欲しがる手 6 特別だと言われても、僕は実感がわいてこない。 そう思っても、選ばれたなんて思っても、いいのかな。 「付き合いたいって思われて嬉しい?」 「え?」 「それとも嫌?」 健太はどこか嬉しそうに尋ねてくる。 「……嫌じゃない」 付き合っていたいって、側にいたいって思われているとすれば、僕は嬉しい。 嫌われてないってことだから。 誰だって嫌われるより、好かれるほうが嬉しいし。それに、数寄屋は僕の中では。 (特別、だし……) 健太が言ったことにつられるみたいにして、僕はそう思った。 深川と健太とは違う、友達とは違う。 「だったら何も問題ないだろ。要がいーんだよ。おまえでいいの」 健太はそう言うとまた茶碗を片手におかずをつつき始めた。 「変なこと考えなくていいんだよ」 「……いいのかな」 これは変なことなんだ。 深川も健太もそう言ったから、きっとそうなんだろう。だから数寄屋も怒った。 だからもう考えなくていいのかな。でも付き合っているんだったから、相手のことを考えるのは自然じゃないのかな。 僕なんかが考えても無駄なだけなのかな。 「考えたくなったら訊けよ。どうすればいいのか。どうすることが一番嬉しいのか。だって付き合ってんだろ?」 簡単なことだろ、と健太は浅漬けを空にしながら言う。 僕が浸けた浅漬けなんだけど、明日の朝ご飯が一品なくなってしまった。どうしよう。 「訊いてこいよ。このままでいいのか。今幸せか。要が今のままでいいと思うなら、ちゃんとそれを言ってから」 「でも、怒ってるんだ……」 尋ねるのは健太にとってはとても簡単なんだろうけど、僕にとっては覚悟がいる。 今が駄目だって言われると、想像はしていても辛いし、何より数寄屋はすごく怒っている。 とても話しかけられる状態じゃなかった。 「んじゃ怒られたままでいいのかよ。仲直りしたくねーの」 「それは……」 良くない。 気まずいままで、関係が消えていくのは良くない。良くないけど、でも怖くて。 足踏みをしている。 「好きなんだろ」 健太の声がぽんと僕の中に投げ込まれる。 怖がって、躊躇っている僕の顔を上げさせるようにして。 「うん……」 「んじゃ動けよ。怖がりの要にはすげー難しいことも知れないけど。でも動かないと嫌な思い抱えたまんまだ」 弱虫で怖がりの僕をしている健太は、きっと僕の気持ちを読んでいる。 このまま動かずにじっとしてしまうかも知れないことも、見越している。 だからこそ、そうして背中を押してくれている。 「変われよ。要は変わっても、もういいんじゃねぇの」 「変わる?」 「欲張りになって、自分に自信持って生きてもいいんじゃねぇの」 健太はまたお茶碗を空にした。 おかわりをするのかと思って僕はその茶碗を見たけど、健太の手は動かなかった。 「要が好きだって人がいるんだし。俺も深川だっておまえのこと気に入ってるしさ」 「知ってるよ」 それはよく分かってる。 相談にも乗ってくれて、僕が困った時は助けてくれて、こうして構ってくれている。 同情じゃない、哀れみじゃない、ちゃんと友達だって認めてこうしてくれてる。 「だからもう我慢なんかしなくていい」 少し前にも聞いた言葉に、僕は健太の顔を見上げる。 僕より高い位置にある顔は笑顔だ。 力強いその表情は、見ているだけて僕まで明るくしてくれるような気がする。 「深川も、そんなこと言ってた。でも僕は我慢なんてしてない…」 どうして我慢をしているなんて思うんだろう。 僕は何かを我慢してるなんて、耐えているなんて言ってないのに。 「……要はなぁ……」 健太は笑顔を曇らせた。 何か言いたげだったけど、でも結局は僕にお茶碗を差し出しただけだった。 困ったような健太は、言えないというよりどう言っていいのか分からないような雰囲気だ。僕もどう訊けばいいのか分からなくて、お茶碗を受け取って席を立った。 動け。 健太に言われたことを何度も自分に言い聞かせて、僕は携帯でメールを打った。 携帯の受信ボックスから数寄屋の名前を見付けだして、返信をする。 五日前の名前。 その時の内容は、飯が食いたい、っていう一言だった。 懐かしいような気がして、僕は苦しくなった。何ヶ月の前のメールじゃないのに、遠く感じてしまう。 何て書けばいいのか、謝ればいいのか、迷いながらごめんと打った。 でも。その後が続かない。 自分の気持ちを書いたとしても、それは数寄屋を苛立たせたものだ。 一文節書いて、消して、唸って。昼休み中深川に観察されながらメールを作った。 そして送ったのは、話があるっていう短い文だけになった。 短すぎて、悩んだ時間の長さが馬鹿みたいだった。でも落ち込む僕を見て深川は「頑張ったじゃないか」って珍しく褒めてくれた。 初めの一歩を踏み出すことが怖くて、立ちつくしている僕を何度も見てきたからだと思う。まるで保護者みたいなことを言ってくれた。 なんだかそれが嬉しくて、メールを送ったことに緊張してる心が柔らかくなった。僕はこうして支えられている。 僕は恵まれてる。そう思った時、携帯が震えた。 学校にいる時はずっと音を切っているから、突然震え始める。 「早いな」 深川は震える携帯に、笑いながらそう言った。 その笑い方は僕をからかう時のものによく似ている。そんなに面白いことじゃないと思うんだけど。 受信したメールには『今日、家で』とだけあった。 もちろん、数寄屋からだ。 「…家って数寄屋の家かな」 僕の家だったら「おまえの家」って入っているだろうから、たぶん数寄屋の家なんだろう。 学校からの帰り道にそのまま寄っていいのかな。 句読点を入れて、たった五文字のメールからは数寄屋が怒っているのかそうじゃないのかも分からない。 僕からのメールを、数寄屋はどう思ったんだろう。 今は教室にいない人の顔を思い浮かべる。でも上手く想像出来なかった。 放課後、数寄屋は掃除当番で、僕は先に帰ることにした。 一緒に帰るのは周りが変に思うだろうと思って、今まで一度もしたことがないし。怒っているかも知れない数寄屋と並んで歩くのは、まだ勇気が足りない。 一人で辿る道、でも家とは違う方向に足を向けた時から緊張し始めた。 これから、数寄屋と話をする。 前ならご飯を作るっていう目的で行っていたから、そんなに身構えたことはなかった。でも今日は違う。 昼休みに貰った返信の後、もう一回数寄屋からメールが着た。そこには、飯はいらないと書いてあった。 数寄屋の家に行く時はスーパーの袋や、すでに家で作っていた総菜なんかを持って行ってた。だから手ぶらで行くなんて初めてのことだった。 部屋の前に着くと鞄から合い鍵を取り出す。返さなくて良かった。 がちゃんと音を立てて鍵を開けて中に入る。玄関を見ただけでも、中が荒れているのは明らかだった。 「えー……っと…」 いつもこんなに酷かったっけ?と数寄屋の部屋を思い出してみる。 教科書とか雑誌が散乱しているのは毎回だけど、服も散らかってるし、ぱんぱんになったコンビニの袋の結び目から割り箸が刺さっている。 コップがテーブルの上に二つ、お皿も二つ、ノートとテレビのリモコン、サランラップに携帯の充電器にメモ。 部屋の隅にあるゴミ箱からは物が溢れている。 「か……片づけていいかな」 喧嘩して一度離れているから、勝手なことをしたらまた怒られるだろうか。だがこの場にじっとしているというのも辛い。 まして今日はご飯を作らなくてもいいから、やることがないのだ。 「……座る場所は、いるだろうから。それは作ろう」 テーブルの周囲は腰を下ろす場所がない。だからそれを作るくらいは許されると思う。 僕は鞄を置いて、テーブルの周囲に落ちている服に手をかけた。 洗濯してるだろうか。 「うーん……」 綺麗に畳みながら、洗濯してるのかな、してないのかな、と首を傾げる。 してないのなら、したいところなんだけど。 これはどうだろう。あー、これは押入に入れてるやつだったような気がするなー、なんて考えているとついつい手を伸ばす範囲が広がっていく。 気が付くと僕は部屋中をせっせと片づけていた。服は畳んで積み上げて、雑誌も重ねてその隣。食器は台所の流しへ、他の物は見覚えのある場所へと移動させた。 そんなことをしていると不意に玄関のノブが回される。 「あ……」 僕はちょうどゴミ箱のゴミやコンビニの袋なんかを大きなゴミ袋に入れて一つに纏めていたところだった。まずい、と思って数寄屋を見るけど、目を合わせた人は部屋を勝手に掃除している様子に何も思わないようだった。 怒りもしない、笑いもしない。 「ご、ごめん」 僕は反射的に謝ったけど「別に」と数寄屋はいつも通りの答えをした。 鞄を下ろして制服の上着を脱ぐ。そして数寄屋はおもむろに部屋の真ん中で腰を下ろした。テーブルを挟んで向かい合わせになると思っていたけど、数寄屋はそんなこと思ってなかったらしい。 テーブルの横に座り、僕を見上げる。 「座れよ」 促されて、僕はゴミ袋を隅に置くと、数寄屋に近寄った。間近で話をするには緊張して声も出なくなりそうだったから、二歩くらい距離を置いて座った。 立っている時はそんなに離れているとは思わなかったけど、座ってみると意外と離れていて、それがまるで今の二人を表しているみたいだと思った。 next |