思惑の傍観者 4



 ふっくらとした炊き込みご飯とかきたま汁。揚げ出し豆腐にカレイの煮付け。
 僕の理想としている食卓がここにあった。
 というか要のところに来ると大体感動的なご飯にありつける。
 僕が要のことを尊敬してしまう瞬間だ。
(炊き込みご飯っていうのが、素晴らしいよな)
 僕が炊き込みご飯が好きってことを、たぶん要は覚えていてくれたんだろう。だから今日、これを作ってくれた。
 そういう気の使い方っていうか、優しさがあるのだ。
(素直に嬉しいし。こういうところ)
 お人好し。もっと狡くなれ。とは言ってるけど、要の優しいところは僕も気に入っている。それを他人が利用するのがものすごく腹立たしいだけだ。
 テーブルの向かい側では要が嬉しそうに箸を動かしている。
「深川とご飯って久しぶり」
 あんまりにも嬉しそうに、照れたように言うからこっちまで気恥ずかしくなりそうだ。
「弁当はいつも一緒に食ってるだろ」
 ご飯を向かい合って食べるってだけなら、学校でいつもやってる。
 ついそんな素っ気ないことを言った僕に要は気分を害することもなく「そうだけど」とまだ笑っていた。
「要の飯はやっぱり美味い」
 胃袋が喜んで、次々と料理を欲しがってる。
 口の中に止めることなくおかずを入れたくて、箸が忙しない。
「ありがと」
 頬を染めるんじゃないかってくらい要は嬉しそうに言った。
 そんな顔を見ると幸せそうだなと思う。
 見ていてほっとするような顔だ。
 美味いって言葉は要にとってはそれほど嬉しいことなんだろう。
 いつもならここで満足そうにご飯を続けるんだけど、要は箸を止めて何か言いたそうに僕を見た。でも視線が合うとそらす。
(ふぅん……)
 気まずさを感じているとか、そういう後ろめたい印象じゃない。
 ただ、どうしようかって迷っている空気は漂ってきていた。
 たぶん何か言いたいことがあるんだろう。でもきっかけが分からなくて困っているようだ。
(さて、これからどれくらいの時間がかかるだろ)
 要が何かを悩み始めてから、それが口から出てくるまで。決心する時間はどれくらい必要だろう。
 僕は要のそわそわした態度に気付きながらも、いつもそれを眺める。
 自分で動くってことを要は覚えた方がいい。幼馴染みである僕に対してもこれなんだから、他の人ならもっと迷って言い出せずにいるだろう。
 でも現実社会ではそれじゃ駄目だ。
 だから少しずつ自分からきっかけを作り出すっていう努力をした方がいい。
(……でもまぁ、久しぶりの飯だし)
 相変わらず飯は美味いし。このまま落ち着かない状態で食事を続けるのも何だ。
 ここは要に一歩譲歩してやろうかと気が向いた。
 一ヶ月ぶりの飯の効果は偉大だったってことだろう。
「どうかした?」
 手助けとしてそう声を掛ける。
 要は「え?」と肩をびくりと震わせた。
 どうしてそんなに怯えるのか。未だに僕には分からない。
「何か言いたいことがあるだろ?」
 よく味の染み込んだカレイを口に入れながら、僕は問いかける。
 油が乗ってるし、煮込み具合も最高だし。口元が嫌でもほころぶ。
「あ、うん……う」
 要は手を止めて、まごまごと戸惑っていた。
 じれったい態度だ。だがここで「何?」と問い詰めると要は益々焦ってよく分からないことを言い始める。はっきり言ってそれは時間の無駄だ。
 だから僕は辛抱強く次の言葉を待った。揚げ出し豆腐のさくっとした感触と、とろっとしたとろみのあるだしに癒されていた。
「あのさ…その」
「んー」
 美味いなぁと心の中で呟いていると、要は顔を染め始めた。それはどういう反応なんだろう。まだ何も話してないのに。
「す……数寄屋が」
「あーはいはい」
 惚気か惚気だな。はいはい。と投げやりに相づちをうった。まぁそんなことだろうとは思っていたので呆れもしないが。
 僕のその態度が気になったのか、要は不安げな目で僕を見つめた。もう話さない方がいいだろうかと窺っているのだ。
「別に、怒ってないから。早く言う」
 口ごもってないでさっさと先に進んで貰いたいものだ。お茶碗の中身も順調に減って、おかわりが見えてきているのだから。
「あの…変なこと言うけど。あ、呆れないで欲しい」
「今更要に呆れることなんてないし」
 どれだけ一緒にいて。どれほど多くの要を見てきたと思っているのか。
 呆れるようなことなんて数え切れないほど見てる。おかげで耐性が付いて、多少のことなら「要だし」の一言で処理出来るようになっていた。
「あ、うん……その、深川は…さ」
 どっから会話が始まるんだろう。
 素朴な疑問が沸いてきた時、要はぎゅっとテーブルの上にあった手を握り締めた。
「や、やり」
「槍」
「やりたいとか思ったことある…!?」
「何を」
 完全に主語を抜いた要に僕は冷静に尋ねる。人に物を訊く時はちゃんと順序を踏めと言ってるのに。
「あ、あの……」
 要は更に真っ赤になって泣きそうな顔をした。その様子に、ようやく僕は要が何を訊いているのか察しが付いた。
(なるほど。だから言い出せなかったのか)
 納得すると同時にちょっと驚いた。要がそんなこと知りたがるなんて。数寄屋の名前が出ていたから、きっとあの男絡みなんだろうけど。
「それは一人でってこと?それとも二人?」
「へ!?ふ、二人!かな……?」
 どっちだよ、と言いたいのは山々だったのだが我慢した。
 たとえ両方を問われていたとしても、答えは同じだった。
「あるよ」
 別に誤魔化すことでもないので即答した。
 小学生でもあるまいし、そういう欲は僕にもはっきりとある。まして徹道に抱かれてからは、自分一人でするよりも気持ちがいいと分かったし。何より抱き合う行為自体が僕は好きだ。
「あるんだ…」
 要は驚いたようでもなかった。それもそうだろう。
 従兄弟とそういうことをしてるっていうのは話したことあるし。その時要は目を落とすかと思うほど驚愕していたが、僕が望んでいることはちゃんと分かってくれた。
「ないの?」
 要はそう思う時はないのだろうか。
 純粋に疑問だったから聞き返すと要は瞬きをした。
「え、や……うーん…」
 変な相づちを打っては俯いてしまう。
(マジでどっちだよ)
 その反応は肯定か否定か分からない。
 要のようにのほほんと穏和に生きている人は、性欲とかもものすごく薄くて、ヤりたいなんて思ったことがないのかも知れない。と思う気持ちもあるのだ。
(数寄屋とヤってんなら、まぁそれなりに欲はあるんだろうけど)
 自分から欲しがるほど、強くはないのかも知れない。
「それで?」
 まさか猥談がしたいからこんな話題を振ってきたわけじゃないだろう。そもそも要にそんなものをする度胸があるとは思えない。
 悩み事は何なのか、その続きを僕は促した。
「数寄屋に……訊かれたんだ、その」
 やっぱりあの男か。と思いつつ僕はカレイをつつく。
「ヤりたいとか、思わないのかって……」
 ぼそぼそと喋る要はそれに困惑したのだろう。
 しかし僕もそれはついさっき気になったのだ。
「思わないの?」
「わ、わかんないよ」
 二人でヤりたいと要は考えたことがないらしい。
 へぇ、ほぅ、と僕は適当な答えをした。
(僕なんて結構思うけど)
 徹道に会いに行ったら、その夜はヤるだろうと思っているし。ヤりたいと思っている。
 欲求が溜まっているというわけじゃなく、せっかく会えたんだし二人でいるんだし、出来ることをしたいという思いだ。
 話したいことを話して、お互い何を考えて暮らしているのか知って、分かって、触れ合って、満たされていたい。
 近くに、もっと近くにと思う。
「僕が何か思う前に、数寄屋が先に動いてて。僕は何も出来ないし…」
 そりゃ数寄屋の方が行動は早いだろう。手慣れているような気もする。
 要が動くのを待っているなんて、何日かかることか。普通の神経なら待っていられない。
 まして数寄屋は気が長くないらしいので、余計だろう。
「いつも、そうだから」
 それ以外の進行が僕には想像出来ない。きっと数寄屋にとってもそうだろう。
「で、数寄屋はそれが不満なわけ?」
 それは無茶だろと僕は心の中で馬鹿にしておく。
 大体相手は要なんだから、その辺りは諦めないと。望む方が無謀すぎる。
「かも、しれない。この前ちょっと言ってて……」
 まだあからさまに不満を告げているわけではないらしい。
 しかし期待もまだ棄て切れていないというところか。
(んで、要はそういうことを匂わされて気にしてるってわけか)
 なんというか、本人にとってはどうか分からないが。他人からすると「あっそ」と言って終わりにしても良いような気がする話題だ。
「みんなそんなのあるのかな思ったんだけど。深川は、あるんだ」
「あるよ普通に」
 てかみんな結構あると思うけど。要の方が少数だと思うんだけど。
 好きな人と抱き合いたいとか。そういうことを思うのは変じゃないだろ。
「したいと思って襲うこともあるし」
「襲う!?」
 がたりと要は動揺と過ぎて椅子からずれたようだった。
 そこまで驚くようなことだろうか。
 長い前髪はピンで止められているからはっきりと顔が見える。大きな目が更に見開かれていた。
「うん。襲うっていうか誘うって言うのか」
 僕が挑みかかっても途中で逆転されることばかりだから、結果的に襲うってことにはならないだろう。
 突っ込まれる側だし。
「言うんだ…」
 要は「いう」という表現を口から出す言葉だと解釈したみたいだった。それも間違ってないから、別にいいけど。
「言うよ。ヤろうって」
 徹道が誘いに気が付かないフリをしていたら、僕はそうはっきり言っていた。
 焦らされていることが嫌になったら、即座に躊躇いもなく告げる。
「は…恥ずかしくない…?」
 自分が言われたみたいに要は頬を染めていた。
「別に」
 否定すると要はショックを受けたみたいに肩を落とした。また、自分は駄目だとでも思っているんだろうか。
 弱気だとか、根性なしだとか。
(そういうことじゃないと思うけど)
 羞恥の度合いの問題であって。要が悪いとは思わない。
「要の気持ちも分かるけど。したいものはしたい。だから欲しがる」
 欲しがって与えられるものなら、手を伸ばす。
 何もおかしいことじゃないと思う。与えられないものまで強引に手を伸ばしても奪うのなら問題だけど。
「……深川は、その…好き?」
 申し訳なさそうに要は尋ねてくる。
 あからさまなことを訊いていると思っているのだろう。確かに要にしては珍しいことばかり尋ねてきている。
「そうだね。要は嫌?」
 要の精神的な負担になっているのなら数寄屋に止めて貰うように進言しなければ。
 高校生だなんて若さだったらヤりたい盛りだっていうのは分かる。僕にだって覚えはあるし。でも嫌がる相手に無理矢理っていうのは犯罪だ。
 まして要は求められると嫌だと言えないタイプだし。早く制止をかけたほうがいい。
「え!?う、え…あー……」
 要は戸惑った声を上げた。でもゆっくりと、そして何度も首を振った。
 深く俯いて、恥ずかしくて仕方がないって様子だけど嫌悪はないみたいだった。
(恥ずかしいってだけか)
 ちょっとほっとする。
 それにしてもよくここまで真っ赤になれるな。
 僕はかき玉汁を飲みながら感心してしまった。


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