与える熱 2 朝、要が作り置いてくれた料理を温める。 同時に蘇ってくる言葉の数々に、喉元が締め付けられるような感覚を覚えた。 付き合っていていいのかな。 そう言われた時、どうして「いいに決まってる」と即答しなかったのだろう。 心の中ではそう思ったのに、口からは怒りが零れていた。 もしあの時、即答していたら要は少しでも安心したかも知れないのに。 台所のコミ箱に食べ終わった魚の骨を捨てようとした。 蓋を開けると、そこには食べ残しが捨ててあった。 昨夜、要が捨てたのだろう。 落ちた涙を思い出しては、言いようのない苦さが込み上げてくる。 ぬぐってやりたかった。 今更そんなことを思っていた。 登校して、同じ教室に入る。だが要と目が合うことはなかった。 元々声をかけることはなかった。 ただのクラスメイト。雨の日に、要に拾われる前の関係に戻ったみたいだった。 (あいつは戻りたいのか?) 接点が何もなかった頃に。 そう考えると、込み上げてくる言葉も思いも、露わにしてはいけない気がした。 登校して、要の姿を視界の端に映して、けれど真っ直ぐ見ることもなく日が過ぎる。 バイト先のコンビニ弁当。スーパーの総菜を食べても、胃が膨らむだけでろくな味がしなかった。 油物が多く、それにうんざりしていた。 以前なら油物でも平気だった。ボリュームがあれば何でも良かった。 だが今は要の料理が食べたい。家庭料理に憧れるになんて疲れ果てたサラリーマンみたいだ。 まだ高校生だっていうのに、このざまはやや空しい。 俺は昼休み、学食で木村と向かい合って飯を食っていた。 ここの学食も安いのはいいが、油が多すぎる。育ち盛りには油与えておけとでも考えているのだろうか。 焼きそばが油でてかっているのがおかしいとは思わないのだろうか。 ぶすっとしながら箸でつつく。要ならこんなもの作らない。 「機嫌悪いな」 うどんをすすりながら、木村がそう訊いてきた。 いくらなんでもうどんまで油がきついってことはないだろう。俺もうどんにすれば良かった。 「彼女と喧嘩でもしたかー?」 俺が誰かと付き合っていることを知っている木村はにやにやとしながらそう言った。 相手が女だと信じ切っている顔だ。 俺もそれを否定したことはない。 男だって教えたら、木村が気持ち悪いと感じるかも知れない。そうなったら俺も嫌な気分になるだろう。 別に何もかもバラさなきゃ友達をやってはいけないなんてことはない。言わなくてお互い穏便にすむならそれもアリだろ。 それに、要と付き合ってるなんて言っても到底信用されると思えない。 「なんだよ、マジで喧嘩したのか?」 黙っていると、木村が勝手に話を進めていた。 「……喧嘩ってか」 あれは喧嘩と呼べるのだろうか。 確かに俺は怒鳴ったし傷付けられた。要も泣いていた。 だが話し合いには全くならなかったのだ。 一方的に言葉を投げ合って、理解出来ないまま離れた。 怒っているというより、戸惑っている、困っているっていうほうが正しい。 「何だよ」 どう言ったらいいのか、考えていると木村がじれたように先を促す。 こいつは待つってことが苦手なのが欠点だ。俺も人のことは言えないけど。 「自分と付き合ってていいのかって」 「え?」 「そう言われた」 口にしてみると、情けない台詞だ。 木村はよく分からないという表情を見せる。 「彼女がそう言ったのか?自分と付き合ってていいのかって?」 「もっと似合う女の子がいるんじゃないかって。真剣に」 冗談だったら良かった。今まで付き合った女だったら、きっと拗ねるように言うだろう。 違うと言えば素直にそれを飲み込んでくれた。 けれど要は違う。真剣過ぎて、本気で考えすぎて、俺の言葉も聞き入れようとしなかった。 「で、何て言ったんだ?」 木村は興味津々という目で俺を見てくる。 彼女のことに関して相談をしたのは初めてのことだから、珍しいとでも思っているのだろう。 「付き合ってんのが嫌なのかって訊いた。でもそれは違うって言いやがる」 悲しげに、首を振るのだ。 別れたくない。でもこのままでいいとも思えない。 ならどうしたいのだ。 俺には全く分からない。 「それなのにまた、付き合ってていいのかって言い出す。他の人と付き合った方が俺にとってはいいだろって」 ふぅんと木村は考えるように相づちをうった。 そしてずるずるとうどんをすする。 俺も油の多い焼きそばを口に入れるが、その味にテーブルをひっくり返したくなる。よくこんなものを提供してくるもんだ。 「彼女って何か悩みあんの?」 「知らねぇよ」 そんな話もしなかった。 だから俺は素っ気なく返事をしたが。相手が悩みを抱えているかどうかも知らないなんて、付き合っていると言えるのだろうか。 「答えねぇんだから」 自分の中の後ろめたい部分、要とちゃんと話し合っていなかったとか、要の異変に気が付かなかったとか、要をちゃんと大切に出来ていたのかとか、そういうものがうずき始める。 「別れたいとしか思えなかった。はっきりものを言えるタイプじゃないから。そういう方法を取ったのかって」 遠回しに話すことでしか、自分の気持ちを表せないんじゃないかと思った。 だからとっさに頭の浮かんだ「別れる」という可能性ばかり気になった。 「へー。そうなんだ。数寄屋ってそういうタイプ苦手じゃなかったか?」 鋭いところをついてくる。 苦手というより嫌いなタイプだ。だから今も苛々している。 そのくせ別れたいとは思わないのだから、謎だ。 (タイプは全然合わねぇんだよ。だからこんなことにもなる) 分かっていたはずだ。 理解し合うにはとても努力のいる関係だということは。 「お前ならどうする?」 どうしていいか分からず、途方に暮れている。手も口も出せない。だがこのまま諦めるのは納得出来なかった。 「彼女が好きだから付き合ってる。彼女以上に自分に似合う人なんていない。って言うしかないんじゃね?相手は安心したいんだろ。きっと」 木村はさらさらと台本があるかのように台詞を述べた。 きっと付き合っている彼女にもそんなことを言っているのだろう。 俺はそういうことをさらりと言えるようなタイプじゃないから、とてもこいつみたいに平然とは口に出せない。 「それらしいことは前から言ってんだよ」 木村のように上手くはないが。それでも自分の気持ちは要には言っているつもりだった。 好きだと真剣に言ったのも、かなり久しぶりだ。初めて付き合った彼女以来ではないだろうか。 「んじゃ本当に別れたいんじゃないか?お前が怖くてつい否定しちゃったけど」 木村が笑いながら言う。全くないとは言い切れない状況に、思わず目を座らせてしまう。 「睨むなよ。可能性の話だっての」 そんな可能性の話は聞きたくない。思わず「そうかも知れない」なんて考えが膨らんでしまう。 「あとは、すげぇ自分に自信がないのか」 「自信か…」 要が自分に自信を持っているとはあまり思えない。料理に関しては得意だと胸を張っているが、それ以外は常に弱きだ。見ていると呆れるほどに。 「お前って堂々としてるじゃん。高校生とは思えない貫禄があるってか。そうゆうのを見て自分は相応しいのかって考えたとか」 (有り得る……) ちゃらちゃらしている奴だが、木村は意外といい着眼点を持っている。それが今回も発揮されている気がした。 「ま、今時そんなこと考える女がいるか分かんねぇけど」 今時の女と木村は言うが、要なら有り得る。 あれは天然で、たくましくなった現在の女が悩んでいそうもないことを延々ぐるぐると考えていそうだ。 実に進歩の後れている、純粋と言えば聞こえはいいが、どこかずれている存在だ。 「自分に自信がない…か」 いい加減食べ続けるのが嫌になった焼きそばを一気に掻き込む。 腹が膨れればとりあえず良いことにしておこう。 (自信なんて、どうやったら与えられるってんだ) お前が好きだと言っても、それを自信に出来ないというのなら。他にどう言えばいい。どう接すればこれでいいのだと認められる。 (そもそも、あいつは自分に自信が欲しいとか思ってんのか?) ただ、自分に自信がない。だから一緒にいて良いのか分からない。きっと良くないんだろう。 その程度の認識で止まっている可能性も高い。 初めから、並んで歩くことを諦めているのかも知れない。 (つか、お前はあっさりと諦められるのかよ) 似合ってない。だから別れても仕方がない。 こんな時だけ冷静に、あっさりと割り切ってしまえるのか。 (俺はそんなにすぐに割り切れない) 自宅の台所で料理している要の後ろ姿を思い出しては、手を伸ばしたいと願ってしまう。 もう駄目だと言われても、この手は止めたくない。 要は違うんだろうか。 そう思うことは、ないんだろうか。 next |