与える熱 1



 要はのほほんとしていて、特に食事中は幼児みたいな表情をしていた。
 食べることだけしか頭にないような、単純な様子だ。
 それが要らしいと思っていた。
 だが今日は違った。ずっと何かを考えているような顔をしている。そのくせ何も言わないのだ。
 まるで俺に問いかけてくれと言っているかのようだった。
「難しい顔してるな」
 そう声をかけると、要は瞬きをした。
 長い前髪はピンで留められている。
 そのため大きな目がよく見えた。
「え」
 箸を止め、きょとんとした目で見られる。
 視線を返すと、要は俯いた。人と目を合わせるのが苦手だと言っていた要の、無意識の行動だ。
 そして小声で話した内容は、突拍子もないものだった。
「普通に…女の子と付き合ったほうがいいんじゃないかなって」
 不安げな、怖がっているかのような言い方に自然と眉が寄った。
 どうして今、そんなことを尋ねてくるのか。
 他の人と付き合った方がいいんじゃないか、なんて。
 別れてくれと言っているようなものではないか。だから俯いたままなのか。
 気まずい話だから、面と向かって言えなくて。
 なんで?と問いかけても、要はしどろもどろで要領を得ないことを話す。
 大抵の男は女と付き合っているなんて、考えるまでもないことだろう。それを今更出してくる理由は何なのかと尋ねているのに、何故はぐらかすのか。
(付き合ってんのが嫌になったとか)
 要に対する自分の接し方を思い出す。
 学校では友達ですらないような接し方で、それは要が望んだせいでもあるのだが、そのくせ家に来たら料理を作らせて、たまに掃除までさせて。
 その上要を抱いているのだ。
 まれに勉強を教えてはいるが、要がやってくれていることに比べれば小さなことだろう。
 都合良く使っている。そう思われても無理のない状況かも知れない。
  (でもこいつは、それが嫌だって感じの素振りはなかったぞ?)
 料理は楽しんで作っていた。俺が食べると嬉しそうにしていた。
 掃除だって頼んだことは一度もなく、片づいていないから気になって、と申し訳なさそうに言われるくらいだ。
 頭の中でぐるぐると要とのことを思い出していると、更に奇妙なことを言われた。
「数寄屋は僕のご飯が好きだって言ったけど…ご飯くらいいつだって作るし。付き合ってなくても…」
 思わずばしっと力をこめて握っていた箸をテーブルに置いた。
 要の肩が震えるのを見て、しまったなとは思ったが衝動は止められなかった。
 それでは俺が要の飯だけを目当てに付き合っているみたいじゃないか。
 飯を作るのが嫌なわけじゃないと言いたげな顔に、俺は困惑が強まった。
 全く理解出来ない。こいつは何を考えているのか。
「お前は付き合ってるのが嫌なのか」
(ずっと嫌々付き合わせてたか?)
 無理強いする趣味なんてない。
 好きな相手と一緒にいたいとは思うが、その相手が嫌がっているのに側にいたいとは思わない。
 苦しめたいわけじゃいなからだ。
 その時は我慢して、いつか諦められるように努力もする。
 だが要からは嫌がっているような雰囲気はかけらも感じられなかった。それは俺の思い上がりだったのか。
「そんなこと……」
 要は辛そうに、だがちゃんと否定してくれた。
「んじゃなんでそんなこと言い始めた」
 どこかほっとしている自分を感じながら、俺は要を探る。どこをどうして、こんなことを言い出す羽目になったのだろうか。
「その方が……数寄屋にとっていいことだって思ったから」
 いいこと。
 そう言われ、頭にかっと血が上った。
「どこがだ!」
 この戸惑っている気持ちの、要を失うかも知れないということにうるさく鳴り始めている心臓の、どこがいいことなのか。
 要は怒声に怯えながらも、首を振ったり話を変えたりはしない。ただぎゅっと唇を閉じていた。
 気弱な要が話題を覆さないところからして、事態の深刻さを感じた。
「いい加減にしろよ?冗談にしてもたちが悪い」
 俺は本気だと知りながらもそう言った。
 冗談でしたと言ってくれれば、今から説教をしてこの動揺を消してしまえる。
 だが首を振られるだけだ。
(なんだってんだ…)
 ほんやりしていることが多く、何を考えて生きているのか、何も考えてないんだろうかと思ったことはある。要はほのぼのした人だから。
 だが今のように、苦しさを抱きながらそう思ったことはなかった。
「誰と付き合えって?どっかの女子に俺と付き合いたいから手伝ってくれとでも言われたのか?」
 人の言うことを重視してしまうらしい要が、他人からそう頼まれて今の関係を思い直してしまったかも知れない。かろうじて出てくる可能性はそれくらいだった。
 けれど要はそれも首を振る。
 お手上げだった。
「……じゃあ別れたいならそう言え。回りくどい言い方なんかすんな」
 別れたいわけじゃない。一度はそう意志を示した要に期待しながら、俺は辛く当たる。
 そんな話はもうするな。くだらないことだろう。そう言いたかった。
 期待を裏切ることなく、要は小さな声で別れることを拒むようなことを口にする。
「おまえが言ってんのは、そういうことだ。むしろ別れたいって素直に言うよりたちが悪い」
 俺は回りくどいことが嫌いだ。
 特に恋愛沙汰に関して、回りくどいことや思わせぶりなことをされるとうんざりする。
 気を使ってくれと暗に重圧を受けているのが、落ち着かない。
 いっそ口で言ってくれと、今までも思っていた。
 要に関してはこちらが思わせぶりになりたくなるほど鈍いので、別の意味で苛々しているが。
「……女と付き合いたくなったか。俺が嫌になった?」
 過去の女を思いだして、ふと嫌なことを思い付いてしまった。
 もしかすると、要は俺が嫌になったと言うより、男と付き合うことが嫌になったんじゃないかって。
 ふわふわしてて、とても女にがっついてる男子高校生には思えないのだが。要も一応男だ。
 女と付き合いたい、抱きたいと思うことがあってもおかしくない。
 俺は抱く側ばかりだから、抱かれるのがどういうことなのか知らない。だが抱かれるばかりじゃ嫌だと思われていても、不思議じゃなかった。
 不安が込み上げてくる。
 だが要は一番大きく首を振った。
 見当違いだと言いたげなほどに。
(だったら何だよ)
 他に思い付くことなんてない。
「黙ってたら分からないだろ」
 問いかけても喋らなくなってしまった人に、焦れてそう責めるようなことを言った。
 黙っていても分かって貰えるなんて、有り得ないことを考えているわけでもないだろうに。
 声に棘がついたことが分かったのか、要の肩が少しだけ震えた。
「要」
 話すことを促すと、俯いて頭しか見えていなかった要から何かが落ちるのが見えた。
 それは一つ、二つと続いた。
(泣いてる…)
 溜息が零れた。
 泣かせたかったわけじゃない。
 話がしたかったんだ。
 どうしてそんなことを言ったのか。どう思っているのか、知りたかったのだ。
 けれど俺がやったことは、結局要を怖がらせることだけか。
(なんでこうなる)
 理解したいと願ったのに、傷付けることしか出来てない。
 いっそ怒鳴りつけたかった。
 泣きたいのはこっちの方だ。いきなりそんなこと言われて、別れたいでもなく、でも今のままじゃ駄目だなんて、一体何が言いたいのか。
 わけがわからねぇ。そう言いたい。
 だが言えば、要が壊れる気がして、その方が怖かった。
 感情は渦を巻いて、落ち着くことがない。
 このままでは溜息まじりにまた責めてしまいそうで、席を立った。
「出掛ける」
 押し殺した声でそう告げて、俺は部屋を出た。
 夜の中を歩き出す。
 行き場所なんてあるはずもない。友達にも、誰にも会いたくない。
(馬鹿みたいだな、俺)
 傷付けられた。
 こんな関係は良くない。そう面と向かって言われて、一緒にいた時間を否定されて傷付いたのに。
 要が泣いたら、それだけで黙ってしまうなんて。
 昨日までのやりとりが脳裏に蘇ってくる。
 帰り道でばったり出会って、そのまま一緒に帰ったこともある道を歩いているから、余計苦しい。
 あの時要はスーパーの袋をぶら下げていて、今晩は中華にしようと思うんだ、と楽しげに言っていた。あまり笑うことがないから、その横顔を見て俺まで嬉しくなるようだった。
 そんな性格じゃなかったはずなのに、と違和感と気恥ずかしさを抱きながら。
(なんでだよ)
 どうしてこんなことになった。
 何が悪かった。
 どこが駄目だった。
 街灯に照らされた道を踏みながら、考え続けた。
 人通りも少なく、車が走っている音を聞きながら溜息を殺していた。
 だが俺がどれだけ考えても、要が思っていることはあてられない。あいつとは考え方が違いすぎるからだ。
 結局、あいつに訊くしかないんだろう。
 その結論を出すのに二十分以上かかり、歩くのもいい加減嫌になって頃自宅に戻った。
 部屋の灯りは付いたままで、要は何をしているか、まだ泣いているかと思った。
 だがドアノブを回して、帰った部屋には誰もいなかった。
 テーブルの上も、台所も綺麗に片付けられている。
 要はいつも使ったものは片付けて、掃除までして帰る。だが俺の目には、この付き合いを精算したいと言っているように見えて仕方がなかった。
「……何なんだよ、お前は」
 要がどう思っているのか、分からないまま。
 離れてしまった。


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