思惑の傍観者 3 上に徹道が乗っていた。 荒い呼吸が薄暗い部屋の中で響く。 遮光カーテンの隙間から、街灯の光が滑り込んできている。 汗ばんだ肌は熱く、繋がっている箇所から溶けていきそうだ。 僕は肩を掴んでいた手を離して、全身をベッドに預けた。 喘いでいたばかりで、ろくな呼吸が出来ていなかった。その分を補うみたいに、肺に酸素を送り続ける。 一度達した身体が落ち着くには、もうしばらく時間がかかりそうだ。 (音を探ってしまう) この部屋には徹道と僕しかいない。隣りの部屋は赤の他人。こちらに干渉してくるはずもない。 分かってる。 でも未だに誰かに見付かることを恐れてしまう。 隠れなきゃと思ってしまう。 (もう僕の部屋じゃないのに) 初めて徹道に抱かれたのは僕の部屋の、ベッドだった。 かつて徹道は僕の家で暮らしていたのだ。 父親は単身赴任で海外に行き、母親は病気で入院してしまった。 もともと共働きで両親は家にあまりいなかったらしいが、それでも二人ともが長期間家を空けてしまうとなると、徹道一人では不安だった。 だからうちで預かることになったのだ。 僕が中学二年生の頃だ。 うちの両親も共働きで家はがらんとしていたから、徹道が来てくれて兄弟が増えたみたいだった。 たまに会っていた従兄弟だからどんな性格なのかはお互い知っていたし。仲は悪くなかったから同居はおおむね順調だった。 その順調な付き合いが深みにはまり、魔が差したみたいに徹道は僕に手を出した。そして僕も拒まなかった。 二人とも後ろめたい気持ちでいっぱいだった。 親に見付かるわけにはいかないことだ。見付かったらどうなるのか、想像も付かない。 ならこんな関係を止めてしまえば良かったけど、僕は止められなかった。 徹道も悩んでいるみたいだったけど、結局はベッドの上に上がっていた。 両親が働いているおかげで僕たちの時間は多くあったし、親は息子と従兄弟がそんなことになっているなんて欠片も思わないから。隠れているのは大して難しくなかった。 でも、いつ親が急に帰ってくるか分からない。という恐怖は抱き合っている間中消えなかった。 だから未だに僕は、身体の熱が収まり始めると耳を澄ましてしまう。玄関を開ける音は聞こえてこないだろうかと。 (あんな危険までおかして、どうしてこいつがいいんだろ) 見付かれば破滅しかない関係なのに。どうして徹道なのか。 徹道の母親が退院してうちから出ていく時も辛くて、この関係が終わってしまうような気がして、心が潰れそうだった。 終わった方がいいと、分かり切っていたはずなのに。 (分からないけど。でも、徹道がいい) 他の誰でもなく、徹道がいい。 そう願ってしまう。欲しがってしまう。 (要には意地の悪いこと訊いたかも) どうして、だなんて。 やっぱり答えられない質問だった。 次にあった時は多少要に優しくしてやろう。きっと要はそんなことがあったことすら、もう覚えていないだろうけど。 「あ……」 甘さなんて全くない声を喉から零れた。 次に会う時は、と考えて思い出したことがあった。 「ん?」 徹道は僕の声が喘ぎだと勘違いしたのか、額にキスを落としてくれる。 残念だけど、僕の気持ちはすでに欲情からはほど遠いところにいってしまった。 「明日要んとこで飯食おうと思ってたけど、まだメルしてない」 「は!?」 三分前まであんあん言っていた相手が唐突にそんなことを言い出したので、徹道は呆気に取られた顔をしてる。 無理ないなと思うけど、すでに粉々に破壊された空気は戻ってこない。今戻って来られても困るから僕にとってはいいんだけど。 「おまえ今この状態でそんなこと言うか!?」 この状態っていうのはまだ徹道が僕の中に入っていて、少し動けばさっきの衝動が蘇ってくる、今の体勢のことだろう。 まどろむような空気が漂ってて、このまま寝たら気持ちがよさそうなんだけどまだ徹道が出ていかないから。きっと第二ラウンドがあるんだろうと思っている。 「早く言わないと数寄屋に先越されるかも」 徹道の文句にも耳を貸さず、僕は自分のことだけを喋った。 まだ午後十時前。要もまだ起きているだろう。 「ちょっと抜いて?」 ここで高圧的言ったら、たぶん徹道もただでさえ斜めになっている機嫌を急降下させる。それは僕にとってもありがたくない。 だから上目遣いでちゃんとお願いするみたいに言った。 自分がこんな素振りをしても効果なんてない。気持ち悪いだけだと思うんだけど、意外なことに、とっても驚くことに、徹道にはきくのだ。 初めてこれを実戦した時は笑われるためにやったんだけど、効果覿面で唖然とした覚えがある。 徹道もそれなりに僕が好きなんだな、可愛いと思っているんだなと実感しているところだ。 「…なぁ、今さっきまであんなんだったのに。いきなりそれって酷くないか?」 徹道は不機嫌にはならなかったけど、悲しげに僕に訴える。 まぁこれをやられたのが僕だったら徹道をベッドから蹴り落として一人でシャワー浴びてさっさと寝るね。相手してやらない。 「どういう切り替えの速さ?」 甘ったるい仕草で声を上げていた僕がいきなり冷静さを取り戻して、飯の心配をする神経が信じられないみたいだ。 「だって要の飯が食べたい」 「飯か……食い気か…」 素直な感想を述べると徹道は切なげに呟いた。 そして僕の上でがっくりと肩を落とした。脱力したようだ。 「性欲が満たされたせいか……」 (いや、まだだけど。満腹ってわけじゃないけど) そう思うけど言わない。 言ったら携帯電話で要にメールを送れなくなる。 「余韻に浸りたい俺の立場は?」 事後のまったりとした空気が、徹道は好きらしい。 普段からもスキンシップは多い方だけど。事後は僕を離すのも嫌だというような態度をとる。もちろん嬉しくないはずがない僕はその態度に甘えてしまう。 おかげでとてもじゃないけど人には言えないような時間の過ごし方をしていた。 「あー…これで終わり?それでもいいけど」 僕はあえて素っ気なく言った。 乗る気でいくと徹道に身体を持ち上げられて別の形になり、即座に動きかねないからだ。 ちょっと気分はまだそっちにいってない。というフリが必要だった。 「んじゃ小休止」 がっくりとしていた徹道は気を取り直したみたいに言って、僕のキスをした。 唇が重なるだけのそれをすると、身体を引く。 「そういうことなら我慢出来る」 我慢出来るも何も。最初から諦める気なんてないだろうに。そう心の中で笑っておく。 ずるりと中から出ていくそれに息を呑んだ。 入れられる感覚も慣れることが出来ないけど。出ていく時も変な気持ちだった。使うべきところじゃないのに、繋がりが解けると、途端に身体が空っぽになっていく気がする。 一つになっている時に、それだけ僕はいっぱい満たされてるんだろうか。 徹道は僕から出ていったついでとばかりにベッドの傍らに置いていた携帯電話を取ってくれた。 それを受け取って画面を開き、眩しい光に目を眇めた。 「最近全然要の飯食ってないんだよ」 そろそろ一ヶ月近く要の飯から離れている。 数寄屋がちらつく前は一週間に一度くらいの頻度で食べていたのに。数寄屋が要を独占するから、飯にありつけないのだ。 「彼氏に取られっぱなしか」 「仕方ないけど」 その辺りは諦めている。 要にとっては数寄屋は特別な相手だ。優先したい気持ちも分かる。だから僕も大人しく我が儘は言わずにいるのだ。 だが、それもそろそろ我慢の限界だ。 (誰だって美味いもんが食いたいんだよ!) 下手に舌が肥えてしまった悲しさだ。 『明日の晩ご飯食べさせて欲しい。お土産は数学のノートで。次授業で要が当たると思うしね』 そうメールを送っておいた。 ぽちぽちと仰向けのまま文字を打っていると、徹道の隣りに並んで画面を眺めていた。 「要ちゃんはやっぱり数学が厳しいままか」 中学の頃、僕と一緒に要も徹道に勉強を見て貰ったことがある。 僕は他人に教えて貰う必要があんまりなかったし、徹道は勉強が得意じゃなかったからあまり意味はなかったんだけど。要は徹道と悪戦苦闘していた。 勉強にてんで向いてない要と、人に教えることになれていない徹道。端から見てて呆れるようなやりとりをしていたものだ。 「彼氏に見て貰ってて、多少は成績良くなったみたい。僕が見なくても赤点取らなくなったし」 以前ならテスト期間中に僕がある程度頭に叩き込んでやらないとすぐに赤点を取っていたものだ。 どうしてあんなにスポンジみたいに入れたことが次々抜けていくのか、僕には不思議なんだけど。抜けるんだよな。 「彼氏は頭いいのか?」 「そこそこじゃない?てかさー」 僕はぺしりと徹道の頭を叩いた。 「要のことばっかじゃん。もう僕のことはいいのか」 メールは送り終わって、携帯電話も閉じているのに。手放して枕元に置いたのに。いつまで横で寝転がっているつもりなのか。 しかも要のことばっかり話している。さっきもそうだった。 先に気を逸らしたのは僕だから本来なら文句は言っちゃいけないけど。不満は口から出ていた。 「良くねぇよ。おまえが拗ねてんなーと思って眺めてたけど」 そんなに要ちゃんを彼氏に取られたのが面白くないかと言いながら徹道は僕の頭を撫でた。それで慰めたつもりか。 「拗ねてないし。いつかこうなることは分かってた」 だからいい。 そう言うと徹道は更に僕の頭をくしゃくしゃにした。まるで犬を撫でてるみたいだ。 雑な慰め方。 でもこれが徹道のやり方だった。 今度は僕が上になろうかと思っていると携帯電話が震えた。返事が来たらしい。 放り出した携帯電話を手にとって開くと『何か食べたいものある?』と書かれていた。 (晩飯げっとだな) 要の飯が食えると思うと、それだけで明日が良い日になりそうだった。 「俺も食いたいな」 僕の顔で要からの返事が承諾だと気が付いたらしい徹道が羨ましいという顔をした。 「来れば?」 いきなり徹道が増えても要は嫌がらない。飯の量が減るので、事前に教えてくれれば良かったのに、と申し訳なさそうに言うだけだ。 「明日バイト……」 「ご愁傷さま」 寂しそうに言う人の口を僕は塞いだ。 せめて今は寂しくないように、徹道の上に身体を乗せ上げ、指で肌を辿った。 すぐに抱き締めてくれる腕に僕はまぶたを閉じて体温が上がっていくのを感じた。 next |