欲しがる手 5



「誰かと喧嘩でもした?てか彼女でも出来た?」
 彼女と上手くいっているかどうかを訊いただけなのに、どうして健太はここまで気付いてしまうんだろう。
 僕の頭の中をのぞき見ることなんて出来ないはずなのに。
 目を丸くしていると、健太が「ふぅん」と言って意地の悪そうな笑い方をした。
 それは深川も僕をからかう直前によく見せている。
「な、なんで?」
「だって要が彼女のこと訊いてくるなんて珍しいじゃん。今日はなんか悩んでるみたいだし」
 悩んでいるような顔、してるのかな。
 確かに僕はずっと悩んでいたけど、顔に出していたつもりなんてなかったのに。
「そんなこと……」
「あーやっぱり。出来たんだ。違ってたら、そんなことないっ!ってすげー慌てるじゃん」
 僕の行動って読まれてる。
 健太の言う通り、付き合っている人が本当にいなかったら慌てて否定していることだろう。だってそれ以上訊かれても答えようがないから。
 でもそれが出来なかったから、健太は僕に付き合っている人がいるって知ってしまった。
 嘘を付くのは苦手だけど、これは嘘をつく以前の問題で思っていることを表に出しすぎているみたいだ。
(駄目だなぁ僕……)
 今まで生きてきて数え切れないほど思ったことを、今日も思ってしまっている。
「で、どんな子?要より可愛いの?」
 健太は顔をずいっと寄せてきた。
 僕より可愛いのって訊くことはちょっと間違ってると思うんだけど。女の子はみんな僕より可愛いよ。
 実際付き合っているのは男だから、健太の質問とはちょっとずれてるけど。数寄屋は可愛いって言うより格好いい、だなぁ。
「なんで僕と比べるのかな…。しっかりした人だよ。格好いい」
「おー、いいんじゃない。要にはしっかりした人が合ってる。同じ高校?」
 健太は興味津々って目で僕を見てくる。僕には恋愛の話なんて一切なかったから、面白いのかも知れない。
「うん……」
 こうして健太に数寄屋のことを訊かれるのはむずがゆい。それに、今は数寄屋のことを思うと心臓がずきりずきりと痛んだ。
「へー、深川に訊いてみるか」
「え!?」
「だってあいつは知ってんだろ?」
「う、うん…」
 知ってるけど、訊いて欲しくない。
(だって深川だったら、僕が付き合ってるのは数寄屋だってあっさり言っちゃいそうだ…)
 健太にだったら知られてもいいだろって、さらりとした顔で教えてしまいそうで怖い。健太は深川が従兄弟と付き合っていることを知ってる。だから男同士が付き合うことを気持ち悪いって思わないと思うけど、でも数寄屋を知っているだけに何て言うか。
 要はどんな女が好みなんだろうなって言われた言葉を思い出すと居たたまれない。
「そういうことは早く教えろよな。いつから付き合ってんだよ」
「さ…最近」
 まだ一年経ってないから、最近で合ってるはずだ。
 でも数寄屋と付き合ってから健太とは何度か会っているから、詳しいことは話せない。
「それで、喧嘩したって?」
 本題に入られて、僕は気持ちが沈んでいくのを感じた。
「僕と付き合ってていいのかなって」
「は?」
 僕が言い終わる前に、健太は声を上げた。
 そんなに変なこと言ったかなと思って瞬きをして健太を見るが、真面目な顔をして「続き」と促された。
「えっと…僕と付き合ってていいのかなって思ったんだ。僕の取り柄なんて料理くらいだし。暗いし、はっきりしないし…頼りないし…馬鹿だし……」
 自分の悪いところは、上げていけばきりがない。弱音のように吐き出し始めるとどんどん出てくる。そのたびに自己嫌悪にかられてしまう。そんなことになっても後悔するだけだって分かってるのに、止められないことにまた自分が嫌いになる。
「そんな僕と付き合ってていいのかなって。相手にとって……あんまり良くないんじゃないかって。もっと似合ってる人がいるんじゃないかと思って」
 深川にも同じことを言った。でも深川は納得出来ないみたいだった。だから健太にも理解してもらえるように言葉を選びながら話した。
 でもどれだけ考えても言いたいことは変わらない。
「だって本当に格好いい人なんだ…」
 僕とじゃ似合わないと思う。
 そう伝えると、健太は真面目な顔のままみそ汁をすすり、器を空にした。
「それをさ、彼女に言った?」
「うん…」
「もっと他に似合う男と付き合ったほうがいいんじゃないかって?」
 男じゃないけど、と心の中で付け加えながら僕は頷く。
「そしたら、怒られたんだ」
 怒られたなんて僕は先生が生徒を怒るみたいな感じで言ったけど、本当は冷たく突き放すみたいに怒り方をされた。
 それが、一番胸に突き刺さっている。
「そりゃ怒るだろ」
 健太はあきれ果てたって顔で空の器を食卓に置く。
 やっぱり僕の言っていることは馬鹿げたことかも知れない。
 でも思っていることを理解して欲しくて、僕は「でも」と話を続けた。
「僕は別れたいなんて思ってないんだ。ただ幸せになって欲しいから。いい方向に向かって欲しいから」
 だから…と語尾が消えていく。
 きっと健太も、別れたいのかって訊いてくると思った。深川と同じように、僕が言ったことはそういうことだって、言うんだと思った。だから先に僕の気持ちを伝える。
 すると健太は難問を目の前にしたみたいな顔で食卓を見下ろす。
「要はさ、自分がいらない子みたいに話すよな」
 大きく明るい声で話す健太にしては珍しく、静かな口調だった。
 その声で告げられたことに、僕は声が出なかった。
「彼女にとっていい方向っていうのは、要がいないこと?付き合ってたら駄目なのかよ」
 健太は僕を真っ直ぐ見ては来なかった。そうすると僕が喋れなくなることを知っているんだろう。
 深刻な問題になると僕はどんな人の目でも怖くなる。自分の心の奥を見られるのが嫌で、顔を見られたくなくなる。
 今だって、自然と視線は自分の手元を見ていた。
「……たぶん…」
 だって僕といていいことなんて、食事以外見つからない。
 分からない。
「はあー……なんつーか、要はなんでもかんでも自分が悪いって言うよな。それでいいのかってくらい」
 健太はわざとらしいくらい大きな溜息をついた。
 悪いって言うだけじゃない。実際悪いんだから仕方がない。
 でも健太は僕の言葉を待ってはくれなかった。
「彼女にとって何がいいことかなんて、彼女が決めることで要が決めることじゃないだろ」
「でも……」
 どう考えても。と言いかけて、でもそれは僕の考えなんだと気が付いて続きが言えなくなる。
「彼女にとって、一番なのは要がいることかも知れないだろ。なんでそれを考えないんだよ」
 考えられないよ。そんなこと。
(だって僕なんて……)
 こんな人間なんて。
「彼女はさ、要がそれを言った時怒ったんだろ?」
「うん…」
「それって要と一緒にいたいからじゃねぇの。なのにそんなこと言われたら俺だってぶちキレる。アホかと思う。つかアホだアホ」
 健太は真剣に話していたけど、そこで急に砕けた。
「要はアホアホだって思ってるけど、ひでーアホだ。ホント」
 アホだって言われてるけど、それは僕を馬鹿にしているからというより、叱っているからだと分かっていた。だから僕は嫌な気分にはならない。
 落ち込みはするけど、それは自分のせいだから当然だ。
「要はその人と付き合ってて今楽しくない?」
「楽しいよ」
 答えはすんなり出てきた。
 数寄屋はぶっきらぼうで時々言葉が荒いけど、でも一緒にいると色んなことを気が付く。僕の知らないことを数寄屋は知っていて、考えていて、それを教えてくれる。
 だから僕は新しいことをいっぱい知ることが出来る。
 勉強だけじゃなくて、物事の考え方とか。
 数寄屋は僕よりずっと深い視線で世界を見ている気がする。
「ずっとこのままがいいとか思わない?」
「……それは思うよ。思うけど」
 駄目だと思う。数寄屋にとっては僕は一緒にいることは良くないことだって思う。
 でも僕は、この時間が続いていくと嬉しいと思ってしまう。
 数寄屋と一緒にいると楽しいから、嬉しいから、面白いから。
 続けばいいって、思ってしまう。
「それを彼女も思ってるってなんで考えねぇの。要がいてくれるのが一番だって思ってるかも知れないって、なんで考えない」
「そんな、僕が一番だなんて…」
 考えられない。
 そんなのあるはずないよって言いかけるけど、でも健太の溜息に封じられた。
「仕方なく付き合ってるわけじゃないだろ?好きとかなんとか言ってんだろ?」
「う、うん」
 健太の声が苛々し始めた。
 数寄屋と同じで、健太もはっきりしないことは嫌いだ。だから僕がもごもごしているのが気になって声も大きくなって来ているんだろう。
「だったら要が好きで、付き合っていたいわけだろ。それなのに他にもっといい男がいるって何だよ。他の誰でもなく要を選んで付き合ってんのに」
「選んで…?」
 数寄屋はどうして僕と付き合ってるんだろうと思った。
 他に数寄屋が好きだって女の子はいるのに。どうして僕は一緒にいてくれるのかって。
 それは数寄屋が僕を選んだから?ご飯があるからなんとなく一緒にいるんじゃなくて、気が付いたらそばにいたからじゃなくて。
「他の誰かじゃなくて要がいいから付き合うんだろうが。特別なんだよ」
 特別…、と僕の口が呟く。
 本当にそうなんだろうか。僕は、特別な人間になれているんだろうか。
 何の特技もないのに、取り柄もないのに。それなのに、特別になんてなれるんだろうか。
 健太の言ってることでいいのかな。
 不安になってちらりと視線を上げる。
「要が言ったことに怒ったってことが、何よりの証拠だ」
 健太はしっかりとした声でそう言った。
 その目は真剣で、僕の話をちゃんと考えてくれていることが見て分かる。
「……すごく怖かった。あんな風に冷たく怒鳴られたのは、初めてだった」
 もう二度とあんな声は聞きたくない。
 泣き出したくなるような気持ちにかられる記憶だ。
 僕は沈み込むのに、健太は唇に少しだけ笑みを浮かべた。
「好きじゃなかったらそんなに怒ったりしないだろ。それは要と付き合ってたいって証拠だと俺は思う」
 どうでもいいなら、その場であっさり別れるだろうしな。と健太は納得したように顔をする。
 僕より先に、健太が答えを見付けてしまっている気がする。
 どうしてこうも僕は、頭が悪いんだろう。アホだって連呼されたけど、本当に僕はアホそのものなんだろう。


next 


TOP