斎木は疑わしいような目をした。 那智に殺されても良いと言った、皓弥の言葉を信じかねているのだろう。 「あの男には何度も助けられています。あの刀なしの生活は考えられない」 皓弥は斎木が信じないことを分かりながらも、言葉を連ねた。 「これほどの安心は、あの刀以外与えてくれない」 抱き締められて、守られて、支えられて、必要はされる心地よさ。 それを失ってまで、今まで通りに生きていけるなんて思えない。 「本当に、良いのですか」 斎木は皓弥を説得したかったのだろう。那智は酷い人だ。だから側にいてはいけないと分かって欲しかったのだろう。 けれど皓弥は頷くことはない。 それが理解出来ないという顔をしていた。 「あんなものに殺されるなんて」 容易く、斎木は那智を「あんなもの」と呼ぶ。 けれど皓弥にとって那智は、あんなものと形容する相手ではなかった。ただそれだけのことだ。 「斎木さん、那智を恨んでいますか」 「殺したいほどに」 躊躇うこともなく、斎木は口にした。 意志の強さからして本気だろう。 (これはやばいな) 皓弥は那智に大切にされているという自覚がある。あれだけ過保護に接せられていれば嫌でも分かってしまう。 だからこそ、この状態は非常にまずい。 那智を苦しめたいのなら、皓弥を殺してしまえばいい。 あの男は怒り狂うだろう。怒りに捕らわれて、自我を手放すかも知れない。 そして、最後にはどうなるのか。皓弥にも予測出来ない。 主がいなければ、刀など存在している意味がないと言っているのて、もしかすると死ぬかも知れない。 それは斎木にとっては都合の良いことだろう。 皓弥は椅子に浅く腰掛けていたが、いつでも立ち上がれるように姿勢を変える。 逃げ出せる準備だ。 そして鞄を膝の上に置いた。 中にある短刀を取り出せるようにするためだ。 「警戒などしないで下さい。貴方に手出しなんてしません」 皓弥の行動に、斎木は苦笑する。全身から威嚇のオーラでも感じ取ったのかも知れない。 「私は人間です。鬼のような低俗な真似はしません」 斎木の言うことに反論はしないが、はいそうですか、と納得して武器を手放すようなことはしない。 鬼が低俗であるということは同調出来るが、人間全てが低俗ではないとは言えないからだ。 「それに、貴方は彼女と同じだ。そんな人を傷付けたくない」 斎木は近くのテーブルに飾ってある写真立てに目をやった。 懐かしむ色はなく、ここに彼女がいないのが何故なのか考えられないような、どこか危うい目だった。 「……彼女はどんな人でしたか」 ふと、興味がわいた。 皓弥は自分と同じ体質の人間は母しか知らない。 他人はどんな風に生きていたのか、どんな人だったのか、少しだけ知りたいと思ってしまった。 特別な体質に関して、苦労話が出来るわけでもないのだけれど。 「小柄な人でした。細くて、私の腕の中に収まってしまった」 斎木は皓弥より身長が高い。那智とあまり変わりがないほどだろう。 小柄であるなら、すっぽりと斎木に抱き包まれていたことだろう。 「とても怖がりで、一人で出歩くのを嫌がりました。よく私に、一緒についてきてとお願いして」 どこでどんな鬼に襲われるのか分からない。自衛するだけの力がないのなら、彼女の言っていることは無理もないことだ。 まして女性であるのなら、鬼に対抗するだけの体力も乏しい。 男である皓弥でさえ、あまり出掛けるのは好きではなかった。 「支えなければと思いました。守りたいと」 今でもそう思っているのだろう。 どう話をしていいのか、分からず皓弥は口を閉ざす。 大切な人を失った者を慰める言葉など、知らない。そんなものが存在しているのかどうかすら、分からない。 重苦しい沈黙。そして緊張感に包まれた部屋の中で、何かが震える音が響いた。 膝の上から伝わってくるそれは、携帯電話の着信を教えるものだった。 「どうぞ」 皓弥が着信に気付くと、斎木はすぐに携帯電話に出ることを促してきた。 鞄から取り出すと、それは那智の名前を示していた。 果たして斎木の前で那智と話をしても良いものか。逆上しないか、心配が過ぎる。 「彼ですか?出て貰って結構ですよ?」 迷いが顔に出たらしい。斎木が先読みをしてそう告げた。 言われた通り、皓弥は携帯電話の通話ボタンを押した。 「…はい」 『皓弥?どっか寄ってる?』 朝に告げた時刻より帰宅が大幅に遅れていることを気にしたのだろう。 心配性だ。 だが皓弥が通学路で鬼に襲われていたら、という可能性がある分那智の心配性を止められなかった。 「今、ちょっと」 どう説明しようか。 おまえのことを憎んでいるという人の自宅に招かれて、おまえの話をしていた。なんて素直に言えば那智はすっ飛んでくるだろう。 しかし誤魔化すにはどう言えば良いのか。 頭の中で文章を考えていると、斎木が椅子から立ち上がった。 「人の家にいるから。もう少ししたら」 帰ると言う前に、斎木は皓弥の真横に立った。 そして皓弥の携帯に手を伸ばしてくる。 「失礼します」 携帯を取られて、抵抗することは出来た。けれど皓弥はそのまま斎木に携帯を預けてしまった。 「お願いします」 そう言った斎木の目があまりにも切実で、断るのに一瞬躊躇ってしまったのだ。 斎木は頭を下げて、皓弥の携帯を耳に当てる。 「貴方のお話をしていたところです。蓮城さん」 斎木は毅然とした声でそう告げる。 皓弥の耳から遠のいてしまった携帯電話からは、那智が何を言ったのか聞こえてこない。 「私が分かりますか?斎木です」 斎木は微笑んでいる。 けれど全身で殺気を纏っていた。抑えきれない怒りが、その唇に浮かんでいる。 「でしょうね。貴方にとってはどうでもいい記憶の一つでしかない」 那智は、分からないと答えたのだろう。 きっと斬り捨てるかのように、冷たい声で。 「でも私はどうしても貴方にお会いしたいんです。来て頂けますよね?」 駄目だと言えるはずがない。 そう確信しているように、斎木は話す。 もし那智が嫌だといえば皓弥の身が危ういと続けるのだろう。 (ろくなことにならない…) 今二人が会っても、悲惨なことになるだけではないのか。 そうは思ったのだが、ここで斎木を止めてもきっといつか那智に直接会うだろう。どんな手を使っても。 ならば今ここで、会わせてしまったほうが良いような気がした。 皓弥がいないところで二人が会えば、どうなるのか想像もつかないのだが。今はちゃんとここにいる。何かあっても那智を止めることが、出来るかも知れない。 (前回は入院させてんだろ?今回はもっとキレそうだしな) 那智が来るということで斎木は緊張することだろう。憎悪をぶつけることがようやく出来るのだから。 しかし傍観者であるはずの皓弥も腹をくくらざるえなかった。 「会って、どうするんですか?」 通話を切った斎木に携帯電話を返して貰い、皓弥は問いかける。 殺したいと言ったそのままに、那智に襲いかかるのだろうか。 けれどしあの男が人間相手に遅れを取るとは思えなかった。 鬼をまるで児戯のように斬っているのだ。 「さあ」 「殺すつもりですか」 もし斎木が那智に刃物などを向けることがあれば、皓弥は鞄の中にある短刀を握るだろう。 斎木と斎木の彼女に恨みなどはない。けれど皓弥は那智に支えられている人間だ。失うわけにはいかない。 「そうしたいと思っていました」 (過去形?) 今はそうではないと思っているような言い方だ。 那智が来るというのに、男は落ち着いたままだ。 もっと心を乱すかと思っていた。 「けれどそれよりも、貴方にあの男の残虐さを知って欲しい」 それから那智が来るのを待った。 場所を知っているのかと思ったが、那智は斎木の家には以前訪れているらしい。 本人がそれを覚えているかどうかは謎だが。調べて来るだろう。 斎木は何の用意もせず、それまで座っていた椅子に再び腰を下ろした。 待っている間、何をしていいのかも分からず皓弥は紅茶に口を付けた。 少し苦い、深みのある味だった。 男はそれから彼女の話を続けた。 幼い頃から鬼に怯えていたこと。同い年の子どもたちと一緒に遊んでいてもどこかで鬼の気配を感じると怖くて泣いてしまい、泣き虫だとからかわれていたらしい。それは皓弥も同じだった。 子どもはあまりにも無力で、泣いて怯えることしか出来ないのだ。 学校に行き始めて友人が出来ても、休日に一緒に出掛けることを躊躇っていて、悲しげだったこと。人と違うことを気にして沈みがちだったこと。 それらは皓弥にも覚えのあるものたちだった。 人と違うこと。命の危険に常に晒されていること。どうしてこんな宿命なのかと嘆いたこと。 皓弥が今まで何度も繰り返した思いを、斎木が語る。 もし生きていたのなら、同じ悩みを抱えていた者同士、話が出来たかも知れない。 けれど皓弥に出来るのは、斎木の目から見た彼女の姿を思い描くことだけだった。 一時間ほど経った時、がしゃんという激しい音が外から聞こえてきた。 門が荒々しく開けられたのだろう。 那智が来たのだ。 斎木を見ると眼差しを鋭くして笑みを消した。 そして立ち上がる。 もうじきここに辿り着くだろう男と対峙するため。 玄関からは破壊音が聞こえ、皓弥も思わず腰を浮かせる。チャイムでも鳴らせば良いものを、無理矢理こじ開けるつもりだろう。 馬鹿かあいつは、と呟く皓弥の心境など完全に無視して、足音が近付いてくる。 信じられないことに、力業で玄関を開けたらしい。 すぐさまリビングのドアが開かれる。 むしろ開かれるというより、蹴破られるという方が正しいような勢いだった。 「…おまえは…」 入ってきた男は無表情だった。けれど全身から殺気を漂わせている。 しかも室内だというのに、土足だ。 (ここは日本だろう) いくら気にくわない人間の家にわざわざ出向く羽目になったからと言って、玄関をこじあけて土足で上がるなんて酷すぎる。 それだけ怒っているのだと思えないこともないが。 呆れている皓弥をちらりと見ると、那智は斎木に向かっていった。 そして無言で拳を振り下ろす。 斎木は後ろに下がろうとしたが、それは那智も予測していたらしい。一歩多めに踏み込んでは顔面を殴る。完全に拳は振り切っており、斎木が足元をふらつかせた。 「っ…」 歯を食いしばっても、唇の端が切れる。 血が流れるのが見えた。 その間に那智は腹を殴り、斎木を床に沈ませる。 忌々しいものでも見ているかのように、斎木の身体を蹴っては床に転がして、胸部を踏みつけた。 うめき声が零れるが那智は何の反応も見せない。 あまりにも一方的な状況に、皓弥は声が出せなかった。 那智は一度踏みつけるくらいでは我慢出来ないようで、拳で殴った腹を今度は靴で踏みつける。 短い悲鳴に、皓弥は「那智!」と叫ぶように名を呼んだ。 目の前で暴力が繰り返されるのは、見ていて気分の良いものではない。 だが那智は皓弥を見ることがなかった。 次 |