与える熱 4



「だって、そうなったら」
 いっそ閉じこめたい。
 そんなことを考えているなんて思ってもいないだろう要は、たどたどしく話す。不安だらけの子どもみたいだ。
 そうなったらお前はどうする。
 要は悩んでいるのか、そこで口を閉ざしてしまった。
 じっと待っても何も聞こえてこず、焦れてくる。
「仕方がないって我慢すんのかよ」
 こいつは我慢が出来るのか。
 俺と付き合っていた時間をなかったことにして、平然としてられるのか。
 欲しいと思っていたのは、俺だけだったのか。
 いつまで黙っていても要は続きを言わない。
 元々辛抱強くない上に、答えが聞きたい俺はとうとう我慢出来ずに要に近寄った。
「黙るなよ。話があるって言ったのはお前だろ」
 つい口調が刺々しくなった。
 俯いている要の顎を指で掴んで上に向かせる。
 すると大きな瞳が濡れていた。
 目尻には涙が溜まっていて、今にも零れてしまいそうだった。
「おまえな……」
 また泣いた。
 思わず舌打ちをしてしまう。
 こいつはどうして泣いたのか、前とは違う理由で泣いた気がした。
 俺と別の誰かが似合うと言ったのは要だ。俺はそれをこいつに突き返しただけだ。
 それでいいんだなと確認しただけだ。
 それなのに泣き出すなんて。
「泣くほど嫌ならそう言えばいいだろうが。なんで我慢すんだよ」
 嫌なんだろう?
 心の中でそう問いかける。
 俺と別の誰かが一緒にいるところを想像したんじゃないのか。幸せそうな場面を想像したんじゃないのか。
 俺がそうだったように。
「俺が他の女と付き合ってもいいのか?」
 こいつは馬鹿だ。その上めんどくさい。
 わざわざ言葉にして、ちゃんと気持ちを確認させてやらなきゃ、こいつは自分の思いにも気が付かないのだ。
 予測していたよりずっと鈍く、頭の回転も遅くて、手間がかかる。
 要はぶんぶんと首を振った。
「とられたくないか?」
 そうだろうと確信しながら訊いたが、要は反応に困っているようだった。
 なんでそこで止まる!と怒鳴りたくなる。
 一体お前は何を考えてるんだ。
 難しいことなんて何一つ訊いてないのに。
「お前は俺がいるのかいらないのか、どっちだ」
 選択肢を二つに分けた。こんな単純な次元にしなきゃ先に進めないなんて、頭が痛い。
 だが要が俺を欲しがっているのはもう分かっていた。だから俺に不安はもうなくなっていた。
 ただ聞かせて欲しい。教えて欲しい。ちゃんと要から、伝えて欲しい。
「いる……」
 泣いているせいか、ぐずったような声でそれは聞こえてきた。
 やるよ。
 そう言うように俺は要の頭に手を置いた。
 こいつは俺を大きく感じているのかも知れない。なんだか凄い人間とでも思っているのかも知れない。けどそんなこと全然なくて、要の料理がなきゃぶーぶー文句言って部屋の掃除もろくに出来ない。そして人の気持ちが分からずにおたおたしているような、そんな情けない奴だ。
(こんなやりとりは、今更するようなもんじゃねぇんだけどな)
 付き合っていると思った時にはもうしておくようなもので、何度も抱き合った仲がするようなものじゃない気がした。
 だがそれもまた、二人らしいといえばらしいのかも知れない。
「じゃあ、もうそんなこと言うな。自分と付き合わない方がいいなんて」
 二度と聞きたくない台詞だ。しかも真剣に言い出すから戸惑う。
「俺はおまえが好きで、お前と付き合ってる。俺が望んでることだ。他のやつなんか知るか」
 誰の言葉も知ったことじゃない。
 要と付き合っていることで、俺が聞き入れるのは要の言葉だけだ。他の人間なんか関係ない。
 だが、要はそこまで割り切れないのだろう。だからきっとこの先も迷うのだろう。
 自分なんて。そう、悩むんだろう。
 そういう要は、自分の価値なんてきっと見えてない。
 俺がどれだけ助けられているかなんて、こいつは想像もしてないんだろう。
「おまえは卑屈過ぎる」
 だから俺の傲慢さが強さのように見えるんだ。
「ごめん…ごめんなさい」
 卑屈という単語が突き刺さったのか、要は泣きながら謝る。
 ぽろぽろと流れる涙に、俺は顎を掴んでいた指を離した。そして頬を拭う。
 友達が泣いててもこんなことはしない。
 同性なのに、完全に男だという認識が飛んでしまう。恋人という目で見ているからだろうか。
「もういいから泣き止め」
 傷付いて欲しくて言ったことじゃない。自覚があるならいいとしたい。
 それ以上泣かれると、途方に暮れる。
「自分が必要だって思ってるもんは手放すな。鷲掴みにしてずっと持ってろ。他人なんか無視しとけ」
 相応しい、相応しくない、似合わない。そんなことを考えることより。欲しいと思ったその感情のまま手を伸ばしてしまえばいい。
 俺がそんなことをやれば傍若無人で周囲から反感を買うだろうが。要ならどれだけやっても我が儘放題になるとは思えない。
 本人と周囲との我が儘の度合いが違いすぎる。
「分かったか」
 そう告げると、要が手を伸ばしてきた。
 一瞬、何をするのかと思った。
 付き合っている相手がそうしてくれば、抱き締められるとすぐに理解出来るばすだが。要は積極的に動いてきたことなんてなかったから、驚いた。
 俺より細く感じられる手が、背中に回される。
 身長差のせいで抱き締められているというよりしがみつかれてるみたいだが、その体温に驚きがゆっくり消えていく。
 求められた。
 ようやく、手を伸ばしてくれた。
 誰かのものになりたいなんて思ったことはなかったが、今は少しだけそう思う。
 応じるように抱き締めると、要の目がまた涙が落ちた。だが悲しんでいるようには見えなくて、俺はもう後ろめたさも痛みも味合わなかった。
 間近にあった唇に、ついキスをした。
 抱き締めれば、そうすることが自然だったから。
 思い出せば、何もなく話し合いの途中で触れ合うなんてことはなかった。こうしているのは大抵布団の上だ。
 そのせいか、欲が沸いてくる。
 微かに乾いていた唇を重ねる。反射のように要はうっすらと唇を開くので、そこから舌を差し入れる。
 抵抗のない、無意識に近い行動だった。
 あったかい口内を舌先で探る。
 こうすると要の舌は逃げる。絡め取られ、吸い上げられるのを怖がるように。
(ん?)
 だが意外なことに舌先で触れても、要は逃げなかった。軽く絡めると、自分から動いてれくた。
 下手くそで、ろくにコツも掴めていないおずおずとした絡み方。だがキスを望んでいるような素振りは初めてだ。
(心境の変化か)
 自分から手を伸ばしただけでなく、キスも応じるようになったとは。今回の喧嘩は要にとって大きなきっかけになったらしい。
 興味深いなと俺は舌を動かすのを止めた。こいつはどうするだろうと思ったからだ。
 それからしばらく、要は俺の口の中に舌を入れて探るように歯列を舐めたり、舌を探したりしていた。
 なんだか必死さが感じられて、微笑ましいとすら思った。
 面白くてそのままにしていたら、要は舌を引っ込めて唇を離した。そして不安そうな目で俺を見上げてくる。
 ほのかに染まった目尻や頬が、欲情してるみたいに見えて不覚にも下半身にくる。
 キスだけじゃ余裕を保てたのに、こいつの表情にやられた。
 嫌で止めていたわけじゃない、そう言うように俺は要の唇を舐めた。
「下手くそ」
「ご……ごめん」
 小さくなって謝る要を、後ろに押し倒したくなる。
「何回もしてるのに、おまえは全然上手くなってねぇな。自分からやらないせいか」
 要が俺から技術を吸収するなんて器用な真似が出来るとは思ってない。
 自分で体感して得ないと、あいつは出来るようにはならないだろう。
 消極的でされるがままでも、それはそれで煽られるけど。自分から求められたら俺だって嬉しい。
 これからはどんどん自分から動いて欲しいものだ。
「そろそろお前にも動くように教え込むのもいいかも知れないな」
「え……」
 要が怯えるような顔をして見せる。
 その反応は正しい。
 今俺の頭の中では、とても口に出来ないような光景が広がっていた。
 腹の上に乗っていたり、口で奉仕していたり、場所が部屋じゃなかったり。まぁ色々だ。
 男子高校生なら当然やりたいと思うだろうレベルばかりだが、要がそんなことを想像しているとは考えにくい。思いつきもしないかも知れない。
 何も知らないであろう人に、一から教え込むのも楽しいだろう。
(けど、それはまた後日だな)
 身体はもう我慢をしたくないと言っていた。
 目の前に要がいて、しかも抱かれることを拒んでいる様子もない。自分からキスしてくれるぐらいだ、この後の展開は予想しているだろう。
 お預けをくらって大人しく出来るほど、俺は理性的じゃないし。
 五日前、抱き合うどころか飯の最中に喧嘩したおかげで、十日以上要の中に入ってない。
 一度気持ち良さを覚えた身体は、一人では満足出来なくなっている。
 手を伸ばして要の服を掴む。ボタンを外しても、要はその手を止めなかった。
 以前なら小さくても抵抗をしてきていたのに。
 その代わりのように恥ずかしそうな顔で視線を外している。それがいっそうやらしく見えて、無茶苦茶にしてやりたいとさえ思った。


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