与える熱 3



 携帯を手にとって画面を見ることはあっても、要の名前を出すことはなかった。
 どう連絡を取っていいのか分からなかった。
 取ってしまえば、次は別れ話かと思ってしまうからだ。
 だがこのまま放置していても、自然消滅かと思われそうだ。
 それは納得がいかなかった。
 付き合った以上、きっぱり別れるという意志を確認したい。
 曖昧に濁したまま終わるのは、性に合わない。
 だから要は話し合う必要があった。
 でもいつになったら俺は冷静にあいつの話を聞けるのか。同じ話をされても怒らずにいられるようになるのか。
 自制しようとはしているのだが、思い出しただけでも感情的になってしまいそうだった。
 迷っていると、要に怒鳴ってから五日目に携帯があいつからのメールを受信した。
 要の名前を携帯で確認すると、新鮮さを感じた。あいつからメールが来るなんて珍しい。
(……てか初めてじゃないのか…?)
 俺がメールを送って、その返信がやってくることはいつもだったが。要から自主的にメールを送っているなんてこれが初めてじゃないだろうか。
(俺ばっか送ってたな……)
 求めてばかりだった。
 要から何かを求めてくることなんてなかった。
 もしかすると、要にとって自分はいらない存在なんじゃないのか。今までずっと流されてくれていただけで。こうして付き合っていることは迷惑だったのかも知れない。
 嫌な考えが大きくなっていく。不安定になる気持ちに、舌打ちをした。
 要からのメールを開くと「ごめん。話がある」とだけあった。
 短いメール。
 おどおどとして言い訳みたいなことを並べることが多い要の印象とは違い、簡潔だ。
 何かを決意しているからだろうか。
 昼休みの今、教室で深川といるだろう要は何を思ってこのメールを打っただろう。
 学食の外に俺には分からない。
 出来ることはせいぜいぼんやりと木村がジュースを買いに行っているのを待っていることぐらいだ。
 今日、家で。
 それだけを打った。
 話があるというのなら、会った時に今思っていることを教えてくれるだろう。ならわざわざ文面で問いかける必要なんてない。
 俺は文章で話を理解するより、直接話をした方がちゃんと向き合えている気がする。
(いつもはここで飯の話がくるけどな)
 今日は何が食べたいだの、何を作るのかだの、いらないことを書き加えていた。
 だが今回はとてもじゃないが、そんなことを続ける気にはならなかった。
 メールを一通送った後に、俺はふと気が付く。
 食事以外の件だけでメールを送ったのは初めてだが、あいつは「家=飯」なんて考えてないだろうか。
 俺の家に来る時はいつもスーパーの袋だの、総菜が入ったタッパだのを抱えてきたが、今日もそんなことをしないとは限らない。
 常識人なら、話し合いに来るのに飯を作るという意識はないだろうが。あの要だ。
 飯を作ること以外取り柄がない、関わりがないとすら思っていそうで怖い。
 いらない心配ならいいんだが、と思いながら俺は「飯はいらない」と再びメールを送った。
 放課後、俺は掃除当番でサボっても良かったんだが気が付いたら要の姿がなかったのでだらだらと手を動かした。
 一緒に帰ろうとは思ってなかった。帰り道の途中であいつを見かけて声をかけることはあったが、学校からそのまま一緒に帰るなんてしたことがない。
 俺と一緒に歩いているところを誰かに見られることを、要は避けているようだったからだ。
 だって数寄屋と僕が一緒にいたら、みんな変に思うよ。
 そう言っていた。
 あの時からずっと、要は俺とは並んで歩くことすら違和感がある関係なのだと思っていたのだろう。
 俺だけが、何も気にしてなかった。
(ちゃんと大切にしてたなんて言えないな)
 一人で馬鹿みたいに浮かれていただけだ。
 自己嫌悪にかられながら、やる気のない清掃活動を終わらせて帰宅した。
 家に戻れば要がいるはずだ。
 でもドアに手をかけるまでは、いなかったらどうしようかと思った。
 途中で気が変わって、話をすることも嫌になって、要が部屋にいなかったら。
 不安にかられながら、開いたドアの向こうにいたのはゴミ袋を大きな袋に纏めている人の姿だった。
(……変わってねぇ)
 思わず脱力する。
 別れる別れないという段階まできている相手の部屋だというのに、律儀に片付けることはないだろう。
 確かに要が来なくなってから多少は荒れているが、目も当てられないほどではないはずだ。
 俺は学校の掃除、要は俺の部屋の掃除。なんだか奇妙だ。
 不安と緊張が薄れていく中、要は俺を見ると怯えたように「ご、ごめん」と謝ってくる。
 掃除をしてもらって俺が謝るならともかく、どうしたこいつが謝るのか。
「別に」
 いつもこと、そして謝らなくてもいいようなことだ。
 何と返事をすれば良いのか。結局毎回言っている素っ気ない態度しか返せなかった。
 話をするために、座れと促した。すると要は居心地が悪そうに俺の前に腰を下ろす。
 要から初めて動き出してくれたので、俺は要の意見が聞きたいと思って「話って?」と訊いた。
 すると要は落ち着かない様子のまま、この前は同じことを言った。
「数寄屋は僕と付き合ってていいのかなって。女の子と付き合ってたし、格好いいし、数寄屋と付き合いたいって人も知ってる。なのに、僕でいいのかなって。似合ってないのに……」
 要は必死に、頑張って話をしているように口にした。
 だが俺は内心落胆を抑えられなかった。
 それは前にも言ったことじゃないのか?こいつは五日間、同じことをぐるぐる考えていたのか。俺が怒鳴って、喧嘩別れのようにことになったってのに。
「他の人と付き合った方がいいんじゃないかって、思ったんだ…」
 思わず溜息をつく。
 他の人って誰だ。お前は誰を想定して話をしてんだ。
 そう喉元まで迫り上がってきていた。
 だがそれが出てくる前に、要は「これは」と意気込んだような顔で、前のめりになって続ける。
「これは、僕の考えてることは数寄屋にとっては……間違ってる?嫌なこと?」
 真剣な声に、俺は溢れそうだった怒声が少しだけ引っ込んだのを感じた。
 ようやく、要が俺の気持ちを知ろうとしてくれた。その動きが俺を宥めてくれる。
「嫌に決まってんだろうが」
 宥められると同時に、どうしてこんな当たり前のことがこいつは分からないんだっていう別の苛立ちが出てくる。
 悩むようなことじゃないだろ。
 本当に馬鹿じゃないだろうか。
 はっきりしない性格に、後ろ向きな姿勢。その上こっちの意見はまるで無視。どうしてこんな奴がいいのか、自分で自分が分からない。
 だが要がいいのだ。他の誰でもなく。
 どうしてそれを聞き入れない。
「似合ってるって何だ。誰が決めるんだよ」
 大体、こいつが言ってる「みんな」も分からなければ「他の人」も理解出来ない。なんで他人が関わってくんだ。
「普通だとか、その方がいいだとかお前は言うけどな。俺とお前が付き合ってたいって思って付き合ってんならそれでいいだろうが」
 許しを請うことなんてない、認めらなきゃいけないことなんてない。
 堂々としていればいいだけのことなのに。
「他に俺と付き合いたいって女がいるから何だ。俺はその女と付き合わなきゃいけないのか。お前が男だから?俺はお前がいいから付き合ってるのに?」
 木村はこう言えばいいと言っていた。
 だが言うまでもない、当然のことだと俺は思っていた。けれど要はそうは思っていなかったのかも知れない。感じられていなかったのかも知れない。
「俺はお前が好きだって言って、付き合ったのに?」
 好き。
 こんなことを連呼するようなたちじゃない。でも今それをはっきり言いたいと思った。分かって欲しかった。
 ちゃんと好きだということを。
 だからこの気持ちを軽く見て欲しくない。
 要は辛そうな顔で唇を噛んだ。
 この言葉は重いだろうか。苦しいだろうか。
 だがもう黙ってはいられなかった。
「普通の恋人じゃないから、同性だからって別れて。好きでもない女と付き合わなきゃいけないと思ってんのか。見た目が似合っているからって、自分の気持ちを押し殺してまで女作れって?」
 おまえが言っているのはそういうことだ。
 この関係が平等じゃないと思いこんで、似合ってないと決めつけて、好きでもない相手と見た目だけで付き合えと。
 この思いを無視して、誰かの視線に合うように振る舞えと言っている。
 クソ食らえと俺が投げ捨てるようなことを突き付けている。
「それは…」
「その方がお前は満足か」
 安心するのか。
 もしここで要が頷くなら、それがいいと言うのなら、もう一緒にはいられない。
 顔を向き合わせて、言葉を交わすことも出来ない。
 ずっと交わることがなく傷付けることだけしか出来ないから。
 分かり合えないと痛感してしまうからだ。
「でも……」
 要の口から出てきた声は曖昧で、どう思っているのかはっきりしない。あまりにも不鮮明で、俺はぷちんと我慢の糸が切れるのを感じた。
「でも、か」
 飲み込んでいた皮肉や怒りがぶわっと一気に膨らんでいく。
 俺が言っていることはそんなに難しいことか、聞き入れられないことか。それならどうして話し合いたいなんてメールを送ったんだ。
 期待させたんだ。
「まあ、付き合ってみたら惰性で続いて、その内情も沸いてどうでもいい女でも好きになるかもな。そうすりゃおまえも幸せか」
 そんなこと有り得ない。
 情なんか沸くはずない。
 どうでもいいと思って付き合った相手は別れる時までどうでもいいという感情が抜けなかった。
 だが喋り続けた。
 要の気持ちが見えないままだから。
「僕は……」
 おまえはどうなんだ。
 その先が聞きたいのに、要は俯いたまま拳を握っている。
「お似合いだって笑えるんだな」
 責めるように言いながら、へどが出るような光景が思い浮かぶ。
 顔も見えない、どうでもいいような女と歩きながら要を思い出している自分の姿だ。なんて惨めで、情けない様だろう。
 到底出来るとは思えない情景だ。
 そんなことになるくらいなら要をこの部屋に閉じこめてしまうかも知れない。
 誰の視線も感じさせることなく、似合う似合わないなんてことを考えなくなるまでずっと。
(出来るわけないけどな)
 泣かれただけで怒鳴れなくなる。それなのに監禁なんて出来るはずない。
 だから自主的に側にいて欲しい。
 そう願っているのに、どうしてこれほどまでに擦れ違うのだろう。


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