す。
「指…」
 顔の横に肘を付き、快楽の残響を味わっている人にそう言うと、口付けが降ってきた。
「いいから」
 良くない。そう皓弥は続けようとした。
 だがその前に那智が皓弥の上から身体を起こし、それを引き抜く。
「っ…」
 とろりとしたものが溢れていく感覚に息を飲みながら、青ざめた。
 いつもは当たり前のようにされているものが、今日に限ってされていない。
 皓弥の負担になるから、後始末もあるし、と言って毎回ちゃんと付けてくれているはずの、あれが。
「那智…!」
 中から熱が零れていくことが、とても卑猥であるような気がして羞恥が込み上げる。
 顔は赤くなっただろうが、橙色のほのかな光ではその変化もおぼろげにしか見えないだろう。
「うん。ごめん」
 焦る皓弥の声に、那智はさらりと謝った。
 確信犯だ。
(なんでよりにもよって、宿に泊まってる時に!)
 今日の那智はどこか妙だ。
 違和感を憶えていると、身体を俯せにされた。
 まさか、と思っている間にも、腰を持ち上げられる。
 那智と繋がっていた部分が、今は目の前に晒されている。しかも、きっとそこは溶かされ、白濁が流れているというのに。
「那智!」
 いくらなんでもこの体勢は!と非難の声を上げるが、那智は構わずそこに欲情を押しつけた。
 待て、おまえさっき出したばっかだろ。
 そんな冷静なツッコミが皓弥の頭の中をよぎった。だが実際に口に出す前に、那智の身体を背中に感じた。
「声、出そうだったらシーツ噛んで」
「那智…!もう駄目だ!」
「まだだよ」
 駄目だと言う皓弥に、那智は囁く。まだ、と。
 欲しい欲しいと強請る響きを含んでいる声。押しつけられたものが硬さを取り戻していく。入りたいと訴えるかのようだ。
 欲情されているということが、いつも皓弥を煽る。
 一人だけ盛っているのなら、すぐに冷静になれるのに。
 那智がそうだと分かっただけで、熱が収まらなくなるのだ。
 あの手が、声が、熱が、与えてくれる快楽に溺れてしまう気持ちよさを知っているからだろう。
 潤んだ瞳を閉じる。
 身体に力は入らない。それは受け入れる時に無駄な力を入れれば痛いだけと教え込まれたからか。それとも悦楽に身体がとろけてしまったせいだろうか。
 那智の舌がうなじから背骨をなぞる。なめらかな感覚に濡らされていく。もっと強い刺激が欲しい、そうとっさに思ってしまいシーツを握りしめた。
 那智にとって、都合の良い身体になっている。
 怖いくらい変化してしまった自分に、皓弥は戸惑いばかり覚えていた。
「入れていい?」
 後ろから包み込むように、皓弥の芯を握る。
 それだけでどくりと血が巡る。
「駄目?」
 那智が耳元で囁く。微かに掠れているのは、渇望しているからか。
 いいと、口には出したくなかった。
 止めろと言ったのだ。
 だがこのまま止められても辛い。
 皓弥はほんの少し、じっと見ていなければ分からないほどの動きで頷いた。
「は、あぁ…!」
 一度中で出されたものが、それを入ってくるのを助けている。
 すでに熟している箇所は那智を抵抗なく飲み込んだ。
 途中まで入れられ、動かれる、そう思っていると、その熱はさらに奥へと埋まっていく。
「ふか…ぃ」
 奥へ、深く、那智が入ってくる。
 慣れない形で繋がる違和感、そして内蔵を圧迫するように押し込められるそれ。
 那智が息を飲むのが聞こえた。
 顔が見られないから。無理矢理のような体勢だから。としたがらなかったはずなのに。
「…動くよ」
 一言告げると、那智がゆっくり律動を始める。
「あ、っ…んんん…」
 痛みはほとんどない。
 ただくちゅくちゅと耳障りな水音が皓弥の羞恥心を焼いていく。
 その上喘ぎ声まで出せるわけがない。シーツを噛んでなんとか声を殺すが、それに反して身体は焦がれるように熱を上げていく。
 撫でられるだけで反応してしまうのに、揺さぶられて自制が保てるはずがない。
 浅い場所で動いていたかと思うと急に深く貫かれる。しかも一番熱い場所をわざと擦るのだ。
 そのたびに頭の中が白く濁った。
「っん…んん…」
 くぐもった声で、苦しげに喘ぐ。
 那智の手に芯をやわく刺激されると、それだけで吐き出してしまいそうになる。
 泣き始めるそれに気が付くと、那智は根本を軽く握った。
 堰き止められる感覚に、皓弥はシーツを口から外してしまう。
「那智…!」
「今イったら後がしんどいよ」
 後って何?そんな思考よりも、達したい、イきたい、という思いのほうが大きい。
 どうして止める。快楽が下肢に集まっては、逃げ場を探しているのに。
「なち、なち…ぃ」
 名前を呼ぶと、那智が長い髪をそっと撫でてくる。
「可愛い声で強請っても、まだ駄目」
 酷い。
 嫌だと首を降るのに、那智は中を嬲る動きを早めるだけで戒めを解いてくれない。
「やあ、ぁ…なち、なち…っ!」
 舌っ足らずな拙い声。
 それに気付いていても、理性はとうに灰になっている。
 ただイきたい。あの熱を吐き出したい。そればかりが頭の中にあった。
「もう少し」
 那智は上擦った声てせそう囁いてくる。
 内側をえぐる那智の熱は、容赦なく攻め立ててくる。いつもと違う角度に、どうやって刺激の波をかわしていいのか分からない。
 荒波に飲まれて、溺れて、指先が痙攣すのように痺れている。
「だめ、も…あ、あぁっ」
 唇はシーツを噛むことも出来ず、うっすらと開かれてはあられもない声を零す。
 芯は濡れそぼっているのに、熱が吐けない。
「ひ、ああ!」
 不意に深く突かれ、皓弥はびくりと震える。
 そのくせくわえ込んでいるところは那智を締め付けている。
 欲しがっているのは那智だけじゃない。それをまざまざと感じさせられた。
「ぃ…っああ!」
 芯を縛っていた指は解かれ、深い箇所を嬲られ、瞼の奥に白い灼熱が走った。
 熱いものが奥に注ぎ込まれ、すぐに身体から快楽の雫が溢れていく。
「ゃ…なち…」
 放たれたものがさらに奥へと入り込んでくる。
 次から次へと白濁を注がれれば、奥に流れ込むのは当たり前のこと。
 今まで感じたことのない箇所にまで熱を飲まされ、快楽に意識を奪われている頭でも、それがあまりにも淫らなことのように感じる。
 とてつもないことをされているのではないのか。
 今更ながらに、ぼんやりとそんなことを思ってしまう。
「やっぱこの体位…顔が見られないから、勿体ない」
 那智はそう呟く。
 ならなんでこれなんだよ、と皓弥は目を開けて後ろを振り返った。
 するとにやりと笑う男がいた。
「奥で出したかったから」
 この馬鹿が!ボケが!と頭の中では罵声が飛び交っている。だが皓弥の呼吸はまだ整っていない。
 それに怒鳴れば、繋がったままの箇所に響くことは経験済みだ。
「…抜け…いい加減」
 もう十分だろ。と呆れながらそう言う。情けないほど、情事に掠れた声だ。
 この後、中に出されたものをどうすればいいのか。そんな頭の痛い問題がちらついてくる。
 気怠い身体にむち打って始末しなければ、と冷静さの戻ってきた皓弥の腹の下に、那智の腕が滑り込んできた。
 何なのか、と疑問に思った時には、身体を起こされていた。
「ひ、あっ!」
 そのまま体勢を変えられ、那智の上に乗せられる。
 繋がったまま、座って後ろ向きに抱きかかえられたのだ。
 一度引き抜かれかけたものが、また奥まで入り込んでは皓弥の中を掻き混ぜる。
 とろりと中から溢れ出す、白濁。
 もう入れない。そう思うほど限界近くまでそそがれているのに。
 流れ出す感覚が嫌で、締め付けてしまう。
「まだ食いつきがいいね」
 それを那智が後ろから戯れのように囁く。
 好きで締め付けているわけじゃない。皓弥は緩く首を降るが、忙しくない呼吸は甘いばかりだ。
「なんで…」
 どうしてこんなに攻め立てるのか。
 悦楽で馬鹿になってしまった意識で、何かしただろうかと考えてしまう。だが皓弥に非があるとは思えないのだ。
 ここ数日、那智の機嫌を損ねるようなこともしていない。
 したとしても、こんな形で怒ることはなかったのに。
「匂い、付けときたくて」
 那智は背後からそう囁いては舐めてくる。
 背筋を羽で撫でられているような、微かな刺激に息を飲む。
「におい…?」
「そう。皓弥の奥まで、俺の匂いを付けておきたかったから」
(…あ…あほか…)
 匂い付けと言ってしつこいセックスをする奴なんて、聞いたことがない。
 大体匂いを付けるなら、風呂に入らないつもりなのだろうか。
 那智がどれほど文句を言おうとも、これだけ汚れたまま洗わないということは出来ない。それだけはどうしても受け入れられないのだが。
「…俺は恐がりだからね」
 自嘲の混ざった響きが聞こえてきて、皓弥は首を曲げて後ろを振り返る。
「あ…」
 那智の表情を見る前に、後ろから胸の突起を摘まれ、声が零れた。
 聞こえた嬌声に、那智が目を細めた。
「可愛い」
 男に可愛いなんて言うな。
 何度もそう言っているのに、那智は聞き入れない。
「やめろ…馬鹿!」
 くにくにといじられて、皓弥は罵声を浴びせる。女でもあるまいしと思うのだが、刺激になることはもう疑いようがなく。
 恥ずかしさで目尻が染まる。
「中、これ以上入らないかな」
「入らない」
 だから抜け、と胸をいじる手を無理矢理引き剥がして、皓弥は制止をかける。
「本当に?」
 身体を少しばかり揺らされ、くちゅという粘着質な響きと共に甘い呼吸が乱れた。
「は…ぁ…」
 肌が粟立つ。もう身体も神経もおかしくなってしくいそうだった。
「触ってないのにもう勃ってる」
 後ろから前を覗き込まれて、皓弥は羞恥に泣きたくなった。
 誰のせいだ。
 こんな反応をしてしまうようにしたのは、一体誰だと思っているのか。
 嬉しそうに、肩口に顔を埋めては軽く歯を立てられる。そんなことで感じるはずがなかったのに、今はそれすら快楽に繋がってしまう。
「皓弥」
 不意に真摯な声が名を呼ばれる。
「キツイ?」
 こくこくと何度も頷く。こんな風に何度もヤることなんてなかったのに。
 身体中がジェル状に溶けてしまいそうだ。
「ごめんね。でも、知らしめるにはこれが一番なんだよ。こうすれば、少しは喰おうって気も抑えられるから」
 喰おうという気。
 それは鬼が抱く感想だ。
 どこに鬼がいるのか。そして何故そこまで那智が心配するのか。
 仕事の時だって、鬼なんてすぐに始末出来るとばかり思っているのに。
「なち…」
 甘くない声が、もう出なかった。
 欲情に濡れて、ねだるような響きしか喉から出ない。それでも振り返って名を呼んだ。
「なち」
 手探りで那智の頭を引き寄せる。
 そして口付けた。自ら舌を差し出すのは、皓弥にしては非常に珍しいことだった。
 那智は優しく舌を絡めては、音を立ててキスを放す。
「しんどい」
「ごめん」
 素直なことを言えば、那智が申し訳なさそうな顔で苦笑する。
 文句は言ったが、もう身体は止められそうもなかった。
 そしてこの男が不安を抱いているのなら、好きにさせればいい。
 皓弥のためにならないことはしないのだから。
 身体はもう疲労で悲鳴を上げていたが、疼きは消えない。
「だから…おまえが動けよ?」
 上に乗せられれば、動いて、と悪魔の笑みで言われることがあるのだ。
 しかし、もう上で腰を振る余力なんてない。
「分かってるよ」
 那智は幸せそうに微笑むと、触れるだけのキスをしてきた。
 その後、皓弥は声が掠れるほど啼かされ、意識が薄れるほど熱に溺れた。
 


 


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