参




 
 結局気になってしまえばしばらく購入し続けるのだ。
 そんな予感はしていた。
(家の近くにコンビニがあるからいけない)
 皓弥は問題をそらしながらいつものコンビニの扉を押して入った。
「いらっしゃいませ〜」と言ってくれる店員の声は、午後八時という時間に来るといつも同じような気がする。
 わき目もふらずにドリンクコーナーに行き、桃とアロエのヨーグルト風味があることを確認する。
(売れてるのか?)
 思わず心配になるほど奥までぎっしり詰まっている。
 妙なパッケージのせいで誰も手に取ろうとしないのかも知れない。
(味も微妙だしな)
 そんなことを思いながら、それでも買おうとした時。
 ぐぃっと後頭部を引っ張られた。
「ぃ」
 正確には尻尾のように後ろでくくっていた髪を引かれたのだ。
 こんな仕打ちをする人間に心当たりがなく、振り返りながら睨み付けるとそこには猫のような目をした少女がいた。
 黒く真っ直ぐな髪。白い肌にふっくらとした唇。造作の整った顔立ちは黙っていれば清楚な少女にしか見えない。
 だが刀を振り回しては毒舌を吐いた姿をすでに見ているので、とてもではないが「おしとやか」という印象からはほど遠い。
「男の長髪って最悪って思ってたけど、貴方の場合は似合ってるね」
 ちらりと皓弥を見上げる。からかい気味だが、それが嫌みにならず可愛いという感じでまとまっている。
 こういうとき、女は自分をよく見せる方法を知っているな。と感心してしまう。
「あっそ。それより離してくれないか」
 皓弥は髪を握られたままなので、ろくに首を動かせず中途半端に横目で少女を見下ろす羽目になっていた。
 細い指からするりと亜麻色の髪を抜くと、ようやくまともに向かい合うことが出来た。
 今日は制服ではなく、チョコレート色のハーフコートにタータンチェックのスカート、ロングブーツという格好だ。
「何?」
 名前をちゃんと教えて貰ったわけでも、教えたわけでもない相手。その上初対面はお互い刀で鬼を斬っていたという状況だ。
 関わり合いにあまりなりたくないのだが、と皓弥は引き気味で尋ねたのだが少女はにっこりと微笑んだ。
「お時間よろしいかしら?」
 有閑マダムかおまえは。
 そうツッコミたいほど優雅な台詞だった。


 近くにあったファーストフード店に入り、窓際の席で向かい合う。
 なんでこんなところでこんな相手と食事をしなければいけないのだろう。
 どうも釈然としない思いだった。
 今夜は那智が大学の用事に出掛けていて、晩ご飯は自分で何とかするつもりだったが。冷凍庫にあるピラフでも解凍して食べようと思っていたのだ。
 それなのに、口に運んでいるのはバーガーだ。
 十数日前に一度会っただけの少女は、目の前でバンズの代わりに具材はレタスで挟みましたというバーガーを食べている。
 はっきり言ってこの上なく沈黙が苦しい。
 しかし会話を始めるきっかけなど、皓弥には思いつかないのだ。この少女が何の目的で皓弥を呼び止めたのかすら分からない。
 機械的にバーガーを囓り、窓の外を眺める。
(なんなんだこれは……)
 気まずい。少女はこれをなんとも思っていないのだろうか。
 ちらりと視線を前に向けると、アーモンドのような形をした瞳がこちらを見ていた。
「女顔ってわけでもないのに、なんで長髪が似合うんだろ。不思議な人ね」
 おまえのほうがずっと不思議だろうが。
 言われたのが親しい人間だったら間違いなくこう返している。
「なんで俺に声をかけたんだよ」
 長髪の話をする気はさらさらなく、皓弥は聞きたかったことを口にした。
 すると少女はジンジャエールを飲み、溜息を一つついた。
「那智の主に興味があったから」
 少女の眼差しにきらりとしたものが混ざった。
 宝石などの装飾品が見せるそれではない。
 尖った刃物が宿すものに似ていた。
「あたしのことは那智から聞いてるとは思うけど」
「や、ちょっとしか聞いてない。千堂って家の人間だってことしか」
「千堂春日。それが名前」
「……刀じゃないんだってな」
 春日は唇の端を少しだけ持ち上げた。未成年であるはずなのに、それは妙に妖艶さを帯びている。
「そう。人間よ。かなり変わっているけどね」
 高校生にタメ口で喋られているということに当初むっとしたものを感じたが、すぐに馴染んでしまっていた。むしろそうされるのが自然であるかのようにまで感じてしまうのが不思議だ。
 春日が、見た目や年齢の若さを裏切るものを纏っている気がするせいだろうか。
(そういえば那智もそうだな)
 家でのほほんとしている時は二十三という年齢相応なのだが、仕事をしている時は年齢自体よく分からなくなる。
 人の流れを見つめ続け、年老いた傍観者のような一面を見せる。
(鬼を斬るなんて仕事をしてると、こういう風に妙な老成をしていくもんなのか?)
 自分もそういう人間になるのだろうか。
「千堂が変わっているのであって、あたしだけが変わっているんじゃないのよ?」
「家柄、みたいなもんで?」
「そう。そういう家なの。代々鬼を斬る家で、歴史も長いから無駄にプライドだけ高くてね。やってらんないわよ」
 春日はうんざり。と呟いた。
 心底嫌そうに、大きな目を眇めている。
「で、あんたが今のトップなんだって?」
「あんた呼ばわりは止めてくれないかな。名乗ったんだし」
「悪い」
 指摘され、皓弥は素直に謝った。自分がずっとあんた呼ばわりされるのは気に食わないからだ。
 自分が嫌なら人にはしない。こんな簡単なことを忘れてしまったことに、恥を感じる。
 即座に謝った皓弥に、春日は表情を若干緩めた。「いい」と返す声は先ほどより柔らかさを増した気がする。
「本当のトップが仕事に出たっきり帰って来なくてね。真面目な人だったから、失踪するとは思えないんだけど」
(それなら、失敗したんじゃないのか?)
 仕事ということは鬼を始末しに行ったのだろう。
 帰ってこない場合、可能性として上げられるのは鬼の返り討ちにあったということではないのか。
 だが春日は「何やってんのかしらねぇ」と暢気にレタスを頬張っている。
 死んだと思えないほど強い人だったのだろうか。それにしても少しは心配になるものだろう。
(だからって聞けないしな)
 死んだんじゃねぇの?なんて無神経に尋ねることは皓弥には出来ず。もやもやとした気持ちで黙っていた。
「声も届いてこないから生きてるんだろうけど」
「声?」
「うちは、力のある人だけが刀を持つことが出来るんだけど。刀を持っている者同士はどっかで繋がってるみたいで。死ぬと、持っている刀が教えてくれるのよ」
「刀が、言うのか?」
「なんかね、持った瞬間に分かる喪失感っていうのかな。身体が急に重くなって、頭の中で死んだ人間の姿と折れた刀が浮かんでくるのよ。ああ、死んだなってそれで分かる」
 明確に答える春日は、経験したことがあるのだろう。その割に淡々としてものだ。
「不思議なもんだな」
 小さな鞘に収まることといい、死を教えることといい。
 まるで意志があるみたいだ。
(那智みたいな……)
 そう思ったが、あれはそもそも異質な生き物らしいので比べるのが間違いかも知れない。
「千堂は」
「春日でいいわよ。この仕事してると何人か千堂の人間がいるから。ややこしくてね。みんな名前で呼んでる」
 だから那智も名前で呼んでいるのだろう。
(やっぱそう親しい間柄でもないか)
 冷淡とすら感じる態度を取っていたので、予測はしていたが。
「春日は一人であの鬼たちを始末する予定だったのか?」
 五匹という頭数はどう考えても多い。
 一斉に飛びかかられては抵抗する間もないだろう。
「予定では、あの鬼を作り出してる大本を始末しなきゃいけなかったんだけど。この前斬ったのは下っ端ばっかりでね。本体とは未だ会ってないのよ。だからこの辺うろついてたわけ」
「仕事で来てんのか」
「まーね。さっさと片を付けたいんだけど、斬っても斬っても雑魚ばっかでさ」
 うっとーしいったらないわよ。と春日は口元をへの字に曲げた。子どもっぽい表情をして、ようやく年相応という感じだ。
「雑魚相手でも、数多いだろ」
「うん。でもあれくらいなら出来るよ。そういう訓練も嫌と言うほど受けてるから」
「すごいんだな」
 皓弥ならたとえ犬相手であっても、数に囲まれてしまえばどうなるか分からない。
 多勢に対する対処をまだ学んでいないのだ。仕事は大概単体のものが来る。仕事ではなく私生活で鬼に狙われた場合、多勢であるなら間違いなく逃げる。
 この腕は二本、そして刀は一本しかないのだから。
 どう足掻いても。
「那智と組んでる人にすごいなんて言われてもねぇ」
 春日はへの字に曲げた唇を更に下げる。
「俺は別にすごくない。刀があるから」
「那智を持ってるだけですごいってことなんだけどね。大体あれよ、主ってことはさぁ蓮城と同じだけ古い家柄なんじゃないの?」
「さぁ?」
 皓弥は家柄という単語に瞬きをした。
 家柄などというものは、自分には縁のないものだ。
 物心ついたときから母親以外の肉親を知らないのだから。
「さぁって、貴方って……えーっと名前聞いてなかった」
「真咲皓弥」
 そういえば名乗っていなかった。二人ともそれを忘れていたらしい。
「そう、真咲でしょ?それなら蓮城と一緒に暮らしてきた家柄だから、うちより古いはずたけど」
「そうなのか?」
「そうなのかって、知らないの?」
 春日は何故知らないのかとぱかりに非難めいた目で見ている。
「知らない。今は天涯孤独だから」
 天涯孤独。母親が死んだ時にはよく思い出した言葉だが、最近は意識することがなくなった。誰かと同居しているからか。その上、同居人を肉親並に近い存在だと感じ始めたからだろうか。
「ああ、分裂したんだっけ?」
「分裂?」
 皓弥の脳裏に浮かんだのは、高校時代の生物の教科書だった。
 細胞が二つに分かれていく様子を現した図式だ。
「もしくは分散」
「それは明らかに表現が違うぞ」
 分裂というと二個などの少数に分かれていくイメージだが、分散では砂のように粉々になっていそうだ。
 というか、それ以前に何が分裂なのか分からず、皓弥の中ではまだ細胞がうねうねしている。
「どっちかと言うと分散。お家騒動よ」
 遠い響きだなと皓弥は自分の家柄のことらしい話にそんな感想しか抱けない。
「詳しくは知らないけど。それもまた外野が騒いだって噂」
「外野?」
「主を輩出していない筋の人間よ。親戚みたいなもんかしらね。うちもこいつらがうるさい。力がないから口だけで生きてる感じね」
「そんなのいるのか?」
 母親から親戚はいないとだけ聞いている。
 一度も見たことがないので、そうなんだろうとしか考えていなかったが。
「真咲は途絶えたって聞いたけど?蓮城から離れた後、片っ端から鬼にやられたらしいね」
 血だな。
 冷めた思考は、皮肉なことを思っていた。
 やはりこの血は喰われるか。と。
「でもちゃんといたのね。真咲」
「俺は、遠縁だと思うが」
 まるで絶滅危惧種を発見したかのような言い方に、皓弥は苦笑した。
 確かに珍種ではあるが、それはお互い様というものだろう。
「でも真咲でしょう。しかも、主」
 春日はレタスバーガーを口に運び、しゃりと音を立てて噛んだ。
 そろそろバーガーを食べ終わろうとしている皓弥に対し、まだ半分以上残っている。
「ねぇ」
 春日は口の中のものを飲み込むと、ちらりと上目遣いで皓弥を見た。
 含みのある視線だ。
 探るようなものを感じ、皓弥は手にしていた烏龍茶をこつんと置いた。
 何を言われるのか、身構える。
「皓弥は、那智をどう思ってる?」
「は?」
 あの人をどう思っている?なんて尋ねるのは、心寄せている人間のすることだ。
 なら春日は那智が好きなのかと思われたが、その眼差しは冷淡そのものだった。
 感情が入っているかどうかもあやしいほどに。
「あれは人間じゃない。あれは化け物に近い生き物よ。それを人間の貴方はどう思っているの?側にいて平気なの?」
 気を許した瞬間に貴方を斬るかも知れないのに。
 研がれた刃物のように、ひやりとしたものが心臓を逆撫でした。



 


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