思惑の傍観者 1 休み時間、要の前にある席を占領していると要の携帯電話が震えた。 かぱりと携帯電話を開いて、そこに表示されたであろう名前を見ると、要は俯く。 それは落ち込んでいるわけじゃなくて、口元がにやけるのを隠してるのだ。 案の定、長めの髪の隙間から見える目は細められた。 どこか不安げな表情を浮かべることが多い子だから。以前ならそんな顔は珍しかった。 メールの内容を読んでいる要から目を離し、僕は廊下を見た。 携帯電話を震わせた相手がそこにいる。 (歩いて十歩もないんだから、言いに来たらいいだろ) わざわざメールなんてめんどくさいことしなくても。 数寄屋は廊下で友達と何か喋りながら、携帯電話を片手に持っていた。 目に見える範囲にいるのにメールなんて。あんまり学校で接触すると要が気にするからだろうけど。 こんなに近いのに。とつい思ってしまう。 身体を前のめりにして要の携帯画面を覗き込む。 そうされることを拒まれたことはない。 理由はとても単純だ。 「短っ」 メールの内容は『今日飯が食いたい』という一文だけ。 愛想も何もない。 いくらなんでも言い方がもう少しあるだろ。なんだこの単文は。 そう僕なら苛つくんだけど、要は気にしていないようだった。 嬉しそうに、承諾の返信を打ち込み始めている。 「これが人に物を頼む態度かよ」 ぼやく僕の声も要には届かない。 人が良いのもいい加減にした方がいいよ。と言ったところで無駄なんだろう。 「何がいーんだか…」 脱力するように再び椅子に深く腰掛ける。 ルックスは悪くない。それは認める。 背は高いし、顔もやや怖いけど整ってる方だし。少し脱色してる髪も似合ってる。でも付き合うのはどうかと思う。 だって言葉が足りないだろ、どう考えても。 要には年上でもっと気配りが出来て、相手の話をちゃんと聞く態度、そして色々気持ちをくみ取ってくれるような余裕のある人がいいと思ってた。 面倒見の良い、それこそ要並にお人好しの人がいいと。 それなのに。 (あんな奴に引っかけられるなんて) 意外すぎる。 自分の知らない部分でいつの間にか距離を縮めて、いつの間にか付き合うようになって、お互いはまっていってるなんて。 タイプが全然違うから要は苦労するに決まってるのに。 「こいつの何がいいの?」 メールの返信を終えて携帯電話を閉じた要に、思わず問いかけていた。 「え?」 ぎゅと携帯電話を握り締めて、要は小首を傾げる。 「無愛想だし、ぶっきらぼうだし、最初怯えてたじゃん」 まだ数寄屋とろくに話したことのない頃、要は数寄屋に萎縮していた。 無理もない。 黙っていれば強面だ。誰かに積極的に何かをするタイプではないが、要は到底近付きたいと思う相手ではなかっただろう。 棘だらけの人物として捕らえていたかも知れない。 「なのに今ではちゃんと向かい合ってるみたいだし」 付き合っているとは言わなかった。 学校という場を考慮したからだ。こんなところで要が動揺し過ぎてあわあわと意味のないことを喋り始めたらちょっと厄介だった。 騒ぎ出すようなことはないだろうけど。後数分で休み時間も終わるのに、動揺したまま授業に入ったら可哀想だろう。 「何がいーの?」 分からない、と頬杖をついて訊いてみる。 すると要は再び俯いた。だが隙間から窺える顔や耳はほんのりと染まり始めていた。 そんなことで赤面されても僕が困る。 「や…優しいよ。すごく」 絞り出すように要は言う。 それはもう、嬉しいと言うような口調だったので思わず「けっ」と悪態を付きたくなった。 どれだけ骨抜きにされているのか。 「そう?」 「うん、すごく…いつも優しい…」 要が気恥ずかしそうに微笑んだのが見える。 そりゃ良かった良かった、と呆れながら頭を撫でてやりたくなった。 これが要だけが一方的に惚れ込んでいるのなら数寄屋を殴りに行くところなのだが。幸い数寄屋もさして変わらないレベルで深みに落ちてるみたいだから、我慢しておいた。 (しかし、あの人は優しいなんて。すごく陳腐な理由だ) なんだそのお決まりの表現。 僕が言ったら嫌味か皮肉にしかならない言い方だ。 だが要が言うなら本心なのだろう。そして要にとって一番大切なところはそこだから、良いことなんだけど。 「優しい…ねぇ」 果たしてそれは事実だろうか。 情が深い人間かどうかは正直頷けない。 数寄屋はどっちかというと冷たい部類に入ると思う。自分は自分、他人は他人。 人に関わらないので、自分にもあまり関わってくるなと思っていそうだ。 だから他人のために動くことも嫌がるだろう。きっと自分を優先させる。 基本の姿勢がそれである人を優しいと言えるかどうか。僕なら言わない。 「要には甘いんだろうから、いいけど」 誰しもに冷たい、というわけではなく。自分の気に入った人間にはちゃんと甘く、優しいというのなら構わない。 関わり合いのない僕に冷たくても、僕は平気だし。というかむしろありがたいくらいだし。要が幸せそうにしてるならそれで十分だから。その辺りはいいんだけど。 「一緒にいて楽しい?」 決して口が上手い方ではないし。見てても面白い奴じゃない。 聞くところによると人目が気になるから二人でどこかに遊びに行くということもしないらしい。たまーに近くのコンビニとか、スーパーとかに夜行くらしいけど。でもその程度。 大体会うのは部屋の中。 僕なら確実に飽きてしまいそうだけど。 要は僕の質問に瞬きをして、それからまた深く俯いた。 別に責めてるわけじゃないのに、その反応はどうかと思うけど。まぁいつものことだった。 「う…」 微かな、零れるような小声が聞こえてくる。 教室の雑音に紛れてしまいそうだ。 「う?」 一体どんな一大決心をしているのか。到底そんな覚悟の必要なことを訊いたわけじゃないんだけど。要と僕とでは感性が違いすぎるから、今要が何を躊躇っているのかさっぱり分からない。 「嬉しい……」 それは一緒にいて嬉しいってこと? てかそれだけを言うのに、そんなに時間かかるの? 呆れが喉元まで迫り上がってくる。 要以外の人間が言ったなら黙って冷ややかな目を向けたことだろう。 「あほらし」 訊くんじゃなかったと心の底から思う。 これほどあてられるとは思っていなかった。 要がそろそろ恋人として数寄屋と付き合っている自覚を持ち始めたのは知っている。まぁまぁいいんじゃないか。自分に自信を付けるという意味でもいい影響かも、とは思った。 だがこういうのろけをぶち当てられるとは思っていなかった。 しかも要の台詞はどうも鳥肌が立つほど気恥ずかしい。自分自身ののろけを言う数倍の恥ずかしさを感じる。なんだろう。初々しさがあり過ぎて嫌になってくる。 しかも手を繋ぐだの、キスしかしてないだの。そういう青春真っ直中。清く正しく焦れているような付き合いをしているわけではないのだ。 こいつらはもうヤってる。とっくに身体の関係はあるわけだ。 (その辺りもどうかと思うけど!) あの要が、付き合う自覚を持つ前にそんな状態になるなんて。数寄屋が強引にそういう方向に持っていったんだろうけど、それってどうかと思う。 (求められたら嫌って言えないタイプだからな) 現状では数寄屋との付き合いに苦痛はないみたいだから、まだ良いようなものだ。 不服を思っているとチャイムが鳴った。 ぞろぞろと教室の中に人が戻ってきて、僕は席を立った。そろそろ自分の所に帰らないと。 廊下にいた数寄屋も戻ってきて要の方をちらりと見た。学校では必要最低限の会話しかしないみたいだけど、こうして視線は頻繁に向けている。 たまにお互い視線が合って、要なんかはわざとらしいまでに動揺したりするけど。数寄屋はしらっとした顔をしていた。 でも今は要の顔が真っ赤になっているせいか、どうしたのかという目をしていた。 要に直接訊くわけにもいかないと思ったのか、次に僕を見たけど素敵に無視しておいた。 おまえの話をしたら、のろけるのに恥ずかしがって真っ赤になったなんて。馬鹿馬鹿しくて言う気にならない。 どうして自ら呆れるような事を言わなきゃいけないのか。 (知ったこっちゃない) お好きにどうぞー、という気持ちで席に戻る。 数寄屋はやはり要に何かを尋ねることもなく、渋々って顔で自分の席に座った。 今日の夜会うらしい二人だが。きっと今のことを数寄屋は尋ねることだろう。 そしたら要はやはり今のように真っ赤になって、でもきっと素直に答える。 (……バカップル) その後の展開がありありと想像出来た。 しかも外さない自信まである。 二人が仲良く数寄屋の部屋で飯を食っている光景なんて一度も見たことがないが、意外性なんて欠片もないことだろう。 自分が今日も一人で家に帰り、一人で適当な食事をすることを思うと、溜息が零れた。 羨ましいとまでは思わないけれど、やっぱり寂しかった。 next |