思惑の傍観者 2



 電車を二回を乗り継ぎ、荷物を抱えつつアパートに向かう。
 コンビニやスーパーなどを通り過ぎ、高層マンションに気圧されるようにしてそのアパートは建っていた。
 やや年代を感じさせる趣があり、外付けの階段を踏むと少しきしむような気がした。
 いつ来ても古いなと思ってしまう場所だ。
 二階のとある一室の前に立つと僕は鞄から鍵を取り出した。
 もちろん自宅の鍵じゃない。僕の家は一軒家だし、学区から離れすぎた位置に家があるはずもない。
 鍵を差し込むとかちりと開けられる。
 僕は静かにドアを開いて中に入った。
 声はかけない。
 中に誰かいたら僕が入ったことに気が付いてしまうから。それがこの部屋の主以外の人間だったら、僕はその人物をしっかりと網膜に刻みつけておきたい。
 そしてこの部屋の主とどういう関係なのか。どうしてここにいるのか。問い詰めることだろう。
 毒舌だと評判の、この口で。
 1DKの部屋の中は半月前に訪れた時と何ら変わっていないようだった。あえて言うならキッチンのテーブルに乗っている食い物がパンかカップラーメンかの違いだ。
 キッチンと続きになっている部屋で、ローテーブルに向かっていた男が振り返った。
「将。黙って入ってくんなよ」
 部屋に入っても黙ってる僕に、むっとしたように言う。
 三学年上の従兄弟。今は大学生で一人暮らしをしてる。がたいが良いのにそれを丸めるみたいにして座っていた。
 一眼レフのカメラを構えて何かを撮っているみたいだった。
「いいだろ別に。合い鍵持ってるのは僕だけなんだから」
 玄関が鍵で開けられたのなら、必然的に僕が来たってことになる。
 それに事前に今日来ることも言っているんだから。別に気分を害するようなことじゃないと思うんだけど。
「泥棒って可能性もあるだろ」
 そうぼやきながら、また僕に背中を向けた。そしてシャッターの切られる音がする。何を撮っているのかと思って背後に近付くと、何とも表現し辛い造形物がそこは鎮座していた。
 人の形を模しているのかと思いきや、素材は金属。触覚のようなものや、尻尾のような物まで生えている。それを真面目な顔で撮影しているのだから、異様な光景だった。
(徹道は何を大学で何やってんのか相変わらず謎だ)
 美術関係の大学に進んだことは知っている。大学の名前も知っている。
 だが何を専攻し、そしてどんなことをしているのかさっぱり分からない。
 部屋に来ると写真を撮っているか、パソコンで何かデザインしているか、または変な造形物を作っている。
 美術に形はない。
 どんなものであっても全ては通じている。
 それが徹道の言い分だった。しかし僕からしてみればさっぱりわからない、そして共感出来ない感性だ。
(てかいつ終わるんだよ)
 徹道がこうして真面目に何かをしている時、邪魔をするとすごく怒る。不機嫌になってしばらく口も聞いてくれない。
 せっかく会いに来たのはそんな状態は勘弁して欲しい。でもこういうことにのめり込むと一、二時間平気で黙って作業しているから僕としては面白くなかった。
(つまんない)
 わざわざ電車に乗って来たんだから、こっちを相手して欲しい。その造形物は明日になってもいなくなるわけじゃないだろうに。僕は明日になったら帰らなきゃいけない。
 一緒にいるのに話もしない。触れ合うわけでもない。顔を見ることすらせずに黙ってお互い別のことしてるなんて。寂しくないんだろうか。
(僕はこの時間がすごく勿体ないって思ってるのに)
 徹道はそんなこと全然思わないのだ。腹立たしい。
 音があるとうるさいって言われるからテレビもつけられず、僕はどーんと壁に置かれている本棚を眺める。
(また増えてる)
 標準の大きさを越えて、本棚からはみ出している画集。
 他にもやけに小さな本や、大きすぎる本が詰め込まれてる。だからぱっと見たらすごくバランスの悪い本棚だった。
(印象派か……)
 僕はそう思って手を伸ばす。もちろん画家の名前を見て判断したわけじゃない。画集の背表紙に「印象派を巡る」と書かれていたからだ。そうじゃなきゃ誰がどの時代のどんな画風なのかなんて分からない。
 重たいそれはフルカラーだ。開いてみると鮮やかな絵が出てくる。
 僕は美術の良さが理解出来ない。だから好きか嫌いかという判断しか出来なかった。
 徹道はそれでいいと言っているけど、感性の違いを突き付けられているみたいで癪だった。
 僕には感じられないものを、徹道はいっぱい感じ取って吸収して、僕の知らない世界を見ている。それが悔しい。
 近付こうとしても遠ざかっていくようだ。
 シャッターの音を聞きながら、溜息をつく。
 早く終わらないかな。
 そう呟きたくなる。
(……嫌な扱い。しかもそれが珍しくないっていうのがな)
 どれだけ僕はこの男に弱みを握られているのだろう。これが全然別の人間だったら、とっくに家に帰っている。
 人を黙って待たせるなんて失礼だし、僕も暇じゃない。時間の無駄だって言い放っていた。でも徹道にはそれが出来なかった。
 そんなことしても会えなくなるだけ。僕が切なくなるだけ。
 何もいいことなんてない。
 だから我慢して、待ち続けて。
「僕も要のこと言えないな……」
 どうして付き合ってるのか。相手の何がいいのか。客観的になったら、きっと僕も自身にそう問いかけるだろう。
(優しいなんて、僕は言えないけど)
 付き合っている理由を、優しいだなんて要みたいには言えない。人を放置している奴なんて優しいなんて言いたくない。
 なら、他にどんな理由があるのだろう。
「要ちゃんがどーかしたのか?」
 後ろからにょろと徹道が顔を出してくる。
 まるで僕が持っている本を覗き込んできているみたいだ。
 てか要の話題には反応するんだ。
 どういうことだよと思い振り返る。
 僕のこと話してもいつも無視するくせに、と苛々しながら見ると持っていたはずのカメラはすでに片付けられていた。どうやら作業は終わったらしい。
「んー」
 なんだ、終わったから返事したのか。要の話題だからってわけじゃないのか。
 そう分かると苛々が落ち着く。
「まだ付き合ってんだろ?同じクラスの奴だっけ」
「うん。一体何がいいのか分からないけど」
 だがそれは今の僕にも同じことが言える。
 しかしそれは一端棚に上げるとして。
「要は優しいって言ってるけど。あいつはお人好しだから」
「ぽいな。てかまんまだな」
 まさにお人好し。という性格をしている。
 それはたまにしか会ったことのない徹道にも分かるんだろう。僕が色々話したせいかも知れないけど。
「だから、ほだされたんだと思うんだよな。僕からしたら何がいいのか分からないし」
 持っていた本を静かに閉じる。
 徹道が構ってくれるなら本を読んでる必要はない。
「ぶっきらぼうだし、言葉足らずで要を困らせてるし。まー要も大概だからその辺りはお互い様かも知れないけど」
 数寄屋も色々言葉をはぶく癖があるみたいだけど。要の場合は圧倒的に言うに言えない、言う勇気がないからだ。
 だから二人の間には会話が少ないだろうなと思う。それでも仲良くやっていけるのだから、人間関係って不思議だ。
「飯はせびり過ぎだし。しかもそれを言うのが携帯で、飯作りに来てくれの一言だけ」
 どういう態度なのか、問い詰めてやりたい。
 もっとありがたがれ。要の飯は美味いんだからもっと丁寧な態度で言葉を遣って求めろ。と言いたくなる。
「それでも要ちゃんは文句言わないんだろ?」
「言わない」
 思い出すだけで呆れるほどの喜びようだ。見てるこっちが頭痛くなる。
「それを嬉しそうに見てるのが、なんかもう」
 どうなんだおまえ!と二人ともに言いたくなる。
 それでいいのか!?と肩を掴んでやりたい。だがいいと言うに決まっている二人だ。関わるだけ疲れる。
「お似合いじゃん」
「どこが」
 互いに不満はないらしい二人だが、僕から見れば似合っているというのはほど遠い。
「もっと包容力があって、気の長い、穏和なひとがいい」
 数寄屋にはどれも欠けているものだ。大体、穏和だなんて口が裂けても言えないだろう。
「でも要ちゃんとまだ付き合ってるってことは、それなりに包容力はあるんじゃないか?」
 要のおどおどとした態度と、もごもごとしてはっきりと喋らない性格。あれは付き合いの長い僕でもいらっとする時がある。数寄屋の性格からすると、僕よりずっと我慢はしてるんだろう。
 それは認める。だがその理由だって明らかだ。
「惚れた弱みってだけだろ」
 けっという悪態まで付けて言ってやる。
 数寄屋の方が先に要を好きになった。だから要のどんな部分であっても目をつぶり、また抱き締めるくらいの懐はあるらしい。
「向こうの方が惚れ込んでるなら、要ちゃんにとっては万々歳だろ」
 徹道は僕が不機嫌に話をしていることが気になったのか、後ろから抱きかかえてくる。
 背中が密着して、声がすごく近い。
 高校に入ってから身長が伸びたのに、未だに徹道との体格差は埋まらない。こうされるとよく分かる。
「つまり、おまえが気にくわないってだけだろ?」
 文句をだらだら並べる僕に、呆れたようにして徹道が言った。
「そういうことかもね。なーんかいけすかないんだよあいつ」
 すかした奴というか。高校生っていうガキの群の中にいるくせに、一人だけ大人の顔してるっていうか。
 何もかも見透かしたような顔をしたがってるみたいだ。
「弟を取られたみたいか?」
 僕と要が幼なじみってことを知ってる徹道はからかうみたいに言った。でも僕はそんな気持ちを、本当に味わっていた。
 幼い頃から僕の後ろをついて歩いていた泣き虫の要が。今は数寄屋の方を頼っているなんて。やっぱり少し面白くない。
 でもそれを言うなら、要より先に僕は徹道の手を握ってしまった。
 要もこんな気持ちを味わっただろうか。
「弟って言うより妹かな」
「それはなんとなく分かる」
 大きな瞳に長いまつげ、大人しい容姿に小柄な体格は男っぽさが薄い。この年になってもそうだから、きっとずっとあのまんまなんだろう。
 要のお父さんも結構ひょろっとしてて穏和な感じだし。
「要はなぁ…不器用だからなぁ。その辺りをもっとフォローしてくれる人がいいのに」
「おまえはつついて遊ぶばっかりなのにな」
 そんなことを言うのか、と苦笑される。
 これでも僕は今までいろいろ要の面倒をみてきたんだけど。
「彼氏じゃないから」
 甘やかしてどろどろにして、何があっても大丈夫、どうなっても支えてあげられる。そう信じて貰うことは出来る。でも、僕は最後の最後は徹道の側を選んでしまう。
 要じゃなく、この男の手を引っ張る。
 だから僕はそこまで要に依存されちゃいけないんだと思う。
 それはやっぱり、恋人の役目だ。
「それより腹減った。何か作って」
 放置されていた数十分の不満をぶつけるように、僕は徹道にねだる。
「へいへい。要ちゃんみたいに美味いもんは出てこないぞ」
「期待してない」
 一人暮らしを始めてからようやく料理をそれなりに覚えた奴が。十数年家事をやり続けている要に勝てるわけがない。
 比べる方が間違っている。
「なんなら食いに出るか?」
 美味い物を食べたいのなら、外食という手もある。
 そんな意味で徹道は言ったんだと思う。でも僕は「いい」と断った。
「人目が邪魔」
 部屋の中ならこうして徹道の腕の中に収まっても、問題ない。誰も見ていないから。
 でも外食となると触れないし、話す内容も気を使う。
 付き合っていると思われるようなことは言えないから。
 男同士で付き合っているなんて世間じゃまだまだマイナだし。変な目で見られるだろう。そんな気持ちで飯なんて食えないし。楽しくないし。
 それなら部屋の中でだらだらしてた方がいい。
「甘ったれ」
 徹道はそう笑いながら言って、僕のうなじに唇を落とした。
「甘えに来てるんだから当然だろ」
 ここまで来て、せっかく二人きりでいるのに今甘えなくてどうするのか。
 みっともないとか、恥ずかしいとか。そんなこと思って遠慮している間にキスの一つや二つは出来る。
 僕はそれが欲しい。
(こんな姿、要も知らないな)
 要の前では冷静さを見せて、大人みたいに振る舞ってる。でも徹道がいると途端にこれだ。
 でもきっと要も、数寄屋の前でしか見せない顔があるだろう。


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