弐




 
「どうしてここに?」
 驚きが収まったかと思うと、那智は笑みを浮かべる。
 嬉しがっている様に、苦笑する。同居しており、数時間前は同じベッドで眠っていた。それなのに珍しい場所で会えたからと言って喜ぶことではないだろう。
「おまえ、携帯忘れてだろう」
 鞄から那智の携帯電話を取り出す。
 あれからは一度も震えていない。
「そうだけど。わざわざ届けに?」
 それだけのために皓弥がここまで来ることに違和感を覚えるのだろう。那智は怪訝そうだった。
 出不精であることを知っているだけに、実に正直な反応だ。
「何か急用でも?」
「急用ってほどでもないけど。荻野目さんから電話がかかってきてたから。家にもかかってきたし」
 荻野目の名前を出すと、那智は目つきを変えた。
 仕事に関わりのある名前を聞いて、平穏な時間から自分を切り離したのだ。
 冷静で、研ぎ澄まされた眼差しを見せる。けれどその冷たさを皓弥に突き付けてこない。
 どこまでも、主に対しては甘くあるようだ。
「何て?」
 声のトーンも、それまでのどこか嬉しそうな声音から静かになる。
 狩る者の意識がちらついて見えた。
「誰かがおまえのことを嗅ぎ回っているらしい。接触してくるかも知れないから気を付けろって」
 そう告げると、那智は「ふぅん」と興味が薄れたような顔を見せる。拍子抜けしたのかも知れない。
「それを言うために?」
 那智にとって、自分のことを嗅ぎ回られているのはさして珍しいことではないのかも知れない。
 警戒するどころか、関心もないような表情にそう感じた。
 一部で有名になっているせいだろうか。
 もしくは、誰に接触されても自分が傷付けられることなど有り得ないと思っているからだろうか。
 皓弥はそうして堂々と、他人の動きを無視していることは出来ない。他者を寄せ付けないほどの力がないからだ。
「暇だったんだよ」
 心配したと素直に言うことは出来るはずもなく、皓弥はそんな口をきく。
 確かに暇だった。時間潰しだった。
 けれどそれだけでもなかった。
「…大学も見たかったしな」
 一番の目的は言わず、それ以外ばかり口にする。
「面白い物はないよ」
 那智はそう言って携帯を鞄にしまう。
 履歴を確認しないらしい。
「そりゃそうだろ」
 大学なんて勉強をするところだ。遊園地でも何でもない。
 ぱっと見ただけで面白い物があるなんて、不合理だ。
 けれど那智が通っている大学がイメージだけでなく、実際の映像が加わった。他愛もない情報。だが自分の知らない那智の一部を知って嫌な気分はない。
「俺は向こうの建物にいることが多い」
 と那智が指を指していると、誰かが二人に向かって歩いてくる。
 眼鏡をかけた一人の男。何やら皓弥の方をじろじろと見てくる。
 この大学の人間じゃないと分かったのだろうか。だが知ったところでどうするのか。
 身構えていると、今度は那智に向かってにやにやと笑っていた。
 どうやら那智の知り合いのようだ。
「誰」
「ゼミの人間」
 時折那智の電話に泣き言をかけてくる人だろうか。
 そのたび那智は冷たくあしらっているようだが、どんな人間関係を築いていることか。
「ども」
 男は皓弥に会釈をしてくる。それに一応「どうも」と返しながら頭を軽く下げた。
「同居人?」
 友達。という選択肢より先にそれが出てきた。那智は皓弥の特徴でもゼミの人間に話しているのだろうか。
 髪を伸ばしている、と言えば確かに男では珍しいので皓弥だとすぐに分かるだろうが。
「ああ」
 那智は皓弥と話している時より一つ低く、また投げやりな態度で返事をした。面倒だと言わんばかりだ。
「蓮城が突然走り出すからどうしたかと思ったけど。同居人かぁ。どうりで」
 男はとても納得したような顔でうんうんと頷いている。一人で何を理解しているのか。
「どうりって…」
 男の言うことが分からず、思わず疑問の声を上げる。すると男は面白そうな目を向けてきた。
「他の人なら走ったりしないと思って」
 男はあっさりとそう言う。
 那智は横にいてもそれを否定しなかった。
(…こいつは俺をどんな風に説明してんだ?)
 同居人と言っても、ただの同居人ではない。
 元は刀と主という、人には到底説明出来ない関係から始まっていた。だが実際は上下関係というより依存関係に近く。那智は皓弥を欲しがり、尽くしたがり、そして皓弥はそんな那智にほだされ、心を許して、気が付けば寄り掛かっていた。
 精神的な繋がりだけでなく、身体の繋がりもあるので。恋人と呼んでも間違いではないかも知れない。
 素直に恋人だなんて、口が裂けても言えそうもないが。
「男って言ってたけど、絶対女と住んでるんだってみんなで言ってんだけど」
 本当に男だったんだ。と言われて肩をすくめる。
 髪を伸ばしてはいるが、女になった覚えはない。
(ろくなこと話してないな)
 きっと男が言いたいのは、那智は男と同居しているなんて言っているけど、彼女と同棲してるんだと考えていた。拍子抜けだ。というところだろう。
 それにして、周囲が彼女と暮らしているとばかり思っていたような説明とは。
 那智は皓弥をどんな人間だと言っていたのだろう。
「勝手に想像するな」
 迷惑だと言わんばかりに那智が眉を寄せた。
「するだろ。冷血漢が過保護になる相手なんて。彼女だと思うのが普通だ」
 ゼミの人に冷血漢と言われるとは。那智は大学でどんな態度をとっているのか。
 皓弥と一緒にいる時には、とても冷血漢だなんて顔は見られない。
 世話を焼いてきて、優しい言葉を流し込んでくる。
 慣れるまでは居心地が悪くて、放って置いてくれて構わないからと何度言ったことか。
 それでも聞いてくれず、結局は皓弥の方が慣れてしまった。
 予想を外した皓弥の存在が気になるようで、男はじっとこちらを見てくる。
 鬼だけでなく人の視線にも敏感な皓弥にとっては、落ち着かないだけでなく苛々してくる。
 見られているということは緊張を強いられるのだ。
 相手がいつ襲いかかってきても対応出来るように、神経を張り詰めてしまう。
「じろじろ見るな。礼節に欠ける」
 皓弥の苛立ちを感じ取ったのか、それとも別の理由か、那智が男を睨み付ける。気分が悪いと言う声に、男は肩をすくめた。
 冷たくされても怯えないどころか気にもしていない様子を見ると、慣れているのかも知れない。
「無礼者なんで」
 礼節がないと言われても減らず口を叩けるのだから、大した物だ。
「ところで、なんでここにいるの?大学違うはずなんじゃ」
 当然である疑問にどう答えるべきか、皓弥は迷った。
 まさか那智が何者かに狙われているかも知れないという説明をするわけにもいかず。しかし那智の大学が見たかったなんてふざけた理由は言いたくない。
 ちらりと那智を見ると、笑みが返された。
「せっかくだから昼飯食いに行く?」
(シカトか…!)
 清々しいまでの無視だ。
 皓弥は唖然とした顔で見上げるのだが、那智は「ん?」と全く男の質問には気が付いてないふりをしている。
 背後では男が救いを求めるかのように皓弥を見ていた。
「無視ですかい」
 男は悲しい声を上げるのだが、那智は正門に向かって歩き出す。本当に無視をするらしい。
 たぶん話の流れが気にくわないだけではない。会話が面倒になったのだろう。
 悲しんでいるというより、あまりにもぱっさりと存在を無視され男は首を振っている。
 すみません、と頭を下げると苦笑された。
 那智は背を向けてから軽く片手を上げて見せる。それが帰るという合図らしい。
 一応無言で挨拶は残していくようだ。
「いいのか?」
 歩き出した那智に追いつき、そう尋ねる。
「問題ないよ。あのままだといつまでも構ってやらなきゃいけない」
 会話の切れ間を探す手間を省いただけらしい。
 だがあまりにも唐突で、那智以外の人間はオイオイと思わざるえない。
「特にあれは好奇心が強い」
 まるで動物か何かを語っているような様子だ。
 那智にとって他人なんてそんなものかも知れない。
 人と自分とは全く違う生き物だと言っているほどだ。
 正門から流れ出る人と一緒に、皓弥も那智と歩いて大学を出る。
 ほんの数分、しかもちょっとしか見ていない。
 だが那智に大学を案内しろというのも奇妙な話で、そのまま正門から駐車場へと歩く。
「おまえは、誰かに狙われる理由とか。あるのか?」
 好奇心という単語に、那智が誰かに調べられているということが思い出された。
「どうかな。俺は特殊だから。興味本位で色々調べる物好きはいるからね」
 刀として鬼を斬る。
 それだけ聞けば、一体どういうことなのかと思う者もいるだろう。そして実際目に出来なければ、理解出来るだけの情報を欲しがるのかも知れない。
 元々人間は好奇心旺盛な生き物だ。
「どうやって鬼を斬っているのか。なんてことが知りたくて俺に接触しようとした奴もいる」
 那智はどうでもいいことのように語った。
 刀で鬼を斬っている。その刀は掌から出している。
 そんな嘘みたいな話が真実のように流れていれば事実が知りたくもなる。皓弥もこの目で見ていなければ有り得ないと思っていたはずだ。
 探求心があれば、那智本人に訊いてみようとする意識は不思議ではない。
「どうせその程度だろう」
 那智はこの情報を重視しようとは思わないらしい。
 こんなことは今までにもあったのだろう。
 けれど皓弥はすぐに安心は出来なかった。警戒心が強いたちだからだ。
「でも住所調べたりするのは、気味が悪い」
 そう呟くと、那智は「住所か」と思案顔になった。
 やはり現在地を知られるというのはいい気分ではないようだ。
「俺より皓弥が気を付けないと」
「なんで俺なんだよ」
 自分のことには感心を示さないのに、皓弥のことになるとこうして心配してくる。
 今回は完全に那智のことだというのに。
「だって一緒に住んでるから。皓弥にも接触するかも知れない」
「確率としてはあるかも知れないが。圧倒的におまえの方に来る可能性の方が高い」
 だから余計な心配はするな、と少し強めに告げる。
 ここで頷いて貰わなければ、また大学に通学するのに那智が送り迎えをすると言い出しかねない。
(つか、同居人の身が心配で送り迎えしていた時期があるなんて話、ゼミでしてないだろうな)
 ゼミの人だという男の口から「過保護」という台詞が出てきたことに、皓弥は頭痛を覚える。
(特別視をやり過ぎだ)
 ゼミの人との態度の違いがあからさま過ぎるのも、近くにいて居たたまれなくなる。
 大切にしてもらっているのは文句がないのだが。
 何事もほどほどいうものがあるのだと、那智には学んで欲しいところだった。



 


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